第2回 (2007年5月19日)

『食から見えてくる本当の豊かさ―スローフードとファストフード―』

島村 菜津(ノンフィクション作家)

 数年前、熊本県の水俣市を訪ねて、驚いた。その過去に起きた悲劇の深さに改めてショックを受けたのではない。その自然の美しさに驚いたのである。

 同じ九州で育ちながら、三十五歳を過ぎるまで、ただの一度も出かけたこともなく、漁村だとばかり思い込んでいたが、すぐ裏には緑深い山が連なっている。

 澄んだ川が流れ、緩やかな棚田があり、ミカンやお茶作りが盛んだった。

  以来、通っているのだが、九十年代、環境都市化を目指す役場の環境課にいた吉本哲郎氏(現・水俣市博物館館長)はこんなことを言った。
「水俣は、チッソが毒を垂れ流し、海の水が汚染され、そこで獲れた魚を食べて人が病気になった。だから、水とゴミと食べ物、その三つが何とかなれば、水俣は生まれ変われる。」 
 同市の取り組みは、たとえば、ゴミの二一分別、トレー廃止運動とユニークだ。
環境マイスター制度では、選ばれた無農薬の茶農家や米農家、無添加のいりこ生産者などは、以後、市民の意識を変えるために手助けさせられることになる。

 その吉本さんは、こんなことも言った。「経済には三つある。現代のマスコミは、貨幣経済ばかりを取り上げるが、他にも二つの経済がある。それは、竹の子が取れすぎたら近所にお裾分けすると、夕方のおかずになって戻ってくる、あるいは、結いやもやいのような共同の経済。そしてもう一つは、自給自足の経済である。」

  なるほど水俣の山間部では、昔から自給自足の世界で、長老が、小さな庭先の畑で多種多様な野菜を作り、薬草を育て、雑木林からは筍や山菜を採ってくる。

 水(そして土)、ゴミ、そして食べ物を見直すという水俣の発想は、そのまま、この六年、私の暮らしのヒントになった。

 かつて、スローフード協会の副会長もこう言った。「私たちと家族、友人、故郷、地域社会、自然との真ん中に食というものがある。その関係性にスローの文字をあてがうのだ」と。スローフードの考え方は、破綻しかけたさまざまな関係を修復するための最良の処方箋である。

  この六年、日本の食を掘り下げてみたところ、いろいろと見えてきたものがある。
祭りや三世代が同居するような共食の場を失い、孤食へ追いやられる子供たち。あるいは中国やアジアの人々に骨を抜いてもらったアジフライや、角をとり、チンするだけの里芋の煮っ転がし、それほど人任せになってしまった外食産業や加工食品。それらの荒涼とした貧しい世界・・・。

  一方で、地元で採れた旬の野菜や魚を供するレストランや農家民宿の台頭、市民の生ゴミを地元農家ですべて堆肥化し、里山を守るような地域の出現、そして、遠く離れた南半球の生産者を支えるコーヒーやバナナのフェアトレード。その豊かな世界。金さえ出せば世界の珍味が何でも手に入ると言われる日本にあって、環境の世紀、本当に豊かであることとは何かを、食から考えてみたい。

島村 菜津(しまむら なつ)先生のプロフィール−

専門分野

 イタリア文化、食文化

論文・著書
『フィレンツェ連続殺人』、新潮社、1994年(共著)
『エクソシストとの対話』、小学館、1999年
『イタリアの魔力−怪奇と幻想の「イタリア紀行」』、同朋舎、2001年
『スローフードな人生!−イタリアの食卓から始まる』、新潮社、2001年
『スローフードな日本!』、新潮社、2006年
『バール、コーヒー、イタリア人−グローバル化もなんのその』、光文社、2007年