No.24 「大君の通貨−幕末の「円ドル」戦争−」(佐藤雅美著 文春文庫)を読んで

 

河村寛治 記

 この「お勧めの本」シリーズも、専任の先生方が研究の合間にどのような本を読んでいるか、またどのような視点からコメントしているかなど、非常に興味深く読ませていただいている。大体一回りしたので、そろそろ新しいものを提供しなければということで、たまたま最近読んだもののなかで非常に興味を覚えたものであったので、ここに紹介したいと思う。幕末の歴史の裏側というか、外貨交換からみた幕末史を垣間見るものである。

 もう10年ほども前になると思うが、同名の本を手に取り、読もうとしたが、非常に難しい内容の本であった。それで購入をあきらめ、いつか読んでみようと思いながら、そのうち記憶から消えてしまっていた。先月横浜校舎からの帰りにたまたま戸塚駅で本屋で立ち読みをしていたら、おもしろそうな本があるなと思って少し読んだところ、昔のかすかな記憶がよみがえり、今度は読もうと決心して、早速購入し、JRのなかで読み出したのだが、これが非常に結構読みやすく、また内容もおもしろく、二日ほどで読んでしまった。以前手にしたときの感じた難解さはなく、素直に理解できたのだが、著者の後書きによると文庫本として再版するにあたり、相当手を入れたとのことである。

 この本の副題として、「幕末の「円ドル」戦争」とあるが、この本の内容も幕末時代のペーリーの来航の後、日本が開港した際に扱われる金および銀貨の交換に際しての米国および英国と幕府とのやりとりなどが中心となっている。つまり日本の通貨と欧米の通貨との交換レートに関する交渉やその基本的論拠、さらには当時の幕府の財政悪化などが説明されており、外国為替の仕組みを理解するためにも結構役に立つと思われる。

 この作者・佐藤雅美氏は、この交換レートを不平等にせざるを得なかったことが原因で、幕府の財政が急速に悪化し、倒幕の遠因にもなったのだという説を展開しているが、それを現代の円・ドルの戦いにあわせて、このような副題をつけたということもおもしろい。

 この小説は、米国公使のハリスおよび英国公使のオルコック(いずれも初代の公使)を中心に、条約における同種同量の交換という原則を貫いた欧米側の考え方と、幕府の財政建直しのために、通貨の質を落とし、新たに貨幣として新一分銀(当時一般的に流通していたのは一分銀であり、いわゆる小判は死蔵されていたようである)を発行した幕府の通貨政策についての考え方との戦いをその主題としている。幕府の通貨政策を理解しなかった外国側と、幕府側でも財政問題の専門家であった水野忠徳外国奉行を失脚させるなど、為替対策に対する幕府側責任者の無理解により、小判の大量流出に至った経緯、そして結果として日本国内で物価の急騰、つまりインフレ状態が発生し、特に米をベースに俸禄を得ている下級武士や中小商工業者などを直撃し、それが幕府体制への不満、反発などを引起こし、幕府倒壊にまでいたったのではないかという内容である。

 このような幕府がとった政策は 当時としては画期的な政策であり、欧米では通貨の質を落として、その分を財政改善にまわすなどという考え方はとられていなかったようである。その意味では、この政策は世界ではじめて実施されたもののようである。その真偽のほどは不明であるが、もし本当だとすると日本人の金融政策もまんざらではないと思うのは私だけではないと思う。いつも欧米の金融政策が最先端であり、それに則った政策を採用してきているが、日本にも隠れた能力があると思わせるような内容である。

 具体的には、当時幕府体制下で利用されていた一分銀は銀の含有量を三分の一とした代用通貨であり、そのため三分の一の価値で外国銀貨と交換され、さらにはそれを金貨である小判に交換することにより、外国で小判を処分すれば、三倍にもなるというカラクリで、外国から銀貨が流入し、小判の流出も増加したということ、また、その結果、三倍の円安になり、輸入品は三倍で購入せざるをえないが、輸出に際しては、三分の一の値段になってしまい、それを防ぐために、小判の価格を三倍以上に上げたため、結果として物価は急騰し経済政策を誤ったということである。

 当時は、現在のような世界経済の影響で為替レートが変動するような複雑な時代でなく、二国間の単純な通貨交換レートの問題をあげて、通貨の交換による基本的な問題を説明しているという点で、外国為替の問題を理解するのに役に立つし、その結果、経済全体に影響がおよぶという問題も理解しやすい内容にもなっている。

 本書に親近感を覚えたのは、英国公使のオルコックの目から書いており、8年近く英国で生活したものとして、英国人のものの考え方も理解でき、また現在の熱海の自宅近くにオルコックの碑(というより、温泉で大やけどをして地元の人たちの介護にもかかわらず死んでしまったオルコックの愛犬・トビーの碑)もあり、非常に親しみを感じたこともある。また、本書には、本学の創始者であるヘボン博士およびブラウン博士についての記述もあり、当時、アメリカ領事館に程近い成仏寺にヘボン夫妻をはじめとする宣教師の三家族が住んでおり、社交好きのアメリカ公使のハリスは、頻繁に三夫人とブラウン博士の娘二人に会いに来ていたという記述もある。当然といえば当然なのであるが、ハリスやオルコックなどがヘボン夫妻やブラウン博士家族とつながるなどとは思ってもいなかったわけである。

 幕末の話が好きな人はどうぞ!

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