稲葉振一郎の

インタラクティヴ読書ノート・別館

(更新は月2回以上……を目指しています。)

 こちらはインタラクティヴ読書ノートの別館です。伝言版形式の本館に対して、こちらはすべて稲葉振一郎が作成しており、文責も当然稲葉振一郎個人が全面的に負っています。

 読者のみなさんからの情報提供は、インタラク ティヴ読書ノート・本館で受け付けています。どしどし書き込んで下さい!

 注記(2004年11月11日)
 インタラクティヴ読書ノート・別館の別館を設けました。


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2006年2月

2月10日

 特別編だよ。

真剣中年しゃべり場



*第1部(at「別館の別館」)

 適当に編集してます。

発端(2005-11-11コメント欄)

# 内藤朝雄 『 すいません。わたしはまだ「子犬」で論陣をはるためには、どういう手段を用いればいいのかわかりません。教えてください。自分のブログに書くぐらいの 手だてしかありません。もし雑誌などで警告を発する機会があれば、今の追いつめられた仕事が終わり次第やります。この件では論陣をはる必要を感じていま す。

  わたしは社会に妬みと憎悪と乱暴な攻撃が蔓延することをとても心配しています。これが「民主主義」と結合すると、とんでもないことが起こりそうな予感がし ます。かつてドイツで起こったようなことです。ハイエクは、ステーキのナチという言葉をあげていました。赤と黒は容易に反転します。憎悪と妬みと、人生の 不遇に対する被害感で毒づいた攻撃的な左翼メンタリティの厚い人口層ができることは、危険です。
 いわゆる「ネオ・リベ」的な政策はこのような憎 悪を社会に蔓延させるのではないでしょうか。新自由主義と新保守主義が構造的にカップリングしているという話しがありますが、新自由主義と「憎悪と妬みの 左翼−右翼連続体(ラヂカル・ステーキ)」の構造的カップリングが生じるおそれがあります。
 かつての魔女狩りは、当時大学をつくりすぎて職にあぶれた大学出の厚い人口層が中心的な役割を担ったという話しがありますが、今、大学院をつくりすぎて 絶望的な呪いの徒を量産しています。この大学院のつくりすぎが、将来に大きな禍根を残すでしょう。
 ひとりひとりは単にみじめなだけですが、これが人口層になるときわめて危険な人間類型の、貴重なサンプルを彼らのわめき声から収集することができます。
サンプル
http://f.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20051019012044
http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050923
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20050808
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20050806
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20051112
東京シューレ関連の貴戸理恵バッシング
今は過去ログになった2ちゃんねるの貴戸理恵スレッド
東京シューレ自体はどうでもいい組織だけど、ここで典型的にあらわれた憎悪の論理は、将来あぶれてみじめな生活を送ることになる大学院出の厚い人口層が担 い手になるでしょう。つまり、日本中の大学院が「シューレ大学」(と機能的に等価)になるのです。
就職先もないのに、需要と供給のバランスを無視して大学院を増やすのは危険です。文部省はすぐに政策を変えるべきです。』 (2005/11/17 11:10)

# やまがた 『いまのフランスの状況を見ると、ネオリベラリズムよりもむしろ、サヨク色の残った既存労働者の権利保護を厚くすることで労働市場の硬直を招き、失業者を 増やすような施策こそが不満の鬱積とその噴出による社会不安を招くように見えます。日本の状況も、既存労働者の権利を守れと旗をふり、パートやフリーター を蔑視する左翼的なスタンス(かれらを十分な保護や福利厚生のないかわいそうな存在だと論じ立てるのは、そういう存在を二流労働者として蔑む見方でもあり ます)は、たぶん若年労働の就職難を後押ししてるんじゃないかと思えます。それはネオリベなんかよりは、死に損ない労組左翼のせいがあるかに大きい可能性 もあります。文科省(すでに文部省ではありません)は、学生の完全就職まで面倒みきれないし、それでかれらを責めるのは筋違いでしょう。大学院は、少なく とも失業するまでのバッファを増やす役割は果たしています。大学院が増えなければ、そこに行った人たちは就職できたんでしょうか。そんなわけないでしょ。 ほんと、リフレ策がとれられて景気が回復すればこんなことは「問題」でもなんでもなくなるんですが。』 (2005/11/17 21:09)

# dojin 『>日本の状況も、既存労働者の権利を守れと旗をふり、パートやフリーターを蔑視する左翼的なスタンス(かれらを十分な保護や福利厚生のないかわいそうな 存在だと論じ立てるのは、そういう存在を二流労働者として蔑む見方でもあります)は、たぶん若年労働の就職難を後押ししてるんじゃないかと思えます。それ はネオリベなんかよりは、死に損ない労組左翼のせいがあるかに大きい可能性もあります。

ど うでしょうね。日経連は1995年の『新日本の日本的経営』ですでに「雇用の流動化」と「多様な雇用形態」という戦略を打ち出してるみたいですし、望み薄 な感じもしますが一部の労働組合はパートやフリーターの組織化に取り組み始めているみたいですし。労組左翼運動の「意図せざる(?)結果」の影響は多少は あるかもしれませんが、少なくともここ十年でみれば、「ネオリベ」と世間一般で呼ばれるものと比べれば、労働市場の状況には大した影響を与えてないので は。素人観測ですが。

あと福利厚生や待遇からみれば、軽蔑するかどうかは別にして、パートやフリーターが二流労働者なのは間違いないです よ。私の友人を見ても、夜遊びの後は、かたやタクシーで帰宅ですが、かたや漫喫で始発を待つのです。(どうでもいいか)』 (2005/11/17 22:58)

# taku 『やまがたさんはdojinさんの議論にお答えできるんでしょうか?
あと、フランスの暴動がリフレで解決すると思われるのでしょうか?』 (2005/11/18 06:21)

# 偽浅田彰 『http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20051114
 グーグル検索でなかなか出てこないのが不思議ですがフランスについて。ネット上の多くの記事の一つとしても。』 (2005/11/18 06:58)

# やまがた 『>やまがたさんはdojinさんの議論にお答えできるんでしょうか?

も ちろん。「それがどうした」の一言です。左翼がフリーターを組織化したら、かれらの労働力としての存在意義がなくなってかれらも使われなくなるでしょう。 不景気で労働需要の絶対数が減っているために、従来の正規雇用を減らそうという動きが起きていて(「いわゆるネオリベ」ですが、別にそうした思想的根拠で やってるわけじゃなくて、企業は不景気の中でリスクを減らそうとしてるだけです)、左翼的な運動は雇用の流動性を減らす方向に努力することでそうした雇用 形態に対する需要すらなくす方向に動いているという話です。不景気が最大の問題で、「ネオリベ」なんてのが別にあるわけじゃなく、具体的にある労組左翼は 問題を悪化するように機能しているという話で何も「お答え」するものはないんですが。

>フランスの暴動がリフレで解決すると思われるのでしょうか?

ほう、フランスはデフレなの?
でもECBがユーロを下げるゆるい金融政策をとれば、失業は減って暴動の原因は多少は解消するでしょ。』 (2005/11/18 08:00)

# やまがた 『さらに現状で企業に「いわゆるネオリベ」的方針をやめろというのは、多くの企業にとってつぶれろというに等しい。つぶれたら失業者ははるかに増えます。 ですから「いわゆるネオリベ」的方針をとったからこそ、現状はこの程度ですんでいる、と言う見方も十分なりたつし、そっちのほうが妥当でしょう。フランス は手厚い労働者保護のせいでそれができなかったのです。

い ずれにしても、院卒が社会不安を招く、就職先のない大学院はナチズムにつながる、だから文科省が悪いという内藤氏のへんてこな議論はあまりに酷い。基本的 には就職難を引き起こしている経済状況が問題であり、院の増設はこの状況下では景気回復までのバッファ増大として役にたつものです。それがなければ、院に も行けなかった人はますますささくれるだけです。』 (2005/11/18 08:16)

 # shinichiroinaba 『ええっと、燃料投下する暇もなくて申し訳ないんですが、とても面白いんで山形さん、内藤さん、dojinくん、それぞれ切れずに続けて下さい。茶々入れ 厨房はもう来ないで下さい。
ぼ くとしては内藤さんの議論も山形さんの議論もそれぞれに一理あると思います。まあ内藤さんの議論は針小棒大で漫画的ではあるといえばその通りですが、こと の一側面をデフォルメしていることはたしか。もしも景気回復がどこかのバカのせいで遅れて、またしても「失われた十年」が来れば結構現実味を帯びちゃうか も。
それから「労組左翼」というくくりには問題がある。企業内労組(その多くは左翼じゃないが)は終身雇用を守る側にコミットする限りでは、大学 院同様のバッファ機能を支えているわけでしょう。左翼労組は官公労と一部のパート労組。そして官公労の場合も「抵抗勢力」としてやはり雇用不安へのバッ ファ機能を果たしていないわけでもないのでは? 
またパート組織化に積極的なのは左翼だけじゃなくて、ゼンセンという右翼(?)もいるので、パート組織=労組左翼というわけでもない。
労務屋さんはどう思われます?』 (2005/11/18 12:39)

# dojin 『もう投下する燃料はありませんが。。。たしかにゼンセン同盟は明らかに労組左翼ではないですよね。いまの時代の「労組左翼」ってどんな感じなんでしょ う?

あ と『いわゆる「ネオリベ」ですが、別にそうした思想的根拠でやってるわけじゃなくて、企業は不景気の中でリスクを減らそうとしてるだけです』というのはそ のとおりで、あまり「ネオリベ」を資本家・持てるものの陰謀のようにみなすのは意味がないと思いますし、『新日本の日本的経営』にしてもそうでしょう。た だ不景気下の対応として、結局弱いもの・能力の低いものから痛い目にあうのは勘弁してくださいよ、しかも富めるものはけっこう富めるままじゃん、という感 情があり、そこから陰謀史観が生まれるのは当然だと思います。リフレ派が左翼に指示を得られない・関心を持たれない理由としては、左翼が問題視するのが、 「景気悪化による労働者の生活悪化そのもの」ではなくて、「痛い目にあうのはいつも弱いもの・能力のないものが先」というあたりだからな気がします。「リ フレで景気よくなっても、また10年後とかに何らかの理由で景気悪くなったらどうせまた弱いものから切り捨てだろ?そういう社会構造そのものが気にいら ねぇのに、リフレ派はそういうことについては何もいわねぇ。でも革命ともいえねぇ。企業社会批判ももはやできねぇ。どうしよ。でもとりあえずネオリベは批 判しなきゃ。」みたいのが今の左翼の状況ではないでしょうか。

バッファ機能の話、もっと聞きたいです。』 (2005/11/18 13:37)

# 内藤朝雄 『ネオリベという曖昧な言葉はよくなかったですね。もちろん左翼には反対です。わたしは、公務員と企業で高給を取っている中高年を大量に解雇しするか賃下 げするべきだと思っています。そのうえで、国や地方自治体が持っている土地や建物を売ったり、リースに出したりします。税金は上げます。そのうえで、いま までの国や地方公共団体の仕事を大幅に民間に委託します。税金を安くて質の高いサービスを行う企業を通じて市場に環流させます。福祉を徹底的に民営化しま す。旧来の「ネオリベ」のイメージは、福祉を薄くし、かつ民営化する(その分を保守的な「伝統」にまかせる)というものでしたが、わたしは、福祉を厚く し、かつ民営化する、というものです。医療はタダにし、教育はチケット制にします。中高年がなぜ若年層よりも高い賃金を必要としたかというと、医療と教育 に金がかかったからです。医療をタダにし、教育をチケット制にすると、中高年が若年者よりもたくさん金を稼がなければならないという縛りが消滅します。こ どもの学費は親が払うのではなく、チケットでまかなわれるわけです。中高年の賃金を下げた分、若年層を大量に雇用することができます。また、このような手 厚い福祉によって人間の尊厳をコーティングして、はじめて、市場の効率化が達成されます。コストのかかる終身雇用をやめて、労働力のジャスト・イン・タイ ム化を行うためには、手厚い福祉とうまく機能する労働市場が必要になります。労働市場を機能させるためには、能力の汎用ユニット化(デルコンピュータのユ ニットのような)とその組み合わせシステムが必要になります。企業特殊な側面をぎりぎりまで削ることで、すべて自前の高価な労働力と比べたら比較的安価な 汎用労働力を労働市場から適時調達することができます。
  また、労働人口のほとんどすべてをフリーターにし、正社員を極力なくして、フリーターと正社員のQuality of Lifeをほぼ同じにする必要があります。正社員かフリーターかでなく、希少労働能力(この人しかできない労働)をどのくらい内蔵しているかというスペッ クによって収入が決まるシステムです。失業中は、バッファーに立ち寄って、この希少労働能力をゲットします。希少労働能力をゲットする能力が低い人でも、 福祉によって人間らしい暮らしができます。
 このシステムを達成するための福祉のために、税金が40パーセントになってもかまわないと思います。
  バッファーとしての大学院には大きな副作用があると思います。少なくとも文系の大学院は、何の役にもたたない設備投資に対して不相応なプライドとナルシシ ズムを蓄積させ、わたしが問題にしているような卑小感と思い上がりと憎悪と妬みと攻撃性の蔓延を引き起こします。少なくとも文系の大学院は、本来そうある べき自己像と現実の境遇のギャップが厄災をもたらすタイプのバッファーです。憎悪に満ちあふれていない社会に住むことは、大切なQuality of Lifeの項目のひとつです。バッファーならば、大学院ではなくて、チケット制の職業訓練サポート団体でおこなうべきです。バッファーは、職業に直結する バッファーであるべきです。
 わたしは経済の問題と社会に蔓延する憎悪の問題が重ね合わさる地点でものを考えるべきだと思います。』 (2005/11/18 17:04)

 # shinichiroinaba 『内藤さん、ひさびさにあまりといえばあまりにストレートな、左右を問わずラディカリストにはありがちの、既得権益へのルサンチマンに駆動されたかのごと き清算主義というかシバキ主義の発言に出会ってちょっと笑えます。一応拙著『教養』は差し上げたはずですので、それにプラス竹森俊平『経済論戦は蘇る』あ たりを読まれるとよいかと存じます。
内 藤さんの構想は基本的にはフリードマン流のクーポン制福祉国家(立岩風にいえば「分配する最小国家」?)構想でしょう。それがうまくいくためには最低でも マクロ経済の安定(つまりは好況)という条件が満たされていなければだめです。日本の現状はそこからまだちょっと遠いので、少なくとも時論的にはダメで す。
また実質賃金の大幅切り下げという荒療治も、不況時には問題外であるのは当然、よほどの好況時であっても、短期的に行えばそのショック自体が マクロ的な不況へのひきがねになりかねません。内藤さんが考えるような大規模なリストラは、基本的には定年引退による自然減を利用してゆっくり行うしかな いでしょう。
簡単にいえば、内藤さんが考えるような一挙的な改革は、それ自体がルサンチマンの所産である可能性が高いのみならず、強引に実施されればそれがまた新たな ルサンチマンを引き起こすであろう、ということです。』 (2005/11/18 17:32)

 # shinichiroinaba 『再三言いましたとおり「金持ち喧嘩せず」の精神がとても大事だということです。そのためには、貧乏人のふところをあったかくしてやって「失うものがあ る」プチブルにしてやらねばならんのはもちろんですが、かといってその負担を金持ちに負わせすぎてもいかん、ということです。あんまり重税をかけると金持 ち連中もいらん被害者意識にとりつかれますから、コワモテで迫るよりも連中の自尊心をくすぐることを考えましょう。
基本的にはストレートかつ強引な再分配はできるだけ避けて、パイそのものの拡大を通じてなんとかしよう、ということです。』 (2005/11/18 17:44)

 # shinichiroinaba 『この世は悪人とバカと小人で一杯です。ラディカルな人たちは(右も左も)それが我慢できなくて、悪人をみんなぶち殺すかそれとも改心させ、バカと小人も やはりみんなぶち殺すかそれとも再教育して賢い大人にしたい、と考えているのではないでしょうか。
そ れはもちろんある程度は可能でしょうが、限界はあります。現実問題として、改心させ再教育することには限界があるのです。その限界にぶつかった時、悪人や バカや小人の存在を許せない人には、もはやそいつらを「ぶち殺す」選択肢しか残っていないように見える、ということです。
もちろん本当はそんなこ とはありません。たとえば小泉義之をパラフレーズするならば「自然死を待つ」という選択があります。しかし自然死までは時間がかかりますので、そのあいだ を待つということはつまり「我慢して共存する」ということに他なりません。そしてその我慢を可能とするための条件作りが、宮台真司がいう「バカが伝染らな い仕組みを作る」ことです。しかし宮台は「バカが伝染らない仕組み」の内実について詰めることを怠りました。
景気がよいこと、パイが全体として拡大していること、は「バカが伝染らない仕組み」のすべてではないにしても必須の一部をなすといえましょう。』 (2005/11/18 18:00)

# 内藤朝雄 『 ルサンチマンについて暖かくいぢっていただくのはこれで二度目です。わたしの「臨床」社会学は、逆転移観察みたなことをやっていて、バカの臭い息を吸 い込み手応えに嘔吐する自分自身の内側からの反応を使って、それを論理形式に変換する(パタンを抜く)という手法をとってきました。論理形式の行間にルサ ンチマンの電波がゆんゆんになるのはそういう作り方をしているからでしょう。そういう「かませ犬」法を使うと、バカのパタンをじゃかすか抜けますが、肉体 的に辛いです。
 さて、バカの典型ともいうべき、いわゆる「お役所の掟」とか「社畜」が猖獗をきわめたのは、景気がよく、パイが全体として拡大しているときでした。
  それから、北欧諸国が一人当たりで稼ぐ金額がアメリカを超えているのはなぜなんでしょう。デンマークは古いお役所型福祉から企業型福祉に転換して、福祉の 水準を逆に上げてしまったという記事を読んだことがありますが、ちょっと眉唾ですが、どうなんでしょう。北欧諸国は企業ともうまくやっているようです。 いったい何をやったのでしょう。オランダはフリーターと正社員の格差を小さくするのに成功していると聞きました。
 デンマークは、チェンジを景気 が絶好調のときにやったのでしょうか。絶好調のときは、あまりものごとを変えたがらず、危機感にプッシュされて改革をするものです。おそらくお役所型高福 祉で経済がボロボロになって、なんとかしなければ、でも貧乏人はどうとでもなれというわけにもいかない、というところで、資本主義駆動型高福祉の新バー ジョンを生み出したのかもしれないと思います。
 わたしはこれから北欧やオランダの勉強をしたいとおもっているのですが、定評のある専門家としては、どんな人たちがいますか。
 あそこでできて日本でできない理由は何でしょうか。
 ところで北欧諸国やオランダでは、だいたい王室が残っているというのもなにか興味深いです。これもひょっとしてバカが移るのを防止するシステムなのかも しれません。
 親が学費を出すというシステムをなくすと、親が貧乏だから大学にいけなかったというルサンチマンを減らすことができます。また有能な人材を適切に社会の 各ポジションに配置するのにもよいのではなかと思います。
  馬鹿が移らない仕組みとしては、やはり閉鎖空間に閉じこめて大奥ごっこをさせないとか、人間関係をどーたらこーたらしているヒマがあったら前向きに仕事せ いとか、多様な選択肢のチャンスに満ちているけど要求される努力のハードルが高いとか、自由な場でいろいろ工夫しながら努力するエートスの場にあるとか、 いやな感じになったら能力のパスポートをもって別の場所にチェンジできるとか、そういうことかなと思います。』 (2005/11/18 20:15)

# やまがた 『稼ぎの定義や指標にもよるでしょうが、比較において最も妥当と思われる ppp ベースの一人あたりGDPで見るならアメリカは北欧諸国より2割近く高うございます。北欧諸国は日本並みですねえ。

http://www.undp.org/hdr2003/indicator/indic_4_1_1.html

したがいまして過度な希望を持つべきではないと思います。システムとしておもしろいのは事実ですので、釈迦に真珠かもしれませんが、エスピン=アンデルセ ンあたりで大枠をおさえるあたりが手始めではないでしょうか。

あ と、内藤氏自身が自分の給料を半減させることに同意したり、自分の所得の半分をどっかの若者の雇用にまわしたりすることを実践してるのでない限り(いやそ れでも)その遠大な社会革命計画は白昼夢でしかないし、こんなものをまともな提案のつもりで練っているとすれば、ぼくから見れば内藤氏も立派な「馬鹿」の 一人でしかありません。左翼はダメといいつつ、内藤氏の提案はまさに古典的な社会主義カクメイの焼き直しにしか見えないんですが。それが見えないとすれ ば、人の馬鹿がうつるのを心配するのと同時に、ご自分の「馬鹿」が人にうつらないような配慮もご検討いただければ幸いです。いろいろとお感じになっている とおぼしき鬱憤は理解できないわけではないのですが。

それに、院にいくから救いがたくなる、という可能性の他に、もともと救いがたい人間 が院にいく可能性も考えたほうがよいのでは(入院と言われる所以でございます)。もしそうなら、院はバッファとともに、隔離施設としての機能も持ち得ます ので、馬鹿が拡大しない仕組みの一環にもなり得ますよ。すでに研究者や大学人、教育関係者は、ぼくから見ればどうしようもない世間知らずの比率が異様に高 い、社会不適応者のスクツです。そういう連中を敢えて内藤氏のご提案のように世間に野放しにする努力をすべきかどうか、立ち止まって考えるべきではないで しょうか。

さらに内藤氏のおっしゃるように、学校の機能というのが単なる職業訓練施設であるなら、むしろ高卒時にみんないったんコルホー ズに送り込んで1年ほど働かせてはいかがでしょう。その意味で、ついでに兵役の義務なんてのも検討の余地があるかもしれませんよ。』 (2005/11/18 21:25)

# やまがた 『また伝聞になってしまいますが、「一分間エコノミクス」訳者解説での竹内宏によれば、日本の経済成長をささえた戦前戦後の起業家たちの多くは、家が貧し くて高校や大学にいけず、進学できた同級生に負けまいというコンプレックスを原動力にしていたとか。ですから進学できないのが即いけないわけではないかも しれません。内藤氏の議論では、院にいってもルサンチマン(だから院はだめ)、教育を受けられない人もルサンチマン(だからチケット作って進学させろ)、 結局人はどう転んでもルサンチマンで、絶望なんですが。まあブログのコメント欄でのアレにそんな整合性を求めるのも酷ではありますが、でもちょっとあまり に変ですぅ。』 (2005/11/18 21:41)

# やまがた 『そして最後に。

>さて、バカの典型ともいうべき、いわゆる「お役所の掟」とか「社畜」が猖獗をきわめ
>たのは、景気がよく、パイが全体として
>拡大しているときでした。

ま、 例によってこれらが何を意味しているのかあいまいではありますが、本気でこんなことを思っているとしたら、内藤さんは自分がどんなに恵まれた環境にいるか さっぱりわかっていないのです。その「役所の掟」のおかげで、ほとんどの場合に比較的少ない役人数でそこそこ優れたガバナンスを提供することが可能であ り、内藤氏が見下す「社畜」たちは一方でプロジェクトXを実現した人たちでもあります。今仕事をしている途上国では、杓子定規な役所の掟や、会社に心身を ささげる社畜が日本の1/10でもあればどんなに事態がよくなるか、何度も天をあおいでおります。繁栄がそうしたものを生み出したのではなく、役所の掟や 社畜が多少なりとも繁栄に貢献した可能性を考えられない内藤氏は、ひたすら大企業と官僚にルサンチマンをむきだしにするだけの2ちゃんねらーと(ひいては ご自身が批判してみせる「バカ」たちと)どれだけの差がありましょうか。もちろん、それらの弊害というのもあります。でも、いいところもあるのかもしれな いのですよ。』 (2005/11/18 21:59)

# 本田由紀 『あのー、横から口出してすみませんが、やりとりの中に自分の名前を見つけたこともあって稲葉さんにおうかがいしたいと思います。dojinさんのコメン トの中の、「リフレで景気よくなっても、また10年後とかに何らかの理由で景気悪くなったらどうせまた弱いものから切り捨てだろ?そういう社会構造そのも のが気にいらねぇのに、リフレ派はそういうことについては何もいわねぇ。」という部分に対して、稲葉さんは答えていないように思うので、リフレ派に対する このような至極普通の疑問をどう考えていらっしゃるのか、できれば教えてください。』 (2005/11/18 22:51)

# ぽかーん↑ 『自分で考えられないんでしょうか。「研究者や大学人、教育関係者は、ぼくから見ればどうしようもない世間知らずの比率が異様に高い、社会不適応者のスク ツです」というのがうなずけてしまいます。稲葉様、あわせてなぜリフレでアトピーがなおらないかとか、なぜリフレで燃費が向上しないか、なぜリフレでうち の子の成績があがらないか、なぜリフレで水がワインに変わらないのかといった至極普通の疑問にもリフレ派はこたえていないので、できれば教えてくださ い。』 (2005/11/19 00:06)

# 一本釣り 『>本田さん
今から言う手順でよく考えてください。
@必要なもの
ゴムボール+糸+浴槽(あらかじめ水を入れておく)
A手順
aゴムボールの真ん中に油性マジックで線を描く。
bゴムボールのてっぺんこに糸をつける。
c糸をものすごく長くしてください。
dボールはどっぷり水につかります。まあ、水に浸かっても浮いている部分はあると思いますけど。
eボールをひきあげてください。ボールを引き上げると水に濡れてる部分も水から出ます。
ボー ル自体の形を横に潰さなくてもボールを引き上げれば水に浸からなくなりますよね? ボールが濡れて困るんだったらまず糸を引っ張ればいいんじゃないです か? ボールが多少いびつな形をしていようと正常な形だろうと、糸をたっぷり伸ばせば水に浸かりますよ。ボールが濡れているのがイヤで、なおかつ、糸を 引っ張って水から引き上げることが可能なら、そうすればいいんじゃないですか? ボールの歪みの前に引き上げたほうが賢くないですか?』 (2005/11/19 00:13)

# 一本釣り、ついでに 『わたしは前々から雇用の流動化等にごちゃごちゃ抜かしとる人に疑問を感じるんですが、冷静に考えて、
@正社員一人雇ったらキツイ。
A正社員雇うほどではないけれども仕事はある
Bじゃあ、細切れで雇う。
というのは普通じゃないんですかね? 雇うな、とか、会社潰れてもいいから雇えとか言うのかしら。

あ と、よく考えると、縦にふれ幅がある限り先に沈む人間と後で沈む人間がいるんだから弱い人間から割を食うというのは当たり前の話だし、スケールの話をしな いで「弱いものから切り捨てられる社会構造はイヤです」というのは「世の中から一切の格差を撤廃しましょう」という妄言と同じにしか聞こえん。本田さん、 ちゃんとやまがたさんの文章読まないとあきませんよ。』 (2005/11/19 00:33)

# たいむぽかん 『その糸はたこ糸にすべきなんでしょうか、それともナイロンを使うべきなんでしょうか。そうしたミクロな検証なしに乱暴な議論を行うからリフレ派は支持を 得られないのです。また引き上げたときに糸が切れないという保証はあるんでしょうか。

さ らにボールが濡れる根本的な原因は、浴槽の水の存在という構造的な問題です。それを放置したまま、ボールを引き上げるだけですませようとするのは問題の先 送りでしかありません。そうした小手先の対応では何の本質的な解決にもなっていないでしょう。構造改革によって水そのものをなくすことが重要なので、それ までボールは水につかっていても我慢すべきなのです。リフレ派はそんなこともわからないのですか。』 (2005/11/19 00:38)

# 内藤朝雄 『まずもって、勤勉のタイプにはいろいろあって、そのなかの一つが「社畜」や「お役所の掟」であって、そうでもありえたよりベターな勤勉のスタイルを「社 畜」や「お役所の掟」が不可能にしたと考えることもできます。また、「社畜」や「お役所の掟」は非効率とぬるま湯経営に陥る側面も有しています。日本のホ ワイトカラーの時間当たりの労働は非効率であると言われています。
さ らに、大学と文系大学院は違います。文系大学院は神学校のような不健全なメンタリティを学部以上に醸成し、大学に専任の職を得られなかった場合のルサンチ マンは著しいものがあります。自己意識の問題だけでなく、実際につぶしが効かないのです。もともと普通の人がイスラム神学校に行くと自爆をやるようになる ように、大学院でわけのわからぬ呪文をとなえる生活をしたおかげで救いようのないバカになることは、大いに考えられます。心理系の呪文はへたれを量産し、 左翼系の呪文は手前勝手な憎しみを膨れ上がらせて危険です。
理工系はまったく別です。
 たとえば仮に貧しいゆえに中卒高卒だった優秀な人 間1000人のうち、経済成長を支えた起業家が10人として、あとの9990人は、やはり理工系の大学に進んでいた方が、10人分以上におおきな社会的貢 献をしたかもしれません。経済成長は工学部系の能力に支えられていたはずです。つまりエンジニアの力です。かれらは、社畜系よりも職人系だったかもしれま せん。おなじように朝から晩まで働いていても、社畜系と職人系はエートスがまったく違います。
わたしは大企業や役人にまったくルサンチマンはありませんよ。最近はよくなってきていると思います。
稼 ぎについては記憶違いでHDIと混同していたようです。ただ現在の日本と同程度の稼ぎです。このぐらいで十分です。この前提のうえでも、わたしが先程言っ たことは成り立つと思います。40パーセントの税金でも、なぜ資本主義と調和し、現在の日本程度には稼いでいるわけです。Quality of Lifeに直結するHDIではアメリカを抜いている地域が多いです。
 それから制度をこうした方がよいということと、制度が変わらないことを前提 に自分がどうするかということはまったく別です。この二つの水準を混同して「おまえはどうなんだ」とわめくのが典型的なバカ左翼の論理でした。おそらく遊 んでいるのだとおもいます。さすがに山形さんがマジでこの論理を歌い上げる方には思えません(マジだとしたら笑うしかありませんね)。
 ただコンセンサスを得るのがむずかしそうです。このコンセンサスへの道は遠そうです。
 あと移行プロセスが見えてきません。成功した国々は、いったいどうやったんでしょう。』 (2005/11/19 00:50)

# tanakahidetomi 『コメント欄長い! 名前がでてきたものですが 笑

フランスの失業についてはブランシャールの以下の最新の展望論文を読んでみるといいかも
http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=825885

実はソフトが思うように動かずに途中までしか読んでいませんが、そこまでの印象だとブランシャールのいままでの諸説と基本は同じでしょう。
ブ ランシャールは最近またインフレターゲット関連の論文を書いていたり、日本経済の長期停滞打破にはここでいうところの「リフレ」を主張していると思います ので、ここではリフレ派を代表させましょう。本田先生のご指摘の点にもヨーロッパの労働市場(特に意識しているのはフランス、ドイツ、イタリアなど)の問 題として取り組んでいます。一例としては若年失業者、そしてこの層とオーバーラップする未熟練労働者。なんでこの人たちがまっさきに切り捨てられるかを分 析しているわけです。未熟練労働者がまっさきに解雇されちゃうのは、いろんな理由で彼らの熟練労働者に比較したときの相対賃金が硬直的だからじゃないか、 という見方。だから企業はこの相対的に割高なコストを不況のときには嫌ってまっさきにきるという話です。
でこの最新の展望にはドイツとフランスでの未熟練労働者を抱える企業の負担を軽減する政策(減税、社会保障の減免など)の紹介があります。日本でもシニョ レッジをつかって社会保険料の減額をやれ、と暗黒卿がいっていたことを思い出します。
た だしブランシャールはふたつの異論をだしてます。ひとつはアカロフ・中谷巌命題とでもいう長期失業を回避するための積極金融政策とでもいうもの、これをや ることで自然失業率自体が低下する可能性があるかもしれない、という話(似た話は原田泰さんも書いている構造的失業だったと思ったものが実は循環的なもの になっちゃうという話)。もうひとつは、経営者と労働者(労働組合)が賃金交渉の形態をよりお互いが「信頼」のある形にすると自然失業率はやはり下がる。 これは日本では元祖リフレ派いまはアンチの小宮隆太郎先生が70年代の石油ショックのときに金融政策の重要性とともに日本の労使協調の成果を指摘したこと にもつながるんでしょう(小宮隆太郎『現代日本経済』の第2章、よく読まれるのは第1章ですが)。これって「公平賃金(というか公平待遇=信頼)」という のは不況を深化させる可能性もあるけれども、他方で不況をふせぐバッファーにもなることを意味しているんじゃないかと思います。

いまはとりあえずこのぐらいで』 (2005/11/19 01:25)

# 内藤朝雄 『あともう一つ。市場の原理では、一定の企業は市場の淘汰圧の中で潰れなければなりません。企業が潰れないということはまさに硬直化です。市場の淘汰圧の なかで企業は健全な姿を保ちます。そしてその市場を、政府や地方自治体は人々の福祉のためにコントロールします。そのコントロールされた市場の淘汰圧に耐 えられない企業が潰れるのは当然です。北欧型の市場の淘汰圧のなかでふるいにかけられ、イノベーションと進化を遂げた企業が、日本並みの収益をあげている ことに驚くべきではないでしょうか。いったい、どんなうまいやり方を開発したのか。産業スパイのようにワザを盗みたいと思いますが、そういった国々の経済 についての定評のある研究業績は、どんなものがありますか。どんな研究者がいますか。』 (2005/11/19 01:36)

# 本田由紀 『(…私はあくまで稲葉さんに質問したのです)景気をよくしてパイを拡大するということ(永続的に景気がよいというようなことが可能なのかどうか疑問です が)と、仮に景気が悪い状態の中でも不利な者ができるだけ不利なままにならないような制度を考えるということは、どちらもそれぞれ必要なのであって、後者 に取り組んでいる者を前者の立場から嗤うことは不毛です。制度の漸進的改良をどう構想するかということをも正面から組み込んだ議論をしていただきたいので すが。』 (2005/11/19 01:36)

# 一本釣り 『内藤さん>普通に日本の会社だって潰れますよ。
本田さん>誰も制度の「漸進的」改良を笑ったりなんかしていないと思いますよ。上の議論をよ〜く読んでください。脳内で勝手に議論を作ってはダメです。』 (2005/11/19 02:04)

# やまがた 『内藤様。

だ いたい内藤さんの議論はわかりましたし、いい加減コメント欄には長くなってきたので、そろそろ切り上げます。さてぼくに言わせれば、相変わらずしょせんは 無力な空理空論ですな。「ありえたかもしれない勤勉のスタイル」は、ありえたかもしれないけれど実際にはなかったし、かなりの確率でありえなかったか、あ るいは長期的な安定性を持たないESSではないものだった可能性が極めて高いものでもあります。そんなものを頼みに、現状の多少なりとも機能しているシス テムを否定すべきだと考えるほどの空想家ではありませんもので、内藤氏に一向に同意できません。その現状よりはるかにすばらしい「ありえたかもしれない勤 勉のスタイル」って何です? それを出してからあれこれおっしゃいな。また、役人や大企業はオッケーだけれど、役所の掟や社畜はダメ、という議論は、一般 には理解されないでしょう。掟や社畜をきちんと定義してから議論を展開されたほうがよいかと存じます。

また文系大学院への内藤さんの私怨 はたいへんによくわかりましたし、もう何も申し上げませんが、これまただれにも支持されない議論ではあると存じます。また、イスラム神学校にいくと爆弾を 投げるようになる、とかいう偏見に満ちた発言は控えられたほうがよろしいかと。非イスラムの理工系の大学にいったって、サリンを撒くバカはいるのですし。

さて最後に

>制度をこうした方がよいということと、制度が変わらないことを前提に
>自分がどうするかということはまったく別です。(中略)さすがに山形さんが
>マジでこの論理を歌い上げる方には思えません(マジだとしたら笑うしかありませんね)。

のくだりについて。では大いに笑ってください。ぼくはマジでその論理を歌い上げます。というより、この記述、特に「制度が変わらないことを前提に」という 部分にこめられた内藤さんの制度というものに対する発想を、ぼくは否定します。

内 藤さんの発想は結局はお上頼みです。内藤版の制度は、法律とかなんとかでお上が勝手に作って衆生に押しつけるものです。そしてお上が制度を変えてくださる まで、自分はなにやらあれこれ口だけ不満を述べ、身勝手な妄想をふりまいて、手をこまねいておればよいという低級な考え方です。

ぼくに とって制度とはそういうものではありません。制度とは、結局のところ、その社会の構成員が自主的に(いやいやかもしれなくても)やることの総和です。法律 なんて、そのごくごく一部でしかありません。ですから制度を変えるというのは、ぼくにとってはまず自分からその行動を起こすことです。現在の著作権制度や ソフトウェアのあり方について疑問だと思えば、ぼくはそれを少しでもよくすると思われる活動をしますし、またそれに関連した団体に寄付をして、現状を変え る努力をします。途上国援助についても、足りないと思っているので、そこそこの寄与を自分の評価に基づき私的に行います。その上で、言論活動を通じて制度 改変の必要性をも訴えます。それに賛同して自主的にやる人が増えれば、制度というのは変わるんです。既得権益がにらみ合いになったり、手詰まりに陥ってい るときにのみ、お上頼みの強制的なてこ入れはあり得る。またマクロ経済政策のような、個人では何ともならない部分もある。でも、個人でできる部分もあるの です。むしろそのほうが遙かに大きいのです。Put your money where your mouth is というのはぼくの大きな行動規範の一つです。なにやら法律によって社会の全員に何かをやらせるのがよいことなら、外部性とか合成の誤謬とかはありますが、 それをぼく一人がやることだってよいことなのです。

したがいまして「制度が変わらないことを前提に自分がどうするか」という発想自体がぼ くにとっては口先だけの人間の逃げ口上でしかありません。制度が<b>変わることを</b>前提として、変えるために自分がどう するか、というのがぼくの論理ではあります。教育機会が平等化されなら税金40%とられていいというなら、所得の40%(のいまの税金との差額)を自主的 に教育機会の少ない人にあげてはいかがでしょうか。多くの人が内藤さんの活動および議論に感じ入ってそのひそみに倣えば、そのとき制度はすでに変わってる んです。制度というのは、ぼくたちの内部にあるんです。ぼくが変わることで、内藤さんが変わることで、制度も変わるんです。

(もちろん、すべての行動が制度改変に直結するわけではありませし、自分で何かをするのがすべてよいとは限らないのも当然のことです。バカで無意味ではた 迷惑な行動は当然あります。だからその行動自体本当に有用かという検証は要るのですが、それはまた別の話。)

も ちろん内藤さんは、「自分がどうするかということはまったく別」と理屈をつけて、何もしないで相変わらず愚痴をたれるだけでしょう。ついでに山形がいかに 非現実的なバカかを論じ立てて嘲笑するでしょう。でも、社会が変われることを信じられず、さらにその変化に自ら投資することもできない人が唱える制度改革 論って、いったい何の役にたつんです? それは通常、ニヒリズムと呼ばれます。ま、せいぜい頑張ってください。いつかお上が内藤さんの訴えを聞き届けて、 内藤さんすら自分ではやる気のない制度をみんなに押しつけてくれるといいですね。では。』 (2005/11/19 02:19)

# dojin 『やまがたさんのかっこいいコメントのあとになんですが。。。私がしどろもどろ聞きたかったのは、本田さんがすっきりまとめてくれたました。そして田中さ んの話を聞いて、マクロ経済学者もいろいろ考えていることがわかって勉強になりました。ミクロ的基礎付けを伴ったマクロ経済学ってのは、こういうミクロな 労働市場のあり方の議論にも繋がっていくわけで、リフレ派が景気の議論のみに終始するってわけではないはずですよね。ここらへんで出直してきます。』 (2005/11/19 04:32)

# 内藤朝雄 『  嘲笑はしませんが、頭の中が???です。というのは社会科学的にあまりにも基本的なミクロとマクロの水準の問題をこの人が混同するはずがないとすれば、 何を言おうとしているのか?などと考えてしまったからです。
  まさか、「税金が10パーセントの1億人規模の社会で生活している一人の人が税金を40パーセントにすべきだという政策を主張するためには、まずその人の 30パーセントの収入を寄付すべきだ。それをしないならば、税金を40パーセントにすべきという主張をすることはできない」といった主張をマジでする人 が、本を書いて原稿料をもらったりするはずはないですよね。
 一億人規模の社会は内的な存在などではなく、外在的で拘束的なメカニズムなのだから、ぼくとあなたの二人が変わったぐらいで、変わるわけない。むしろ個 人にはモノとして硬質にぶちあたるものです。
 だから、せめて活字で一粒の種をばらまいてそれを千倍万倍にして働きかけをしようと努力しているわけです。場合によっては一億人規模の社会に影響させる かもしれないという希望にしがみついて。
  自分の収入の40パーセントを寄付することなどは、まったく無に等しい影響力しか及ぼしません。ただの自己満足ですそんな基本的なことをいわなければなら ないのか、それとも遊ばれているのか、いまだによくわかりません。税金40パーセントは、特定の個人がやったりやらなかったりするものではなくて、社会全 体で行われて福祉に環流して、はじめて一人一人にとって意味を持つ政策です。小学生でもわかる論理です。
 すくなくとも山形さんがいっていることは規模の小さい社会でしか通用しないことです。
  社会変革は、ある機能的な位置をある項が占めているときに、この機能的な位置をほかのそうでもありえた項が占めたかもしれないと想定して、その像を描くこ とによってヴィジョンを描きます。そうでなければ、今あるものは、これまで機能してきたというだけの理由で正当化されることになります。将来については、 これまで機能してきたものが機能するかどうかわからず、このわからなさは他のそうでもあり得た機能的等価物についても同じです。
 たとえば組織の 中で利益の交換を続けた人間関係への忠誠というこれまでの項から、完成度の高い職務遂行への忠実という項へと、エートスを変換すると、どういう波及効果や 得失が生じるかというふうに考えるわけです。たとえば東海村の臨界事故や三菱自動車のリコール隠しは、人間関係への忠誠と職務への不忠実という組み合わせ で起こっています。
 「日本的」というレッテルを貼られたメンタリティのほとんどは、数十年程度の新しいものです。今あるものは、次の時点ではあっけなく変わっています。
 イスラム神学校という表現ははまちがえました。撤回します。正しくは反米武力闘争のネットワークが設立した特殊なイスラム神学校ですね。うっかりしてい ました。
  わたしは文系大学院にはそれほど怨念を持っていません。それに文系大学院を否定しているわけではありません。わけのわからん呪文をぶつぶつとなえている文 化人は、人口のごく一部、必ず存在する必要があります。ただし、それは就職先があるという前提での話しです。就職先がないのに、文系大学院を量産すると、 先に警告したような危険が増大します。退院してからの人生を痛めつけないよう、需要と供給を予測しながら定員を設定すべきです。バッファーは、自動車教習 所のようなものの方が望ましいです。それはコルフォーズとか徴兵制のようなものとは正反対です。
 社畜はもちろん俗語で、構造的に、企業にありとあらゆる人格と生活と社会性と現実感覚の側面を吸収されて生きる傾向が大きいことを、家畜の比喩で表現し た語です。』 (2005/11/19 04:51)

# やまがた 『>自分の収入の40パーセントを寄付することなどは、
>まったく無に等しい影響力しか及ぼしません。
(中略)
> すくなくとも山形さんがいっていることは
>規模の小さい社会でしか通用しないことです。


い いえ。マクロはミクロの積み重ねでしかありません。それは100人の村だろうと1億人の社会だろうとまったくかわらないのです。一人の活動の量は確かに小 さい。でも、マクロな制度の変化は、その小さい活動の積み重ねでしかない。所得の4割を税金として召し上げようという制度を作るためには、一応民主主義の 建前として、その社会の構成員みんな――あるいは過半数か多数――が、所得の4割を社会に拠出することがよいことだと納得しなくてはなりません。そしてそ こで納得するのは、「マクロな社会」とかいう抽象的なものではなく、ごく小さな力しかない、ミクロな個人なんです。

その議論を納得させようとしている当人が「オレの貢献なんて小さいから行動しない」と明言するのであれば、その人は納得させるべき数千万人の最初の一人で ある自分すら説得するのに失敗しているのです。

そ して有効に機能する制度においては、人は自分の貢献が小さくても、それが社会にとって確実によい影響を与え、役に立っているのだと感じなくてはなりませ ん。自分の貢献、自分の行動が小さくても、それが多少なりとも社会を支えているのだと実感し、制度だから何かをやるのではなく、自分が自発的にそうしたい から(少なくとも、そうしないと困るから)やる、という状態にならなくてはいけません。人が社会に所属し、社会の一員としての意識を持つというのはそうい うことです。みんなが「おれの貢献なんか小さいんだからやっても無駄だ」と思うような制度は、制度としてそもそも成立しないし、それが拡大すればその社会 の存立すら危うくなります。これはあんたら学者さんが言うアパシーってやつです。

内藤さんは自分が社会の一員であるという自覚をなくし、 なにやら抽象的な「マクロ」なるものでしか社会をとらえていません。そして自分は己のアパシーにあぐらをかいています。でも、自分の行動が何も影響を持ち 得ないと考える人が、なぜ自分の言論ばかりは数千万人に影響を与えられるなんて思うんでしょう。自分一人すら行動させることのできない、空っぽの言論しか 紡げないくせに? そういう言論をすべきでないとはもうしません。また無理に金を出せとももうしません。家のローンとか宴会代とか、いろいろ物いりでしょ うし。でも、税金を増やす、というのが目的ではなく、その税金でしたいことがあるんでしょ? その方向でできる行動はいろいろあるでしょう(見当違いの行 動でないことは確認のうえ)。もちろん、それをしない言い訳はいろいろあるでしょう。しないであれこれ制度論を他人事のように述べ立てることも、するなと はもうしません。ただ、なぜその言論が机上の空論にとどまり、説得力を持たないばかりか、卑しくさえあるのかについては少し考えてみるのも一興ではないか と思います。内藤さんは、決してわからないでしょうから、考えるだけ無駄です。でも、これを読んでいる他の人は、是非とも考えていただきたいと思いま す。』 (2005/11/19 09:18)

# 内藤朝雄
「問題解決アプローチにははさまざまな水準がある。たとえば、次の二つの水準を考えることができる。

T・制度的枠組が変わらないことを前提にした問題解決アプローチ(今、目の前で苦しんでいる「このひと」をいかに救うかという、個別のケースに対する問題 解決アプローチは、この水準に含まれる)。

U・マクロ的に問題が蔓延しエスカレートしないようにするにはどうしたらよいかという問題解決アプローチ

 いじめ問題に対するこれまでの議論では、このに水準を考慮していないと思われるものが多い。
  この二水準はしばしば相反する。たとえば、現存の構造の中で生じる悲惨に一人一人が対処する営為の集積が、当の構造の再産出に強く関与する場合もある。ま た、望ましい社会像に準拠した行動をとることで個人が悲惨な運命をたどることもある。次の事例は、T水準とU水準の使い分けを誤った典型例である。

【事例1・学校なんていかなくていい】
  登校拒否と呼ばれる若い人がある精神科医のもとを訪れた。その精神科医は「反学校囲い込み主義」者であった。精神科医はおもむろに「学校なんていかなくて いい」と言った。それを契機に激しい家庭内暴力がはじまり、家族は崩壊の危機に陥った。父親は深い鬱状態になり自殺した。

 学校が若い人 のあらゆる生活を囲い込む社会状態では、広範な習慣形成が学校生活の影響下で形成されており、リアリティ全般が学校化されているであろうことは、「反学校 囲い込み主義」の精神科医であれば容易に想像がつくはずである。しかし上記の精神科医は、学校への囲い込み政策に反対する立場から、クライアントに対して 政策論的に「正しい」主張をした。精神科医は学校に自己存在を根こそぎ収奪された状態で訪れたクライアントに、おもむろに「学校になんていかなくていい」 と言ったのである。
 ケアの専門家としての基本的な考え方は次のようなものであろう。たとえば親から虐待される子どもほど、その加害者(親)に対 して、普通の子どもなら示さないような強烈なしがみつきを断続的に示す傾向がある。また、カルト教団に「洗脳」された被害者や「わるい男(女)」に驚くべ き金額を貢がされる女性(男性)は、自己の存立基盤をその加害者との関係に負うまでになっている。そのとき心理臨床家は、おもむろに心理的切断をはかるの ではなく(この乱暴な処方は、被害者を「自殺」に追いこむ危険がある)、安心できる別の関係領域の飛び地をふくらませながら、少しずつそこに自己存立の基 盤を移していくように促す。加害者との心理的切断を断行するとすれば、その後である。集団生活でぼろぼろになった生徒の多くは、「学校なんていかなくてい い」と言われることで救われた気持ちになる。しかし「重症の学校病患者」の場合、その言葉で救われた気持ちになることができる段階にまでもっていくのがた いへんな仕事であり、このタイミング判断が専門家の特殊技能となる。
 上記の精神科医の判断ミスを次のように考えることができる。すなわち、Tの水準に大きなウェイトづけがなされるべき職能領域の局面に、Uの水準での「正 しい」社会変革活動の局面が混入し、専門家としてのタイミング判断を狂わせたのである。
 これとは逆に、当事者の感情表出は加害者へのしがみつきですら共感的に受容すべしというT水準での「ただしい」原則を、加害を構造的にもたらす制度を政 策的に尊重すべしというU水準の主張へと横滑りさせる論理もある。
 その一例として、強制的共同体としての学校を自由化から守ろうとする人たちの声をあげてみよう。
(中略:以下「学校応援団」批判)
  T水準とU水準の議論に戻ろう。上記の精神科医がU水準の「正しい」制度・政策論をT水準に混入させ、クライアントに不適切な「説教」をするのに対して、 「学校応援団」はT水準でのみ「正しい」受容と共感の論理をU水準に混入させ、その混乱に乗じてU水準での正しい制度・政策論を覆そうとする。」
(拙著『いじめの社会理論』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4760120882/qid% 3D1102954799/250-9534838-1961055より)


  どうもマジで言っているらしい山形さんにT水準とU水準の区別の問題を語ろうとおもって引用していましたが、そんなことはどうでもよくなりました。それよ りもこの事例1の精神科医の失敗は、ラヂカリストの政策の失敗と同型ですね。社会学者の仕事は青写真(社会構想)を描くところまでで、あとは経済学者のタ イミング判断におまかせしておいた方がいいような気がします。』 (2005/11/19 10:10)

# Yasuyuki-Iida 『いまさら(そして聞かれても居ないことに返答することになってしまいます)ですが本田氏の言及にたいして……少々コメントを.比喩を使った議論は不毛だ とは思いますが,ちょっと上手いこと言うなぁと思ったのは「ぽかーん↑」氏の指摘です.

経済政策の手法選択に関してマンデルの定理というのがありまして,「各政策手段は、それが相対的に最も効果を発揮する政策目標に適用すべきだ」というもの で経済政策の比較優位原理とも呼ばれます.

そこから考えますと,ターゲット型の経済政策というのは完全雇用からの乖離を小さくすることに相対的有意を持つのであって,その他のことは他の政策に任せ るべき仕事です.その意味で,

>仮に景気が悪い状態の中でも不利な者ができるだけ
>不利なままにならないような制度を考える

こ れは(私はこれこそが最も重要な政策だと思う)金融政策の仕事ではないので,金融政策の話をするときには積極的に切り離して議論しなければならないと思い ます.田中さんがこういった影響にも言及されていますが,これはあくまで参考までに雇用にも悪い影響はないよといういみと思います.通常は,金融政策を所 得再分配に割り当ててはいけません.

なお,

>永続的に景気がよいというようなことが可能なのかどうか疑問ですが

に ついてですが,長期的な完全雇用GDP(=非自発的失業がなくなるGDP水準)というのは労働人口・資本ストック・技術水準から決まっており成長政策・競 争政策と呼ばれる政策群の範疇です(つまりは金融政策の役割ではない).で実際のGDPと完全雇用GDPの差を小さく保つための政策が安定化政策と呼ばれ ます.安定化政策の手段が財政や金融.

その意味で経済論壇でのリフレ派という括りには疑問があります.インフレーションターゲットや名目 GDPターゲットを主張する人の多くは「ルールに従った経済政策をすべきだ」「今は通常のルールを適用すると徹底緩和継続が必要な時期だ」というふたつの 考え方をもっています.だから,景気が過熱して来たら「今は通常のルールを適用すると徹底引締が必要な時期だ」となるでしょう(80年代後半の岩田規久男 氏を想起せよ)』 (2005/11/19 10:21)

# 内藤朝雄 『山形さんとかぶってしまいました。
社会を単数で語ることはまちがいです。
社会には社会A、社会B、社会C……とあり、その水準ごとに何がアノミーであるのかが異なります。
40億規模の人類も一億規模の国も家族も友人のグループも地域も、全部大から小まで社会ですから。
また社会の水準ごとに統合のメディアが異なります。
そして、それらは断固、異なるべき!なのです。
た とえば国を家族のように大切にすべきだという、水準の混同を煽り立てることは、百害あって一利なしです。零戦でアメリカ空母に突っ込んだりする悲惨は、一 億規模の社会A(大日本帝国)を、数人規模の濃密な社会B(家族)の統合媒体で統合すべしという要求によって煽られます。国家を家族のように思わない者が ふえることはアノミーである、というは右翼の論理です。
国家を家族のように思うことが厳しく当然視される北朝鮮や戦時中の大日本帝国のような社会ほど、不正と残酷が蔓延します。
みわたすことができない不透明な人たちの不透明な連鎖としての一億規模の社会にいきわたるべき統合の媒体は、きちんと物象化された普遍的なものが行き渡っ ていることへの信頼です。』 (2005/11/19 11:30)

# kondou 『もちろんそうですよ。だから国が「家族のように」福祉を先導するべきだという議論も、国が「別の志向を持つ社会B」に対して医療をタダにして教育をチ ケット制にするべきだという議論も、慎重であるべきですよね。いずれにせよ内藤さん、大変失礼な言ながら戯画的な例えの連投を控えられて、少し話を戻しま せんか?

ご 自分で「コンセンサスが得られにくい」とお認めのように、現状では空理空論に近いその「社会学者が考える青写真(社会構想)」を、長期的に斬新的に目指す 立場がありうる(かもしれないかもしれない)、ということは誰も否定は致しませんよ。北欧は、それ自体は興味深いモデルではあるとおっしゃった山形さんの ように。

で、それを実現し、その構想を下部的に支えてくれるかもしれない「不況脱出」なり「経済状況の安定・成長」なりに、短・中期的にリフレ派や「いわゆるネオ リベ」なりを織り込んでご自分の青写真(社会構想)を修正または留保してゆく必要は、お感じになりませんか?

性急なラディカルは、2ch山口スレや「教養」の、正反対の隘路に絡め取られる危険があるという指摘に適合しちゃうように思えてならないです。

リ フレ派や「いわゆるネオリベ」に対するリベラルの立場として、利用されることはマズいけど、利用されることを恐れて拒絶することも生産的ではないから、利 用しちゃおうとコミットする方向・・・が、十分可能ではないでしょうか?つまり、「ミイラ取りがミイラにならないように」。

あるいはそれも「構造の再産出に加担すること」だとして、退けられますか。』 (2005/11/20 03:13)

# 内藤朝雄 『「それを実現し、その構想を下部的に支えてくれるかもしれない「不況脱出」なり「経済状況の安定・成長」なりに、短・中期的にリフレ派や「いわゆるネオ リベ」なりを織り込んでご自分の青写真(社会構想)を修正または留保してゆく必要は、お感じになりませんか?」

その通りです。だから、それをやっていそうな国々のやり方について、どうなってるの?と興味しんしんなのです。そのあたりのことに詳しい方がいらっしゃい ましたら、よろしくご教示のほど、お願いいたします。
それから、山形さんからの非難に応える作業でたくさん書き込みをしすぎました。
 国の位置づけについては「国は保護する責任がある=国は家族だ」というようなものではなく、抽象的な設定やコミットの質の問題であろうと思われます。
  たまたま今現在コンセンサスが得られがたい提言が、即、空理空論とは限りません。またコンセンサスが得られた?空理空論によって、アメリカと戦争をすると いったこともありました。わたしは欧州キャンペーンをきちんと打つと、「ニート」なみの流行は引き起こせると予想します。』 (2005/11/20 13:40)

# 内藤朝雄 『訂正とお詫び
山形さんからの非難
→山形さんからの批判
失礼いたしました。単なるいいまちがえです。』 (2005/11/20 16:11)

# 内藤朝雄 『誤解を避けるために。
  大学院の話は、あくまでもマクロ的な人口層分析です。そのための行為者モデルを理念的に描いたのです。理念的にというのは、デフォルメしてということでも あります。就職が絶望的な大学院生の大半は善良な人々でしょう。わたしが描いたような呪文&妬み&憎悪の人は、おそらく十数人に一人ぐらいにとどまるで しょう。でも、仮に十数人に一人としても、その人口層はマクロ的に見れば危険だということです。現実の大学院や大学院生を貶めるつもりはまったくありませ ん。問題は就職先がないということであって、そこから妬みとみじめさを「ただしい」ヤツアタリに変換する左翼と右翼の受け皿が増殖し、世にあふれ出す危険 性を予測しているのです。就職先のない大学院はその培養基に「なりかねない」という将来予測です。
 わたしは、大学院生を劣等な存在と言っている わけでもありませんし、大学院を潰せと言っているわけでもありません。就職先もないのに、これ以上大学院を増やすな!、増やすなら職業的技能と直結して就 職できるバッファーを増やせ!、と言っているのです。』 (2005/11/21 09:50)


ご盛況で何より

 土日で見てなかった間にまあなんと。

 仕切直しがあった方がいいですから、先のコメントツリーと関連リンクをトラバして、こっちに上げます。続きはこのコメント欄にお願いします。

 まず論争の出所。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/comment?date=20051111#c

 枝分かれしてsvnseedsさんところ。dojinくんの疑問をめぐる応酬。

http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20051118

 あらためて(既に山口二郎の話はどっかにいった)山口二郎スレ@2ch政治板。

http://money4.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1131737168/

 ギャラリーは2chを含めいろいろいますがたとえば

http://hpcgi3.nifty.com/biogon_21/aska/aska.cgi

の267,269のN.Bさんの発言。

 なお私としては本田さんへの回答責任は全く感じてません。一本釣りさんのちょっと当てこすりのきつすぎる比喩、田中さんや飯田君のまじめなレス、それか らsvnseedsさんところのdojinくんへのすなふきんさんや銅鑼衣紋さん、svnseedsさんのレスに付け加えるべき論点は特にありません。

 「平等か不平等か」とは別に「共存共栄か弱肉強食か」という問題が存在し、往々にして後者の方が前者よりクリティカルである、と私が考えていることにつ いては、『教養』第6章をお読み下さい。

 それから私はこのレスの応酬に「憎悪」は特に感じません。全体としてはほどよく殺伐としていてなかなかいい感じだと思います。まあこういう殺伐系が嫌い な人のために、こことは別にどこかのなごみ系のブログかBBSで同様の議論をして頂けると実にありがたいのですが。

 まあ山形初心者の方はびっくりするでしょうが、山形浩生というのはああいう人、隊長のいうところの筋金入り真性厨房です。それでも、会って話してみれば 実にまともで気持ちのいい人物であることは、ネット上で罵倒されたことのある複数の人間の証言付きです。もちろん、特にネットでしかつきあわない人にとっ てはそんなことは全くいいわけにはなりませんが。大体その意味では内藤朝雄も五十歩百歩です。

 彼の罵倒というのは大体の場合(そのつもりがあるかどうかはともかく)教育的配慮に満ちた念入りなものなので勉強になります。それを生かすかどうかはい われた当人次第ですが。

 さてここで確認しておくべきことは、議論が当初の筋からそれてしまっていることです(それが悪いとはもうしませんが)。つまりいつの間にか話が「リフレ 派は格差をどう考えるか」に移行したのですが、当初の話題は別のことだったのですよ。そっちの話はどうすれば再開できますかね。とはいえ論点がはっきり 言って全く定まらず、売り言葉に買い言葉で割とどうでもいい話になってしまった嫌いはありますが。

 ちょっとぼくもよく考えてみます。

2005-11-21コメント欄

# 本田由紀 『私が稲葉さんに限定して質問したのは、以前にお目にかかってお話ししたときに、私の「構想」図はまともに見てもくださらず(確かに手書きの汚い図ではあ りましたが)、「とにかくパイが拡大せんと」という方向に話を持って行かれたのでむっとしていたのを引きずっていたことと、匿名で書き込んでくるような方 と議論したくなかったことによります。
でも、それに対して田中さんや飯田さんがきちんと答えて下さったので、単なるしょぼい教育社会学徒としては勉強になりました。
ところで内藤さんの考え自体に対しては私は共感をもつのですが、徒に激烈で誤解を招きやすい表現が多く、無用な反発を招いて結局はご自身の「構想」の実現 にとって障害になるように思います。
現実の中から、「構想」の実現に向けてプラスになるベクトル、マイナスになるベクトルについての「徴候」(cf.大江「さようなら、〜」)を拾い上げ、前 者を後押しし、後者を退けてゆくような辛抱強い運動が必要だと思います。』 (2005/11/21 14:40)

 # shinichiroinaba 『本田さん、お気に触ったのであれば謝りますが、以前書評に書きましたとおり、私としては公的職業訓練に過大な期待をかけるのは禁物である、との考え自体 は変えておりません。職業訓練は民間(専業の訓練サービス業者と企業内訓練、そして純粋自己啓発)にまかせ、公教育は初等中等教育における公民教育と学術 研究支援に重点を置くべきだ、と依然として考えています。とすると本田さんがこだわる後期中等教育が、この場合どの程度脱公教育化すべきか・してよいかと いう議論をしてみるのもいいかもしれません。いずれにせよ漸進的な議論です。
も ちろんここで返す刀で「では公民教育って何?」ということになるでしょう。そしてもちろん、公民教育の経済的側面というものが存在します。内生的経済成長 理論で言うところの「人的資本・知的資本の収穫逓増性」が発揮される領域、つまりは特定の職種・業種に限定されない一般的な能力ということになりますが、 具体的にはこれはどの辺までなんでしょうかね。
まず基礎的なリテラシー、読み書き算盤と、身体的スキル、時間を守り、命じられた動作をする能力、というのは当然なんですが、そこから先ですよ。メディア リテラシーは? クリティカルシンキングは? 
私としてはいわゆる消費者教育とか金融教育、それから基本的な法教育などは、まさに公教育の責任範囲だと思うんですが。
そ れから話はまったく変わってしまいますが、広田さんが言うとおり、公教育にはちゃんとした政治教育、そしておそらく宗教教育を組み込まんとならんでしょう ね。私見では内藤理論の切れ味はむしろこちらでこそ発揮されるのでは、と思っていますが。』 (2005/11/21 15:05)

 # shinichiroinaba 『付言。もちろん公的職業教育に対しては不況時の失業吸収能力、「バッファ」の役割を、民間の職業訓練よりは期待することができますね。しかし景気のいい 時には税金泥棒呼ばわりされるかもな。
この辺内藤構想では、訓練業者自体は民間主体で、公的奨学金を(特に不況期に?)充実させるという構想なんでしょうかね。』 (2005/11/21 15:10)

# 内藤朝雄 『 金は税金でとって、教育にしか使えないチケットにして、市場の淘汰圧のもとで競争するサポート団体に流して、@バッファーA能力向上B景気を良くす る、という一石山鳥をねらうのです。チケットは、給付のさじ加減で奨学金の機能をもたせることもできます。
 ところで、構想屋の言葉は激烈だけど論理のスジは通っていて、骨組みの角度を調整すれば柔軟に運用できるように注意深く大雑把なことしか言っていないこ とにお気づきですか。まあクセのあるレトリックは、御愛敬ということで……
それから、異業種交流のすてきなところは、知らないことを教えていただくことです。
わ たしが経済学の先生方に教えていただきたいことは、なぜオランダやデンマークやその他北欧諸国があれほど税金をかけて福祉をやりながら、かつて「エコノ ミックアニマル」と言われたご立派な日本と同程度に一人当たりお金を稼げるのか。いったい、どういうやりかたをしているのか。また、日本の経済に導入する ことが可能なのか不可能なのか。もし不可能とすれば、それはどういう理由によるのか。
ご指導ご教示いただきたいです。
細かいところでは、ILO175条を批准するのは可能か、それともそれをやると日本の経済は壊滅するのか、といったことも教えてください。
台所のそろばんをはじく能がなくて、よくわからないです。
よろしくお願いします。』 (2005/11/21 15:35)

# 本田由紀 『平行線の議論に終わりそうな予感がすでにして、もう疲れを感じていますが、ご存じの通り私は後期中等教育および高等教育においては「特定の職種・業種に 限定されない一般的な能力」すなわち「基礎的なリテラシー、読み書き算盤と、身体的スキル、時間を守り、命じられた動作をする能力」だけを与えるのではな く、ある程度(緩くていいのですが)特定の専門領域に特化した知識と能力を与えるべきだと考えています。一般的で抽象的な能力を与えるだけでは個人のアイ デンティティ形成、将来展望形成、学ぶことと社会との関連性の理解、学ぶことの意義(relevance)の実感、共通関心に基づく公共的共同体(内藤さ んが否定するような閉鎖的共同体ではなく)への所属による対他関係の形成、のいずれも期待できません。もちろんそうした労働市場参入前の教育訓練によって 十全な仕事能力が身に付くわけではありませんが、以後の職業生涯における発展や展開のベースという意味で、特定の専門領域を学ぶことは必要だと思っていま す。
ただし、私が考える労働市場の変革はこうした教育制度・教育課程改革に尽きるものではないということも付言しておきます。』 (2005/11/21 15:36)

# dojin 『>内藤さん

> わたしが経済学の先生方に教えていただきたいことは、なぜオランダやデンマークやその他北欧諸国があれほど税金をかけて福祉をやりながら、かつて「エコノ ミックアニマル」と言われたご立派な日本と同程度に一人当たりお金を稼げるのか。いったい、どういうやりかたをしているのか。また、日本の経済に導入する ことが可能なのか不可能なのか。もし不可能とすれば、それはどういう理由によるのか。

私は経済学者ではありませんし(そもそも学者ではあ りませんし)、経済学で北欧がどう扱われているかはわかりませんが、北欧の政治経済体制の研究に関してはむしろ社会学や政治学の領域で蓄積があるように思 います。例えば、エスピン・アンデルセンの『福祉資本主義の三つの世界』以降の比較福祉国家論や、それ「以前」のエスピン・アンデルセンやコルピの階級論 的な北欧福祉国家研究などです。エスピン・アンデルセンもコルピも社会学者ですが、残念ながら日本の社会学者はあまり彼らをとりあげず、日本ではむしろ政 治学者や社会政策学者が紹介しています。また、神野直彦が好んでとりあげる(私もそれで知ったのですが。。。)アメリカの政治学者のスタインモも taxation&Democracyという本でスウェーデン・イギリス・アメリカの税制と民主主義制度や階級政治の関連を比較研究しています。

ちなみに「北欧キャンペーン」を打てば少しは日本も変わるか、という件ですが、それに関して日本には「北欧キャンペーン」の先例があります。

例 えば介護保険制度の誕生は、1980年代後半からの「寝たきり老人」「社会的入院」キャンペーンに大きな影響を受けています。このときキャンペーンを張っ た人たちは、主に北欧の高齢者福祉と日本の高齢者福祉の愕然たる格差を紹介していわゆる「北欧ショック」というものを日本に持ち込みました。介護保険はそ の成果の一つという側面もあります。だから日本の介護保険と北欧の介護保障を比べてみれば、キャンペーンによってシステムがどこまで変えられ、どこまで変 えられないかのヒントが得られると思います。長々とすみませんでした。』 (2005/11/21 17:01)

# N・B 『 どうも観客席の野次の中から御指名下さり有難うございます。「悪意」という言葉は268投稿を受けています。また、稲葉さんの御考えは「地図と磁石」 以来、(私の能力に応じて)承知しています、一応それを前提に書いたつもりです。とりあえずそれだけは。』 (2005/11/21 17:42)

# tanakahidetomi 『まず北欧が日本に比較してどのくらいキャンペーンに値するのか、から考えませんか?

と りあえずマクロバカ一代で統計を拾って見ました。GDP統計と、(論点が少しみえないのですがたぶん話題のひとつだと理解している)「まっさきに切り捨て られる人たち」の経済的な代表指標であ若年失業率、そして長期失業率の比較です。7組の2004年(左)と1994年(右)の各年の失業率の比較がありま す。男女計の失業率、男の失業率、女の失業率、長期失業率、25歳以下の若年失業率、男の若年失業率、女の若年失業率を示しています。


Japan 4.7  2.9
2004年の男女計の失業率が4.7で、1994年の同じ失業率が2.9の意味。以下上の注意書き参照のこと。
           4.4  3.0
           4.9  2.8
           33.7  17.5
           9.5  5.5
           8.3  5.3
            10.6 5.6
Netherlands  5.0 6.9     
            5.2  8.1
            4.9 6.1     
          32.5  49.4
          7.8a  10.2
           7.8a 9.4
          7.9a  10.9
Sweden 6.6  9.8
           6.2  8.2
          7.0 11.2
          18.9 25.7
          17.0 22.7
          16.1 19.9
      17.8  25.3
うまくコピペできたかなあ? あとインフレ率とか
GDP成長率もコピペしたいけれどもいま夕飯の支度してるので時間がない〜。それとオランダ、スウェーデンともに低インフレで、ほぼいまの状態は自然失業 率に近いと思われます(たぶん)。』 (2005/11/21 18:26)

# 内藤朝雄 『ありがとうございます。その本の中にわたしの問いに対する答えが書いてあるのでしょうか。あれだけ税金をとられても企業がグローバル資本主義の最先端を つっぱしることができるのか、とても興味があります。今の仕事がおわったら、ガシガシ読もうと思います。ところで『読売新聞』2000年8月1日31面の 記事に出ていた「ファールム方式」は、今はどうなっているでしょうか。新聞検索で内容までとれる方がいましたら、この記事をどこかに貼って、専門家による 議論の場をつくってみませんか。7年たっているので、このやりかたの正否については結論が出ていると思われますが、どうでしょう。物知りのみなさまがた、 よろしくお願いします。』 (2005/11/21 18:35)

# 内藤朝雄 『かぶってしまいました。数字ありがとうございます。』 (2005/11/21 18:37)

# 教育的山形 『おお、ガーナ山奥から首都に戻ったら、内藤氏が見事なクレクレ厨化している! でもそれは放っておいて、読者のみなさんのためにこっそり指摘しておこ う!

1) エスピン=アンデルセンを読んでも、なぜ北欧企業の競争力があるか、なんて話は書いていない。社会全体でどうやって帳尻をあわせているか、という話が分析 されているだけ。ただし、それをきちんと考えれば、「税金が高いのになぜ企業の……」というような疑問はそもそも起きないかもしれない。

2) 経済学ではそもそも、生産性がなぜあがるのかはまたあまりわかっていない。(「クルーグマン教授の経済入門」参照。各種成長理論などは出てきてはいるが、 諸刃の剣なのでおすすめしない)。

3) 経済統計以前に、社会統計はどうだろう。北欧諸国の人口規模はどのくらいかな? 人口密度は? だれかが(聞かれてもいないのに)、社会の規模によって制 度がちがうのは当然と述べていたけれど、もしそうなら、基本的な規模すら調べずに北欧グレートと騒ぎ立てることは有益だろうか?

4) ところで、規模はどうあれ、どんな社会でも最終的には個人の集団であり、その方向性はその構成員個人の決断と行動の総和として決まる、というのはもう一度 指摘しておこう! どうやってその決断や行動をうながすか、というのは社会によってちがうけれど、でも何らかの形でその説得が行われるのはまちがいないこ となのだ! 社会を変える気なら、それをよーく考えよう。』 (2005/11/21 19:53)

# tanakahidetomi 『やはり各種経済統計はOECD Economic Outlookでも参照していただいて(手抜きw

オ ランダとかスウェーデンとかの経済モデル好きな人が多いのは事実ですが、上の失業統計をみて、ほかに安定的な低インフレとそこそこ堅調な実質GDP成長率 を斜め見するかぎり、両方の国とも自然失業率みたいだし、いままでの失業率の低下はかなりうまくいったマクロ経済政策の成果じゃないか、と思います。オラ ンダでも例のワークシェアリングが効果を発揮したのも基本的にインフレ経済であったわけでそれが好条件として貢献したと思います(日本のようにデフレでこ れを導入しようとするとわけわかめな効果しか発揮しないでしょう)。

日本は当然、自然失業率に達しているにはほどとおいわけでして、リフ レ政策を採用すれば各種失業率も大きく改善されるでしょう(94年の水準ぐらいに戻ると考えていいでしょう)。そして一番注目すべきなのは、どの国でも一 番対策がやっかいな自然失業率をどう下げるか、という問題で、日本は水準からみるとオランダやスウェーデンに比べて条件がいいのではないか、ということで す。

率直にいうと「まっさきに切り捨てられる人」の問題を考えるかぎり、こと雇用については、僕はスウェーデンやオランダは安定的な低イ ンフレ経済の果実をみせてくれるだけの参照事例でしかないのでは、と思ってますが、どうでしょうか?』 (2005/11/21 20:18)

# くれくれ厨内藤 『 ワークシェアリング処方は、インフレ時とデフレ時で効果が異なり、デフレ時は禁忌なのでしょうか。世界の実例をみても、ワークシェアリングはだいたい インフレ時に成功しており、デフレ時にやると失敗しているということなのでしょうか。』 (2005/11/21 21:28)

# dojin 『>山形さん
1) エスピン=アンデルセンを読んでも、なぜ北欧企業の競争力があるか、なんて話は書いていない。社会全体でどうやって帳尻をあわせているか、という話が分析 されているだけ。ただし、それをきちんと考えれば、「税金が高いのになぜ企業の……」というような疑問はそもそも起きないかもしれない。

そ の通りだと思います。それに、そもそもスウェーデンは法人税は高くないし、投資や富裕層に対する税制上の配慮もけっこうある、という話も聞きます。スタイ ンモによれば、20世紀のほとんどのあいだ、スウェーデンの所得税の累進性はアメリカやイギリスよりも低いそうです(もちろん税控除の話とかいろいろしな きゃ税は簡単に比較できませんが)

>基本的な規模すら調べずに北欧グレートと騒ぎ立てることは有益だろうか?

北欧研究者 は、北欧が人口1000万未満の小さな国ばかり(一番大きなスウェーデンで900万くらい)で、さらにその中で税源も含めた地方分権が進んでいることくら い、みんなわかっているでしょう。だからこそ日本でもさらなる分権化を、とかいったりしているのではないでしょうか。

>どんな社会でも最終的には個人の集団であり、その方向性はその構成員個人の決断と行動の総和として決まる、というのはもう一度指摘しておこう!

そ の通りだと思います。無理矢理繋げれば、エスピン・アンデルセンやコルピの階級連合論や権力資源動員論などは、個人の集まりとしての社会集団・階級の利害 紛争や利害一致の帰結としての福祉国家を分析しています。彼らの論は、日本の北欧型福祉国家化が現状下では非常に困難なことを示していると思います。

ち なみに、「福祉国家は家族の失敗によって呼び出された」などとなかば強引に(なかば適用できる部分もあると思いますが)機能主義理論を福祉国家論に適用す る富永健一の議論(もちろんこういう議論は社会福祉業界では通説かもしれませんが)では、福祉国家のそういう側面はまったく扱えません。(参照: http://d.hatena.ne.jp/dojin/20050314)

>田中さん
>率直にいうと「まっさきに切り捨てられる人」の問題を考えるかぎり、こと雇用については、僕はスウェーデンやオランダは安定的な低インフレ経済の果実を みせてくれるだけの参照事例でしかないのでは、と思ってますが、どうでしょうか?

も しかしたら議論がずれるかもしれませんが、社会学や社会政策学では、失業や貧困に陥ったときの社会手当ての「質的側面」に着目します。失業手当や社会扶助 の給付条件、給付期間、権利性、ミーンズテストの有無、社会的スティグマの有無などです。失業率や社会保障給付額に加えて、これら社会福祉の「質的側面」 の違いが人びとの福祉(well-being)に与える影響がいかに大きいかは、社会福祉の現場にいる人ならよくわかることと思います。もちろん、これら 「質的側面」は人々の労働インセンティブにも大きな影響を与えますので、経済学者はそちらのほうが興味があるでしょうけど。ただ、例えば同じワークフェア でも北欧型とアメリカ型でだいぶ違う、という指摘(宮本太郎は前者を人的資本開発モデル、後者を労働力拘束モデルといっています)もあり、そこらへんは北 欧から学べることもあるかと。』 (2005/11/21 22:04)

# 見物人 『内藤様

脊 髄反射的に書き込まずに、その程度のことはまず自分でお調べになってはいかがでしょうか。田中さんにしても山形さんにしても、ある程度は自分で調べておい でですし。実際にワークシェアリングを行っている国を調べて、その成否とその時のインフレ率を対比させる程度の手間を惜しむべきではないと存じます。

そ れ以前に、内藤様がここで突然、ワークシェアリングとインフレ対デフレという軸を持ち出してくるのも、論点があまり理解できていないようだという印象を与 える以上のものではありません。景気が(低インフレ下で)成長していれば、福祉政策はどうあれ失業は減ってよい結果になる、と田中さんはおっしゃっている のではありませんか。福祉政策は、基本的には社会内部でどうパイを分け合うかという議論です。ですから、景気が悪いと福祉政策はどうしてもしわよせを食ら います。

さて内藤様のお嫌いな大学院の議論では、仕事がないなら大学院を作っても仕方ないことをしきりに主張なさっています。一方で、教 育をチケット制にすればよい、との議論もなさっております。でも仕事の有無は職業訓練の有無ではなく、マクロ経済状況によるものです。それが解消されず、 したがってどうあがいても仕事がないときには、職業訓練校を作ってみんながチケット制でそこに入学したところで、仕事はないのです。チケット制だって、同 じ教育リソースをどう分配するかという議論にすぎません。院卒で仕事がない人は恨みを抱きますが、職業訓練校卒で仕事のない人も荒れます。同じことです。

さ らに、院を増やすということは、院という職場を作ることでもあります。どうあがこうと失業者が不満をつのらせるのであれば、院を作ることでそこに勤務する 人を少しでも増やす策も見当に値するでしょう。これは、税金を増やし、公共部門を拡充するという、まさに北欧的なやりかたでもあるのです。』 (2005/11/21 22:06)

# tanakahidetomi 『>内藤さん。日本のデフレ経済でワークシェアリング導入するのはわけわかめな効果、という「わけわかめ効果」はそのまま読んでいただいて? 「わけがわ からん」で理解してください。例えば総需要・総供給分析でデフレのときに労働供給を減少させると総供給曲線と総需要曲線がたがいにどのくらいシフトするか に応じてデフレ解消もしくはデフレ悪化あるいはそのまんま東 などの図を描くことができます。効果はっきりしません。効くともいえるし効かないともいえ る。ただ企業側の事情(デフレによる実質賃金増加の解消を狙う)が強くでれば総需要の減少が大きく作用するのではないかな、という気がします。

で、 上の総需要・総供給の図を描くよりも、デフレ経済下でのワークシェアリングの、私から見るとかなりのイレギュラー(通常のリフレ政策のメニューに比較する とです)ぶりを理解するには、ワークシェアリングというのはデフレ不況の中でパートタイマー労働者などの非正規労働者や暇な窓際族をいっぱい生み出すこと と経済的にはほぼ同義だと考えれば理解できるのではないかと思います。
(見物人さんの大学院の議論とかぶりますが)この種のバッファーが増加して もそれは働いているだけまし、ですが長期的な不況の前では後退戦を余儀なくされていくのではないでしょうか? 例えばパートの人も職を得られず求職意欲を 喪失し、そして窓際のサラリーマンたちもやがてリストラされる。そしてワークシェアで働き場を確保してきた人たちもやがて社会的な勢力の弱い順から悪運の 「割り当て」をくうように職を追われる、のではないかと思います。

簡単にいうと、ワークシェアリングを日本経済全体で力瘤をあげてやる必要はない、と思います。社会的なコストに比較するとメリットが不鮮明かまったくとる にたりないか、のいずれかではないでしょうか。

あ とこれ特に強調したいのですが、実は雇用の面からいまの日本の長期デフレ停滞をみていても完全な回答は描けません。日本の長期デフレ停滞の真因は金融政策 の失敗(デフレとデフレ期待による期待実質金利の高止まり現象)ですから。これマネタリーな要因ですので対策としてワークシェアリングはやはり正解とはい えないでしょう。』 (2005/11/21 22:54)

# 内藤朝雄 『 わたしが、専門家に質問したのは、ワークシェアリング(処方)がデフレ期の経済に大きな打撃を与えるもの(禁忌)なのかどうかということです。もし経 済にとって(たいして有益ではなくとも)そこそこ無害であるならば、あぶれた人にとっては救済になることはやった方がいい、ということです。
 少なくとも実体経済にとっては、労働者が無能であるよりも有能な方がいいですよね。おなじ労働力プールでも、院よりも技能サポート団体の方が好ましいで しょう。何から何まで北欧的なやりかたをする必要はありません。
  わたしがもっぱら関心をもっているのは生活の質の問題で、経済がそこそこいい状態を確保する可能な社会体制の選択肢のなかで、生活の質を「最小隷属(社 畜、いじめ、憎悪の集団力学にさらされて生きること、不安定におびえて悪条件にしがみつく生活など)」にもっていくタイプの体制をピックアップしたいとい うことです。しかし、経済を破壊する選択肢はよくないので、その精妙な経済メカニズム分析によるチェックは専門外の自分ではできないので、経済の専門家に 教えを請うているわけです。いろいろな専門の人たちがケチくさいことをいわずに、気前よく知っていることを教え合うほうが、いいサロンだと思いますよ。 知ったかぶりをしあうよりも、学生気分で(メンツを捨ててかかって)、知らないから教えてぇ〜をやりあう方が、全体として利益は大きいですよ。
 ワークシェアリングは、デフレ下の経済に破壊的な効果を及ぼすのでしょうか。もし破壊的な効果をおよぼさないのならば、困っている人たちが大いに助かる ことはやった方がいいのではないか、と思うのですがどうでしょうか。』 (2005/11/21 23:02)

# 学生ナイトー 『田中さんありがとうございました。またかぶってしまいました。』 (2005/11/21 23:03)

# 内藤朝雄 『 脊髄反射のように質問してしまいます。ワークシェアリングには、@企業内のワークシェアリングと、Aフルタイム労働者全体のワークシェアリングと、B パートタイマーとフルタイム労働者の待遇を均等にした上でのワークシェアリングが考えられますが、どのタイプを想定なさっているのでしょうか。
  労働側と財界側で、賃金は下げるけど、短い労働時間と高福祉のもとでゆったりとして安定した生活を送れるの非エリートと、馬車馬のように働く有能なエリー トに2分する、という取引をするのはどうでしょうね。エリートさえしっかり稼いでくれれば、それ以外の多数の寄与分はとるに足らない経済構造であれば、そ れも可能になりますが、エリート/非エリートの寄与分の経済分析はどうなっているのでしょうか。
 大多数が汗水垂らして働かなくても、一部のエリートが富の大半を稼ぎながら税金で「搾取」される「エリート主義」の社会は、どうなんでしょう。
  マネタリーな要因であれば、ますます素人には理解できない領域になりますが、労働政策をやってもやらなくても、ワークシェアリングをやってもやらなくて も、バッファーをやってもやらなくても、海に小便をするようなもので経済にはたいした影響はなく、ひたすら(素人にはうかがい知れない)マネタリーな操作 がメインの対策になるということでしょうか。』 (2005/11/22 00:13)

# tanakahidetomi 『ええそうですね。マネタリーな対策はメインというか、それでなくては現実的にはほとんど不可能です。ですので内藤さんのその上の質問はただ問題がひたす らわき道にそれていくだけなので答えなくてもいいと思います。マネタリーの意味はここでは単純に「お金の量を増やすぞと言ってちゃんと増やすことで解消さ れる問題」、ということで理解してください。』 (2005/11/22 03:32)

# tanakahidetomi 『それといま書いたマネタリーな話で日本の長期デフレ停滞解決、という話なんですが、稲葉さんの『経済学という教養』にも書いてあります。同書は「素人の 素人による素人のための経済学」というキャッチなので、内藤さんの先ほどのクレクレ厨正当化?のお話(内藤さんの三つほど前のご発言)にふさわしい本だと 思います。ぜひ精読されてはどうでしょうか? 

それと山形さんが訳された以下の論文が、一番マネタリーな世界をうまく表現しています。この論文も稲葉さんの本に紹介されています。
クルーグマン「経済を子守りしてみると」

あ と「わき道」といった質問なんですがすこし脇にいきますが 笑、私の話はワークシェアリング一般にあてはまると思いますので上の三タイプの違いどれでも同 じ「わけわかめ効果」で理解していいと思います。あと政府の経済政策ではなく、個々の民間経済主体がワークシェアリングをやりたければそれはどうぞご自由 に! ということも強調しておきます。それですべての民間主体が採用しても経済全体の停滞問題の解決には「わけわかめ効果」しか発揮できないと思います。

「エ リート主義社会はどうなんでしょうか?」という質問ですが、例えば100人いる社会で5,6人だけが働いて残りは高い福祉でらくしてすごす、という分配の ルールでいいと合意している社会だと考えてみると、それでも上のクルーグマン論文の含意のようにデフレ経済でマネーが不足していればその社会の停滞は解決 しません。』 (2005/11/22 04:11)

# 内藤学生 『 ありがとうございます。今の経済問題にとってはマネタリーがメインで、経済の方では長期デフレ対策はマネタリーな対策をきちんとやっていればよくて、 社会の方では生活の質を改善するための手段として使えそうな「わけわかめ」は何をしてもどっちみち関係ない、ということですね。こういう神のものは神へ、 シーザーのものはシーザーへ路線は魅力的です。
 というのはわたしは、職場のいじめなどを手がかりに生活の質の問題を分析し、生活の質をよくするための構想を打ちだすつもりでいるのですが、「これをや ると経済に大きなダメージがある」というマッタをかけられると、とても困ると思っていたのです。
  メインがマネタリーであれば、それ以外は、これであってもあれであってもたいしたことはない枝葉末節なのだから、それではかけがえのない生活の質のために こっちでいきましょう、とプッシュしやすくなります。マネタリズムからは、百万の援軍を得たようでうれしいです。』 (2005/11/22 05:57)

# tanakahideomi 『内藤さん。経済学者が考える政策の割り当て(シーザーの例え)は先に飯田さんが書いたことが基本です。この問題を一番先鋭的に書いたのは手前味噌が三分 の一まじりますが 笑 野口さんとの共著で『構造改革論の誤解』でした。

そ れで今回の内藤さんのご発言で「生活の質」という話がでてきましたが、もし仮に「生活の質」をめぐる社会的な構想にマクロ経済政策の出番が適切に割り振ら れていないかぎり、わたしにはその種の構想は魅力の薄いものに思えます。特にいまのような『生活の質」が長期デフレ停滞で侵食されているときは魅力がない どころか、適切ではないと考えます。
さらに制度改革(構造的問題)についてもそれが効率性という基準から改善を位の一番に考慮されるものでないかぎり魅力がないどころか百害あって一利なしだ と思います。』 (2005/11/22 08:47)

# kondou 『それはそうなのですが、現状の日本のようなマネタリー対策が怪しい上での公教育・労使の改革は、経済に対しては「わけわかめ」だし「生活の質」にとって もプラスかマイナスかよく分からん・・・というのが山形さんとの元の議論だったのでは?

田中さんの書き込み(21/ 22:54)にあるように、ワークシェアが今よりマシだと思っても、経済が悪いがゆえに「企業側の事情が強くでれば総需要の減少が大きく作用」して硬直化 を招き、みんな非正規雇用で総貧乏という懸念もあると。

古いし軽いので恐縮ですが、こういうのもあります。「クルーグマンがスウェーデン経 済について書いたエッセイ」
「nice societies」と無邪気に書かれているように、シーザーのものは(あまり)神には関係ないけれど、神がオタついてる時にシーザーが生活するには、神 のことを織り込んで恐る恐るやんなきゃダメってことじゃないでしょうか。』 (2005/11/22 09:10)

# kondou 『田中さんとカブりました。すみません。内藤さんへの返答を念頭において書きました。』 (2005/11/22 09:12)

# Yasuyuki-Iida 『>本田さん
経 済学徒が社会や教育について語ると大抵はトンデモ(笑)という経験則をふまえて聞いていただければと思いますが…….私自身は特定の専門領域に特化した形 での知識と能力の教育は「即戦力幻想」「それを生かして職業を獲得する」という観点とは切り離した形で必要だと考えています.

「基礎的な リテラシー」は教育における最重要課題なのですが,基礎訓練を基礎訓練のまま自分のものにできる後期中等教育の学生は極めて少ないと思います.@基礎訓練 項目を意味無く暗記する,A分からないから捨てるのどちらかになるんじゃないかしら.その意味で,「基礎的なリテラシー」を伝える際の媒介変数として職業 科教育のようなものの拡充は一つの手段何じゃないでしょうか?例えば,商業教育は上手に使えば,かなりのリテラシーを伝えることが出来るんではないかと思 う.また,電気機械関係の技術的な側面の教育も同様です.

私の知人の教育学者は国語教育に関して「型」の喪失を非常に問題視しています. 例えば,作文や手紙文で「自由に書きなさい」という指導(?)が行われることがある.自由に書くと言うのはホントに難しいです(学術論文の方が形式決まっ てて,分析部分は別だけど,文章の部分は書きやすいというのと似てる?).その意味で,ビジネス文書みたいなのを通じて作文教育を行った方が逆説的ですが 「自由に文章を書く方法」を上手に伝えられる可能性もある.』 (2005/11/22 12:07)

 # shinichiroinaba 『上の飯田君の仰ることは非常にごもっとも、というかほとんど賛成です。
さ しあたりは後期中等教育ではなく、「高等」教育の話をしましょう。少なくとももうここ二十年かそこら、ほとんどの場合大学の学部教育というのはは全く専門 教育ではなく、いいとこ専門準備教育であり、つまり客観的に見れば内実を欠いた教養教育でしかないんですね。仮にうまくいったとしても、それは基礎的な教 養(社会人の常識?)を伝える際の媒介変数として専門準備教育(もどき)を利用する、というものでしかありえない。
しかし同様のことがどの程度後期中等教育にも当てはまりましょうかね。ちょっとその辺はよくわからない。
本 田さんが「トランジションとレリバンス」にこだわる趣旨は理解できるつもりです。今の学校教育においては社会に出る準備としての公民教育があまりにも欠け ている。そこをなんとかしたい。ところで生徒たちが公民、社会人として立つときの関門は基本的には「就職」であり、多くの社会人は自己を職業人、とはいわ ないまでも勤労者としてまずみなす。(主婦という重大かつ面白い問題はまずは保留。しかし今日就職と勤労経験を経ない主婦の比率ってどれくらい?)である 以上、公民教育は職業教育を基本になされるべきではないか……という筋は大変よくわかる。
しかし思うに、「職業人教育」と「職業教育」は微妙にか ぶりつつも基本的には別物ではないか。そして税金をたくさん投入し、ある程度強制的に行う公教育は、やはり前者本位でいくべきではないのか……と考えま す。前にもお話ししたと思いますが、公的職業訓練ってどれくらい効率的なんです? 職業訓練校の旋盤やパソコンって、最新型ですか? そもそも当の役所が その手の政策評価に及び腰なんでしょ?
貧乏人が民間の職業訓練を受ける際の不利は、それこそ現在の雇用保険財源の補助金に類した政策でなどでカバーすればよろしいかと。』 (2005/11/22 14:10)

 # shinichiroinaba 『まあ実際にはすべての「職業教育」は当該職業への確実な就職の保証がない限り「職業人教育」であるしかないのだから、同じことだという議論も成り立ち得 ますかね。』 (2005/11/22 14:29)

# 本田由紀 『飯田さんのご意見は私が上で書いたコメントの中の「学ぶことと社会との関連性の理解、学ぶことの意義(relevance)の実感」と近いものだと思い ます。同じように考えてくださる方がいてくださって心強いです。なお私は他にも「個人のアイデンティティ形成、将来展望形成、共通関心に基づく公共的共同 体(内藤さんが否定するような閉鎖的共同体ではなく)への所属による対他関係の形成」も期待しているのですが。
今 出ている『中央公論』12月号に玄田氏が「勉強なんていうのは、意味がわかることも大事だけれど、わけのわからないことに慣れる練習なんだ」と書いていま すが、これは、社会の抱えている様々な問題や、矛盾や、不条理にそのまま従え、受け容れろ、適応せよ、と若者に説くことで若者を無力化しようとする言説で あり、強い憤りを覚えます。学校教育という巨大な装置を、若者をエンパワーする方向で可能な限り活用しない手はない、と私は繰り返し言い続けようと思いま す。それは、金融政策と並行して取り組むべき、取り組みえる課題です。
稲葉さんは「公的職業訓練」からいきなり職業訓練校に話が飛ばれています が、現状の公共職業訓練(厚労省管轄下)のあり方を前提にしてその効率性を問うのではなく、より規模の大きい文科省管轄下の既存の学校教育機関の教育課程 をどうするかということの方が重要な問題だと思います。
飯田さんがおっしゃるように、「即戦力幻想」「職業の獲得」というような教育と仕事とを直 結させる発想はおそらくかえって弊害があると私も思いますが、より間接的・長期的な意味で「仕事に役立つ」教育課程を、たとえば産業別の業界団体の協力を 得たりしながら、考えていくことが急務ですし、実際にその方向に向けた動きは始まっています。』 (2005/11/23 00:14)

# Yasuyuki-Iida 『稲葉先生の交通整理に従いまして,中等教育の話は自分のblogに書きました.』 (2005/11/23 11:55)

いいかげんスレが延びたので

 また仕切りなおして上げます。

 山形氏がクルーグマンの「生産性、所得分配、失業」の話をしていたので、まず、生産性について昔書いたことを転載、リンクしておきます。ここまでの議論 では「経済学が社会学を追い詰める」という感じにともすればなってますが、経済学で言えることもたかが知れています。

「生産性のメカニズムは実のところ経済学にとっては解明の対象と言うよりは議論の前提である、という印象はかつて労働問題を学んできた私自身がかねてから 抱いていたものである。
 たとえばこのことは、現代マクロ経済学の主潮流となった内生的成長理論には明確に当てはまる。内生的成長理論はかつての経済成長の理論モデルでは外生変 数、モデルを作る際に前提として与えられていた技術進歩、生産性上昇を、モデルの中で決定されてくる内生変数として取り扱うところにポイントがあるわけだ が、それにしたって、やれ、規模の経済がはたらいて(要するに、たくさん作れば作るほど単価が安くなって)だとか、人的資本の蓄積によって(仕事に慣れた り訓練を受けたりして労働者の練度が上がって)とか、知識資本の蓄積によって(新技術の開発がうまくいって)とか、いった常識の範囲に属することを、きち んと数理モデルにできるようになった、というだけのことだ。数理モデルにできるということの意義はもちろん存外に大きいが、過大評価も慎まなければいけな い。
 重要なのは、それがその名前が素人に与えかねない印象ほどには、技術進歩、生産性上昇の具体的メカニズムを十分に理論化した、とは決して言えないという ことである。教育訓練投資や研究開発投資が生産性の向上をもたらすメカニズムについての数理的な記述をそれは与える。しかし実は肝心なことはほとんど何も 解明されていない。いくらの金をかけた投資が、ではなく、具体的に、その金を使ってどのような研究開発とか教育訓練とか組織設計とかをすれば生産性が上 がったり新製品ができたりするのか、についてはそのモデルはほとんど何も語らないのだ。

 他方現代ミクロ経済学の組織理論においても、企業組織の「組織」としての側面、どうすれば情報が効率的に処理されるかとか、どうすればメンバーの動機付 けがうまくいくか、といった議論が中心で、その「企業」としての側面、どうやって新しい事業を興してそれを成功させるか、という問題についてはほとんど寄 与するところがない。というよりそもそもそれが通常の意味での経済学が理想とするような「科学」の対象となるのかどうかさえさだかではない。
 この意味での「企業」の研究は今なお経営学の領分である(このあたり高橋伸夫『経営の再生』有斐閣、など参考になるかもしれない)わけだが、それは結局 のところ事例研究となるしかなく、更に言えば、訳の分からない説教となることを避けようとすれば歴史学になるしかないように私には思われる。実際経営戦略 論の父たるアルフレッド・チャンドラーは経営史学者であるし(『経営組織』実業之日本社、『経営者の時代』東洋経済新報社、『スケール・アンド・スコー プ』有斐閣。なお経営史学の教科書としては個人的には大河内暁男『経営史講義』東京大学出版会、がおすすめ。)、大立て者マイケル・ポーターも『国の競争 優位』(ダイヤモンド社)ではかなり歴史的アプローチに接近してはいないか? 
 クルーグマンは本書[『クルーグマン教授の経済入門』]では内生的成長理論について特に何も言っていないが、生産性についての経済学者のおしゃべり一般 を「宴会の雑談に毛の生えたような」「しろうと社会学の爆発」と片付けている。こう言われてカッとなる経済学者は多いだろうし、それ以上に経営学者、産業 社会学者は頭にくるに違いない。生産性のメカニズムこそは、マルクス経済学、(旧)制度学派経済学残党(具体的にはフランスのレギュラシオニストやアメリ カのラディカルズ)、そして経営戦略論、生産管理論、労働過程論のまさに中心課題であるのだから。しかしながら「しろうと社会学」ならぬ「くろうと社会 学」による生産性研究においてもなお、「生産性が上がった場合にはこのようなことが起きている」とは言えても「こうすれば生産性が上がる」とはとても言え ないのが現状ではないか。」

http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/books/bks9811.htm


 リフレと左翼との関係については、 svnseedsさんのところでワルモノたちがdojinくんをいじってます。ぼくもどっちかというとワルモノさんたちの側です。というかまるで俺の代弁 してくれてるみたいだよみんな。

http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/comment?date=20051118#c

 Apemanさんとこでは、なんと「たいむぽかん」氏が正体をあらわしています。

http://hpcgi3.nifty.com/biogon_21/aska/aska.cgi

273。ちょっと邪悪すぎ。

2005-11-22コメント欄

# コメント 『『情況』レーニン(!)特集号の小泉義之さんの論文どうぜせう』 (2005/11/23 00:42)

# 内藤朝雄 『 そもそも経済学に何ができて何ができないかがわからないで、文系の胃やみがお医者様に「どうなるの?」と聞いているようでした。自分には読めない隣の 数式の芝生は魔法使いに見えます。
  わたしとしては、あきらかに「これをやったら経済が破滅する」という処方と、「よーわからん(けど、あんまり感心しないな)」処方のうち、「これをやった ら経済が破滅する」の方をがっちりおうかがいしたかったわけです。一昔前の社会主義圏の政策のように「これをやったら経済が破滅するにきまっておる」とい う地雷さえ踏まなければよいという基準で、社会学の絵を描こうと思っていたわけです。そういうわけで、経済学の先生に、「これをやれば経済が破滅するに決 まっておる」地雷地図を描いていただこうと思ったわけです。あとは、そのポイントだけ避けて社会構想を描けばよい、という手順です。
 わたしが前の書き込みで提案したラフスケッチのうち、どれが「これをやったら経済が破滅するに決まっておる」で、どれが「よーわからん(けど、あんまり 感心しないな)」でしょう。
 あとマネタリー領域のメカニズムと実体経済領域のメカニズムの、影響関係の理論がでてくると、ますます絵は複雑化してきますね。きれいに別れていると、 地雷地図はシンプルになって作業が楽なのですが……』 (2005/11/23 11:27)

# shinichiroinaba 『ここでの議論で援用されている理屈を理解するのに難しい数学はいりません。回り道のようでもご自分で経済学をまじめに付け焼刃することをおすすめしま す。そうしないといつまでたっても話は先に進みません。
拙著のほかとりあえず岩田規久男先生のちくま新書全部、マクロでは小野善康先生の岩波新書2冊に田中さんの講談社現代新書、それと飯田君の『経済学思考の 技術』を読まれるべきです。
内藤さんの「生態学的設計主義」は合理的選択理論を背景においていますから、もともとミクロ経済学とは親和的なはずなのです。』 (2005/11/23 12:01)

 # shinichiroinaba 『>「コメント」さま
 その小泉さんの論文については、杉田俊介氏がhttp://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050830/p2で紹 介していますね。氏が引用したポイントを再引用させていただきますと、

「な らば、尋ねよう。車椅子抜きでは動けない人間、人工呼吸器を使用する人間、病院や施設に拘束されている人間がいる。そんな人間の移動の自由を確保するため に、何が必要になるかを諸君は真剣に考えたことがあるのか。小手先の改良で済むなどと思っているのか。本当に心の底から、そんな人間たちに、青空を眺める 自由を確保するべきだと考えているのか。そもそも、諸君は、自由と潜在能力について本気で考えてきたのか。いつだって現状の政治経済とのトレード・オフを 口実にして誤魔化し続けてきたのではないのか。

 われわれが願っているのは奇跡である。車椅子がスポーツカーよりも速く移動すること、医 療機器がポータブルになること、指先の動きだけで意志が伝わること、目蓋の動きだけで武器を破壊できること、受肉の奇跡を肉体のいたるところで引き起こす こと、要するに、無力な者に力を賦与することである。われわれが為すべきは、こんな奇跡のために、政治経済を本気で変更することなのだ。

  例えば、水飲み場は無料である。ならば、無料食堂が設置されるべきである。無料人口経管栄養補給所、無料人工呼吸器提供場所も、水飲み場の数だけ設置され るべきである。現代の文化と文明に見合った「食物」の「分かち合い」が制度化されるべきである。そのための場所ならいくらでもある。学校、役所、公園を使 えばよい。そのための人的資本ならいくらでもある。官僚、公務員、児童・生徒・学生を使えばよい。そして、少し考えればわかることだが、こんな簡単なこと ですら、憲法改正や政治経済改良程度では実現不可能である。」

 ここでの小泉さんの議論をどう読むべきかにはいろいろと考えるべき問題が あります。ここでいう「奇跡」を望むことはまったく正しい、そのような望みを抱くことは不遜でもなんでもない、というのであれば、それはまったく首肯でき るのですが、まさにその「奇跡」を自らの手で実現しようとするのであれば、手放しでは肯定できません。なんとなればそれ(社会革命)は、それが語の定義上 「奇跡」であるのなら、不可能事にほかならず、その結果訪れるのはよくてカストロのキューバ的状況、そして蓋然的にはレーニン後のソヴェト=ロシアや人民 中国を襲った運命であろうからです。

 他面小泉さんは、前に触れたとおり、『弔いの哲学』で神的暴力について、そして罪を犯したものに対 する神の罰(天罰?神罰?)について語ります。しかしその神の罰とは、要するに罪を犯した者、悪いやつもいずれは死ぬ、ということです。そしてそのことに 耐えられず、悪に対する報いを性急に求める態度を批判しています。ここでの小泉さんの議論と、レーニンを肯定する小泉さんの発言とは、なにほどかコンフリ クトを起こしているように思われます。

 図式的に言えば宗教者、預言者レーニンは肯定できるが、革命家レーニンは? という感じでしょうか。

  そのような「奇跡」の到来を本気で望むことなくしては、そもそも何のために「小手先の改良」をしているのかを人は忘れてしまい、結果「小手先の改良」さえ 実現できないことになりかねないから、「奇跡」を本気で望み、信じることは必要である。かといってその「奇跡」を人の身で本気で起こそうとすることは、神 ならぬ人には不可能なことであり、必ず惨事につながる……抹香くさいですが、こんなところですか。』 (2005/11/23 12:25)


論点を(また)整理するよ。

 「リフレ派と左翼」問題についてはsvnseedsさんところで大体筋は見えたと思うよ。文句がある人、特に「dojin君一人でかわいそう」と思う人 はあっちに行って加勢して下さい。ぼくはもう言うべきこと言ったよ。なおhttp://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20051122#c1132716337は 現時点でのぼくのラディカリズム観と見ていただいていいよ。別にこれはシニシズムの勧めじゃないよ。

 もともと内藤朝雄の『図書新聞』の「お前もニートだ」の趣旨は、リフレ派の田中秀臣や私のニート問題観とそれほどくいちがってはいない。それどころか 『SIGHT』別冊ブックレビューでの山形浩生の「なんで俺の税金をニート様のためにつかわにゃならんのだゴルァ」とさえも結論的には一致する。つまり 「放っておけ、放っておくことが最高のエンパワメントであり、いわゆる「エンパワメント」は囲い込み、学者・役人・教育者・ソーシャルワーカーのマッチポ ンプ的ネタ作りに他ならない」である。

 もちろん現時点での「ニート」層の中には、景気が回復しても就労・就学できない人々が一定数混じっており、その中には支援を必要としている人々もいるか もしれないが、少なくともそれは昨今の若年雇用問題の核心にはない。今日の若年雇用問題の焦点は労働需要サイドにこそある――この判断は共有されていたは ずだ。

 ところがここから、つまり労働需要をいかに喚起するか、をめぐってひとつ対立が生じる。リフレ派としては基本的にマクロ的総需要を喚起して、そこから派 生的に労働需要を喚起するという提案をするのみであるが、内藤、そして本田由紀の場合には(どうも不分明なところが多いが)、労働需要の直接的主体たる雇 用者、企業の構造改革を望んでいるように思われる。更に本田の場合は、そして最近では内藤の発言においても、これに加えて学校教育における職業教育的側面 の見直しを含めて、労働市場構造の総体的な改革が展望されている。

 そうなるとリフレ派には、逆説的にも、内藤や本田と玄田有史との区別がうまくできなくなってしまうのではないか。少なくとも私はそうである。ことに労働 市場改革を強調されると、それもまた一種の「エンパワメント」としか理解できない。そして玄田に対する批判も一種の近親憎悪に見えてくる。つまり無反省に (あるいは確信犯的に)エンパワメントを高唱する玄田に対して「恥を知れ」と言っているだけであり、自らは恥を知りつつつつましく別様の「エンパワメン ト」を構想している――と。

 たしかに、時にニート層の人々自身の「責任」を問う方向にぶれる玄田に対して、あくまでもそれを否定しようとする内藤、本田の気分には共感できるし、そ れは健全だと思う。しかし代わりに企業や学校の「責任」を問い、そこに問題の核心を見出すのであれば、筋違いではないか、とリフレ派としては考えざるを得 ない。仮にそうした不毛な「悪者探し」をするのではなく、誰も責任を取らない/取れない隙間に落っこちてしまった人々のエンパワメントを目指すのだとして も、それは要するに再分配であり、そのための財源を十分にとりたいのであれば、やはり先立つものは金であり、景気総体の回復である。

 そうした「隙間」をなくし、不景気などのショックに対してロバストな経済・社会構造を考える、という課題はそれ自体としては興味深いが、それは今さしあ たっての問題ではない。それはまさに長期的な課題としてしかありえない。(おそらくはいかなる意味での「隙間」もまったく無い社会などありえず、そのよう な「隙間」に対して我々に、究極的には、小手先の対症療法しかなしえない。もちろん「隙間」のできにくい社会を創る、ということの意義を否定するものでは まったく無いが。)個人的には、不況をしのぎやすい経済社会は、逆に好景気の恩恵を受けにくい社会なんではないか、とも危惧する。(『教養』第8章参 照。)これは多分平等主義とも関係しそうだ。

 内藤のリバタリアン左派的な未来像も、また本田のトランジションとレリバンスについての議論も、基本的にはこうした長期的な射程の話、と考えるべきであ ろう。まさに(循環ならぬ)構造問題だ。

2005-11-23コメント欄

# 本田由紀 『玄田有史と私の相違を以下に整理しておきます。
玄 田がニートを重大視しその意識面の特徴を執拗に述べるのに対し、私はフリーター・失業者(およびニートの中の「非求職型」)を重視しその増大要因として企 業=労働需要側の新卒採用抑制とフリーター等への採用差別を指摘し、かつそこへの政策的介入(具体的にはまだ詰められていませんが)が必要だと考えていま す。
また玄田有史は学校教育の職業的意義に期待せず企業内での人材育成を称揚するのに対して、私は逆に企業内での人材育成の現状や前途に悲観的であり企業外で の教育訓練機会(学校教育を含む)の拡充を提唱します。
他にも細かい違いはありますが、主な相違は上記の通りです。確かにリフレ派ではない、という点では一括りにされて「近親憎悪」呼ばわりされても仕方ないで しょうが、それはあまりに粗い見方だと思います。
つ いでにうかがいたいのですが、「均衡待遇」と「社会保険対象層の拡大」は現在の日本経済にとって絶対的な地雷なのでしょうか。あるいはそれについてきちん と説明している書籍を教えていただけますか。企業がヒステリックなまでに抵抗していることは知っています。それは実現不可能なことなのでしょうか。どのよ うな条件が満たされれば可能になるのでしょうか。』 (2005/11/23 14:04)

# shinichiroinaba 『嫌われついでにもうひとつ言うと、玄田君は「ニート」に関する限り意識的に学問的作法を踏み外したデマゴーグと化しているのに対して、本田さんは踏みと どまろうとしている、というところもありますかね。
均等待遇って何の均等待遇ですか? 男女? 正社員とパート? 
ぼ くはどっちにしても「絶対的地雷」とはいえないと思います。特に社会保険については、国がやれと言って最終的に決めたら、企業は不承不承ながら従うでしょ う。景気がそう悪くなければ、それによる負担増はいずれどこかに転嫁できるでしょうから。がやはり専門家の意見を伺わないとね。
ぼくも気にはしと きますが、とりあえずご自分で探されてはいかがでしょう。それと職場の同僚を活用しなくてどうします? 玄田君はともかく、大沢真理さんも佐藤博樹さんも いるでしょう。財政なら渋谷博史さんもいるし、労働法学の水町勇一郎だって、フランスのことを教えてもらえる。経済学部に行けばまたいろんな人がいます よ。前に言ったように、佐口和郎さんをたずねなさいな。』 (2005/11/23 14:30)

 # shinichiroinaba 『人材育成の問題について言えば、私はどちらかというと玄田寄りです。というより、そんなのは玄田オリジナルな見解ではもちろんなくて、それどころか小池 和男主義でさえなく、研究者も実務者も大半が同意するところでしょう。たとえ企業の内部養成がろくなもんじゃない、と考えている少数派にしても、それでも 学校よりはまし、と思っているんじゃないでしょうか。そのような状況下では、本田さんの方に重い説明責任がのしかかりますよね。
 ぼく自身はこう考えます。
 企業特殊的熟練、という論点は小池によって強調されすぎた嫌いはあれ、全く存在しないとはいえないし、またそれ以外にも正規従業員に対する長期雇用と現 場での育成の合理性を説明するロジックはたくさんある。(たとえば大瀧雅之の議論。)
  もちろんそれに副作用はあり、外部市場を含めた労働市場総体での柔軟性を損ない、失業や格差を温存するおそれはある。しかしその「責任」を企業や労組に対 して過度に問うべきではない。むしろそのことで企業の生産力が上がっているのであれば、それによって補償は可能となる、と考えたほうがよい。(課税して再 分配すればよい。)
 興味深いことに石川経夫は、正規従業員労組の交渉力の増大は、不況期には外部労働者との賃金格差を大きくするが、好況期には むしろそれを縮小する可能性を指摘してさえいる。簡単に言えば、それによって企業が正規従業員への依存を低め、外部労働により依存するようになるため、外 部労働市場での需要圧力が高まって賃金が上がるからである。
 反面不況期においては、そのような柔軟性を欠く雇用慣行が、マクロ的に見れば失業を 減らし、賃金減少をも防ぐことによって、デフレスパイラルを抑える効果が期待できる。とはいえそうした努力は、反面では企業にとっては負担となる、という ことである。ここではマクロ的合理性とミクロ的合理性が相反関係にある。
 この辺について玄田の議論が怪しげだとすれば、彼がマクロ経済政策にほ ぼ一切言及しないだけに、企業内人材育成の合理性の強調がややもすれば「企業の努力で失業を防ごう」という無茶を言っているようにとられかねないところか な。つまり無茶を言われているのはニートだけじゃない、というわけで。』 (2005/11/23 16:27)

# tanakahidetomi 『ところで大学院問題については、不況時のバッファとして結果的には役立ったかもしれませんが、やはり大学院を不況対策に割り当てるのは(もちろん誰もそ んな主張をしてないでしょうが)、基本的には間違いです。大学院問題については不十分で恐縮ですが、最近、『エコノミスト』に書いたものをほぼそのまま以 下のブログに掲載してありますので参照いただけると幸いです。

http://blog.goo.ne.jp/hwj-tanaka/e/84c0cabb916960938e2ff5a9bd2d5d9f

また雇用再教育については、かって猪瀬閥?エコノミストだった関係からか、例の雇用・能力開発機構関連で書いたことがありまして、これは拙著『日本型サラ リーマンは復活する』(NHKブックス)に収録しました。2001年段階の話です。

そ こでの論旨を簡単に再現すると、雇用再教育には情報の非対称性(利用者がどんな再教育がいいのかわかんない、教えるほうもなに教えていいのかわかんない) などから生じる市場の失敗みたいなものがあるかもしれないから、政府の介入(例:教育機関の格付け、再教育内容の統一化、費用対効果など)の余地があるだ ろう。

しかしその政府介入の権化みたいなこの当時の特殊法人いまは独立行政法人の雇用・能力開発機構のやり方は、そんな「市場の失敗」で 存在責任が説明できないほど過大な「政府の失敗」をもたらしている。こんな機構の存在おかしい、なくさないとね、というのが一方。(なんで政府機関の方が 民間よりも情報を多く集められてうまく利用できるのか、そんなわけねえじゃん、というきわめて重要な基本問題があるのを忘れてはいけない)

  でもなくすのはいいけれども先の「市場の失敗」みたいなのあるけれどもどうすればいいかな? ということで「教育バウチャー制」はどう? と提案してま す。失業者に雇用クーポン券を与えて自由に教育機関を選択させるわけです(大学、専門各種学校、雇用再教育機関などなど)。もちろんこれだけだと先の「市 場の失敗」を解消するには不十分だという、黒沢昌子先生の論文(「職業訓練・能力開発施策」)を参考に、アメリカでの職業訓練制度でのバウチャー制と地区 レベルの評議会(やることは訓練プログラムの対費用効果、訓練の修了率、修了者の就業率などの成果指標の情報開示と訓練プログラム自体の認定、などです  ハーシュマンの議論を敷衍して雇用再教育への「ボイス」機能の導入と考えていました)の組合せを紹介しました。

拙著でも書きましたが、もちろん教育バウチャー制+評議会モデルはまだ未開の地みたいなものですし、そこそこいい成果をあげられるのかどうかさえわからな い手法だと思いますが、そんなこと昔、書きました。』 (2005/11/23 16:59)

# 本田由紀 『ちなみに文科省は年内に「教育バウチャーに関する研究会」を発足させ、平成18年度内に政策判断するための論点を整理するそうです。委員は小川正人、金 子郁容、金子元久ら。』 (2005/11/23 17:42)

# のびた 『教育バウチャーに関連してのネタですが、オランダの教育制度は、親が学校を選べる学校選択制度になっているようです。
そして、学校の設立も比較的容易にできて、教える内容も学校側の裁量の幅が大きいようです。

「オランダの教育」  リヒテルズ直子

によると、オランダの教育はそれなりにうまくいっているようです。

なお、この「オランダの教育」で論じられている点については、リヒテルズ直子氏のサイト

リヒテルズ直子のオランダ通信

でその大半を読む事ができます。』 (2005/11/23 19:41)

# tanakahidetomi 『>本田さん、のびたさん。情報ありがとうございます。

と ころで書き忘れましたが、その教育バウチャー制+評議会+雇用・能力開発機構廃止 って書いた後に、一番強調してたのが、こんな改革しても雇用の改善なん かいまとそう変わらないかもね、そんなことよりも一刻もはやくリフレ政策やったほうが比較にならないくらい雇用の改善になりますよ、こんな話に集中してい るといまの日本のサラリーマン社会を蝕む最大の問題から関心がどんどんずれちゃいますよ、というのが先の本の当該部分の結びでして、この力点についてはい までもまったく変わらないのです。』 (2005/11/23 21:49)

# いぢめ屋内藤 『あれかこれかなのか、それとも、あれもこれもが可能なのか、という問題だと思います。あれもこれもが可能か不可能かのメルクマールとして、地雷の有無が 問題になるわけです。経済のためにはあれ(リフレ政策)は絶対必要、生活の質のためにはこれ(いぢめ屋としてこだわるところは、学校と職場の閉域隷従抑止 設計)も必要。これはあれにとって地雷か座布団か?経済学者がリフレ政策にとってきわめて破壊的であると判断したら、地雷宣告を下せばいいのです。「オラ ンダ型は地雷である。やめろ!」といったふうに。
 できればあれとこれが共存できればいいのですが。』 (2005/11/23 22:29)

# tanakahidetomi 『内藤さんがこの一連の“「一席」論争”に登場された最初の段階で述べられた「構想」については、すでに山形さんや稲葉さんが突っ込まれているところが地 雷としての資格をもっているように思えます。

あの構想はリフレ政策とバッティングする清算主義的な発想もそうですが、「税金あげて→公共サービスを(税金で支援うけた)民間に委託→安いサービスの提 供」という構想自体が、何をしたいのかよくわからないのですが? 

内藤構想から一部抜粋
「わたしは、公務員と企業で高給を取っている中高年を大量に解雇しするか賃下げするべきだと思っています。」
「税金は上げます。そのうえで、いままでの国や地方公共団体の仕事を大幅に民間に委託します。税金を安くて質の高いサービスを行う企業を通じて市場に環流 させます。福祉を徹底的に民営化します。」

あとの構想のところも疑問点ばかりなのですが、院のところは山形さんが突っ込んでおられるところが正当ですんで多言しませんが。』 (2005/11/24 08:07)

# tanakahidetomi 『最近のリバタリアン路線というのは補助金行政の急進化と清算主義の徹底、ということで理解していいのかしら?』 (2005/11/24 08:27)

# 内藤朝雄 『 おっしゃっていただいて、はじめて、とても説明不足だったことがわかりました。
  税金を補助金に使うという意味ではありません。補助金垂れ流しは、企業をプチ役所化して贅肉の塊にしてしまうのではないでしょうか。逆に役所を企業化する 提案です。現業部門を徹底的に民営化するのです。大阪のバスの運転手が年収千何百万円(わたしの倍)とっているように、役所がらみで税金がどぶに捨てられ ていることが多いです(ニート支援も、ニートの若者よりも群がる蠅の方に金が流れるだろうと思います)。企業は厳しい競争にさらされているときに、健康な 姿を保ちます。いままで役所の現業部門でやっていた業務を、安くて質のよいサービスを提供する企業に外注します。
 民業圧迫というのは、公共部門 がやっているおかげで、そのニッチが企業が競争しながら進化する生息域にならないということだと思います。上記の政策は、いままで存在しなかった企業の ニッチを創設することを意味し、すなわち、金が勢いよく流れる領域を創出することにもなります。また競争のあるところに進化が生じ、企業の進化は、サービ スの質を向上させると思われます。
 さて、格闘技で、受けてから突く場合、受けることは突くことの障害になり、突くことは受けることの障害になり ます。ところが、地面をキックしつつ腰を楕円軌道で回転させることで、@体の軸が移動することで敵の攻撃をかわし、Aそれのひねりが同時にパンチにもな る、というやりかたは防御と攻撃が一体になります。
 役所の現業部門を、企業の競争にまかせる場合、企業が進化するとともに企業をコントロールす る役所も進化します。スウェーデンでも、民営化した初期は施設が老人家畜牧場のようになるスキャンダルが起きましたが、それをやらせない企業コントロール のノウハウも蓄積されます。とくにヒューマニズム感情に訴えれば、(いい意味でも悪い意味でも)実存的失業者たちがNPOやボランティアなどで監視システ ムを作ってくれたりします。わたしが損得抜きでいじめをやめさせようとするような人間の側面を「搾取」するわけです。これから日本でやる場合、後発効果が 期待されます。
 役所は土地や建物を非効率なしかたで使います。役所の土地や建物を売っぱらって、賃貸でやりくりして、そのやりくり上手加減で役 人の給料や昇進を上下させると、税金の無駄遣いが減るでしょう。また、土地建物を売っぱらった金は資産家が資産運用するのと同じことをやって、金儲けに精 を出します。
 さて、これがパートや有期雇用者と正社員の均等待遇のための費用になるわけです。こうやって浮かしたり儲けたりした金と、税金で吸 い上げた金を使って、労働市場の流動性を高めても生活が破壊されないネットを築き、金を退蔵しないでじゃんじゃん使っても「大丈夫だよ!」という、確約を 言葉ではなく行為でしめします。人々が金を退蔵するのは、将来が不安だからです。もちろん、かつてのブーメラン援助のように、企業がもうかるしくみでやり ます。これらはセーフティネット産業が栄え、市場が活性化し、イノベーションが起こる条件を整えます。
 ちなみに旧来の購買パタンが変化するのに企業がついていけないということについてですが、安全-不安に関する商品はなぜか売れます。あと、マッサージな ども売れています。セーフ産業が日本中の金の流れをよくする可能性もあります。
  企業にとって人件費は大きなくびきです。しかも、ぬるま湯経営のなかの非効率で高い管理職の人件費は、まさに「潰れる」と叫びたくなるようなものです。日 本のホワイトカラー労働は非効率だったように思います。あまり役に立っていない管理職に高い給料を払うコストと、高い税金を払うコストは、企業にとって機 能的に等価です。上層部が組織内政治を仕事と勘違いするような傾向は、企業にとって大打撃です。
 ところで他人をコントロールする、という業務 は、トラックを運転する、研究する、コンピュータに入力をするなど、と同様に一つの組織の機能的要素であるにすぎません。それだけがなにか特別な業務であ るわけではありません。たとえば需要に比して、コンピュータに入力できる人の数が少なく、他人をコントロールすることができる人の数が多ければ、入力作業 労働者が時給10000円で、部課長が時給1200円でもいっこうにかまわないわけです。最近バイト店長が時給1200円程度で、そこそこ有能な管理仕事 をします。バイト店長制度を成功させる企業は、市場競争で有利になります。また、年齢が上の者が管理仕事をする必要もまったくありません。ホームレス仲間 の統率や利害の調整などでも同じ能力が要求されます。20年前、予備校では、不安定だけど月給100万円の講師を、月給20数万円の若い正社員が管理して いました。管理仕事の価格破壊とコストダウンは、経営システムの効率化にとって必要不可欠です。あと、経営システム的には存在しない方がいい「仕事」(大 奥の「仕事」は忙しい)でいそがしい、という状態は問題です。
 中高年の給料を下げるだけだと、大きな地雷になるでしょうが、そのぶん若者に能力 にみあった給料を払えば、金の流れは止まらないのではないでしょうか。若手が給料で商品を買うからです。金が流れるポイントが変わるだけです。中高年が高 い給料をとっているおかげで、若い層が金を使わなくて、その分金の流れが悪くなっているのを、改善する、とさえ言えるかもしれません。
 もちろん、社会全体の生産性がアップするというのが大きいです。生産性がアップするとパイも大きくなるのではないでしょうか。
 そのためにも、中高年が教育費と医療費で悩まなくてもいいようにする必要があります。そうすれば給料が下がっても安心です。この安心は、市場に金をまわ す方向に作用しても、地雷にはならないのではないでしょうか。
 実を言うとわたしはアンチ・玄田ではありません。アンチ・後期(デマゴーグ)玄田ではあっても、前期玄田の主張はもっともです。彼は最初、中高年の滞留 を問題にしていました。実はわたしの主張は、初期玄田に近いところもあります。
  役所の現業部門を市場にまかせ、かつ、役所そのものを限りなく企業にしてしまう(もちろん役人に特権的な身分保障もない、不正チェックさえしっかりやって いればよい)、という条件のもとでの高い税金は、一昔前のイギリス病やオランダ病の地雷とは異なる効果を及ぼすのではないでしょうか。
 リフレ政策がメインだと認めたとして、「こっちの方も、邪魔にならないようにやりますので、ご容赦ください」とはならないのでしょうか?
 リフレ政策が+1000で、上記の政策が「わけわかめ」で+3か−5ぐらいで、こんな鼻くそはどうでもいいから、リフレ+1000をやれ!、鼻くそも鼻 くそで勝手にやれ!、というところでどうでしょう?
  ところでわたしは自己意識としてはリベラリストのつもりで、左は嫌いだし、リバタリアンは非現実的だと思っているのに、稲葉「裁定」で、リバタリアン左派 となるのは、なんだか性同一性障害の人みたいな哀愁に吹きすさばれてしまいます。わたしホントは♂なのにみんなわたしのこと♀だというの。とほほ』 (2005/11/24 11:21)

# 内藤追伸 『田中さんに激しく同意。感動
http: //blog.goo.ne.jp/hwj-tanaka/e/84c0cabb916960938e2ff5a9bd2d5d9f』 (2005/11/24 11:50)

# tanakahidetomi 『内藤さんの上に書いた構想だと、リフレ+1000をやれ、というわけにはいかないですよ。

長い書き込みなんで逐次的にコメントをつけたいのは山々ですが、まず答えがないので聞きたいのですが、なんで税金をあげるのでしょうか? そしてその税金 は補助金で使わないとしたら何に使ったんでしょうか(あるいは使いたいんでしょうか)?

まずはこの点を明らかにして後の膨大な書き込みを逐次見ていきませんか?

内藤さんと本田さんの主著は明日とどきますので少しは私もおふたりの意見を理解できると思いますけれども。』 (2005/11/24 19:07)

# tanakahidetomi 『あとエコノミスト市場の論文で激しく同意していただけるならば、まずはその論説でも書いたように、中高年ぜんぜんだめエコノミストも自然引退するまで生 暖かくみてあげるのと同じように企業や公務員の中高年サラリーマンも生暖かく見てあげませんか? 景気がよくなれば他の職場に移動する人も増えるし、わざ わざ長期失業の核を増やすこともないでしょ?
 僕のような我慢が足りない性格でも我慢できたんですから内藤さんだったら大丈夫でしょう。』 (2005/11/24 19:19)

# tanakahidetomi 『で、上の質問の答えをお聞きするまえになんですが、僕なりに内藤構想を書き換えてみますと、政策目的は「学校と職場の閉域隷従抑止設計」ですよね? 政 策目的自体の理解が私は不十分なのでそれは明日にでも届く内藤さんの本をみてから理解するとして(そんなんじゃあいけないのはわかります、すみません)。

ま ずリフレ政策を採用すれば中高年サラリーマン(含む若年サラリーマン)の人件費問題は劇的に改善されます。ですので中高年から若年への所得移転で生産性伸 ばすという発想は不要です(他にも理由ありますが省略)。もちろん個々の企業や産業が成果主義をとりいれようが日本型雇用をしようがしまいが、そんなこと は「政策」の対象外にしときましょう。

中高年(そして将来の中高年候補の若年層)の教育費・医療費の負担を軽くするという発想もリフレで 名目所得を増加させることで「将来不安」(があったとして)を解消させましょう。(そもそも内藤さんの最初の構想ですと税金でファイナンスするので結局ゼ ロサムですから内藤初期構想はキャンセルしたほうがいいです)

その上でリフレ政策で解決できない問題として「学校と職場の閉域隷従抑止設計」を考えるのがいいんじゃないでしょうか。

学 校の方で内藤さんは教育チケット制(バウチャーと同じ)を主張されていますので、それは僕が前に書いた雇用再教育でのバウチャー制と連動してつかえます し、各々、ボイス機能として地区の評議会を導入したり、政府やその関連機関の介入を極力排除する、というコンセプトもすすめてみるのは興味深いです。フ リードマンの『資本主義と自由』が参考になりますよね。閉域隷従の打破は、ハーシュマン的には「声」と「退出」ですからこの考えをミクロの制度改革として 積極的に用いる方向は内藤さんの教育チケット制の発想の根幹と調和すると思うのですがいかがでしょうか?

それと民営化できるところは民営化して競争条件を整備するというやり方もいいと思います。具体例がないのでこれ以上はなにもいえませんが。

た だし役所や国の資産や不動産を売却したり賃貸をうまくする??ことでその運用益で均等待遇のファイナンスにする、というのもやめときましょう。まず資金運 用はそんなにうまくいかないんじゃないかなあ。それと資産運用せずに売却益だけだと一回かぎりなんでこれも無理ですね。リフレ政策の実現で税収増の中から 補助金だせばいいんじゃないですかね。ちなみに内藤さんはどこかでこの均等待遇をすべての働く人を非正規労働者に! みたいなこと書いてましたよね? こ れも雇用の流動化をうながすのが目的ならばマクロ経済環境を整備した上で、社会保険などで流動性を阻害する要因があれば規制緩和するだけで、あとは民間に 自由にまかせときましょうよ。わざわざ政策として非正規労働者を増やしていく意味はないですから。

雑駁ですみませんが、内藤さんの構想は核の部分だと思う教育チケット制の設計をとことんすすめていくほうに構想を部分化?したほうがいいように思えるんで すが。部分社会工学的ですまそ。』 (2005/11/24 21:36)

リフレ左翼

http://d.hatena.ne.jp/BUNTEN/20051121

他に何かいうべきことがありますか? 私はありませんよ、ええ。ありません。


# 山形 『いま出ている Foreign Affairs に、スティグリッツがベンジャミン・フリードマン新刊の書評を書いています。そしてその書評のタイトルは ”GROWTH MAY BE EVERYTHING, BUT IT’S NOT THE ONLY THING” というものです。

こ れは、ここでずっと議論されていた話の根幹にある認識だと思う。結局のところ、だれもリフレが景気回復=経済成長につながることは疑問視していない。で、 この書評タイトル全体のいわんとしていることが理解できる人と、どうしても前半または後半だけに目がいってしまう人とで齟齬が出てるように思えます。』 (2005/11/25 16:17)

*第2部(at「もじれの日々」)

 よそ様のページですからリンクだけです。

経 済学ド素人の、ド素人による、ド素人のための愚鈍な疑問(2005-12-03)

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メー ル(2005-12-06)

――を受けてのコメント欄

2005-12-07のコメント欄

リ フレ派について(2005-12-15)

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*偏った中間総括(at「Bewaad Institute@Kasumigaseki」)

http://bewaad.com/20051207.html#p01



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