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2016年度エッセイ

白金通信「カウンセリング」およびポートヘボンお知らせより

「大学生活の過ごし方がわかりません」

  Q入学したばかりですが、どうしていいかわからないことが多いです。もともとやりたいことがあったというより、周りにすすめられて入学したので大学で何をすればいいかわかりません。(架空相談)

  A.大学では中学や高校までとは違ったやり方を求められます。例えば授業の時間割にしても、自分で単位取得の仕組みを理解して履修を組み立てる必要があります。ほぼ自動的に一週間のスケジュールが決まっていた高校までとはだいぶ様子が違います。また、学科によって程度の差はありますが、担任の先生がおり、クラスがあって固定した同じメンバーでずっと過ごすということはありません。 
主体的なあり方  
いままでは「受け身」でいても何とかなったことが、これからは難しくなることがあるかもしれません。授業の課題や試験にしても、大学ではレポートや論述式の問題に取り組む機会が増えてきます。友達づくりでも、中学や高校ではクラスの中で月日が経つうちに自然となんとなく関係が出来てくることがありますが、大学では必ずしも同じようにはいきません。 学業にしても対人関係にしても、自分で考えたり、自分から行動したりする「主体性」が大学生活においてはいろいろなところで必要になります。これは大きな変化で、今回の相談者だけでなく多くの方が入学時に体験するとまどいです。とりわけ今まで両親や先生など周囲の人の考えにそって生活してきた方にとっては急に放り出されたように感じるかもしれません。そもそも自分で決めるとか判断するということが苦手な人もなかにはいるでしょう。大学にはいったからといって、急に主体的にはなれないのも当然です。  
試行錯誤
自分で考えて、自分から行動を起こすときに出てきやすい心配は、失敗したらどうしようという気持ちではないでしょうか。確かに失敗は誰もしたくないものです。しかしまったく失敗をしない人生というのも考えにくいです。大切なのは失敗のあとのリカバーにあるのではないでしょうか。何かを試みて間違えたと思ったら修正を加えるやり方、試行錯誤をするには大学時代はいい時期かもしれません。ただし無理や焦りは禁物です。不安な気持ちから、一挙に解決しようとして無理な動き方をしてもうまくいかないことがあります。今、目標ややりたいことが特にないのであれば、身近なところを見渡して、自分のペースに即してできることは何かを考えていけるといいでしょう。主体性も試行錯誤を通じて育っていくと思います。

(白金通信2016年4月号「カウンセリング」より転載)

「本との出会い」

  今学期もあと一ヶ月を残すところに来ましたが、皆さん、お元気ですか?
勉強の方はテストやレポートがあるし、サークルはシーズン真っ只中で忙しいし、アルバイトも休めない・・・、とにかくあわただしい毎日ですね。湿度も高く疲れが出やすい頃です。どうか、睡眠時間と栄養補給をし体調管理に気をつけていただきたいと思います。
 忙しい中、どなたも「普通の本」を読む時間など、取れないものでしょう。かくいう私も本を読む習慣が中々定着しません(笑)。ですがこの原稿を書くにあたり、読書をしてみました。。。すると、本は素晴らしい!と心が動いた出会いがありました。今日はそれをご紹介したいと思います。
 一冊目は、「臆病な僕でも勇者になれた七つの教え(旺季志ずか著)」という本です。
 物語は、主人公の小学6年生の少年二人と中学3年生の女の子が「失われた聖櫃(アーク)」を探す冒険ファンタジー小説です。冒険の過程で様々なことに出会って、泣いたり笑ったり、怖いことがあったり、悩むこともあったりしながら冒険を終えて、主人公が成長していくお話です。確かに、ファンタジー小説で小学生と中学生のお話です。でも本を読みながら、私は大人でもこういうことがあるし、「大学生活」という冒険をしている皆さんにも共感できる本のような気がしました。
 この本を読んで、一番私が思ったことはというと・・・どんなに毎日が辛かったり、嫌なことが沢山あったり、不安だったり、怖かったりという日々でも、休み休み、少しずつでよいから、自分の人生を造っていく、ということなのだろうということでした。その鍵というのが、自分にとっての「ワクワク」感を見つけること、ワクワクと感じた気持を信じること、ワクワクする感覚を持続させることなのだろうと思いました。考えるに、自分がワクワクすることは、誰でも持つことが許されます。願わくば、それが周りにも喜びをもたらすものだったり、賛同してくれる人や応援してくれる人がいたら、なおワクワク感を継続しやすい気もします。反対にワクワクを続けることは、けっこうエネルギーを消耗して疲れるものです。また、何かを我慢しなければならなかったりもします。この物語では、主人公の少年にもう一人の少年がいて一緒に冒険ができたことはとても幸運なことでした。誰か一人、ワクワクに共感してくれる人がいることは大きいなと感じました。
 そして、もう一冊は「あのひとは蜘蛛を潰せない(彩瀬まる著)」という本です。偶然の積み重ねでこの本と出会いましたが、出会えたことに感動しました。
 この本は、先の冒険小説から180度違って、有りえる日常を、作者ならではの感性で描いています。ある女性と男性の恋愛小説ですが、主人公の女性は、男性との恋愛を通して今まではじっくり考えてこられなかった「自分」について色々気づきます。その中で「自分の考えや思いを言葉に出せない」のは「傷付くことが怖いから」であることを意識します。小説は、主人公が仕事や恋愛や母との関係の中でその怖さに向き合い、時にすごく苦しい思いもし、試行錯誤しながら怖さから回復していく物語です。主人公が変わっていくにはそうした全ての出来事があったから、「伝えたい大事な話」がやっと言えた経験が生まれたと思います。彼女が諦めていた「怖いから言わない」という心のテーマにやっと本気になれたので変わることができたんだなと思います。
 本を読んだ私の感想ですが・・・自分の思いが怖くて言えない人、言えないことを悩んでいるけれど解決策が見つからない人、結構いらっしゃいます。何とかしたいと思っているけど上手くいかない。多くの人達に共通してあるのが「諦め」ではないかと思います。 私はこの本を読んで、「怖いから言わない」自分が、どうしたら「怖くても言える」ように変われるか、を考えました。あれこれ考えましたが、結局思ったことは、自分のことをダメだと思わないようにする、と決めることだと思いました。人は、本音では自分で自分をダメと思いたくない。でも色々な諸事情でダメと思ってしまう、それは本当によくあることです。この本の主人公はメゲたり落ち込んだりしても、諦めずにダメと思わない自分を作りました。
 皆さんにお勧めしたいのは、大学生のうちに、どうしたら「怖いと思う気持ちが緩和するか」を考え、悩んで欲しいということです。もしよかったら、学生相談に来てそういう話しをして欲しいと思います。怖いという気持を意識したり、人に話すのは辛いし、「怖い」ことです。でも大学生のうちに、どうにか怖さを緩和できる方法を見つけて欲しいと思います。もし、今の自分は100%に近くダメなところばかりだと思うのなら、どうにかして、1%は「よし」と思えるところを見つけ出して欲しいと思います。 
 1%が無理ならば0・5%でもよいのです。 学生相談でも考えることができますので、よかったら一度話しにいらして下さい。

(ポートヘボン「お知らせ」(6月)より転載)

「落ち込める」という心の能力について」

 今回は「落ち込む」ことについて少し考えてみたいと思います。一般に落ち込むことはよくないことと考えられています。しかし精神分析では「落ち込む」あるいは「落ち込める」ということは、ある心の成長が達成されていないと難しいと考えられています。ですから「落ち込む」ということよりも「落ち込めない」ことの方が問題ということになります。    これは赤ん坊は落ち込まない、落ち込めないということを考えてみるとわかると思います。赤ん坊は、空腹、寒さ、暑さ、濡れたオムツの気持ち悪さなどを体験しているとき、泣きわめくといった行動で表現します。精神分析では、このような辛く、不快な体験をしている赤ん坊は、外側にいる何か悪い存在、怖ろしい存在から攻撃を受けており、そしてそれに対して泣きわめくことで自分もまた攻撃し返している、といった幻想を抱いていると考えられています。つまりそういうときの赤ん坊はとても被害的、迫害的、攻撃的な状態にあって、これは自分の心の中で「つらい」とか「嫌だ」とか感じて、「落ち込む」つまり抑うつ的になるというのとはずいぶん違っています。幼い2~3歳の子どもに対するプレイ(遊び)を用いた精神分析による治療の中から、このような赤ん坊や幼い子どもの心の世界が理解されてきました。  このようにつらいとき、不快なときに、外側の世界にその原因を転嫁して被害的、迫害的になったり、さらにはその外側の悪い、怖ろしい存在を万能的に攻撃、排除して勝利したと考えるのではなくて、自分自身の心の中に傷つき、悲しみ、怒りなどを納め、自分自身の心の中でそのことについて考え、振り返り、そしてやがては癒されていく、ということができるところまで心の機能が成長し、達していないと実は人は「落ち込む」といことはできないわけです。大人になっても赤ん坊的な心性が強い人は「落ちこむ」ということができず、その代わりに他責的で、被害的で、なおかつ万能的でという安定しない特性が強くなります。あるいは「落ち込む」ということが否認され、回避されて、ハイテンションで過活動な状態と、消耗、疲労、やる気が出ない、空虚、絶望といった状態を行き来するいわゆる躁うつの気分の波の問題が生じる場合もあります。  したがってカウンセリングでは、外側に排出されたり、否認・回避されたりしている辛さ、落ち込みを今一度自分の心の中に置いてみて味わったり、考えたり、消化していくための作業を行なうことがテーマとなる場合が多いのです。

(ポートヘボン「お知らせ」(7月)より転載)

「理想化された自己の罠」

Q.スケジュール帳を予定で埋め、いろいろな活動に活発に取り組む自分が好きなのですが、やり過ぎて疲れてしまい、気持ちも落ち込んでしまうときがあります。気分の波をなくしたいです。(架空相談)                

A.ゼミ、サークル、ボランティア、留学、資格、アルバイトなど、大学生活にはチャレンジできるさまざまな活動、課題があります。それらに意欲的、積極的に取り組むことは充実感につながり、周りからも肯定的に評価されやすいと思います。
理想化されやすい活動的な自分

 「いつでもバリバリと活動や課題に取り組んでいる自分」というのは理想化されやすいところがあります。またそのような理想化された自己イメージを中心に形作られる人生もまた理想的なものとして思い描かれがちです。

 ここで振り返ってみていただきたいのは、理想化された活動的な自分や人生のイメージに過度にこだわり、それを維持するために、活動や課題へのしがみつきが生じていないかといことです。あなたが好きなのは、そしてこだわっているのは理想化された自己イメージや人生なのか、それとも活動や課題それ自体なのか、吟味してみてください。

 前者の場合、もし活動や課題がうまくいかないと、活動的な自分という理想化されたイメージが損なわれて、気分の落ち込みや意欲の低下が生じるでしょう。

またそれゆえに何とか理想化された自己イメージを保とうとして活動や課題への取り組みが過剰で嗜癖的なものとなり、消耗するという悪循環が生じがちです。

このようなことが気分や意欲の波の原因となっている可能性が考えられます。

 プライベートな時間の大切さ

 理想化された自己や人生へのこだわりを放棄し、そこから分離していくことはなかなか難しいと思いますが、試していただきたいのは、スケジュール帳を埋めることを少し控えて休日を確保し、一人で過ごしてみるという対処です。シンプルですが、うまく休みが取れれば、消耗や不調を防ぐことができます。ただ実際に休んでみると、一人でくつろぐということができず、落ち着かなかったり、孤独感や空虚感が生じるということがあるかもしれません。休むことに困難を感じるときは、休みの日のくつろいだプライベートな時間の過ごし方を工夫してみることをお勧めします。プライベートな時間のよさや必要性を実感できてくると、活動的であることへのこだわりも減り、活動と休息のバランスが取れて、気分の波も穏やかになってくると思います。
(白金通信2016年7月号「カウンセリング」より転載)

「絵本を通した自分探し」

 1ヶ月半の夏休みが終わり後期が始まりましたね。皆さんの中には夏の合宿や夏バイトに加えて、夏期講座や集中講義もあり、中々休めなかった人も多かったのではないかとも思いますが、如何でしたでしょうか。

 さて、最近は自己分析、自己啓発、自己理解と自分を理解するように意識づける傾向が様々な場面で強くなってきたなと感じています。しかし、それも時間があればできること、忙しい自分たちにはできないと思ってはいないでしょうか。そんな皆さんにオススメの方法を一つお伝えします。それは「絵本」を通した自分探しです。

 「絵本」を小さい頃に読みふけった方も多いのではないかと思います。そんな思い出の中にある絵本のうち最も印象に残っている絵本を一つ思い出してみてください。そして、その思い出した絵本が、どのような理由で印象深いのかを考えてみてください。印象深い理由を今の自分たちに当てはめると・・・自分を作っている大事な部分の一つが見えてくることがあります。

一つの絵本を紹介します。

 「はじめてのおつかい」(筒井頼子作・林明子絵、1977、福音館書店)

  この絵本は、女の子のみいちゃんがお母さんにお使いを頼まれて、はじめて一人でおつかいに行くというお話です。近年では某TV番組のタイトルでも有名ですね。

この絵本を読んだ時に、皆さんはどんなシーンに印象深い思いを抱くでしょうか。まだ字が読めない幼児は駆け足で坂をあがるみいちゃん、お金を落としてしまい一生懸命探すみいちゃんの必死の表情に思いを重ねるかもしれません。実際にお使いにいった経験がある子どもは、お店で大きな声を出すどきどきのシーンに思いを重ねるかもしれないですね。子どもを育てている世代の人は、みいちゃんの一連の行動をわが子を見るかのように読むかもしれません。皆さんはどうでしょうか。

人が何に思いをはせるかは、その人のその時の状況によって大きく変わってきます。どんな絵本が大事だったのかで自分の歴史を知り、その絵本を読み直し、どこに印象深い思いを抱いたかで、ご自分の今の状況を知ることができるかと思います。

 こうした自分探しの結果、人に話すことで自分について整理、理解がより進みそうだと思えば、ぜひ学生相談センターにいらしてください。その際には、よろしければ絵本のタイトルもお伝えください。一緒に考えていきましょう。
(ポートヘボン「お知らせ」(9月)より転載)

「ト・リ・セ・ツ―― 問題解決能力の育て方?――」

Q:バイト先の友達は行動力があり接客のトラブルなどを上手に解決しているのに、自分にはそんな解決能力もなく、何もかもうまくいきません。こんなことでは社会に出られるか不安です。

 

A:問題解決能力というと一部の優秀な人の特別な才能や資質とか、就活中であれば特に仕事(上)の問題やトラブルの処理をイメージしてはいませんか。確かに社会的場面で起こる問題の解決は成果や結果が分かりやすいし、行動力は素晴らしい力に見えるでしょう。けれど(あなた)に備わっている特性も充分生きる力になるはずです。今は自信を持てず無力に感じているだけかもしれません。成長途上にある心理的課題に取り組む力を育てると外的問題の解決にも役に立つと思います。

短所を長所に変え長所を力にする

性格や考え方の特徴、対人関係の持ち方、物事への対処の仕方など、(どんな自己理解をもっていますか。)くよくよしやすい、自己主張できないなどを気にしているなら、それは特性をマイナス面からしか見てはいませんか。資質も長所として活かせなければ意味がありません。心配性の人は何事にも慎重で先を予測しリスクを回避する力に長け、自己主張の苦手な人は回りに気を遣う協調性があり、それは人間関係の緩衝材に使えるかもしれません。

心の地図を描きトリセツを作る

自分のありようを知るということは、心と体の相関や自分の言動の影響など内的世界と外の世界との間で起こる事象の因果関係を正しく把握することでもあり、自分はこう使えばこうなるという取り扱い説明書を持つようなものです。それが適切なほど事の成り行きを想像しやすく余裕を持って問題に当たれるでしょう。ただこれからは学生時代のやり方では通用しない可能性もあり、トリセツを大人仕様に書き変える必要があります。せっかくの責任感の強さが厳しい職場で自責感ばかりになるなら、責任も分担して背負えばいいと思うことで重荷が減らせるし、正直さが魅力でもそれが裏目に出るなら建前も学んだ方がいいでしょう。

困ることで問題意識が生まれ自分と向き合い始めた段階だと思います。別の視点や新しい発想、気づきが生まれると、物事は展開し折り合いのつけ方や落とし所を見つけやすくなります。トリセツ作りは俯瞰で見つつ道なき道に分け入り地図を描く作業にも似て容易ではありませんが、いずれ自分らしい解決策があることに気づけるはずです。そのプロセスをどう生き抜くか。不安を抱えつつも考えるという行為が自分との付き合い方や世界との関わり方を育ててくれると思います。
(白金通信2016年10月号「カウンセリング」より転載)

「失敗力を育む―脱完全癖の薦め」

Q私は完全癖があり何かにつけて不安が強く、取り越し苦労をしがちです。それによって本来の力さえも発揮できない時があり、苦労しています。学生のうちに何とかしたいです。(架空相談)

Aこの方はゼミやバイトなどの活動において与えられた仕事には失敗をしてはならないし、周囲から常に完全な自分を求められていると感じて、中途半端な仕事をすることを恐れて最初の一歩が踏み出せないことが多いとおっしゃいます。私たちも頭では案外世の中そうではないとわかっていても失敗を恐れると手が出せないことがありますね。理想が高いことは良いのですが、時に完全癖のある人はそれで自分の首を絞めていく傾向があります。課題に取り組む前には不安は当然必要以上に高まります。成果が不充分であることに囚われると、自分の能力を過小評価して気分が落ち込みやすくなります。そこで過去の同様の自分の失敗を想起しだすとさらに落ち込んでしまいます。また時には無意識のうちに高い理想を周囲の他者にも求めてしまうと周囲の人をも縛りつけてしまうことになりかねません。

不完全さ、いびつさの魅力「欠けている所に心のかたちが表れる」とは、作家であり装丁家でもある司修の言葉です。不完全さ、いびつさの中にそのもの本来の味わいがあるということなのでしょう。ミロのビーナスやサモトラケのニケなどは、彫像の重要な一部が欠けているために、かえってその美しさが際立っているのでしょう。また縄文土器の持ついびつさには何ともいえない魅力と温もりが感じられます。たとえ欠けていても、いびつに歪んでいても、全体としての魅力は減じません。そんな風に角度を変えて眺めると自分の行動はどのように見えてくるでしょうか。

五輪にみる「軽やかなる挽回」 認知行動療法の中には、憂鬱になりやすい考え方として、「べき思考、ねばならない思考」があります。あっていけないわけではありませんが、度を越すと自己否定に陥り身動きが取れなくなります。去る8月末、リオの組織委員に東京の委員が五輪開催上の教訓を求めたところ、「誰にでも間違いはあるしミスは必ず起こる。完璧を求めず軽やかなる挽回を」と返ってきました。緑のプールや間違った国歌、国旗が思い出されます。ラテンの思考を日本社会にそのまま転用はできないことと同様、ネガティブ思考からポジティブ思考に180度舵を切るのではなく、失敗しつつ修正する自分を許す、ただ現実的な思考(今目の前にある事実への対処)にシフトしてみてはいかがでしょうか。
(白金通信2016年12月号「カウンセリング」より転載)

就活になかなか取り組めないという人へ

経団連加盟企業の説明会やエントリーが解禁となる3月を目前にして、学生の皆さんはインターンシップ、自己分析、業界・企業分析などに慌ただしい毎日を送っていることと思います・・・と言われると、「活動らしい活動をできていない自分はどうしたらよいのか」と不安になる皆さんも多いのではないかと思います。

就活になかなか取り組めないという皆さんの訴えとしてもっとも多いのは、就きたいと思う具体的な業界、企業のイメージが浮かばないというものです。と言いつつ、実は一方で人気業界、有名企業に入りたいという漠然と理想化されたイメージにこだわっているということがあるように思います。ところがそこで今度は、大学生活を振り返ってみて自分には「これこれに力を注いできました」とアピールできることが何もないし…と自信のなさ、劣等感が頭をもたげてきたりするわけです。あるいは自分のやりたいことを仕事にできている人という人はほんの一握りで、仕事というのは基本的に忍耐を強いられる、たいへんつらいものだという就職そのものに対する否定感、逃避願望があったりもします。

本来ならば就職という現実と向き合いたいのに、自分の中にある理想と否定感に間に挟まれて動けなくなってしまっているという構図がそこにはあります。ここを抜け出すにはどうすればよいのか、というのが今回のメッセージのテーマです。

解決策の一つは、就活との出会いを邪魔している理想と否定感についてあれこれと考えることはひとまず棚上げにして、就活という「形(カタ)」に自分をはめ込んでみるというやり方です。気持ちについて触れたり、考えることを生業とするカウンセラーがそんなことを言ってよいのか、それでうまくいくのか、無責任ではないか、という声が聞こえてきそうです。しかし「形」というものが実はとても大事です。歌舞伎役者の家に生まれた者にとって役者の「形」を身に着けていくことが運命であるように、ほとんどの大学生も就活という「形」にはめ込まれてみることを運命づけられているといえます。

いやいや自分は形にはめられたくない、組織の歯車の一つとして生きていくのは嫌だ、理想を追い求めたい、といろいろな想いがあるかとは思います。しかし「形」のないところでいくら考えても、それは掴みどころがなく、「形無し」となってしまいます。「形破り」はイノベーションにつながり、肯定的な意味をもちますが、「形無し」はいけません。まずは「形」の中に身を置いてみないと気持ちも、考えも形を帯びてこないのです。

ゆえに就活サイトに登録する、大学の就職ガイダンスに出る、合同説明会に参加する、インターンシップに申し込む、などできるだけ具体的な就活の「形」に取り組んでみることをお勧めします。「自分はどんな企業に就職したらよいのだろうか」、「自分がアピールできることは何なのか」といった不安はなかなか拭えないと思いますが、こうしたことは「形」の中で動き、「形」と対話することで徐々に結晶化してくる場合が多いのです。

とはいうものの、「形」に取り組むまでの心の準備が必要、「形」に取り組んでみたらさまざまな課題、問題が見えてきたということであれば、学生相談センターのカウンセリングにいらしてください。
(ポートヘボン「お知らせ」(1月)より転載)

「消化、ということ」

牛には胃袋が4つあるのをご存知でしょうか。1つ目から3つ目の胃袋は食道が変化したもので、4つ目の胃袋で、はじめて胃液が分泌されるのだそうです。牛はいったん胃袋に入れた食べ物を「反芻」して、少しずつ順番に次の胃袋へと送り、こなれにくいものをなんとか消化ながら、大きな体を維持しているのですね。

 一方、犬の胃袋は1つです。これは友人から聞いた話ですが、犬は一度に消化しきれないようなものを食べてしまった時は、人目(犬目?)につかないところでこっそりと吐きだし、それをまた食べるということを何度か繰り返しながら、ついには全てを消化していくのだそうです。

 このように、生きているものは植物でもミジンコでも、外界から何らかのものを体内に取り入れて、それを自分のものにするための「変換」を、実に多様な独自の方法でおこなっているのですね。

 私たち人間は、日々「食べ物」だけでなく、さまざまな「こころの体験」をしています。勉強もその一つですね。一度聞いただけで覚えてしまうものもあれば、何度辞書を引いても必ず忘れてしまう外国語などもあるでしょう。

 このように考えてみると、これは「悩み」についても言えるかもしれません。何か問題が起きている最中は、とにかくそれだけで気持がもういっぱいいっぱいになる。これはその出来事を体験したばかりなので、まだまだ「消化」できていないから仕方のないことかもしれません。けれども時には、もうとっくの昔の出来事なのに、なぜかふとしたきっかけでよみがえってきて今も苦しい気持になる、という経験をする方も少なくないのではないでしょうか。

 時間が経過することと、こころの中のわだかまりが解けていくことは、連動することもあれば、そうでないこともあると思われます。「時が解決する」ということは、時間の経過とともに自分自身がその出来事を消化できる力や強さを、日々の生活の中で自然に身につけることができる、ということなのかもしれません。しかし、あらゆる出来事はそれぞれに固有の個人的な体験でもありますから、それがうまくいかないことも当然あるでしょう。たとえば戦後70年以上を経てもなお、当時の苦悩を語り得ない多くの方々がおられるように、です。

 こころの中で「消化」しにくい出来事は、繰り返し私たちを内側から刺激してきます。まるでその出来事自体が、きちんと「消化」されていくために、私たちに「反芻」を求めているかのようです。これはやはり本人にとっては、とてもしんどいことですね。けれども、あまりに巨大だったり固すぎたりするようなものは、そもそも口から入ってくることもあり得ないので、かえってそれほど問題にはならないかもしれない。しかし、私たちに「反芻」を求めてくるようなものは、おそらくは、それがその人には必要な栄養素であるからこそ「消化」される必要がある、とも考えられるのではないでしょうか。私たちも牛や犬と同じように、なんとかしてそれを自分の中に取り込み、生きるための力へと変換していかなければならないのではないか、とも考えられます。

 そう考えてみると、繰り返し何度も思い出されてしまう悩みも、そうやって時間をかけて反芻していくうちに少しずつ形を変え、化学変化をおこして、私たちのこころの土台を形作る大切な一部分になっていくかもしれません。学生相談センターは、そのような歩みにもお付きあいしたいと考えています。
(ポートヘボン「お知らせ」(2月)より転載)

「ストレスは無くせる?」

Q私はストレスを感じやすいです。社会で生きていくためにはもっと強くならないといけないと思っています。ストレスを感じなくするにはどうしたらいいでしょうか。(架空相談)

A社会生活はストレスにあふれています。しかし同じ出来事が、ある人には強いストレスになっても、別の人にはそうでもなかったりします。人間は何が自分にとってストレスかをこころのなかで決めているという学説があります。ラザルスという心理学者は、人は環境から刺激を受けたときにそれが負担(ストレスフル)なのかを判定していると考え、そのプロセスを認知的評価と呼びました。

何がストレスになるか

  ある出来事がストレスになるかどうかは、その人の価値観や考え方に影響されます。例えば「アルバイトでミスをした」ことを、「アルバイトだから責任を感じる必要はない」と考える人はストレスフルではないと評価するでしょうし、「絶対に間違えてはいけない」と考える人はストレスフルと評価するでしょう。また、「失敗を次の仕事につなげよう」という前向きな考えも、失敗に向き合うという負荷を自分にかけるという意味ではストレスフルと評価しています。つまり、自分とは無関係と思えることはストレスフルにならず、自分の価値観や信念に影響がある、と判断したときにストレスフルと評価されるのです。自分に関係がないと思えば、それで終了ですが、ストレスフルな事態では、状況を処理し、切り抜けるための対処をしなければなりません。

「問題焦点型」と「情動焦点型」

  対処法には2つの型があります。「問題焦点型」はストレスフルな状況の根本的解決に向けて、情報収集や、計画をたてる等、具体的な努力をする方法です。例えばアルバイトのミスの場合、どのような状況で生じたのか検討する、改善策について助言を求める等の対処をすることです。「情動焦点型」は、気晴らしや、考えないようにすることで、不快感情をコントロールするやり方です。ミスをしても考えないでいるのは、この場合は解決にはなりません。しかし、社会には「問題焦点型」ではどうにもならない状況が数多くあることも事実ですから、実際はこの2つの方法をうまく組み合わせて乗り切ることが必要です。

ストレスを感じたくないとの相談でしたが、人間が社会的な存在である限りストレスをなくすことはできず、むしろ社会と自分が関わっている印と思ったほうがいいでしょう。ストレス対処の方法を知り、その幅を広げることは成長にもつながるのではないでしょうか。
(白金通信2017年3月号「カウンセリング」より転載)