Japanese abstracts of dissertations in the PMJS archive.

Paul Atkins
The Noh Plays of Komaru Zenchiku (1405-?)
Stanford University, 1999
English Abstract (http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/biblio/dissertations.html#Atkins)

摘 要
Japanese Abstract

 本論文は、15世紀日本の能役者・作者・理論家なる金春(こんぱる)禅竹の謡曲の研究である。禅竹は、その舅にあたる世阿弥元清 (1363-1443) の精神的な後継者であった。能楽史の中心的な存在である世阿弥は、禅竹に指導や秘伝書を与え、禅竹は独自の秘伝を作成、新しい概念も創りだした上に、いくつかのすばらしい作品も残したのである。
 第1章(序論)では、作品に関する重要な情報を提供するー禅竹の伝記、当時の文化、禅竹の能楽論、他の能作者との比較、作者考定の根拠など。次に、主要作品に注目しつつ、禅竹の謡曲をテーマによって大まかに分ける。
 第2章では、「芭蕉」と「杜若」を中心にし、能と叙景画との関係を検討する。
 第3章では、禅竹と歌人・廷臣の藤原定家 (1162-1241) との間のインターテキスチュアリティーを探究する。その関係を謡曲「定家」から定家の歌論へ(「拉鬼体」を焦点に)、そして中国伝説上、鬼を抑制する鍾馗(Zhong Kui)を描写する「鍾馗(しょうき)」までをたどる。 
 第4章では、「人待つ女」として禅竹がすえる女性の主人公を考察する。「楊貴妃」、「小督(こごう)」、「千手(せんじゅ)」、「大原御幸(おはらごこう)」を問題の焦点におき、すべて主人公の運命が変わらず、劇的な静止を演ずる点を考察する。
 第5章では、『源氏物語』を本説とする「玉鬘」と「野宮」を対比し、両義性や「あいまいさ」における問題を検討する。
 第6章(結論)では、禅竹の作品全体の指標として、「雨月」を読む。その上、序論で論文の主要概念として提供した revealed identity (露(あらわ)された同一性 [identity] および正体 [identity])を再検討する。それは、執拗な無二主義と「啓示劇」の組み合わせといえる。「啓示劇」とは、世阿弥の「変身劇」とは対照に、禅竹の静止的または両義に取れるような構想をもさす用語である。



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