『インカ帝国』はあったか?


熊井 茂行

 「インカ帝国」は、南アメリカ大陸太平洋岸にあって、15世紀の前半に成立し1532年にスペイン人の侵入によって崩壊した巨大な国家である。その支配領域は、現在のペルー山間部に位置するクスコ市を首都にして、北は現在のエクアドル・コロンビア国境、南はチリ北部とアルゼンチン北西部におよんだ。その王インカは、国家宗教の主神とされる太陽の御子を名のる神聖王であるとともに、東洋的専制国家の長でもあった。インカの支配は、整備された道路網と地方行政センターを基盤とし、生産と流通を国家が管理する再分配国家のかたちをとり、福祉国家を先取りするものであった。
  このような一般に流布している「インカ帝国」像は、じつのところ、アンデスの人々による直接史料にもとづいたものではない。利用可能な史料は、スペイン人記録者によるものがほとんどである。その史料は、何重にもわたる誤解の重層であり、また相互に矛盾にみちたものである。史料を補完すべき考古学的調査・研究はきわめて不十分である。くわえて、従来のインカ研究は、史料の網羅的な検討によるものではなく、研究者の主張に好都合な一部の史料のつまみ食いによるものがおおかった。さらには、異文化の認識が不十分であり、自文化(ことに西洋近代)の無批判の前提が容認されてきた。
  筆者のここ10年間のインカ研究は、従来の通説を批判的に検討し、スペイン人の記録(クロニカ)などの網羅的検索によって、可能なかぎり異文化としてのインカの人びとの文化と社会を再構築しようとするものである。
  これまで、筆者がおこなってきた再検討・再構築は、いわゆる「インカ帝国」(像)を批判・再検討することを課題とする、つぎのような問題である。
  「インカ帝国」の名称は、スペイン人侵入者による造語である。その国家は「タワンティンスユ」とよばれ、その王はおそらくは「カパク」であった。インカは、民族集団の名称であると考えられる。タワンティンスユの支配の実態は、アンデス地域内の環境の多様性に対応して、一様ではない。タワンティンスユによる資源の生産と流通の管理は、山間部と海岸部、北部と中部・南部でおおきくことなった可能性がある。タワンティンスユが再分配国家であるという認識は、このような地域による支配の多様性を前提に、再検討される必要がある。タワンティンスユとその王カパクの歴史については、従来考えられていた絶対年代はきわめて疑問である。またカパクの11代にわたる一系的な継承とは考えられず、「ふたり王」であった可能性がつよい。その支配は、西洋近代の国家とはことなり、抽象的・普遍的国家ではなく、個々のインカ王カパクと密接不可分であり、親族集団パナカを基盤として、個々のカパクに固有な「国家(スユ)」のかたちをとる。したがって、カパクの継承とともに、国家(スユ)は、カパクの数だけ蓄積されていくことになる。
  今後の課題としては、つぎのような問題がのこされている。第一に、インカの人びとの親族組織の実態とその国家組織との関係がある。第二に、従来の太陽を中心とするタワンティンスユの宗教の理解は、根本的に再検討・再構築される必要がある。また、現在一般に流布している「インカ帝国」像の形成の歴史と、観光における「インカ帝国」像の普及の問題をあきらかにしたいと考えている。

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