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Do for Others―その言葉を胸に

2015.09.04
堀 乙彦
Otohiko Hori 堀 乙彦 1980年 経済学部 経済学科卒
明治学院大学の経済学部で学んだ堀さん。社会への貢献は、明治学院のミッションであると同時に、堀さん自身が生涯を通して取り組むことになるテーマでした。
卒業後に進んだ日本赤十字社で、堀さんはこれまで30年間にわたって、主に海外での救援活動などで活躍、今は組織推進部長として、特に若い人のボランティア活動の推進に力を注いでいます。
“Do for Others”―その一語と共に堀さんの歩みが続いています。

The Truth Shall Make You Free

私が明治学院大学に進学したのは、もう30年も前のことになります。ですから記憶も曖昧ですが、ごく自然な選択であったように思います。私は東京に生まれ、横浜の山手で育ちました。通った幼稚園はスパニッシュカトリックで、近くには教会や外人墓地があり、外国人が多く住み、外国の文化にも日常的に触れていました。将来は海外と関係する仕事に就くということは、子どもの頃からの漠然とした思いとしてありました。さらに、社会への貢献という明治学院大学のミッションへの共感、当時の古い校舎に掲げられていた“The Truth Shall Make You Free” というメッセージに表現される自由な空気にも惹かれるものがありました。
今振り返れば、私が育った山手の眼下には外国人居留地が広がり、そこには「ヘボン塾跡」の碑もあります。もともと明治学院とは縁があったのだと、改めて感じています。

人々を幸福にする経済学

明治学院大学で私が専攻したのは経済学ですが、それにとらわれず自分の好奇心の赴くままに沢山の本を読みました。また、将来は国際機関で仕事をしたいという気持ちがありましたから、英会話の勉強やフランス文学科のフランス語会話の授業などにも積極的に参加しました。当時の明治学院大学では、他学部の授業も参加でき、教授も歓迎してくれました。授業のなかで経済の話題が出ると教授は決まって私を指名し、フランス文学科の学生の前で説明するようにと機会を与えてくださいました。おぼつかないフランス語で説明する他学部の学生を温かく受け入れてくれる教授と仲間がいたことは、明治学院大学の自由でアットホームな雰囲気を物語るものだと思います。
経済学の勉強では、特にマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』や厚生経済、国民総福祉などについて学びました。当時日本では公害問題など、高度経済成長に伴うさまざまな矛盾が出始めていました。これからの時代は国民総生産を高めることを追求するのではなく、いかに富を分かち合っていくのか、富の再配分のあり方や人々を幸福にする経済のあり方などについて考えていくことが必要だと感じていました。
在学中に明治学院大学が創立100周年を迎え※、私は幸運にも「100周年特別奨学生」に選ばれました。論文と面接での選考でしたが、その時どのような論文を書き、また話をしたのかはよく覚えていません。しかし、面接会場であった記念館の2階の磨き上げられた木の床が、窓から差し込む優しい光でまぶしく輝いていたことだけは今でもはっきりと覚えています。

※この頃は、東京一致神学校の設立(1877年)を創立年としていた。

〝恵まれた自分〞にできること

奨学生として幸運にも学費の免除を得た私は、ますます本を読み漁りました。相変わらず好奇心の赴くままの読書でした。ただ一点、大変恵まれた環境にある自分がどうしたらその恩恵を社会に返していけるのか、その手段を得たいという気持ちはいよいよ強くなりました。大学の卒業時に、私が経済的なことよりも、社会への貢献ということを意識したのはそのようなことからでした。そして私は日本赤十字社を就職先に選びました。
日本赤十字社では、外事部(現在の国際部)の配属となり、その後総務部で主に国内外の救援物資の調達・輸送などを担当、また、国際部に戻って救援活動や開発協力事業の計画、資金調達、救援・開発要員の養成などを担当しました。その間、アフガニスタン、パレスチナ暫定自治区、旧ユーゴスラビア、中国、インドネシアなどをはじめ、世界各地で、救援活動やニーズ調査、活動評価などに従事しました。
あっという間に過ぎた日本赤十字社の30年間ですが、多くの先輩や同僚に恵まれたと感じています。入社して最初の上司の「赤十字を頼って来る方は、最後のよりどころとして赤十字に助けを求めている方たちなのだから、全力を尽くしなさい。」という言葉は、今でも私の活動の支えとなっています。

人類の財産としての赤十字活動

海外の活動で忘れられない思い出の1つは、90年代にアフガニスタンに出張した時のことです。予期せず、カブールで激しい戦闘に巻き込まれ、宿舎の地下室に避難して一晩を過ごしました。雷のように砲撃の音が聞こえ、周辺へ多くの着弾がありました。しかし、不思議なことに私は恐怖を感じることなく、『もしも私が社会に必要とされているなら、その間は生かされているだろう。』というような気持ちで、落ち着いていることができました。
また、北方四島に人道支援のため救援物資を届ける任務に就いたことがあります。国後島の沖合で船はロシアの警備艇に囲まれ、パスポートの提示を求められました。「北方四島は日本の領土であるのでパスポートの提示はしないように。」と、日本政府から釘を刺されていましたので、私は代わりに、国際救援活動に従事する際に携帯する赤十字の身分証を呈示しました。果たして上陸できるのか、ロシア側が協議を重ねた結果、ようやく上陸が認められました。赤十字は、その活動を求める人々がいれば国境を越える力を持つ――「人類共通の財産」である赤十字の力に、この時、私は、改めて気付かされました。

「ヘボンの子どもたち」の一人として

東日本大震災では、100を超える国、赤十字社から日本赤十字社に、被災者への温かい励ましの言葉と大きな支援が寄せられました。その中には、経済的に貧しい小さな国も沢山含まれていました。日本がこれまで行ってきた国際支援や交流が間違っていなかったと感じ、大変うれしく思いました。
今後も日本は、日本の持っている幸せの力を提供し、世界を幸せにしていくことが大切だと思います。いろいろな問題や課題はありますが、諸外国に比べると日本は本当に恵まれており、また、さまざまな幸せを生み出すソフトの力を持っています。これから日本は、大規模な自然災害や少子高齢化など多くの人道的課題に直面すると思います。そうした厳しい状況に立ち向かい、また、世界の同時代に生きる人々と連携して、世界の人道上の課題についても、取り組みを強めていく必要があると思います。その時、ボランティアの力、特に若い人の力が大切になると考えています。
そのようなことから日本赤十字社は国際赤十字創設150年の最終年の機会を捉え、奇しくも同じ創立150周年を迎えた明治学院に、ボランティア・パートナーシップを提案させていただきました。それに対して、母校である明治学院大学はいち早く賛同の意を表してくださいました。「創立150周年で何か大きなイベントを企画するよりも、明治学院大学のミッションである“Do for Others(他者への貢献)” を社会に、若者に広めていくことが大切だ。」という大学の英断があったと伺っています。明治学院の建学の精神が今も脈々と受け継がれていることを知って、うれしく思いました。
未来のヘボンの子どもたちである明治学院大学の学生の皆さんには、この精神をもって社会の一隅を照らす光となっていただきたいと思います。そして、そのような光を合わせて、日本を、世界を幸せにしていく活動を広めていただきたいと思います。私も微力ながら、みなさんと一緒にその活動に取り組んでゆきます。

堀 乙彦

日本赤十字社総務局組織推進部長。1956年東京生まれ。その後横浜で育つ。1980年明治学院大学経済学部経済学科卒業、同年日本赤十字社入社。外事部(現国際部)に所属。総務部を経て国際部で、救援・開発協力事業などを担当。同時に、アフガニスタン、パレスチナ暫定自治区、カンボジア、旧ユーゴスラビア、北方四島、シベリア、中国、インドネシア等での救援活動に従事。1996年、外務省のスカラーシップ(国際開発高等教育機構)により、オックスフォード大学クイーン・エリザベス校難民研究プログラム修了。現在は組織推進部長として、特に若い人たちのボランティア活動の推進に力を注ぐ。

「日本赤十字社・明治学院大学 共同宣言 ボランティア・パートナーシップ・ビヨンド150」
http://www.meijigakuin.ac.jp/jrc-mgu/

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