学生による履修報告 : 松澤貴徳
中国への先入観の破壊
フィールドスタディCへの参加目的であり、個人研究のテーマでもあったこの「中国への先入観の破壊」は十分すぎるほどの成果を収めることが出来た。これによりどれほどの成果が得られるかは不安であったが、北京空港を出た瞬間に、その不安は吹き飛んだ。立ち並ぶビル、次々と走り抜ける自動車、最新の携帯電話の宣伝のための巨大な看板。これらを見たとき中国は私が考えていたほど遅れていたわけではないと感ずることが出来た。道路に出たときはとてつもない自動車の数に驚かされた。人口の多い国であるためか、東京よりも多く感じられた。我々が行ったのは市街地ではなかったが、それでもすごい数の自動車であった。
到着してすぐに感じられたのは、自分の先入観が間違っていたということばかりでなく、あっていたということもあった。それはやはり自転車は多かったということである。走っている自転車の数を見れば分かることではあるが、そうではなく、歩道と自動車道の間に自転車道があることで自転車がとてつもなく多いことが想像できる。また、大きな道路以外の道には街灯が極端に少なく、建物も塗装のし直しや、改築もあまりしないらしく、ぼろぼろの建物が多かった。建物の点はマンションなどのビルも例外でなく雨によるしみ、錆、破損が目立った。こういった点からも、中国はまだ発展途上だということを想像できるのかもしれない。
首都鋼せん株式会社という鉄板工場を見学したが、ここは世界でもトップレベルの技術を持っており、アメリカを凌ぐほどの技術力であるらしい。工場はぼろぼろで本当にそんな技術を持っているのかと疑ってしまうほどであった。コンピューターでそれらぼろぼろの機械を制御しているらしいが、コンピューターだけ近代的で、機械、工場は20年、30年も前のもののように思えた。だが、それほどの技術がありながら、何故こうも経済が発展しないのだろうか、もしくは発展して現状に至っているのだろうか。そちらのほうが不思議である。
中国の潜在能力は恐ろしい。もし中国が発展国になりきったとしたらたちまち世界一の国となるかもしれない。私にそう感じさせたのは故宮、万里の長城である。どちらも明の時代に完成したものだが、あの時代にあれほど巨大な建造物を造ってしまった、その権力、経済力には驚くばかりである。1400年といえば日本は室町時代で金閣寺が有名だがこれも日明貿易、つまり明からの影響によって出来たといっても過言ではないだろう。今はまだ発展途上国だが、先進国になったとき、ものすごい力をもつことは間違いないだろう。何年先になるかはわからないが。
北京現代という韓国が北京と合同で作った自動車メーカーの工場を見学した。ここはほぼ日本の自動車工場と変わらなかった。最新の機械、技術を使い品質のいい自動車を生産していた。自動車に関しては、日本のトップメーカー、トヨタとほぼ変わらないほどの技術であるが、低価格で販売しているらしい。そのため、売り上げは比べ物にならないものだった。しかし、何故北京現代はそれほどの技術を持っているのか。それは、もともと日本の三菱と業務提携を結んでいるからである。また、アメリカでは2007年に販売台数500万台を突破した。自動車だけでいえば、完全に先進国である。
北京、西安、成都と移動してそれぞれ街を見てきたが、北京の人のくらべ所得が半分、三分の一などときくがそれほどの違いがあるようには思えなかった。多少自動車の普及に差があったが、著しく違うという点は見つからなかった。後からきいた話だが、所得格差のというのは最も裕福な人間と最も貧しい人間の格差らしく、平均で考えるとあまり差は無いようだ。だが、私たちが行ったのはそれぞれの市街地だけではない。成都から広漢へ三星堆見学に行く途中の農村部は全く違っていた。田畑ばかりなのはもちろんだが、家々は崩れ、半壊しているようなところに人が住んでいた。道路も狭く、舗装されておらず、終始がたんがたん揺れている状態であった。あの家並みはまさに私がフィールドスタディに参加する前に想像していた中国であった。そういう農村部との所得格差が半分、三分の一というのは十分にうなずける。我々が行った内陸部は成都までなのでもっと奥に行くと更に差があるのだろう。
自動車の視点から考察すると、やはり都市部では日本以上に自動車が多く、信号が無い場所をわたるのも難しいほどであった。都市部限定で考えると車種で更に高所得者かそうでないかも判断することができた。中国には世界トップ10までの自動車会社が進出しており、「自動車の博覧会」と形容されるほどにメーカーの種類は豊富で、私自身も見たことの無い自動車がとても多かった。様々なメーカーが進出しているとはいってもやはり日本車は普及しているようだ。日本車の中でも特に多かったのはトヨタ、ホンダ、マツダ、三菱、日産が多かった。車種にもよるが、日本車、フランスのシトロエンに乗っている人は中流階級の人である。つまり、日本車が多いということはそれだけ収入の安定した人が多いということである。中国で見かけた自動車の中で最も多かったのが、現代自動車、フォルクスワーゲンである。タクシーはほとんど現代自動車で、一般の人が乗っているのがフォルクスワーゲンであった。フォルクスワーゲンは本当に多く北京、西安、成都、上海どこに行っても一番普及していた。現代自動車とフォルクスワーゲンは比較的安価である程度の収入があれば、誰でも購入できるようだ。中国でも人気、値段とともに高いのが、BMW、メルセデスベンツで、この二社の自動車は二週間の間で数えるほどしか走っていなかった。仮に高所得者をこの二社(ポルシェなどをあわせたとしても)の自動車に乗っている人と限定すると、本当に一握りの人間が高所得者であることになる。日本ではBMW、メルセデスベンツに乗っている人はよく見るが、これと比較するとやはりまだ後進国であると考えねばならない。
自動車をよく見ているうち気づいたのだが、自動車のメ-カー表記が日本と違っていた。ホンダなら広州本田、現代なら、北京現代のように地名がついていた。その理由は、中国は外資系の自動車会社はその会社単独で工場を作り、営業することは許されておらず、必ず中国の工場と合同で事業を展開しなければならないためらしい。更に、一つの会社につき二つの工場までと決められているようだ。合同で事業を展開しなければならないのは外資が進出することによって生まれる経済効果を得ることで、一つの会社につき二つの工場までというのはその外資が大きく成長してしまうことを防ぐという狙いがあるらしい。しかし、これでは余計、格差に拍車がかかってしまうのではないだろうか。わたしが会社を経営する立場なら二つの工場限られれば当然、人口が大きく経済的に発展している場所を選ぶ。そうなるとすると、必然的に沿岸部が栄えると考えられる。このことに関しては、どう対策が打たれているかは分からなかった。
自動車を判断材料にして発展状況を調査することで、?の先入観の破壊で更によい成果を得ることができた。いまや私の頭の中で描かれる中国は自転車ばかりだった天安門広場から自動車ばかりの天安門広場へと変わった。一軒家ばかりだった北京の街がビルやマンションの多い街へと変わった。
地域格差の程度
我々が訪れた場所は中国の主要都市であったので完全な調査はできながったが、移動中に見た農村部との比較では想像以上の格差があったように思われる。私は計画書では自動車の普及などで調査すると書いたが、それすらも難しかった。自動車すら持っていない家も多く判断材料が無いというほどの格差であった。道路からは判断することが出来た。先にも書いたように、舗装されてなくぼこぼこの道であった。アスファルトはしかれていたが何十年前に敷かれたか分からないようなもので舗装とはいえないだろう。バスの乗り心地はがたがた揺れていたというよりもがたんがたん跳ねていたように思えた。あれほどの差は実際に行ってみてやっと知ることができるものだろう。
北京オリンピックの経済的影響
北京大学で受けた講義によってどのような影響があるのかを知ることが出来た。オリンピックが開催されることで、開催前の7年間と開催後の3年間にえいきょうを受けると予想されている。直接の影響としてはホテルなどの施設や道路の改善などである。間接的な影響は北京という都市のイメージを世界中へ知ってもらうことが出来る点や、多種多様な文化と触れることで生まれる、中国人自身への広い視覚の提供などである。また、オリンピックの恩恵を受けようと、多くの企業からの北京への投資、中国への投資を得ることになるようだ。
感想
このフィールドスタディで多くのすばらしい経験を得ることが出来た。一つは国外に出ることでの視野の拡張。二つ目は観光の視点からではなく勉強という視点からの異文化交流。三つ目はそれらによって自分がまだまだ小さな存在であり、やるべきことが至る所に沢山あるということを実感させられたこと。最後に、とてもいい友達ができたということ。様々なふれあいの中で自分は一人では生きていけないのだと改めて実感させられた。
まず、計画書の目的としていた政治体制、企業、文化についての講義内容についてまとめてみることにする。政治体制と企業の講義では、中国経済は90年代初期には脱落者なき改革、社会民主主義的であり、90年代中頃には、アメリカ型資本主義へと移行して言ったのである。中国の企業のICT産業は2001年から利潤率が低下し、赤字となったのである。なぜ、生産性が上昇したのかについては、中国の企業は、有利に変化し、組み合わせ型が増加し、成長していったからである。製品アーキテクチャーには二種類あって、自動車、モーターバイク、ゲームソフトウェアのすりあわせ型、パソコン、自転車などの組み合わせ型がある。2004年には、経済競争力は回復したがSONY、東芝、松下電器は比較的悪いのである。
企業問題については、経済規模は米国8兆ドル、日本4兆ドル、中国2兆ドルであり、日本よりも規模は小さいのである。GDPのうち消費についてみてみると、家庭消費は日本が65%、中国が55%で個人と企業の割合は、アメリカは80%が個人、20%が企業、中国は20%が個人、80%が企業である。つまり、中国は企業にかかる税金のほうが多いという事である。中国の人口は、12.9億人で就業者数は7.5億人で、都市に就業したのは、2.5億人、農村の就業者数は5億人である。
文化についての講義では、特徴をまとめてみると、北京の人口は、1714万人で常住人口は1204万人、流動人口は510万人で、さらに今後は、流動人口は200万人増えると予測されている。面積は16410平方キロメートル、平地面積6338平方キロメートル、山区面積10072平方キロメートル、城区面積87.1キロメートル、北緯39度、東経116度である。地域の特徴は、政治性の建物が減少しており、文化、商用性の建物が増加している。飲食については、三大名菜として、北京ダック、焼肉、羊肉が主流である。
次にオリンピックの状況についてまとめてみると、どのような総合影響があるかというと、環境、経済、社会文化の3つが影響している。経済面では、自足発展、グローバル化、公共の3つが関係しているのである。さらには、オリンピック開催に向けては、環境面、交通の面の対策が行われている。まず、環境面においては、政府は、環境にやさしい、人にやさしい、科学を駆使した、オリンピックをテーマとしている。公共緑地、緑化を管轄する事は、北京人にとって切実な望みとなっている。これと同時に大気汚染の対策も必要である。というのは、暖房供給の時期、かつては、石炭を燃料に使っていた、だが、天然ガスの使用が増えたために、その様な風景はなくなってきている。交通面では、安全に、便利に、正確に、そして快適にである。オリンピック期間に向けては、選手村から、スタジアムまでの交通の便宜を計るために、専用道路が設けられ、関係者、選手の往復バスが30分以内に到着できるように計画されており、一般道路とは分離されるので全く影響はない。
観光したところについて、印象に残った場所の得た知識と感想をまとめてみると、まず、鉄鉱石を作る工場では、古い鉄板が燃焼され、鉄水が加えられ、加熱して、冷やして、形を作っている手順だった。そして、世界各国に輸出されているのである。製造する技術は世界トップレベルでこれらが輸出され日本は車の製造が進んでいるのであると思ったのである。天安門は最初の城門は永楽帝によって、1417年に建設され、1457年に落雷し焼失したが、1466年に再建されたが、1644年に明王朝が滅亡し、焼失し、現在の門は1651年に清の順治帝により建設された。ここで思ったのは、入場の時には空港と同じ様にボディチェックを受けなければいけないと聞いたので、観光地にしてはとてもルールが厳しいと思ったのである。門の前の建物はわずか10ヶ月建設されたと聞いて驚いたのである。万里の長城では、ここは、世界文化遺産に認められた場所であり、人類の価値の重要な交流を示すなどの5つの基準が満たされたのである。総延長は6352kmに及ぶのである。その大きさから、月から見える唯一の建造物といわれた。実際に上ってみて、階段の高さが異なっており、大きく踏み出さなければ上れないので非常にスタミナが消費されたのである。降りるときにも、同じ様に体力が消費され、階段がかなり急だったのである。人民抗日戦争記念館は、1937年に虚構橋事件があった場所でもある。これを見て思ったのは、戦争で亡くなった人がガイコツの状態で川に流されてしまう事を聞いて残酷だと思ったのである。この時代は、必ず誰か死んでしまうという悲惨な時代だと思ったのだ。
西安
まず、現地経済の発展状況の講義内容をまとめてみることにする。十二省、西部地域は、120省の自治区から成り立っている。総面積は71.5%である。経済資源は、水82.5%、石炭36%、資源の種類は、120種類。国民所得GDPは33390億元(2005年)である。陝西省は、常住人口3720万人、GDP3674.75億元である。自然は豊富だが、社会と経済が他の地域より遅れているのである。2005年には、国有資本が主な株式を占めており、外国資本も45.8億ドル資源依頼、高いのである。中国は2000年1月に西部大開発を打ち立てた。目的は固定資産投資拡大のためである。特徴は、モンスーン住民と都市が増加し、東西地域の格差は拡大しているが、幅は縮小しているのである。今後の計画は、経済構造の中で外国資本が不足しているので、開放する経済にしていく事が目的である。そして、その成果として、エネルギーが開発されたのである。しかし、環境汚染、所得格差の2つの問題がある。
観光したところで印象に残った場所の得た知識と感想をまとめてみると、まず兵馬俑については、これは、本来は古代中国で死者を、埋葬するのに兵士及び馬をかたどったものである。これを見て思ったのは、皇帝がどれか区別するのが非常に難しかった。というのは、どれも形が似てるので、複雑で見つけにくかったのである。
楊貴妃のお墓では、温泉にお金を入れて拝むというのはとても不思議に思いました。日本だと神社で賽銭箱にお金を入れて拝むので文化は違うものだと思いました。
成都
まず、現地経済の発展状況についての講義内容をまとめてみると、四川省は中国で豚の生産が一番多く、価格が上昇している。豚の養殖は伝統産業の一つでもある。農業では、農村の7分の1は農業を重視しており、他の7分の6は都市化に伴い産業労働者となっている。生産面においては、国防産業が重視されており、政府の財政も支援されており、80年代までには、近代産業が発展してきたのである。90年代には、政府の支援がなくなり、多くの工場は、負担となっている。特徴は、資源輸出が悪い、旅行資源No1、歴史的遺産も多い、楽山大仏、パンダ保護区であり、山が多いなどがある。また電子関係ソフトが発展したのは、人材が多く、技術人材も多いため外国からの発注を受けている。成都は、中国の中で株式の取引は3番目の都市である。成都は消費が好きな街であるために、値段を高くしても、多くの消費ができる。多くの外資企業が値段を高くしても売れることがわかったのである。
観光してみて印象に残った事をまとめてみると、まず、楽山大仏については、この大仏は、水害を治めるために海通が寺院、凌雲寺に隣接する崖に石像を彫ったのが始まりである。さらに、大量の砂を川底に投入する事により、川底が浅くなり水害が減ったのである。最近、酸性雨による染みも目立っている。これを見て思ったのは、初めてみたときには本当に天然のように見えるくらい自然な造りに見えた。更にどういう意味で作られているのかもわかった。これがあれば、水害は起きそうな気はしないように思ったのである。
パンダを見て思ったのは、生後三ヶ月のパンダは小さいが、成長が早いと思った。更には、四本足で歩いている動物が二本足で立っているのを見て驚きました。木から下りるのは非常に大変そうだった、というのは、逆に降りるほうが急だからである。人間も山から降りるときには降りるほうが怖く感じるのと同じ事だと思うのだ。
三星堆は実際見てみて、3000年以上前のものだとは知りませんでした。仮面、青銅器が当時は機械もなかったのに、形が崩れずに良く掘れたと思うと、本当に驚いたのである。教科書で見たのとは違って素晴らしいとお思いました。来年、三星堆が世界文化遺産に登録されるので、基準は完璧に満たしているように見えるので問題ないと思いました。
上海
上海の街の考察では、日本の外資企業がかなり浸透している事がわかりました。Nikkon、EPSON、RICOHなど有名な会社が揃っていて、六本木のような大都会だと思いました。店員にも、日本人が結構多く、日本と似たような環境もあったので、日本から近いだけ、色々な外資企業も伝わりやすいのだと思ったのである。
全体の感想
まず、全体で思ったのは、コンセントを使用していて、ipod、デジカメは充電できたが、携帯は充電できなかった。というのは、できた二つは世界共通の会社でコンセントの中に変圧器が含まれているからだと自分は思ったのだ。携帯は、日本独自の会社で海外対応ではないためである。本当に二週間あっという間で、でもかなり自分が目的としていた事が調べられたので充実した2週間でした。最後に、中国で二十歳を迎えられたのは感無量です。