笠原 美智子
Michiko Kasahara 笠原 美智子さん 1983年 社会学部 社会学科卒
薬科大学から進路を変えて明治学院大学社会学部に入学した笠原さん。
卒業後は米国に渡り、さらに2つの大学で学びました。多くの大学の中で明治学院大学がいちばん好きだとおっしゃる笠原さん。
「どこが好きなのか。幸せな時間の記憶だけで、あまり考えたことはなかったけれど、あえて言うなら……」 その理由は少し意外で、でも「なるほど!」と共感できるものでした。

多くの大学で学んだ。その中で明学が一番好き。

わたしは学籍番号79S048だから、明治学院を卒業してもう30年近く経つ。おかしなもので、物忘れがつとにひどくなっているにもかかわらず、こんな役に立たない数字は覚えている。高校を卒業してすぐ薬科大学に入り(家が薬局だったので、何も考えずに入ったらまったくついていけず)あえなく1年半で撃沈して、1年浪人して明学に入り、社会学部を卒業して、そのあとアメリカのシラキュース大学に留学し、最終的には写真を専攻してシカゴ・コロンビア大学で修士課程を修了して、1989年から東京都写真美術館の学芸員をしている。1998年からは明学の芸術学科で非常勤講師としても教えている。
大学の数だけは人並み以上にこなしていたけれど、そのなかでも明治学院大学は格別に思い入れがある。大好きである。どこが好きなのか。幸せな時間の記憶だけで、あまり考えたことはなかったけれど、あえて言うなら、「明治学院」という看板がそれほど役に立たないこと。皮肉に聞こえるかもしれないけれど、大真面目である。
学芸員という仕事の基礎は、ひたすら作品を見て、ひたすら文献を読んで、ひたすら論文を書く、ことである。そうした地道な基礎的調査のうえに、展覧会を企画し、行政を説得して予算を獲得し、作家や所蔵者と協力して、輸送・会場設営・図録制作・広報・関連事業等、多くの人を巻き込んで一つの事業を遂行する。予算が足りなければ企業を行脚して協賛を獲得しなければならない。

また、わたしのように公立美術館にいる場合は、当然のことながら、予算の多くは税金である。なぜ、今この展覧会をする必要があるのかは常に問われる。展覧会はなるべく多くのお客様に来ていただく必要があるが、それだけではなく、専門家をも説得するものにしなければならない。企画や執筆は個人の技量に寄るところが多いが、それを実際に現実化する過程は、まさに組織人としての能力を問われることになる。アーティストはアーティスト特有の言葉を話し、行政の人たちは行政語を話す。学芸員は翻訳して、展覧会というひとつの世界をつくって、社会に送り出さなければならない。
そんなときに邪魔になるのは、「上から目線」である。「大学」という看板、「国」という看板、「組織」という看板、「家」という看板、「男」という看板・・・。自分の存在を等身大以上に大きく見せることは、外国人も含めて多くの価値観の違う他者と関わらなければならない学芸員という仕事には必要ない。何かに依存せずに、ちゃんと一人で立って、他者の言葉に耳を傾けながら、自分の意見を構築すること。明治学院大学はそうした社会人としての基礎的姿勢を学ぶには最高の場であると思う。

笠原 美智子

東京都写真美術館事業企画課長、明治学院大学非常勤講師。1957年長野県生まれ。1983年明治学院大学社会学部社会学科卒業。1987年シカゴ・コロンビア大学修士課程修了(写真専攻)。主な著作に『ヌードのポリティクス 女性写真家の仕事』(1998)、『写真、時代に抗するもの』(2002)他。主な展覧会として、「ジェンダー 記憶の淵から」展(1996)、「ラヴズ・ボディヌード写真の近現代」展(1998)、「ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現」展(2010年)、「この世界とわたしのどこか」展(2012年) 他。第51回ヴェネチア・ビエンナーレ美術展日本館コミッショナーとして「石内都:マザーズ 2000-2005 未来の刻印」展を開催。