第6回 (2007年6月23日)
C. Douglas Lummis(作家、元津田塾大学教授)

『成長の限界』が出版されたのは、1972年だった。そこではローマクラブの学者たちが経済成長を止めなければ自然環境は破壊してしまい、地球規模の災難になる、と警告していた。
あれから35年間がたち、当時新鮮だったメッセージはかなり陳腐になった。しかしそのメッセージはまだそれぞれ国の政府の官僚に伝わっておらず、依然として経済成長を進めることが主流経済学の常識となっている。
そして『成長の限界』に予測された世界規模の災難は、もう「予測」ではなく、すでに始まった現実となっている。
これは官僚的経済学者の鈍感(だけ)ではない。産業資本主義という経済制度は絶えず成長しないと危機状態に入るような構造になっている。もしゼロ成長に落ちれば、その責任を担っている政権の支持率は落ち、政権交代になる場合もある。つまり、多くの国の有権者も、あいかわらずゼロ成長を恐れている。
この恐怖の裏には、「もしゼロ成長(またはマイナス成長)状態になったら、われわれは幸福・楽しみをあきらめ、禁欲的な生活をおくらなければならないはずだ」という考えがあるだろう。地球を救うために、われわれは自分個人の幸せを犠牲にできるのだろうか。そのような環境道徳のため、われわれは惨めな貧乏になりきれるのだろうか。
それとも、われわれの「楽しみ」「幸福」「豊」の感覚は、消費文化によって歪められているのではないか、と考えられないか。
最近、東京で「You are what you buy」(何を買うか、それがあなただ)という英語のポスターを見た。これは市場経済文化を見事に表現している。人間の幸福・アイデンテティーの追求そのものが消費活動となる。新しい製品をゲットした瞬間が幸せの模範となる。
これは本当の快楽主義なのだろうか。
それとも、これはもっと深いところにある禁欲・苦労・フラストレーシャンを隠しているのだろうか。
「消費の楽しみ」と「仕事の辛さ」が同じコインの裏表になっているのではないか。
「疎外された労働」の経済制度のなかでは、「賃金の楽しさ」が「労働の辛さ」の賠償である。つまり、「消費は楽しい」というのは、「労働は辛い」という前提にたっている。
しかし辛いのは、労働ではなく、疎外された労働だ。(ちなみに、これに関してもっとも鋭い理論家はマルクスではなく、ウイリアム・モリスだ。)
労働のことだけではない。「何を買うか、それがあなただ」という消費文化のスローガンを考えよう。つまり「買わないあなたには、存在意義がない」ということだ。生きている楽しさ、成長する楽しさ、知る楽しさ、見る、聞く、味わう楽しさ、踊る、歌う楽しさ、友情、愛情の楽しさ、それらが全部否定される。
経済成長文化の催眠術から解放されれば、豊かさを失うのではなく、再発見することになるかもしれない。
−C. Douglas Lummis(ダグラス・ラミス)先生のプロフィール−
専門分野西洋政治思想史
論文・著書『反戦平和の手帖−あなたにしかできない新しいこと』(共著)、集英社、2006年 『憲法は、政府に対する命令である。』、平凡社、2006年 『普通の国になりましょう』、大月書店、2007年 "Why Not Have Empire?" , New Politics, Vol. X, No. 2, Winter 2005 "The Smallest Army Imaginable", Alternatives, Vol.31, No.3, 2006 「ステレオタイプ、アーキタイプ、タイプ」、『文学』第7巻・第6号、岩波書店、2006年