日本語教授法の現在

- 学部留学生にどんな日本語教育が求められているか

 土屋博嗣


はじめに

 今日の新聞に留学生関連の記事が出ていました。中央教育審議会で、留学生の受入数が 10 万人を超えている状況を踏まえ、出席率や成績が悪い留学生は退学処分にするなど、留学生の水準の確保も求めた、とあります。日本が受け入れている外国人留学生の数は、 2003 年 5 月現在 10 万 9508 人で、 1983 年からの留学生受け入れ 10 万人計画を達成しました。 この留学生の 65 %が中国からで、本学でも一年生 11 名全員が中国人でしたが、留学生の雰囲気も以前とだいぶ違ってきました。

 以前は、貪欲に勉強するという感じでしたが、最近の留学生の中にはきちんと授業に出ることもできない学生が少しずつ増えてきました。日本人学生と似た、少し頼りない留学生がいるようになりました。以前は 1 年あるいは 1 年半の日本語学校での学習で入学していた留学生も、通常は二年の日本語学習期間を経て、大学に入学するようになってきました。実際に教えていて、留学生向けの日本語の授業の位置づけが、以前とはだいぶ変化してきたように感じます。 そこで、今日は学部留学生に対する日本語教育としては、どんなことが考えられるのかということをお話しして、皆さんのご意見を伺えたらと考えました。

1 . 上級日本語のシラバス
  上級段階の日本語教育のプログラムには、大きく分けて、 (1) 専門教育につながる日本語教育、 (2) 一般日本語の教育および異文化理解、の2つがある。
(1) 専門教育につながる日本語教育には、@専門科目の補助学習として日本語教育を行うもので、専門科目の内容・表現をわかりやすく留学生に教え、習得を助ける授業を行うもの、A講義の聞き方、論文の読み方、レポートの書き方など、専門科目の学習の際に必要となるアカデミックスキルの習得を目指すもの、B新聞や雑誌の記事などを材料に、一つのテーマでいくつかの記事を読んだり討論をしたりしながら、テーマについてまとめていくことによってアカデミックスキルや表現などの習得を目指すもの、などがある。

(2) 一般日本語の教育は、 (1) の専門教育に直接は関係がない、日常日本で生活する際に接触する日本語の習得を目指すものである。
  @書き言葉では、新聞や雑誌の記事や、小説の読解を通して、表現や日本の社会を知ろうとしたり、お礼や依頼の手紙文、一般的な報告などの日本気生活するときに必要となる文章を書けるようにしたりする。A話し言葉では、テレビやビデオの聴解や表現練習を通して、砕けた言い方や口語特有の表現を学習し、友人や親しい日本人の話し方を学んだり、高度な敬語が要求される未知の人との会話表現などを学習する。B異文化理解は、通常日本事情教育として行われているものである。日本人・日本社会・日本文化を理解するための知識や情報を提供しようとするものであり、日本語教師が行う場合には、さまざまな日本関係の図書から日本理解のために参考となる抜粋を利用したりして行われる。通常の生活において日本人と大きな摩擦なく生活していくために必要な知識を得ることを目指している。

2 . 留学生の多様な側面
  プログラムとして考えた上級日本語では、留学生を知的学習主体と考えたときの、学習対象である専門分野の学習・研究を補助する形での専門日本語の教育が一方にあり、他方には、留学生を日本で生活し、多くの人との対人関係を維持し、生活する対人関係主体として考えたときの、生活環境である日本社会文化への適切な意識・行動面での対処方法を身につける一般日本語・日本事情教育がある。

 しかし、最近の学部留学生を教えていると、この二つの日本語教育だけでは不十分ではないかと思われる学生が見られるようになった。以前はある意味で目的意識に明確な留学生がほとんどであったが、現在は何のために日本に留学しているのかはっきりしない学生も少なくない。

 確かに大学の学部に留学してきている若者は、自己のアイデンティティを確立する過程にある年齢であり、社会で出ていくときの形を選択する人生の転換期でもある。留学をしない学生は通常、家族や友人、教育機関の教師、社会からの情報、自らの遊びやアルバイトの体験を通して、アイデンティティを確立しつつ、社会に出ていく。アイデンティティの確立には、当然文化的な十分な環境が必要であるが、外国ではその文化的環境が、多く外国語で提供されているため、十分獲得できないと言うハンデがある。

 外国語に十分習熟し、文化的に人間存在に関わるような哲学的な事柄を外国語で身につけることができればよいが、通常は多くの留学生はその域まで外国語能力が伸びることはないし、それよりも多くの場合自分の専門分野である、限定された分野での知識の獲得に懸命であろう。それこそが留学して身につけようと考えたことであるのだから、そう考えるのは当然である。

 外国語が母語と同等のレベルまで伸長することは、至難の業であることを考えると、多くの学習者が外国語では到達できない、文化的情報のレベルが存在することは明らかである。異文化状況では明らかにそのレベルの文化情報は不足がちになる。多くの場合、留学生は文化を同じくする留学生とコミュニケーションを持ち、文化的なアイデンティティを確認しながら、深いレベルの問題については母語で留学生同士で話し合ったり、必要な図書は母語で読んだりして補っている。

 このように学部留学生は、ビジネスマンや家庭婦人、学童期の外国人とは違った意味での、成長期の課題を抱えている。それは、人間を作る基盤であるが故に、大きな意味を持ってくる。異文化状況で成長することを求められる留学生にとっては、異文化状況にあることの利点を最大限に利用しつつ、文化的環境の不十分さを補い、それを上回る人間的成長を可能にするサポートが求められている。

 本学の現在の日本語教育では、 (1) 知的学習主体としての留学生、 (2) 対人関係主体としての留学生に対する日本語教育は行われているのであるが、 (3) 自己成長主体としての留学生のための援助は行われていない。これが日本語教育の一部として行うのが適当か、正規の授業としては取り上げられないものなのかの検討も含めて、これを何らかの形で留学生に提供することが必要なのではないかと思われる。

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