たしろ ちさと
Chisato Tashiro たしろ ちさとさん 1992年 経済学部 経済学科卒
「美大に進んだ方がよかったかな?」―入学してしばらく、たしろさんは悶々とした日々を送っていました。好きな絵を描きながら、絵本作家になりたいという夢があったからです。一時は真剣に「美大を受け直す」ことも考えたというたしろさん。 しかし、4年間を明治学院大学で過ごし、就職を経て絵本作家としてデビュー。
「美大に行かなくてよかった。明治学院の4 年間があったから今がある」と振り返ります。

長い助走は私の得意技

迷った日々

実は私は大学受験を前に、どの大学で何を学ぶ、というはっきりした目標を持っていませんでした。受験勉強はしていましたし「文系に」という漠然とした思いはありましたが、法学部を受けたり経済学部を受けたり。明治学院大学の経済学部に入ったのも「経済学のこれを学んで将来は……」という目標を定めていたのではありません。それどころか「あれ、ここでよかったのかな?」と、入学後も悩んでいました。
理由は二つあります。一つは、経済学の面白さがよく分からなかったこと。もともと私は、納得するまで時間がかかる方で、腑に落ちれば集中できるのですが、それまでが大変です。経済学もそうでした。でも、勉強をしているうちに、初めは無機質に思えた経済学も、思ったより血が通っていて、人生が詰まっている、経済も生き物なんだなと感じることができて、それからは楽しくなりました。
もう一つの方は、自分の深いところの気持ちに関係していて「やっぱり絵を描いていきたい。絵の勉強のために美大を受験し直そうか」という悩みでした。というわけで、すぐには学生生活に入り込んでいくことができなかったのです。

素晴らしい恩師と友人

でも、経済学の勉強が面白くなり、クラスの友人との付き合いや多くの先生との出会いを重ねる中で、私の学生生活も楽しくなっていきました。サークルには入らなかったので、授業が中心ですが、今もお付き合いが続く友人が何人もいます。先生も素晴らしい方ばかりで、中でも中山弘正先生のことは忘れられません。自分には厳しく、しかし周囲の人には本当に優しい心で常に接してくださる。
そういう先生にお会いできたことも、その後の私の財産になりました。私は教養課程を戸塚で、その後の専門課程は白金で過ごしましたが、ゆったりしたキャンパスはとても好きで、特に白金キャンパスの正門を入って奥に進む道を歩くのが好きでした。
好きな絵は明治学院時代もずっと描いていました。でも、それを知っている人はいないと思います。大学にいるときは描かなかったし、友人との間で話題にすることもありませんでした。卒業後に絵本作家として仕事をするようになってから「絵を描いているなんてぜんぜん知らなかった!」と学生時代の友人からいわれました。
「美大を受け直す」ことは、結局しませんでした。でも、それでよかったと思っています。逆に美大に進んでいたら、ただ絵を描くだけの毎日だったでしょう。いろいろな人に出会い、新しい学問を学び、そして自分が本当はどう生きていきたいのか、そういうことをじっくり考える時間が持てたことは、自分にとってプラスだったと思います。

夢に向かって再出発

大学卒業を前に、私は一つの〝賭け〞をしました。絵本の作品公募があったので、そこに作品を出して、もしそれが通ったら、作家の道に進もうと思った のです。一所懸命描いたのですが、でも、最後まで仕上げることができませんでした。それで、その描きかけの作品は大事にしまって就職しました。
4年間、美術系の会社で展覧会などの開催事務を受け持っていましたが、仕事柄、さまざまなジャンルで活躍する作家の方にお会いしたり、陶芸家の方に実際に窯を見せていただいたりしているうちにすごく刺激を受けて、やはり私も絵本作家の道を目指したい! と思いました。やりたいことをやらずに済ませるのは、自分でも納得がいかなかったのです。会社を辞めて家で絵を描き始めました。それを出版社に持ち込んで見てもらったりしていたのですが、大きな転機になったのは、イタリアのボローニャで毎年開催されている国際児童図書展に作品をもって飛び込んだ時です。日本の美術館の方からそういう展示会があるという情報をいただき、思い切って出かけました。公募に応じた作品で審査に通ると会場内に展示されます。残念ながら、私の作品は選ばれませんでした。でも何とか絵を見てもらいたいと思い編集者の机の前に並びました。そういう人はたくさんいて、長い列ができています。ひたすら順番が来るのを待ち続けました。そしてようやく絵本界の〝カリスマ編集者〞といわれるミヒャエル・ノイゲバウアーさんに見ていただくことができました。するとノイゲバウアーさんは「この絵は知っているよ」とおっしゃるんです。驚きました。審査の時に見て面白いと思ったので記憶に残っていたそうです。しかも、本にしようというところまで話が進んだのです。もうびっくりするやらうれしいやら。
その後は日本とオーストリア在住のノイゲバウアーさんと郵便でやりとりをしたり、ノイゲバウアーさんが来日された機会にお会いして、私のたどたどしい英語と絵で、直すところの指示を受けたり相談をしたりしながら時間をかけて完成させていきました。それが私の事実上のデビュー作となった「ぼくはカメレオン」で、スイスの出版社から世界7カ国語で出版されました。

長い「助走」があったからこそ

日本の出版社からも、少しずつ仕事の話をいただくようになり、アランジアロンゾがデザインした愛・地球博のマスコットキャラクター「モリゾーとキッコロ」の物語「もりのこえ」も描きました。夢と思っていた絵本作家の道を諦めず、また、まわりの人の励ましや応援もいただいて、ここまで来ることができたと思っています。
「決めるまでに時間がかかる」私の、絵本作家への助走は長かったけれど、長すぎたとは思いません。美大ではなく明治学院大学で経済学を学びながら、たくさんの素晴らしい先生方、友人に出会い、学院生活を楽しんだ4年間があったからこそ、今があると思っています。

たしろ ちさと

絵本作家。1969年東京生まれ。横浜で育つ。1992年明治学院大学経済学部経済学科を卒業後、美術工芸サロンに勤務するが、絵本作家への夢に向かって退職、独学で絵を学ぶ。1997年第23回現代童画展(東京都美術館)入選。1999年ボローニャ国際児童図書展で絵本界のカリスマ編集者ミヒャエル・ノイゲバウアー氏と出会い、2003年に『ぼくはカメレオン』で単行本デビュー。同書は、日、英、独、仏、伊等7カ国語で同時発売された。同年12月、愛・地球博のマスコットキャラクター、モリゾーとキッコロの絵本、『もりのこえ』を創作(キャラクターデザイン:アランジアロンゾ)。その後も数多くの絵本を上梓している。2011年『5ひきのすてきなねずみ ひっこしだいさくせん』(ほるぷ出版)で第16回日本絵本賞受賞。現在は、絵本制作のかたわら、子どもたちとのワークショップなども開いている。
http://www.chisatotashiro.com