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コラム

ウクライナ通信(4)ウクライナの農村 -フィールドワークから

国立リヴィウ大学経済地理学部で環境問題を教えるオーリャさんに、リヴィウ市近郊の3つの農村を案内していただきました。最初に訪れたのは、市中心部から車で10分の所にある「都市化しつつある農村」です。田畑のなかに家屋が点在しています(写真①)。ところが、主要国道沿いの畑の中に新家屋が建設されていて、相対的に家賃が安いため、地元の人と共にアフリカからの留学生などが住んでいるとのことでした(写真②)。

写真①:訪れたのは、2017年11月後半で、雪が降り始めていました。

写真②:畑の中に建てられた新しいアパート。手前はバス停。アパートのモダンな雰囲気とバス停の少し汚れた感じが対照的です。

ウクライナの主要都市では、不思議に多く、アフリカから来たと思われる若者の集団に出くわします。たいてい留学生で、医学や薬学を勉強しているということでした。ウクライナでは、他国より良質で割安の医学や薬学教育を受けられるのだそうです。

写真③は、そこから2~3分車で行ったところにある農村の家「伝統的な田舎家屋ハタ(Hata)」です。一人暮らしの年配の女性は、毎朝、家の前の田舎道の向かいにある溜池脇の湧水で生活用水を汲んでいるとのことでした。市の調査でも水質はとてもよいとのことでした(写真④)。

写真③:家の前では鶏が飼われていました。卵をとるのだそうです。

写真④:田舎家屋の近くにある溜池です。左手前の方から、水が湧き出ています。

もう少し豊かな農家では、敷地内の井戸で生活用水を汲んでいるとのことでした。日本では、農村でも上下水道が整備されると「都市部」とみなされ、税金が課せられることなど、日本の農村の近代化の基準に関する説明を私も若干しました。オーリャさんは「この農村はとても貧しいのです」と言葉を添えました。私は「農村は残念ながら、どこも貧しいのです。日本でもそうです。都市には、農村にない貧しさもありますが…」と返しました。

ウクライナでは、2015年5月21日以降、共産主義の流布やそのシンボルの使用を禁じる通称「脱共産主義法」が発効し、共産主義思想(=マルクス・レーニン主義)やそのシンボルを使用することは、ナチス・ドイツの思想やそのシンボルを掲げるのと同等なものと、現在では認識されています。

さて、東西冷戦期の日本では、共産主義思想の影響下、「都市―農村間の不均等発展は、資本主義経済の必然的な帰結である」と主張されていました。ウクライナの農村に立つと、「ソビエト共産主義」下の農村では、工業化の結果、都市-農村間の「不均等発展」はむしろ進んだことがよくわかります。現在、ウクライナの都市化率は70%程度だそうです。「不均等発展」は、解決されませんでした。

それどころか、ロシア革命後、1930年代のソビエト共産党体制下における「ウクライナ人強制移住」によって、多くのウクライナ農民が死に追いやられたのです。いわゆる「Holodomor(ホロドモール)」です。ウクライナ版ホロコーストと言われることもあります。日本では、あまり知られていませんが、現代のウクライナ国家独立の背景としてこの「ウクライナ版ホロコースト」は、重要な社会・政治的事件として国民に広く認識されています。

写真⑤⑥は、オーリャさんの叔母さんのお宅を訪ねたときのものです。叔母さんの手を見せていただき、ハッとしました。それは、田舎でまだ片手間に農作業に従事している私の母の手と同じものだったからです。私の祖母も同じ手をしていました。農作業後に手洗いをしても手のしわには、黒く土の色が刷り込まれていました。ピレネーの麓の田舎町からパリに出て社会学者になったピエール・ブルデューは、彼の著作の中で、このような手の位相を「身体的へクシス(=身体の性向)*」の特徴の一つとして説明しています。

写真⑤:オーリャさんの叔母さんのお宅の入り口です。

写真⑥:オーリャさんと叔母さんです。

研究者になったオーリャさんの手は、叔母さんの手とは別のものです。叔母さんのように、しわの中に土の「汚れ」が残っていつつも、人前に出るために綺麗に手洗いされた後の「みずみずしい手」ではありません。叔母さんは、寒いところでの農作業のために、頬も手も少し赤みを帯びていました。これも、人に会う必要もないので化粧をせず、田畑に行った後の農民に共通の「身体的へクシス」の一つです(写真⑦)。

写真⑦:右側がオーリャさんの叔母さんの、左側がオーリャさんの手です。許可をいただき掲載しています。

この土や水と人間の身体のあいだで農作業という実践行為がもたらした身体的特徴によって、農民は勤労への賞賛と感動の対象になったり、また着飾った都会の有閑マダムの蔑みのまなざしに晒されたりもするのです。本人にそのまなざしの意味するものが伝わることは、あまりありません。これは世界共通の社会現象です。

最後に、西部の農村と日本との関係を示す写真を紹介します。写真⑧は農村の電柱に貼られていた求人広告で「仕事!」と書いてあります。日本の自動車関連の企業が出しており、月28,000円位で人を求めているということでした。(この求人広告は、後に調査で訪れたカルパチアの農村地域でも知られていました。)ウクライナの平均月収が今はそれくらいだと聞いていますので(2017年11月現在で7479グリーブナ:国家統計院)、この地域ではそれなりによい月給だと思われます。とくに農村では、そもそも仕事がありません。

写真⑧:農村に掲げられた日本企業の求人広告です。リヴィウ市では現在、日本企業が広く働き手を求めているようです。

オーリャさんによると、農村の女性の内職(機織り)では月6,000円程度の収入にしかならないそうです。一方、この10年間でリヴィウ市内では物価がずいぶん上がり、ポーランドとあまり差がなくなってきているとも話してくれました。グローバル企業の進出、都市部の物価上昇、郊外農村部の変容…。EU国境のすぐ外側の地域のリアリティが、少し見えた気がしました。

*社会的行動と結びついた「肉体的特徴」のこと。

社会学部教授 岩永真治

 

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