|
東日本大震災を経て人と人とのつながりの大切さに気づき、人の役に立ちたい、自分にできることは何かを真剣に考えたい、そんな思いを持つ若者が増えています。「Do for Others 他者への貢献」を教育理念に、自分を生かした仕事や活動で社会に貢献できる卒業生を多く送り出してきた明治学院大学は、そんな思いを実現させるにはぴったりの大学。
卒業生であり、戦場カメラマンとして活躍されている渡部陽一さんに、大西晴樹学長が学生時代の話を聞きました。

<戦場カメラマン 渡部陽一さん(左)と大西晴樹学長(右)>
母校を訪ねて
大西:久しぶりに母校を訪れて、いかがですか。
渡部:懐かしいですね。入学した時の高揚感が一気によみがえってきました。キャンパスに戻ってきた今の気持ちは、まるで戦場から帰ってきて平常心に戻った時の感覚に似た気がします。
大西:渡部さんのキャンパスのイメージやその頃から変わったところはありますか。
渡部:僕の持っている白金キャンパスのイメージは緑です。久しぶりにキャンパスに足を踏み入れ、チャペルや歴史的建造物がそのまま残されているのを見て、あらためて学ぶキャンパスとして理想のかたちだと思いました。
大西:白金キャンパスは歴史があるので「ヒストリックキャンパス」と呼んでいます。チャペルにはパイプオルガンを入れ、オルガンには当時の音色を復元したのです。
渡部さんの学生生活
大西:最近は、テレビでのご活躍が目覚ましいですね。
渡部:僕自身びっくりしています。戦場カメラマンとして、お年寄りや子供まで、戦場の状況を伝えられる大きなメディアの力を感じています。テレビのおかげで戦場の子供たちの声を、より多くの人に届けられるようになったことに感謝しています。
大西:明治学院大学1年生の時から18年間、130カ国を訪問された成果である写真集『MOTHER TOUCH 戦場からのメッセージ』を拝見し、感銘を受けました。とくに印象的だったのが、子供たちの写真です。渡部さんは、戦場で爆破されている場所と、その周辺にある日常生活を広くとらえられていると感じます。特に戦場のなかで生きる子供たちに注目し、「戦場で犠牲になるのは子供たち」「戦場を生きる人たちにとって一番大切なものは家族」との、渡部さんの言葉が心に響きました。
渡部:ありがとうございます。
大西:ところで明治学院大学を受験した理由は何ですか。
渡部:大学案内の写真を見て、ここは日本なんだろうかと思うほど、インターナショナルな印象を受け、興味を持ったんです。パンフレットのデザイン、中にある先生や生徒たちの写真…。全てが印象的でした。
大西:実際に入学してみて、どうでしたか。
渡部:思っていた通りでした。横浜キャンパスは僕の住んでいた静岡県富士市と比べると、何て華やかなんだろうと感じました。学生、チャペル、学食、みんなが着ている洋服…。やはりインターナショナルでした。明治学院大学の大きな魅力は、留学生や帰国子女が多く、世界中のさまざまな人と出会えることだと思います。学食でご飯を食べていたら隣に世界各国からの留学生がいて、外国のホテルのロビーのような環境が、キャンパス内にごく自然にありました。そんな学生時代の外国人との交流が、今、僕が世界のどこへ行っても臆せず友人をつくれることの原点にあるように思います。
大西:本学は、学生が人間的に成長できる課外活動にも力を入れていますが、渡部さんは学生時代はテニスサークルに所属されていたそうですね。
渡部:サークルは、僕にとって友人という一番大切なつながりをつくってくれた場所です。大学時代の仲間とは39歳になった今も電話で話したり、仕事でかかわったりしています。最大の財産ですね。
大西:うれしいことですね。明学オープンの成績はどうでしたか。
渡部:全戦全敗でした。(笑)戦場ばかり行っていて練習不足でした。専ら応援にまわっていました。
戦場カメラマンを目指すきっかけ
大西:卒業後、渡部さんは、戦場カメラマンという仕事を選ばれました。その理由は。
渡部:僕は明治学院大学法学部法律学科、93Jという学籍番号でした。1年生の時、一般教養の生物学の講義で、人類のルーツはアフリカであり、そこには現在も狩猟生活をしている民族がいると聞き、興味をもったんです。またその先生は、学問はデスクワークだけでなく、フィールドに出て自分の五感で受け止めることが大事だともおっしゃっていました。そこで先生が教えてくれたことが本当かどうか、自分の目で確かめてみようと思ったんです。
大西:そこで実際に確かめに行ったんですね。
渡部:はい。この授業がきっかけで入学してすぐ、バックパックをしょって外国を旅行するようになりました。最初は学生だったので、カメラマンというより旅行者として。そしてアフリカで、内戦によって犠牲になった多くの子供たちを実際に目にしました。ジャングルの奥地で、トラックの前から武器を持った少年兵が突然現れて、襲撃されたこともあります。周りの子供や運転手も巻き込まれ、持っている物を全て奪われました。アフリカでけがをし、家族を失い、泣いている子供たちに、僕は何もしてあげられませんでした。帰国して、アフリカで起きていることを周りの人たちに話しても、どうもうまく伝わりません。そこで写真を撮って見せれば、アフリカの子供たちの悲しみ、彼らの声を届けることができるんじゃないか。少しでも状況を変えられるきっかけになるんじゃないか。そう思ったんです。
大西:その思いと行動が、自分の将来に大きな影響を与えることになったわけですね。
渡部:僕の戦場カメラマンのルーツは、明治学院大学の授業にあるんです。
明治学院大学の歴史と特徴
大西:明治学院は2013年に創立150周年を迎える大変歴史のある学校で、本学の創設者は、ヘボン式ローマ字を考案したヘボン博士です。博士は、日米通商修好条約が結ばれた1858年の翌年、1859年に妻クララと来日しましたが、当時の日本は開国したばかりで辻切りがあるといわれており、博士の周囲は日本に行くことに反対しましたが、一人息子をアメリカに置いていきました。博士は宣教師であり医師でもあったので、実際に生麦事件で薩摩藩士に斬られたイギリス商人の手当てをしたとのことです。でも、クララ夫人は、アメリカに置いてきた一人息子のことを想い、横浜居留地で同年代の日本人の少年少女に英語を教える塾を1863年に開設しました。これが現在、白金キャンパスと横浜キャンパスに6学部一万二千人の学生数を数える明治学院大学の起源です。宣教医師として危険をかえりみずに日本にやってきた博士の志は、渡部さんに通じるものを感じます。
渡部:もしかしたら、ヘボン博士の勇気と希望に重なる一面はあるかもしれません。博士は、日本の文化に敬意を払い、思いやりの心をもって、日本にとけこんでいかれましたね。
大西:博士は医師でしたので、身分にわけへだてなく、無料で日本人患者を治療し、国境を越えて庶民から親しまれました。濱の俗謡に「ヘボンさんでも草津の湯でも恋の病はなおりゃせぬ」と謳われたぐらいです。そういえば渡部さんは、戦場に日記を重いレンガに包んで持っていって、それを読んで現地の人たちとコミュニケーションをはかるそうですね。
渡部:僕は学生時代からずっと日記をつけていて、写真などもコラージュのように張り付けています。それらは10数年続いた今は米俵のようになっていて、重さは7.5キロもあります。ただし、戦場に入ると身動きが取れる重さにしないといけないので、カメラを入れて25キロを超えないように心掛けています。これを見せ、日本語を書いてあげたりすると、アフリカの子供たちは大喜びします。一気に仲良くなり、家族のような信頼関係ができるんです。そうそう、日記のスタートは明学手帳でした。
大西:ヘボン博士は、日本人患者に片言の日本語で「それはなんですか?」と聞いて、言葉を覚えていったそうです。そうやって書きとめたものが、現在もパスポートや国土交通省の道路標識で使われているヘボン式ローマ字です。また今回の東日本震災は大きな津波で大勢の人の生命が犠牲になりました。謹んで哀悼の意を表します。その、tsunami という言葉を世界に広めたのは、博士が明治維新の前年に上海で印刷し、江戸とロンドンで出版した、日本最初の和英辞典『和英語林集成』になりました。博士は、その序文で日本語の発音を教わった名もなき日本人たちを「生ける教師=living teacher」と呼んでいます。
渡部:すてきな言葉ですね。僕は英語、日本語、アラビア語で取材をしますが、9割以上は英語です。最初のうちは通じないことも多かったんですが、身ぶり手ぶりでコミュニケーションをとりながら覚えていきました。語学は人とのふれあいを通じて、実践的に学ぶのが一番身につくと思います。
大西:本学は、「英語の明治学院大学」ともいわれています。今年の4月からは、授業をすべて英語で行う国際キャリア学科もできました。英語で考え、コミュニケーションできる能力を身につける、生きた英語教育にいっそう力を入れていきたいと考えています。
渡部:これから、世界で活躍する明治学院大学生が爆発的に増えそうですね。
大西:本学にはどんな学生が多いと思いますか。
渡部:“文武両道”“才色兼備”そしてねばり強く努力し続ける人ですかね。大きな夢や目標をもち、まず何ごとも行動してみるチャレンジ精神をもった学生が多かったように思います。
大西:私は本学には、「控え目だけど芯がある」学生が多いように思います。人を押しのけて前へ出ていくことしか考えない人が多い中、人の気持ちを配慮しながらも、何かを成し遂げる力をもっている。これは建学の精神である「キリスト教に基づく人格教育」が長年育んできた本学の伝統だと思います。また最近ある会社が行いました卒業生調査によれば、本学のアンケートの回収率が高いことが指摘され、9割近くが卒業後もいい印象をもってくれていることが分かりました。とくに教師と学生、学生同士のキャンパスにおける人間関係や、綺麗で美しいキャンパスがよかったと言われます。
受験生へのメッセージ
大西:最後に、受験生へのメッセージをお願いします。
渡部:僕は、明治学院大学で学べたことを誇りに思っています。戦場カメラマンとして、大学の名前を背負って世界を飛び回っているつもりです。明治学院大学で学ぶ学生、先生、職員、卒業生は僕にとって家族そのものです。僕の大学時代の友人はみんな、思いやりがあり、人の痛みがわかり、悲しみを感じ取れるすばらしい人たちです。どんなに離れていても、僕のことを気にかけ、連絡をくれる。そんな人としての優しさは、明治学院大学で学んだものだと思います。卒業して、大人になればなるほど、そのことを強く実感します。ぜひみなさんも、明治学院大学で学び、世界を舞台に活躍しましょう。
大西:今日の対談では、不思議なことにヘボン博士と渡部さんの生き方が重なって見えてきました。危険をおかして戦場にはいり、厳しい環境で仕事をしながらも、日本語や英語でやさしくゆっくり語りかける渡部さんの人間的魅力に多くの人が好感を抱いています。ぜひ多くの若者たちに、厳しい環境の中でも他者を理解し、他者のために何かを成し遂げる力を、明治学院大学で培っていただきたいと思います。

<対談当日のオフショット>
ヴォーリズ広場で撮影中の渡部陽一さん
|