学生による履修報告

 

はじめに 

キューバはカリブ海に浮かぶ社会主義国として知られている。1492年、コロンブスによって発見され、その後スペインに征服されてから、実に複雑で独特の歴史をたどってきた国だ。そして今なお、たどってきた歴史の爪跡を多くの部分でとどめている。日本の半分という狭い国土の中に実に独自の文化があり、さまざまな人種の人が暮らすラテンの国家である。

現在キューバは、自給する都市として注目されていると言う。今回は国際情勢に巻き込まれ発展と衰退を繰り返しながらも、キューバが完成させようとしている社会システム、とりわけ農業についてヒヤリングを実施してきた。キューバで見てきたことを中心に、文献から得たことも取り入れて、キューバの現状と未来について論じていきたいと思う。

歴史 

本題である都市農業について語る前に、まずはその歴史と経緯を紹介しておきたいと思う。キューバはスペイン占領下で、本国と植民地との貿易中継地としての役割を果たしてきた。18世紀になり大規模な砂糖プランテーション産業が始まった。60年代には世界一の砂糖生産地になった。その後スペインから独立すべくホセ・マルティが指揮する独立戦争が始まり、1902年キューバは独立した。

独立後、しだいにアメリカ資本もキューバに進出し始め、サトウキビのモノカルチャーはアメリカ主体で発展し続けていってしまった。これは国際市場での砂糖価格の変化に左右される、きわめて不安定なものなのだ。そのためたびたび不況にも悩まされた。さらにアメリカの干渉は、経済面から軍事面にも広がってきていた。そのためアメリカの経済支配から長い間抜け出せず、苦しい思いをしてきた。その中でフィデル・カストロが登場する。1956年、キューバに入ったカストロは、チェ・ゲバラらと共にゲリラ戦を開始した。そしてついに1959年、カストロはそれまでのバティスタ政権を倒し、自ら首相となり革命政権を樹立せたのである。

革命政権はアメリカとの確執を深めるにつれ、ソ連との国交を深めていく。1961年、社会主義宣言をし、共産党の一党政治になっていった。経済面もソ連に依存していった。いわゆる「砂糖輸出依存構造」に頼りきり、砂糖で石油や食料、工業製品を手に入れていた。しかし1991年のソ連崩壊、その翌年のアメリカによる経済封鎖でキューバの経済は一気に悪化していった。その経済危機の打撃を一番受けたのが「食糧」だったのである。この事態にカストロは国家非常事態宣言を出し、広範囲の配給制をひいて対応した。だが、これは少ない食料をうまく分配したに過ぎず、不足していることに変わりはなかった。食料がなく、他国からの輸入も不可能となると自給を考えるしかない。とりわけ食糧不足に悩む都市部でも、なるべく自給していくために、都市農園が推奨されていったのである。

都市農業 

ハバナ市内などでいくつもの農園を見てきた。どこも整備されていて、同じような光景であった。都市部の農園では、主に葉野菜を中心に栽培している。これは、都市の消費者に新鮮な野菜を提供しようということからである。作物はレタス、白菜、ねぎ、赤カブ、なす、キャッサバなどが多かった。それが長方形の農園にきれいにならべられ、みな青々とした葉をつけていた。

キューバの個人農園は、以前は許可されていなかった。経済危機に直面してから、政府は空き地などになっていた国有地を農園にするという条件で広く利用権を与えた。さらにはロシアからの近代農業機械の不足で、経営ができなくなった国営農場を解体し、それを小規模農園にしたりして個人の農園経営を推奨していった。これが都市部に最適だったのである。このため現在は多数の農園が存在している。普通のサラリーマンや公務員の家庭にも、「パルセロ」といわれる小さな庭先農園を持っているところが多い。それらは政府主体の動きで広がり続けているのである。ちなみに個人農園は自発的に始めるところが多かったという。そして有機農業というものは、この小規模農園から始められたのだ。

キューバの都市農業とは、どういうものなのであろうか。これは食糧危機の時はじめられたプロジェクトなのである。食糧確保などのため、国が28品目を田舎でなく都市で重点的に作っていこうとしたもののひとつであり、「都市農業=有機野菜栽培」ではない。ほかには豆や果樹もあり、養豚、養鶏なども含まれる。都市部に葉野菜が目立つのは、土が悪いからそれしかできないのが理由らしい。都市では有機肥料によって作物を育てているところが大半を占める。他国から、特にはアメリカに食いつぶされた資源を守るため、有機の方が栄養価が高い、というのが第一理由であるらしかった。しかし現地の人の話を聞くと、その方が化学肥料より手に入れやすく安上がりだという考えが多かった。化学肥料もキューバには、普通に存在している。自分で作れなかったり、大きめな農園で有機だと間に合わなかったりするところは化学肥料である。しかしそれは値段が比較的高いため、人気がないという。

有機肥料は、各農家や組合で作られている。どこの農場も、片隅に有機物になるものを溜めるスペースがあった。豚や牛、やぎ、あひるなど家畜を飼い、その糞尿を醗酵させ有機質を作り出している。これは7,8ヶ月で完成するという。ちなみに家畜は残飯の処理に使ったり、牛はミルクを出させたりいろいろ活用していた。ほかにはミミズを使い窒素を溜めて、有機物を作っている。さらには木のくずや作物の絞り粕を使っていたりもした。組合の農園には何種類も肥料があった。時間をかけて肥料は作られ、出来上がりはさらさらのきれいな土になっていた。小規模農園はこのように自分で必要な有機物を作ることでコストの削減を図り、作物をたくさんつくるために畑の回転を早めようとしているのである。このようなことで有機肥料を使った農業が、都市の小規模農園に最適であるのがわかる。少ない資金や支援だけで、土地さえあれば農業ができるのである。キューバの市民に、農業経営が広まっていった理由がよくわかる。

どの農園にも収穫をよくするための工夫があった。例えば、市内にあるオルガさん、チューチョさん夫妻の農園では、ビニールハウスを作り商品価値の高いものを栽培している。外の野菜にはバイオ農薬を用いたり、害虫にとっての天敵を入れ自然のままで排除したりしている。近くにあったアメリカさんの農園は、野菜の間にバナナやマンゴー、マメ科の木を配置し日影を作りだしたり、空中窒素を固定する役割に使っている。さらにマタンサスにある果樹農園では、農地の狭さをカバーし水と肥料の節約もかね、「パパイヤと豆」「グァバと豆とトマト」などの組み合わせで昆作を行っていた。ほとんどの小園は単作ではないのである。個人農園では、作っている作物は出荷するためと同時に自給のためでもあり、いかに収穫を増やせるかをちゃんと考えてやっているのだと思った。

キューバの都市農業を支えるシステムは、すでにきちんとできあがっていた。各農家はそのシステムに従い、自治体の政府担当者に指導を受け経営している。まず国には農政局があり、そこが全体を管理、監視をしている。農政局にも首都圏農業委員会やそれぞれ地区の担当者が存在し、農業の発展を図っているのである。国から県、自治体に細かく分かれ、そこで組織的に農業が行われている。キューバで農園を営む人々にとって、組織、組合というものはとても重要なものであるといえる。協同組合に入ることは農業をやる上で大切なのだ。加盟は基本的に自由であるが、加盟すると何らかの特権や支援を受けることができる。例えば、高価な大型農業機械を組合で購入し、組合員で共同使用したりできる。あと組合も土地を所有し、そこで野菜や苗を作り組合員に配ったり、雇用を生んだりして地域に貢献している。

各組織を説明すると、まずは「UBPC」という市の農業委員会に所属する、農業畜産の基本ユニットがある。これは比較的広範囲の地域にまたがる政府から独立した組織である。次に「CCS」という信用サービス協同組合がある。これは地域に密着した一番小さな組織のことである。ここではサービスや技術指導も行っている。さらに「CPA」という農牧業生産組合がある。都市でも郊外に行くと、畜産業を営むところがたくさんある。さらに組織に加盟していない、または特定の団体にしか所属していない自営農家が存在している。このような組織は、重なり合って存在している。さらに地域のニーズにより規模や形式が異なっている。

このような個人農園が誕生するまでにはキューバ政府、国民の努力の他に、他国からや各NGOからの支援が重要であった。例えば、組合の農園では他国の援助で農園整備、研修センターの建築を行った。個別にも、支援がある。農園に灌漑設備やスプリンクラー、ポンプ、ビニールハウスが多かった。さらには、大きな農業専門家を育てるための施設を作りたいとする。その場合は海外のNGOにプロジェクトを提案し、支援を求めたりして建設する。ハバナにあった都市農業開発推進センターというところも、このようにしてできあがったと聞いた。逆にNGO側から提案が来たりもしているという。技術援助をするための施設建設などである。例えば今回は全体的に、カナダやドイツのアグロアクションから支援を受けているところが目についた。NGOは支援を行うと、そこのシールや看板を残していた。支援を受け入れるキューバの農園側としては、目的達成の一つの手段として考えているという。外国からの支援額は、キューバ政府が行う支援の5%にすぎず、足りない設備を補うためであるらしい。どこの農園も国やNGOから必ずと言っていいほど、なんらかの支援がされ経営が保たれていた。

作物の販売方法もキューバは独特のシステムをもっている。個人農園の作物販売は、大きく五つある。まずは「キオスク」と呼ばれる直売所である。これは各農家の農園の道路沿いなどに設置されているものである。それぞれ直径2メートルくらいの小さなもので、そこの野菜が採れたてで買える。さらには国道沿いでない、など条件の悪い農家の作物を買い取り、自分のキオスクで販売したりもする。ここは公定価格の2割以下で売らなければならないので、最も安く、そして多く売れる。新鮮な野菜を求め、みんな車で買いに来ている。遠くから来る人もいるという。価格に規定はあるが例外はあり、作物の多大な余剰がでた場合はいくらでも安くできる。この場合は5%の税金がかかるのである。郊外の個人農園が多数ある場所では、一定の感覚でこのキオスクがたくさんあった。

第二は「アグロメルカード」と言う公共の卸売り市場である。これは国有地に立つ市場で、広い市場内に販売スペースが並んでいる。場所の確保、作物の運搬は自分で行う。個人農家がここを利用する時は、代理人を立てることが多い。キューバでは仲介業は認められていないが、事実上の仲介人が存在しているのである。または自らキオスクで購入したものを売っている例もある。またここはペソで取引が行われ、一番高く売れる所だという。都市部にあるため、利用者が多い。作物が山積みにされ、販売の人も買う人もたくさんいてとても活気のあるところだった。農業をやっていない人や、自分では作っていない作物を手に入れるために、一番多く利用される市場なのである。

第三は「グランハ」という国営の組織に売ることである。「国営農業公社」であるらしい。このような所へ売る場合は、基本的に組合を通してになる。公共の施設である学校や軍施設、観光業へ売る。流通センターに出荷するのも、これに位置する。さらにここから市場や加工工場に渡る時もある。安く売らなければならない時もあるとのこと。

第四は組合を通さず、個人的にレストラン、政府機関などへと売る方法である。まずはレストランに売る場合は、税金が安くなくという。これはキューバ国民が、野菜を安く食べられるようにするためである。キューバでは野菜を食べるという習慣がもとからなかった。そのため政府は、国民に野菜を食べてもらおうと推進中なのである。政府機関に売る場合は、税金が13%と高い。しかし余剰を処分できるなど、プラスの面もある。

最後はツーリズム販売である。各農家が個人的に、ホテルや観光業関係のところへ売るものである。この場合は特殊な方法で取引が行われる。売り手と買い手の間に、組合や公社など代理組織が入るのである。例えば野菜が農家から組合を通じて、ホテルへ売られた場合、買い手はまず組合へ現金ではなく小切手で支払いをする。そして組合は農家へ、農業用品や技術を提供することで見返りを払うのである。カサと呼ばれるハウスを建設したりする例がある。これはツーリズム関係は、ドルにより取引しかできないためだという。ドル経済とペソ経済が同時に存在しているキューバならでわのことである。

ここで、政府施設には安く売らなければならない時もある、といったが学校などへ出荷する場合は、あえて安く提供するのだという。これは野菜を多くとってもらいたい、子供のころから野菜を食べてその習慣をつけて欲しいという願いからくるらしい。これは自分だけひたすら儲ければよいという、資本主義の考えがキューバに根付いていないためで、このようなボランティア精神を持っている人が多いのである。社会の役に立つなら、薄利でもよい、ということらしい。

農作物での売上による収入を見ると、個人農園では月に1000ペソほど、組合規模で行っている所は月に200万ペソほどになるらしい。個人の収入で見ても、農業家は普通のサラリーマンより断然に上まっているという。国の大臣の収入より多いということもある。そして農業を自分でやっていることで、食糧確保もできる。メリットはたくさんある。自発的に農園を始める人がたくさんいるのにも、こういう理由もあるのである。さらにキューバは社会主義社会であるが、農業などに限ってはたくさん儲けることを認められている。収入に格差が生じてしまうが、政府はたくさんの人に農業をやってほしいという考えから、これを認めているのである。

次は、農業発展にための政府の研究所についてである。まずは「農業土壌研究所」に行った。所長はアビリオ・カルデナスさんだった。ここができるまでの流れを紹介すると、スペインがキューバに来るまで、国土の実に92%が森林だったのだ。しかし無秩序な乱伐や、おもにサトウキビ栽培向けの農地開発などによって革命までに14%にまで激減したのである。しかも土地はかなり痛んだものになっていた。59年に革命が起きる。この時の革命軍幹部は、森の中のゲリラ戦を勝ち抜いた人物が多く、環境問題が全面的に前に出てきたのである。

政府は始めに環境問題専門家、技術者を育てることから取りかかった。そして1965年、学術科学省管轄のもと、このセンターが立ち上げられた。中国の支援が重要だったという。研究所の第一の目的は、「土壌分布図」を製作することだった。1971年に、初めの25万分の一のものが完成した。その後地域ごとの細かい分布図の製作も始まり、それに合わせ各地域にもセンターができていった。そして1984年にほぼ全国で完成した。

ちなみに地図は、現地に行って30センチほど掘り特色を見たり、地形、植生、色を頼りに作っていく。地図は土の破壊と荒廃の具合を見るのに使われたり、どこでなにを作るのがよいか考えるのに活用されている。農場生物学、野菜栄養学の基盤を作るのにも役立っている。さらにこの地図の作成で、国土1400万ヘクタールのうち420万haで土壌浸食、200万haで土壌固化、100万haで塩類集積がおこっているのが判明した。このため、今は環境を守るため保全グループを設立したりして活動を行っているのである。

二つ目は「熱帯農業基礎研究所」に行った。ここは今年で100周年を向かえるキューバで一番古い研究所であるという。ここでは穀物と野菜が専門である。この研究所の課題は、まず生産性を上げ、資源と農産物の開発のための品種改良である。次に土壌の質に適する作物を見つけることである。そして遺伝工学もやっている。農業に使える微生物や点滴の開発、バイオテクを生かした繁殖を行っているのだ。この研究所はメキシコ、フランス、ベネズエラなど世界各国とつながりがあり、毎月のように視察団が来たりこちらから出向いたりしているという。情報は公開し、国内だけでなく海外にも配信している。国内の農業家達とは、各地を回って技術指導をしたり、向こうからの研究企画を聞いたりして交流を図っている。農業というものを向上させていくためには、このような施設が不可欠だというのがよくわかった。

都市公園 

ハバナ市には「森林保全プログラム」というものがある。市には緑が少なく、植林もしていないという理由から、政府の指導のもと始まった。目標は木が植わるところには植え、12136地域に1800万本植える、ということである。これには42の企業が参加し大々的に行われている。この一環としてあるのが都市に公園を作り、緑を残すという計画だ。見てきた公園は、全長約42キロあるアルメルダース川の最後の9、5キロを囲うようにしてある広大な公園だった。公園というか森のようなところもあった。これは川を囲うことで、さらなる汚染を防いでいるのだ。このような公園はあと4つあるという。さらに浄化設備を入れ、川をきれいにしている。河口の汚染除去が最大の目的なのだ。汚染がひどい工場は、閉鎖させてしまう例もあるらしい。ここはカナダやEUから援助を受けている。

医療制度 

今回はキューバのファミリードクター制度について、オシエル・ペドラーサさんの話しを聞いた。キューバの医療制度は、1985年にカストロによって始められる。簡単なものから整形、手術にいたるまですべて無料である。制度は3つのレベルに分かれている。ひとつはファミリードクター、そして病院と専門医療を行う医療研究施設である。ファミリードクターは、各地区の住み込み医院にいるドクターのことで、目標としては120世帯に一人の割合でいる。小児科、内科、産婦人科、疫病科の4つをこなす総合一般医である。基本的に担当地区を一生診る。そのため、地区の住人一人一人のことがよくわかり、なにかになってからの治療でなく予防医療に力をいれているとのことである。よくある病気は呼吸器系のものと性病だという。一つ目は気候とほこり、後は性的制限がないということが原因である。タバコの慢性で発ガン率も高いらしい。補足として、キューバで医者になるためには6年間大学へ通わなければならない。入学試験は生物と数学と歴史で、適正を見るための面接試験もある。医者の資格を取ったら、スクラピオという医学の神に誓いをたてるという。日本にはないことがいっぱいある医療システムである。

大学制度 

キューバの教育施設の様子を見に、ハバナ工業大学の方々に話しを聞いた。キューバの学校は小学校から大学まで、すべてが無料である。義務教育は9年間で、その後それぞれの進路を決めることになる。大学に入る場合は、学科によってちがう3科目の全国統一試験をパスしなければならない。希望する学科に競争が生じた時は、試験と高校の成績で決められるという。大学に進学するためには、基本的には高校を出なければならない。高卒で25歳以下なら問題はない。しかし例外もあり、働いていても別のカテゴリーで受験できる。軍隊にいたとしても、受験資格が得られる。キューバの大学進学率は20%である。大学の授業は単位制ではなくすべて必修で、テストはレポートが多いらしい。障害者への配慮など、いろいろ充実しているようであった。一年の内10ヶ月大学に通う。

ハバナ工業大学は、海外との交流も盛んで留学生も多数いる。日本の大学と違い卒業率がかなり低く、入学時の4割の人数しか卒業しない。そのため皆勉強に励み、授業は午前中で終わるがさらに4,5時間自習をするという。ここには大学院もある。卒業後の進路は、大学の成績で決まる。この場合は希望が叶わなくとも、全員に雇用が約束されている。大学を卒業しようとしている人は、確かに全員ものすごく優秀そうだった。

政治システム 

ハグエイグランデ市の市長であるアレキス・ゴンザレスさんに話しを伺い、キューバの政治についても少し学んできた。ハグエイグランデは約57490人が、4つの地区に分かれて暮らす街である。サービス業と農業がさかんで、全体の10%が農業に従事している。ひとりの平均の月収入は350ペソで、これは県でトップだという。

キューバの選挙権、被選挙権は共に16歳であり、市長や議員になる道は長い。まず各800人の投票者がいる73の地区から2人以上を推薦し、秘密選挙で一人を選ぶ。ここで選ばれた73人は全員が市の議員になり、この中から市長を選ぶ。73人全員が、選挙委員会(婦人連盟、青年共産党連盟、革命防衛委員会、大学生連盟、中高等連盟)と面接を行い選ばれるのだ。任期は2年で途中解雇もある。議会の解散権はない。市長は行政と政策立案、および実行が仕事である。政治を行う立場になっても、以前からの職を続け、給料もそのままの兼業になる。キューバには政治家という言葉はないのである。市長などは専任となるが、それ以外は変わらない。ちなみに市議会から5人が県議会にいき、その中から3人の国会議員がでる。これは市・県議会議員でなくてもよい。だからキューバには高校生の国会議員も存在する。ハバナ工業大で会った学生にも、議員がいた。まさにここでしかありえないシステムである。

キューバで政治をしている人は、全員が共産党員だというイメージがあったが決してそうではないらしい。共産党員は自己犠牲や社会のためなどに、と考える人道的にすばらしい人物しかなれないという。ここでも一つ誤解が解けてよかった。

おわりに 

キューバという国は、本当に刺激的な国だった。今回はただの旅行ではなく、このようにいろいろなことを学べてよかった。他のどこにもないキューバ独特の思想が存在していると思う。少しでもこの国を理解でき、さらなる興味をもてたことがなによりの収穫であった。厳しい調査の中でも、人と触れあいを持ったり、おいしい食事とお酒を満喫したり、ダンスを習ったりとても楽しめた。さらに空と海と星空のすばらしさに感激だった。貴重な体験と、ほかでは得られない感覚を味わえたことで、自分自身が成長できていたら、さらにうれしい。とにかく強烈な印象の2週間だった。参加できてよかったと思う。

参考図書 

「200万都市が有機野菜で自給できるわけ」 吉田太郎著 築地書館
「キューバ変貌」 伊高浩昭著 三省堂
「勝俣ゼミ校外学習の記録 CUBA×MEXICO」P120~