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学生による履修報告 : 小川希実

私が中国を訪れたのは、今回のフィールドスタディが初めてだった。出発前、ちょうど日本では中国の食品の安全性に対して波紋が広がっていた時期であり、食品に関する不安はもちろん、初めての土地でお互いよく知り合っていない友達と二週間も生活を共にする不安など、挙げればきりがない程の不安がたくさんあった。しかし帰国した今、今回本当にこのプログラムに参加して良かったと心から思っている。この中国での二週間は、私の中で大きな財産となった。

中国が発展途上国であるということは大半の人が知っていることで、当然私もそのことは知っていた。日本では当たり前のことが中国では通用しない。ある程度の覚悟はした上で北京に着いたが、建物や街並み、施設の設備などを見る限りではあまり日本と変わりはないと思った。しかし、日に日に日本との違いが分かってきた。私が感じた一番の違いは、国民の意識の低さである。

まず挙げられるのは、交通ルールの悪さ。信号なんて、あってないようなものである。歩行者優先なんてあったものじゃない。車も人も、自転車もバイクも、お互い譲らない。そのそれぞれの暗黙の了解の上で、一応信号というものが存在している。街の中を歩いていると、信号が赤だからきちんと待っているのは実際私たちぐらいだった。先生に、なぜ中国人は信号を守らないのかと尋ねると、中国に信号が普及したのはごく最近のことだから、まだまだ国民の意識の中に浸透していない、という回答を得た。詳しく聞くと、中国は元々農民中心の国なので信号を守るという意識が浸透するのはなかなか難しい。普通、農村に信号はないでしょう?とのこと。

次に挙げられるのは、公共マナーの悪さ。今回私たちは中国の様々な素晴らしい世界遺産を見学したり、文化鑑賞をしたりする機会がたくさんあったが、その度に中国人のマナーの悪さには本当に驚いた。世界文化遺産が置いてある博物館内で、フラッシュをたいて写真をとりまくる。ガラスケースに光が反射するので、眩しくてとてもゆっくり観られるような環境ではない。館内での喫煙も多かった。灰皿ではないところで火をもみ消して、普通にポイ捨て。ホテルのロビーで唾を吐く。中国人が食事をした後のテーブルの上なんか、本当に汚い。すべての中国人がこうであるとは言えないが、多くの人がこのようなことをしていた。

文化の違い、と言ってしまえばそれまでかもしれないがそれだけで片付けられることではないと思う。2008年北京オリンピック開催に向けて、北京市内では至るところで建設工事が行われ、様々な近代的な建物が建設されていた。北京大学での講義の中で、オリンピック開催が中国に与える影響について大きく二つのことがあった。一つは、たくさんの施設が残り、道路整備が進むということ。もう一つは、「中国は開放的である」といったイメージを世界に示し、世界各国との情報交換が一般市民のレベルで行われるようになるということ。私は後者に注目した。そしてオリンピック開催は、まだまだ発展途上である中国の国民一人一人の意識の向上にとても大きな影響を与えるのではないかと思った。中国の建物の施設や設備などは日本と大して変わりはない。しかし、ルールやマナーといった、意識レベルでの発展がまだまだ遅れているのが中国の現状である。最後の日に訪れた上海は中国の金融の中心で、世界各国の一流企業がたくさんオフィスを構えているそうだ。そんな上海ですら、人々の意識は低いままだ。中国では近年、目をみはるような速さで急速に近代化が進んでいるといわれている。私も日本にいるときはその情報をそのまま自分の中に取り入れていた。しかし、実際自分の目でみた中国では、確かに物質的な近代化は進んでいるものの、人々の意識が全くその近代化に伴っておらず、どんどん置き去りにされている。いくら近代的な建物を建設しそれを世界にアピールしても、国民一人一人の意識の向上がない限り、中国はいつまでも発展途上国であるだろう。北京大学の講義の中で、意識改革をするための時間は三世代分必要だ、ということを聞いた。今回の北京オリンピックが国民の意識改革のための良い刺激になればいいと思った。

次に経済格差について。今回事例研究でのレポート作成の際にも調べたが、中国は国内での経済格差が激しい。実際GDPの数値で見ても、都会と田舎での一人当たりの格差は何倍もある。北京から西安へ向かう際も、友達同士で「西安は北京よりだいぶ田舎だから、覚悟した方がいいよ。」などと話していた。しかし、実際西安に着いてみると北京の街並みと、そう大差ない。むしろ街並みに変化がなく交通量が少ないので、西安の方が住みやすそうだ。一人当たりの平均所得やGDPは何倍も差があるのに、どういうことだろうと思って色々と街を考察するとその答えがわかった。とにかく、物価が安いのである。タクシー一つみても、北京では初乗り10元で1キロ2元ずつあがっていくが、西安では1,5元ずつあがる。次に訪れた成都では、初乗りから5元と北京の半分で、その後も1,4元ずつしかあがらない。最後に訪れた上海は、初乗りから11元と、最も高かった。別荘を買うにしても、北京では普通10000元以上するが、西安では4000元から買うことができる。スーパーで売られている商品も、北京と西安を比べると値段が4倍くらい違うものもあった。国民の所得に差があっても、その分物価が安いので生活水準はさほど変わらない。これなら納得である。

しかし私は、このことが中国国内の格差を広げていると思った。西安や成都の街並みが北京や上海に比べてきれいなのは昔からその土地に住んでいる人が大半で、北京や上海などに多い、いわゆる流動人口が少ないからだそうだ。流動人口というのは大半が地方からの出稼ぎ労働者で一日一日仕事を探して生活する人や、定職に就き、実家に仕送りする人など様々だが、田舎に住んでいる人は都会で仕事をしたほうが稼げるので都会へ行く。その結果、田舎の人口は少なくなる。しかし中国の資源のほとんどは田舎、いわゆる西部にあるので資源だけが西部に残り、人は都会である東部に流れていく。そして「資源は西部、人は東部」といった状況が生まれるのである。

資源が西部にあるのだから、西部で仕事を増やせばよい。そう思ったが、出稼ぎとして東部へいく人がほとんどなのでなかなか難しいそうだ。そうしてどんどん西と東の格差が広がっていく。中国政府は西部大開発を行い、問題解決を目指しているが、このような問題の原因の一つとして、中国の戸籍制度の問題が挙げられる。農村に生まれた人は都市部での扱いが優遇されず、逆に都市部で生まれた人は農村部での扱いが優遇されない。つまり、自分が生まれた土地に生涯しばりつけられることになるのだ。戸籍制度が改革されて、国民がもっと自由に自分の意思で国内を移動することができるようになれば、格差は徐々に解消されていくだろう。しかし実際のところ、長く続いてきた戸籍制度に関する改革はとても難しいらしい。西と東の格差問題はまだまだ問題が山積みだと思った。

私は今回改めて、「百聞は一見に如かず」を実感した。様々な中国の文化や歴史を自分の五感をフル活用して、全身でたくさんのことを吸収できた。中国は本当に全てにおいてスケールが大きい。万里の長城を登ったり、故宮を訪れたり、兵馬俑を観たり。様々なところで当時の皇帝の力の偉大さを思い知った。実際に自分の目で確かめることの重要さを認識した今回のフィールドスタディで得たものは、本当にたくさんある。これからの生活の中で必ず私の糧となるだろう。