第1回 岩崎富久男氏(明治大学名誉教授)
「東アジアの領土問題についてじっくり語ろう(1)」 2012年11月26日(月)
長く中国の文化や歴史について研究してきた岩崎氏は、国境問題の存在について1960年代から関心をもち、実際に中ソ国境や中朝国境など各地を歩いて調査してきた経験を有する。そこから共通に浮かび上がってきたのは、領土問題は同時に歴史問題でもあることだった。尖閣諸島/釣魚島をめぐる領土問題も同様であるというのが岩崎氏の基本的見解だった。
双方が主張する「固有の領土」論を前提にするなら、歴史的史料のなかで確認できるのは、中国側では1403年の『順風相送』にまで遡り、1500年代から1800年代まで十数種の記録が確認されている。他方、日本/琉球側史料では1579年の『使琉球録』や1785年の林子平『三国通覧図説』、1876年の陸軍省参謀局「大日本全図」等の地図でいずれも同島が中国領であることが明記されている。日清戦争期の1895年になってはじめて、政府が「無主地」であるとして日本領を宣言するようになった。
つまり、日本の近代化、帝国主義化という歴史的文脈と密接に繋がっているのが尖閣諸島問題であり、その後の「カイロ宣言」「ポツダム宣言」や日中国交正常化時の「棚上げ」論といった一連の流れもこうした文脈から捉える必要がある、との報告だった。
学生からは、「どのメディアでも日本領であることを前提にしているので、そうではないという根拠がこれだけあることに驚いた」「この小さな島をめぐって何を争っているのだろうか」といった質問が出され、意見交換が行われた。
第2回 鄭栄桓(PRIME所員、明治学院大学専任講師)
「東アジアの領土問題についてじっくり語ろう(2)」 2012年12月7日(金)
日本の植民地からの朝鮮の解放過程を研究テーマとしている鄭氏は、竹島をめぐる対立を「領土問題」と位置付けるあり方自体が「日本寄り」の認識であるという。韓国では竹島問題は「領土問題」であると同時に「歴史問題」であるという視点が一般的で、日本では「歴史問題」の視点を欠落させている。
歴史的には、日本政府が竹島を島根県に編入することを閣議決定したのは1905年1月のことである。これは日露戦争の最中であり、日本海軍にとって重要な要衝となったことを見逃すことができない。これ以前にも山陰の実業家が漁業のために政府に編入を求めたが、その時点では政府は大韓帝国の領有権を認識していて退けていた。したがって、日本の「固有領土」説は成り立っていない。日本では朝鮮半島の植民地化は1910年と認識されているが、韓国では外交権を奪われた1905年の「保護国化」の時点からとする見方が強い。竹島の編入時期と一致し、「歴史問題」とされる所以である。
日本が「固有の領土」論を主張しはじめるのは戦後のGHQ統治下からであり、サンフランシスコ講和の交渉過程で、日本は竹島を日本領とするようアメリカ側に働きかけた結果、竹島の帰属は曖昧にされたまま講和が結ばれて、現在に至っている。いうまでもなく、韓国は講和交渉から排除されていた。
この報告に対し、学生からは「韓国とのあいだに領土だけでなく歴史認識をめぐっても大きなギャップがあることを学べた」「今後の島の問題について歴史を踏まえてきちんと解決策を考えていく必要がある」との応答がみられた。
第3回 小野賢二氏(福島在住民間研究者)
「福島の原発問題と東アジアの戦争・平和について考える」 2012年12月13日(木)
第1回、第2回ともに、領土問題は歴史問題でもあるという視点の重要性が強調された。そこで、「現在」との関係で「歴史問題」を考えることの意味を議論することを一つの目的として、南京虐殺に関与した元兵士の足跡を民間の立場で調査している小野賢二氏を福島県いわき市から迎えた。
小野氏は、南京虐殺の当事者だった福島の郷土部隊の元兵士から史料収集や聴き取り調査を重ねてきた。その過程で、最近の福島第一原発の事故と南京事件との関連性に突き当たった。参議院議員を経て1964(昭和39)年から福島県知事を4期務めた木村守江は、南京事件の際に軍医として従軍していた。所属部隊は数万人もの捕虜虐殺を行っている。後に再召集されてニューギニアに転戦し、所属部隊305名のうちわずか7名だけの生存者の一人として帰国している。しかし、公私にわたる記録をみても、南京虐殺などの加害に加担したことを振り返った記録はない。
一方で、知事時代に原発を導入する際の記録をみても、その危険性に向き合い、慎重に対処した気配がほとんど感じられない。近代以降、首都圏の「電力植民地」であった福島の歴史にむしろ棹さし、産業も育たず「貧困」地域とされた双葉地方の開発を一息に解決する手段として、県が積極的に原発を誘致した経緯が見えてくる。地方紙や東電幹部とも密接に連携しながら、住民はほとんど意志決定に関与しないまま進められた。
戦争期の社会的責任を問われることなく、「野心家」を自認して無反省のまま戦後社会を生き抜いた帰結として、今回の「原発爆発」に至った経緯とその意味について、さらに調査を重ねていきたいと考えている、との報告が行われた。
参加者からは「福島の住民たちはこうした事実についてどの程度認識しているのか」「木村元知事は、原発の危険性をどの程度認識していたのか」「過去の戦争体制と現在のあり方にどんな関連性があると考えているか」などの質問が出され、活発に議論が行われた。
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