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2012年度エッセイ

白金通信「カウンセリング」およびポートヘボンお知らせより

相談することへのためらい

Q. 学生相談センターで相談したいのですが、なかなかその勇気が出なくて迷っています。どうすれば相談への一歩を踏み出せますか?(学生からの架空相談)
A. 数年前の調査で「学生相談センターを利用したいと思ったことがあるが、実際には利用しなかった」と回答した学生の皆さんにその理由を尋ねたことがあります。
頼ることへの抵抗、考えることへの抵抗
 もっとも多かったのは「悩みをわかってもらえるか不安だった」、「親身になって相談に乗ってもらえるとは思えなかった」といった回答でした。
 当然のことですが、相談するという営みは他者を頼ることなしには成立しません。それゆえに他者を信頼し、頼ることへの不安や抵抗を浮かび上がらせるところがあります。
 ただし相談するということ=人を頼ることというわけではありません。なぜなら相談するということは悩みを自分自身で引き受け、向き合い、考えることを必要とする営みでもあるからです。ところがこのことが相談することを難しくさせる場合もあります。悩みを解決したいと思って来談までこぎつけたのに、その悩みについて触れたり、考えるとつらくなってしまい、カウンセリングが中断するということもしばしば起こります。
頼りながら考える
 人を頼りとしながら自らの悩みを引き受け、考えていくという逆説的な営みによって相談のプロセスは進んでいきます。
 ところが相談すること=人に頼ることというイメージが強過ぎると、相談する相手のことばかりが気になったり、相談することが人間的な弱さのように感じられるでしょう。あるいは悩みに向き合い考える心の準備ができていないと、相談してもどうせ無駄だろうといった回避的な考えに傾きがちです。
「相談への一歩」のためにはまずはあなたにとっての相談のイメージや意味、心の準備を吟味してみてください。またカウンセリングでは相談すること自体を巡る戸惑いも含めていっしょに悩みを考えていく場合も多いことも付け加えておきます。
(白金通信2012年4月号「カウンセリング」より転載)

心理テスト体験プログラム

 新学期が始まって2カ月が経とうとしています。特に新入生のみなさんにとっては、ようやく落ち着いて、大学の様子にも慣れてきた頃でしょうか。ただ、入学当初に新しい環境へとなじむために、普段の自分よりも力を使ってふるまっていた方にとっては少し疲れを感じる時期かもしれません。これから梅雨の季節に入ります。まずは体調を崩さないように、自分のペースで生活できるといいですね。
 新しい環境での生活が軌道にのっても、今一つしっくりこない感じを持っている方もいるのではないでしょうか。「思っていた大学生活と違う」とか「本当に自分のやりたいことだったのかな」という考えが大きくなってくることもあるかもしれません。そんなときは、自分以外の人たちは充実した生活を送っているように見えてしまって、焦りを感じてしまいがちです。焦りを感じながら、自分についての不全感を考え始めると、たいていはぐるぐると考えが循環して、悪いほうへと導かれてしまうのがよくあることではないでしょうか。自分で自分のことを考えるということは案外難しいことのようです。自分のことは自分が一番わかっていそうなものですが、考え方のクセやパターンみたいなものがあって、ある視点からなかなか抜け出せなくなることもあるものです。
 自分の中での内的な対話も大切ですが、他者に向けて実際に言葉にして自分のことを語ってみることで自分の考えが明確になり、見え方が違ってくることもあります。安心して語れる家族や、友達が近くにいるなら、自分の考えを伝えてみるのもいいと思いますし、自分の周りにはそういう人がいないという方や、いても家族や友達にはあまり話したくないという方はぜひ学生相談センターを使うという選択肢も考えてみてください。とはいっても、どんなところかよくわからないところに行くのは心配だと思われる方もいるでしょう。
 すでにポートヘボンでお知らせしているのですが、6月8日(金)に横浜校舎で、6月22日(金)は白金校舎で心理テスト体験プログラムを実施します。簡単な性格検査を体験することで、自分の考え方のパターンを知ることにつながると思います。また、心理テスト体験の終了後、希望する方には学生相談センターの見学会も行います。どんなところか見てみたいと思う方はぜひこの機会を利用してみてはいかがでしょう。(もちろん2年生以上の方も歓迎です。)
 (ポートヘボン「お知らせ」(5月)より転載)。


就職活動とエゴグラム

 学生相談センターでは6月に横浜校舎と白金校舎で心理テスト体験プログラムとして性格検査の一種である「エゴグラム」を行いました。当日は横浜校舎で43人、白金校舎で26人の学生の皆さんの参加がありました。
 心理テスト体験を受けた皆さんの動機として多かったのが、就職活動に備えて自己分析したいというものでした。自分の中にある程度就きたい職業や入りたい会社が見えてきたときに、その適性や能力を吟味、分析するための道具として性格検査はある程度役に立つでしょう。
 エゴグラムは性格を5つの側面から分析します。その5つとは「批判的な親」、「養育的な親」、「大人」、「自由な子ども」、「順応した子ども」です。批判的な親は性格の中でこうあるべきという理想を追求する傾向を示します。養育的な親は共感的、受容的な傾向を表します。大人は客観的、合理的思考の傾向を、自由な子どもは自分自身の素直な感情に従う傾向を、順応した子どもは周囲との調和を重視し、相手に合わせる傾向をそれぞれ表しています。
 私が日ごろ学生の皆さんの進路、就職にまつわる問題、悩みについてカウンセリングしていて感じるのは、5つの側面の中でも養育的な親、大人、自由な子どもの3つがうまく機能しているかどうかが大切であるということです。
 就職活動では企業についての情報を収集、整理したり、また自己分析をしながら履歴書やエントリーシートを書くという作業をしなくてはいけませんが、これには客観的な思考力つまり大人の特性が必要でしょう。また面接ではできるだけリラックスして自分自身を表現できた方がうまくいきます。これは自由な子どもに関わるところです。そしてもう一つ、就職活動は試行錯誤を繰り返し、失敗を乗り越えながら進めていく作業です。このプロセスの中であまり否定的にならず、自己肯定感を維持していくためには自分の中に内在化されている受容的で共感的な養育的な親の存在が大切になってきます。つまりこの3つの側面がうまく発揮されることが実りのある就職活動につながってくるように思います。
    ところが就職活動で悩んで来談する学生の皆さんによく見られるのが、批判的な親順応した子どもが高いケースです。これらが高過ぎると理想を追い求め過ぎて現実とのギャップが生じたり、自分を抑え過ぎてフラストレーションが溜まるという方向に向かいがちです。
 余談になりますが、優秀なスポーツ選手は大人の部分で理論に基づいたトレーニングをコツコツとこなし、実際の試合では自由な子どもの部分でリラックスして、楽しみながら力を発揮するという傾向があるのではないかと言われています。さらに言えば養育的な親の部分で失敗しても否定的にならずにチャレンジするという傾向もあるのだと思います。
(学生相談センター主任カウンセラー 戸谷祐二)
 (ポートヘボン「お知らせ」(6月)より転載)。


人のつぶやきが聞こえる世界

Q.友達とちょっとしたトラブルがあったのですが、その後からブログやツイッターに何が書かれているか気になって中毒のように見てしまい、現実に友達と会っても、どこか本当には信じられない気分に襲われることがあり、悩んでいます。(学生からの架空相談)
A.ブログ、ツイッター、ミクシィ等は、今や生活に欠かせないものになっています。自分が主体的に利用することが出来ている時なら、このような悩みに陥ることはないでしょう。しかしこの学生さんのように、一見自分の意志で行動しているようで、実はネットに振り回されてしまっているという場合もあるのではないでしょうか。
ネット上のコミュニケーションの難しさ
 ネットを利用する際は、そこが公共の場であることを考え、お互いにエチケットを守る必要があることは言うまでもありません。ですが、どの程度までなら許されるという線引きも、それらが個人的な判断に任されているという点も難しい所です。またほとんどの場合、何をどう書き、どう解釈するかという判断は、画面を相手にして自分の心だけを頼りに行われているのではないでしょうか。コミュニケーションであるとはいえ、相手の顔色や様子を見ながらの対話とは異なり、目の前には画面上の無表情な文字があるだけです。つまりそれは、ごく限られた情報のやりとりでしかない、ということも忘れないでいたいものです。ネットという空間に、好きな時に好きなだけ言葉を投げ込んでおける便利さはあるけれど、実は直接には繋がっていないのだという認識も、時には思い出す必要があるかもしれません。また、自分と他人とが思わぬ形で繋がってしまう場でもありますし、一度発信した後は取り消しが難しくなるという点や、誰かと誰かのやりとりが第三者にも見えてしまう点などにも、便利さと危なっかしさの両面が感じられます。
自分を見失わないために
 このような悩みを抱えている方も、ゆっくり考えて自分を取り戻すための場所として、学生相談センターをご利用ください。(カウンセラー 西牧万佐子) (白金通信2012年7月号「カウンセリング」より転載)


おかえりなさい

 長い夏休みが終わって、いよいよ後期が始まりましたね。とにかくとても暑い夏でしたが、みなさんはお元気ですか?
今年はどんな夏休みを過ごされたのでしょうか?
 楽しいことや思い出に残る出来事があった人もいると思います。逆に、あまりたいしたことがなく夏休みを終了した人もいると思います。楽しいことも楽しくないことも経験できるのが、学生ならではの、夏休みではないでしょうか。
 さて、時は9月も下旬となり夏休みは終了しました。そして、学生生活も後期が再開しました。まだまだ気持ちの切り替えは難しいと思いますが、何とか自分なりに工夫して、学生生活が進むよう心がけましょう。
ここで、ちょっとしたアイディアを提案したいと思います。①②③のいずれかで、関心があることやできそうなことからでも始めてもらえたら幸いです。

① 一日のリズムを整える
⇒ 夜更かしをやめる。夜はできる限り早く寝て、朝7:00頃に起きる習慣をつける。
⇒ アルバイトや用事で夜が遅い人は、「昼夜逆転」を元に戻す。その方法を考える。
⇒ 睡眠時間を6時間前後は取るように心がけて、スケジュールを考える。
⇒ 「昼まで寝る」生活はこの際やめて、午前中には動きだす。
⇒ やらなければいけないことに優先順位をつける、簡単なことから片付ける。 ② 体調を整える
⇒ 夏バテや夏風邪を長引かせず早めに治す。そのための自分なりの対策を探す。
⇒ 食事管理(特に一人暮らしの人) は大変ですが、自分に合った栄養補給を探す。
⇒ 朝食をきちんと採る。せめて一日一回は「まともな食事」を体に入れる。
⇒ カロリーメイトや栄養ドリンクなどはこれを機会にやめて、料理しなくても栄養になる食材を探す。(豆腐、牛乳、チーズ、バナナ、トマト、ナッツ類など)    ③ 心のバランスを整える
⇒ 秋学期(後期)をどういうふうに過ごしたいか、自分なりに考える。
⇒ せめて、一日一回「しあわせ感」が感じれる事を見つけ、それを励みに一日を過ごす。
⇒ 予定を詰めすぎないこと、と同時に、だらだらやらない。
⇒ これを機会に「めんどうだから」「疲れるから」やらない、ではなく「やって」みる。
⇒ 間に好きなことをしたり気分転換をしながら、モチベーションを保つ。  秋が始まると本当にあっという間に年末です。大学生活の後期半分を後悔しないためにも、一日一日大事にすごしていきましょう。
後期が始まっても波に乗れない人や、後期をもっと充実させたい人、あるいは「どなた」でも、学生相談センターに来て思っていることや考えていることを話しませんか。
 (ポートヘボン「お知らせ」(9月)より転載)。


人前で緊張するのを治したい

Q.ゼミでの発表が苦手で、いつも上手く出来るかどうか気になってとても緊張します。みんなの目が私に集中するともう何を話しているのか分からなくなるのです。こんな調子ではそのうち始まる就活の面接も心配です。なんとかならないものでしょうか。(架空相談)
A.対人緊張、対人恐怖とは
 人前で発表するような場面では誰でも緊張するものですが、みんなの目が気になって思うように発表できないのはなんとも残念ですね。このような対人場面で緊張したり不安になったりする症状を対人恐怖というのですが、「人前であがってしまう」ことを苦にする赤面恐怖の他に、「他人の目が気になって視線を合わせられない」正視恐怖、「自分の視線が相手に不快感を与えているのではないか」と苦にする自己視線恐怖などがあります。
 これらの症状は自分が相手からどう見られているかという自己意識が高まる青年期にはよく見られます。充分な準備をして自信を持って臨んでも、ちょっとしたミスにみんなが注目したと感じて恥ずかしくなったり、みんなのちょっとした不信な態度に不安になったりすると、それを隠そうとして取りつくろい、そういう自分を意識してたちまちパニックになり、パニックがパニックを呼ぶという状態になります。ダメな自分が露呈することを極度に恐れ、こうありたいと思う自分が前面に出すぎているのですね。 弱さを受け入れると強くなれる
 誰でもこころの中には強さと弱さ、美しさと醜さ、優しさと冷たさ、こうありたい自分とダメな自分など、受け入れたい面と受け入れたくない面の両面があります。この両面が微妙なバランスを保っている間は自分らしく自然体でいられるのですが、安心感の得られない人前などでは一方を強調し過ぎてバランスを崩してしまいます。自分の弱さを受け入れてもっと上手く出来るはずだという強気を捨てると、逆に強くなれて症状の消失が期待できます。まずは自分自身と向き合うことから始めましょう。カウンセラーはそのお手伝いができます。(カウンセラー 田中美智子) <白金通信2012年10月号「カウンセリング」より転載)


周りの空気を読み過ぎていませんか?

 周囲の人の思惑を気にかけて自分の考えを周囲に伝えず、自分らしさを表現できず、窮屈な思いをしている大学生は、結構多いように思いますが、皆さんはいかがでしょうか。
 日本は「場」の文化だと言われますが、私たちは幼い時からその場その場の雰囲気に合わせる行動をとるように教わってきています。気遣いが少ないと、思わぬところで人を傷つけたり、またそれによって自分が傷ついたりすることを経験します。その結果として「保身の術」としての「気遣い」を身につけていくのでしょう。
 空気を読む技術も必要ですが、空気を読み過ぎずに自己表現をする技術も持ち合わせがあるといいですね。友だち関係においても、就職活動の面接においても。自己PRで自分の長所を主張することができますか。グループディスカッションで勇気を持って自分の意見を伝えてみたら、ストレートすぎてきついリアクションになりすぎていたり。逆に伝えたつもりがあっけなくも意外にも相手にはそれほど届いていなかったり。そんな時、こんなことを考えてみてください。
 アサーションという考えがあります。アメリカ発のコミュニケーションスキルを磨く方法です。アサーショントレーニングでは、他者に対して攻撃的ではなく、また非主張的でもなく、適度にアサーティブな(主張的な)自己表現をしていく方法を工夫していきます。
 アサーティブという態度は、自分をも他者をも大切にした自己表現を指します。自分の気持ちや考えを正直に、その場にふさわしい方法で表現します。そして相手が同じように発言することも受けとめるような、相互尊重型の対話を生み出します。逆にアサーティブではない会話のうち、攻撃的な自己表現は、他者否定的で、人を暗に動かすような操作的な態度、一方的な主張をするというような特徴があります。すると相手からは支配的、尊大な人に映りやすくなるばかりか、物事を取り組む姿勢が外罰的で、責任転嫁しやすくなるといわれています。アサーティブではない会話のもう一つは、非主張的な自己表現です。つまり、引っ込み思案で、消極的、服従的で、他人本位、いざという時には黙るという行動をとるだけではなく、時に卑屈にもなりやすく、物事に取り組む姿勢は相手任せ、依存的になりますし、人間関係では相手の承認を期待しやすく、失敗すると弁解がましく人からは見られます。また、自己否定的な態度が多くなるようです。
 「気遣い」は本来、自他ともに尊重し、相互の歩み寄りの中に見出されるものでしょう。非主張的な譲り合いだけでは、周囲の空気を乱しはしないものの、建設的な物事の展開に一役を買うことには繋がらないこともあるようです。その面で、アサーティブな態度を少しずつ日々の生活に取り入れるべく心がけていると、率直で積極的な発言が増えるだけではなく、自発的な行動も増え、自己肯定感も高くなります。柔軟に物事を捉えられるようになり、他者の考えも取り入れやすくなるのでしょう。従って他人本位ではなく、自分の責任で自分の行動を決めることができるようにもなるようです。就職活動の面接場面でも役に立てたいものです。また就職後も、上司とのやりとりや会議での発言などで、アサーティブな態度は役に立ちます。
 なお、どこでも誰を相手にしても常にアサーティブでいようと考えると、それももしかしたら現実的なものではないし、うまくはいかないものかもしれませんね。コミュニケーションは常に相手あってのもの。相手が自己開示的でない場合には、良好なコミュニケーションができないのは周知の事実です。そういう場面においてまで自分のコミュニケーションの持ち方に責を負う必要はないのです。アサーティブな態度を必要な時に必要に応じて使えること、それが生きやすさにつながるのではないでしょうか。
 この機会に自分の表現方法を振り返ってみてはいかがですか?学生相談センターではこのような自己表現を身につけるためのお手伝いもいたします。
<心理テスト体験>
 なお、学生相談センターでは今月、就職活動に利用できるよう、心理テスト体験プログラムとして「職業興味検査 VPI」の体験を企画してきました。就職活動中の4年生の方は、今一度方向性の確認に。3年生の方のみならず、1~2年生の方も是非ご参加ください。予定が合わない方は個別での体験もご利用いただけますので、是非一度ご連絡ください。(学生相談センター カウンセラー 松島雅子) 
 (ポートヘボン「お知らせ」(11月)より転載)。


長所の探し方 -心理学から見てみるとー

Q. 自分の長所がわからないんですけど、どうやったらわかりますか?(学生からの架空相談)
A. 就職活動を行う際、履歴書には長所や短所を書く欄があります。しかし、長所がわらかないという話は意外とよく聞かれます。その理由の一つに「自分にとって当たり前にやっていることの中に長所がある」と言われます。例えば、周りから「初対面の人でも気軽に話せる」ことが長所と思われている方がいます。ですが、本人は「そうするのは自分には自然なことで、長所とまで思ってなかった」ということがあります。
ジョハリの窓
 心理学に「ジョハリの窓」という言葉があります。そこでは自己を①「開放の窓」②「秘密の窓」③「盲点の窓」④「未知の窓」の4つの窓にある姿に分けています。①は自分にも周りにも見えている自分の姿、②は自分には見えていて周りには見えていない姿、③は自分には見えてなくて周りには見えている姿、④は自分にも周りにも見えていない姿となっています。窓全体の大きさは皆同じでも、どの窓が広いかは人によります。自分のことがよく見えている人は「開放の窓」「秘密の窓」が広いことになります。言葉では理解しづらいので、ネットで検索されて、図を見ると良いかもしれません。
 長所は周りから認められることで説得力が増すようです。もちろん自分も長所だと知らないと主張できないので、「開放の窓」にあるものが長所と言えるでしょう。先の方のように、自分では長所と見えてなくて、周りからそう見えるものは「盲点の窓」にある姿です。ここにある長所を知るには、身近な人に自分の長所を尋ねて「開放の窓」を広げる作業が有効でしょう。
 また、自分では長所と思っていても周りが気づいていないと「秘密の窓」にあるものです。周りに話して感想を聴いてみましょう。色々試してもピンとこない場合は「未知の窓」が広いのかもしれません。過去を振り返り、自分をよく知る作業などが有効と言われます。一人で振り返る作業がなかなか難しい場合は、相談センター等を利用するのも一つです。自分はどの窓が広いか考えることが長所を知る指針ともなるでしょう。(カウンセラー 橋本貴裕)
(白金通信2012年12月号「カウンセリング」より転載)


シッポの赤いネコのお話(その3)―「ピンチがチャンスって?」の巻―

 失恋の痛手からようやく立ち直ったミュウは、何か新しいことを始めたいと思うようになりました。ミュウの苦手な冬が訪れつつありましたが、大好きなクリスマスもやってきます。折しも『猫の聖歌隊』募集の噂を聞きつけた彼は、早速様子を見に出かけることにしました。すでに練習は始まっていましたが、イヴの夜に「きよしこの夜」と「もろびとこぞりて」を歌うと聞いたミュウは自分も歌ってみたくなり、ついていけるか心配だったけれど参加することに決めました。
猫の聖歌隊員たちは皆とてもいい声で上手です。ミュウも負けてなるべしとばかりに声を張り上げて歌いました。帰り際、指揮者の老猫が言いました。「君は皆と仲間になる気はあるのかい?」仲間になる? どういうことだろう…。ミュウは子猫の頃、赤いシッポのせいでいじめられ、友達はいませんでした。というよりミュウの方から皆に近づくことが怖くて猫の輪に入ろうとはしてこなかったのです。友達と言えるのはいつも相談に乗ってくれるすずめのピーだけでした。だから、何を言われたのかすぐには分からなかったのですが、歌うことは楽しいと思いました。
次の練習日、前回以上に声を張り上げて歌うミュウに耐えかねたのか、今度は隣で歌っていた片耳のたれてる白猫が途中からコソコソと離れた場所に移ってしまいました。気づくとミュウの周りには猫三匹分くらいのスペースができています。どうしてだろう…。さすがのミュウも自分は音痴なのかと気になり始め、ピーに相談することにしました。
ピーはミュウの歌声を聴いてから言いました。「特に音痴とも思えないけどなぁ」「じゃあ、どうしてだろう。皆ボクが歌うと離れていくんだ」「それはピンチだね。もしかしてミュウは皆と歌う時も今みたいに大声を出しているのかい?」「そうだよ。だって大きな声で歌うと気持ちいいし、せっかく歌うんだから皆に負けないように歌わないとね」それを聞いたピーは、他の猫たちが遠ざかろうとするのはそのせいかもしれないと思いました。「合唱はみんなと一つにならないといけないよ。周りの声を聴きながら、気持ちも合わせて一つに溶け合うようになれたらしめたものさ。指揮猫さんが言ってたみたいに、皆と仲間になれたと思えるんじゃないかな」
 誰かと一緒に何かをすることがなかったミュウにとって、最初それは難しいことでした。まるで勝ち負けを競うように、そして自分だけが目立てばいいと言わんばかりに大きな声を出していたのです。
 これまでコンプレックスのかたまりだったので、自分を大きく見せようとする癖は簡単に抜けきれるものではありませんでした。でも、失恋を経験し、淋しさを知った彼は友達がほしいとも思うようになっていました。
 ピーに言われたように周りの猫たちのことも気にかけながら歌うことを心がけるうち、ミュウは声が溶け合って聴こえることの心地よさや、きれいにハモれた時の喜びを感じられるようになりました。そしていつの間にか、皆に囲まれて歌うことの幸せをかみしめていたのです。高い音が上手に出なくて苦労していることを除いては。
 ある日、ミュウは風邪をひいて声がうまく出なくなってしまいました。これまで一匹猫だったのに聖歌隊の仲間になれた上、皆と歌えることが楽しみになるほど成長したミュウでしたが、さすがに意気消沈していました。
 見かねたピーが言いました。「イヴも近いというのに、またピンチだね。でも、今が高い音も出せるようになるチャンスだよ」「ぞれっでどういうごど?ごんなにガラガラ声なのに」「昔は僕も電線の上で仲間とけっこう歌っていたんだ。その時に同じようなことがあってね。先輩すずめが教えてくれたんだよ。喉がおかしくて声がうまく出ない時だからこそ身体の使い方が分かるんだよって。なるべく喉が痛くないように発声するにはどうしたらいいかっていうことを身体が探すんだ。健康なときは何も考えなくても声は出るし、力任せに出してしまっても平気だけど、喉が痛いと楽に歌える方法を身体が考えようとするし、自分をいたわりながら歌うから意識が自分に向かうだろ。だからこれまで気づかなかったことにも気づけるようになるのさ」「ぞうなの?ビーっでホンドに物じりだね。無理しないようにして歌ってみるよ」「ついでに言っとくと、気持ちもおんなじさ。弱ってるときや悩んだり困ってるときこそ、自分のことに気づけるチャンスだよ。どうしたら悩みを解決できるのかって考えることで、自分のいい所も悪い所も見えてきて、それはそれで辛いこともあるけれど、自分との付き合い方もうまくなるだろ?」「ぞっがぁ。ぞう言えば、ぼぐもいじめられだ時はどもだぢなんでいらないっで思っだげど、聖歌だいに入っでがらはどうじだら仲間に入れでもらえるが考えで、小ざな声でうだえばいいんだっで気づいだもんね」「ん~ちょっと違う気もするけど、まぁいいかぁ。それより聖歌隊の合唱、楽しみにしてるからね」
 こうしてすずめのピーはイヴの夜、教会の前で仲間と気持ちを合わせて楽しそうに歌うミュウの姿を心から嬉しく感じたのでした。(カウンセラー 竹内厚子)
 (ポートヘボン「お知らせ」(12月)より転載)。

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