第4回 (2006年5月27日)

『愛されない日本:横浜の在日フィリピン人の心境』

Rey Ventura(アジアプレス・インターナショナル)

パートT:「この父にしてこの娘あり」
「ジャパゆきさん」の3分のドキュメンタリーをまず見せます。物語の最初の登場人物であるジェニーは、10回日本に行った後、マニラに戻りました。日本で知り合ったフィリピン人のボーイフレンドと結婚しました。夢のマイホームを建てることができました。一方、キャシーの話は違います。4年間の理学療法の勉強を終えた後、海外で働きたいと思いました。アメリカで理学療法士として働きたいと思っていました。しかし、それはたやすいことではありませんでした。アメリカの病院での勤め口を保証してもらうためにエージェントに大金を払わなければなりませんでした。30万ペソ(6000ドル)が必要でした。
 卒業式の日、キャシーの父親(日本で10年以上働いている)は式に出席するために帰国することになっていました。外国人労働者として成し遂げた成果を称えるその卒業式に。父親の送金のおかげで、キャシーは大学を卒業することができました。卒業式は、横浜で「立ちんぼ」(日雇労働者)としての父親の苦労が終わる日を意味するものでした。しかし、父親は帰国しませんでした。母親が帰って来ないように頼んだのです。帰国しないで、6000ドルの紹介料を少しでも稼げるように日本に留まるように頼んだのです。
 そこで素晴らしい考えが家族に浮かびました。キャシーには日本人と結婚した後見人がいました。家族は、東京の後見人に手紙を書きました。子供のいない彼女はすぐに助けの手を差し伸べてくれました。2001年、キャシーは日本に来ました。22歳でした。昼間は日本語の学生で、夜は新宿にある後見人のクラブでホステスとして働きました。父親と同じ道を歩んだのです...「この父親にしてこの娘あり。」
 ビデオでは、母親はこう言いました:「キャシーの勉強が終わったら、帰国するように頼むつもりです。定期的に送金をきちんとしてくれれば、日本に彼女がいても気にしません。お金が一番重要なんです。」
 日本に2年いた後、キャシーは2003年にマニラに戻りました。父親は寿に残りました。ボーイフレンドには、夜、新宿のバーで働いていたことは言いませんでした。

ディスカッション1:なぜ妻は夫が長い間海外に住むことを許したのか?なぜ母親は、娘が軽蔑的に呼ばれているいわゆる“ジュパゆき”になることを許したのか?なぜ母親は、娘にアメリカで働くことを夢見るのではなく、フィリピンで就職するように奨めなかったのか?なぜ父親は娘が日本に行くことを止めなかったのか?すべての決断においてお金が最優先の要因になるのか?
どう思いますか?

パートU:出稼ぎの父親帰国
2004年、フロランテ(キャシーの父親)はフィリピンに帰国しました。日本には合計14年滞在していました。帰国後、彼は「うれしくない」と言いました。
 うれしくない?どうして?日本で稼いだお金で娘を大学に行かせることができた。家を建てることもできたし、電気製品も買うことができた。近所の羨望の的だった。では、なぜうれしくないのか?それに、うれしくないなら、どうして自発的に帰ってきたのか?どうして強制帰国させられるまで日本にあと6年でも10年でもいなかったのか?
 末娘のキャシーは父親のお気に入りの子供でした。キャシーがアメリカに行く予定でしたが、その前父親に帰国するように頼みました。キャシーの声は家族の中で一番有力で、フロランテはそれを無視できません。娘の頼みをかなえるために帰国しました。
 ホステスとして働いたお金と父親からの援助を合わせて、キャシーはアメリカの病院での仕事を確保するために必要な紹介料6000ドルを支払うことができました。キャシーはカリフォルニアのカールトンで医療専門職に就くために、新宿でホステスとして働かなければなりませんでした。

ディスカッション2:それでは、どうしてフロランテは帰国してもうれしくないのか?もしあなたがフロランテだったら、14年間家族と離れ離れになった後、子供や妻と再び一緒になれてうれしくないですか?14年間のホームシックの後。自分の血と、汗と、涙で建てた家に住みたいと思わないですか?

パートV 最終目的地はアメリカ
マニーは日本に3年以上(1986年から1989年)滞在しました。甲状腺の病気になったため、入管に出頭し、フィリピンに強制帰国しました。お金もほとんどなく、病気の体で帰国しました。1年間治療した後、借金をして観光ビザでアメリカに旅立ちました。1991年に出国して以来ずっとカリフォルニアに住んでいます。フィリピン人の妻とは離婚し、アメリカで再婚しました。今はアメリカ国籍です。

ディスカッション3:キャシーにはアメリカンドリームがありました。マニーにもありました。なぜ二人にはジャパニーズドリームはなかったのでしょうか?なぜ「桜の夢」がなかったのでしょうか?なぜ日本は最終目的地にはなれないのでしょうか?なぜ日本が愛されないのでしょうか?

−Rey Ventura(レイ・ベントゥラ)先生のプロフィール−

専門分野
人間レベルの日比関係のルポ
論文・著書
Underground in Japan , Ateneo de Manila University Press, 2006
『僕はいつも隠れていた』、草思社、1993年
「ブルーマンションの住民たち」、月刊誌『望星』、2004年11月
英語版 “Blue Mansions”, 2005, online at
http://www.oovrag.com/essays/essay2005a-3.shtml
“Dogs Barking at the Full Moon” Kyoto Journal, April 2003, online at
http://www.kyotojournal.org/kjencounters/dogs.html