第2回 (2004年5月15日)

『文化と性役割 ―個人的体験から―』

大木 昌(明治学院大学国際学部教授)

 男女の性別による役割が文化によってことなることは当然である。なぜなら、性別役割に限らず、およそ「役割」というものはすべて、その社会によって期待される行動様式にほかならないからである。そして、その期待される行動様式は、その社会において「優勢な」集団の価値観―つまり文化―によって決定される。このような仕組みから、ここでは性役割を文化的概念として考えてみたい。ここで「優勢な」集団とは、男と女というカテゴリーが重要な意味を持つ。しかし問題は、文化が異なれば性役割も異なることである。したがって、もし、文化と性役割の問題を全世界的な規模で論じようと思えば、全世界の文化を網羅的に検討しなければならないことになる。もちろんそれは不可能なので、ここでは私の属する日本社会と、研究対象である、世界最大の母系社会である、インドネシアのスマトラ島に住むミナンカバウ族、そして、4年間の留学とその後何回か訪れたヨーロッパ社会(主としてオーストラリア、オランダ)での性役割を比較してみたい。

 これらの三つの文化圏における性役割を、ここでは客観的・学問的な観点からではなく、個人的な体験をとおして検討する、という方法とりたいと思う。なぜなら、性役割を考えるということは、自分とは何か、自分はどのように生きてゆくのかという個々人の切実な問題と関連しており、学問的な抽象の世界に閉じ込めてしまうわけにはゆかないからである。

 さて、私の場合、日本に男として生まれ育ち、男としてのどうあるべきかを幼いときから家庭、地域社会、学校などでの日常生活の中で、無意識のまま心に刻み込まれてきた。それがあるとき、 3 人の子供の養育を私だけで担うことになり、以後、いわゆる「主夫」の生活を 8年間経験した。このときはじめて、日本の女性「主婦」がどのような状態に置かれているかを実感し、「主婦」の立場から男と男社会を見直すきっかけとなった。この貴重な経験から、日本における性役割の問題を、非常に個人的な見解として述べてみたい。

 また、ミナンカバウ族の母系社会とはいったいどんな社会なのか、そこでは本当に「女」が社会の主人公なのか、あるいは建前だけなのか、母系社会における「男」とはどんな存在なのかを、私の現地での経験と、歴史研究をとおして考えてみたい。最後に、ヨーロッパ社会であるが、一般的にはレディーファースト、女性を尊重したヨーロッパの社会は、性別による差別をいち早く撤廃しようとしている、この意味では「ジェンダー」問題の先駆的な文化と考えられている。しかし、私が経験したヨーロッパ社会は、とうてい男女の平等性が達成されて社会とはいえない。目に見える場面、たとえば職業につき経済的に自立することや、社会活動全般において女性の地位は高くその活動は評価されている。しかし、典型的な父系かつ父権社会であるヨーロッパ社会の男性が、女性を人間としてまったく対等にみなしているかというとかなり疑問が残る。

この講座では、一方の極にミナンカバウの母系社会を、他方の極にヨーロッパの父系社会を、そしてその中間に位置する日本―やや母系社会よりではあるが―をおいて、性役割の問題を文化の問題として比較検討したい。

 

−大木昌(おおきあきら)先生のプロフィール−

専門分野

 東南アジア・国民形成の社会史

論文・著書
 「ジャワにおける病と生活環境の変化」、『国際学研究』、第22号、2002年
 『病と癒しの文化史』、山川出版社、2002年
 『西側による国家テロ』、アレクサンダー・ジョージ編、勉誠出版、2003年 <訳書>