学生による履修報告 1

 

学生レポート 1 

明治学院の参加者が少ないことから明治大学と経営学科の郭ゼミ、明治大学院生のみなさんと合同でプログラムを組んで参加させていただいた7月31日から8月9日までの中国フィールドスタディーは充実した九日間だった。
レポートを書くにあたって中国の物価や工場見学などの経済、経営に関する記録を第一部、その他の中国文化を見て感じた記録を第二部にする。

第1部 中国経済、経営
 まず、私が到着したときの中国と日本の為替レートは1元=13円から15円だった。その中で北京スーパーやコンビニをのぞくと水が最安値で0.69元(人気だったのか昼にはあったが夜にはなくなっていた)、通常でも、1~2元であった。さらにスイカは一玉6,9元と日本のスーパーでは4分の1玉で400円前後するものなのだが中国では相当安い。カップ麺も安い。そして一番驚いたのがお酒である。1缶3元~4元で買える。今挙げたものは中国製のものである。北京のスーパーには海外製のものも多数並んでおり、中国製のものと比べると、およそ3~10倍前後になっていた。例えば中国の3元で買えるジュースの隣に海外の10元程するジュースが並べられていた場合もあった。日本のスーパーでそんなことは考えられないように思う。そして極端な値段の差からあからさまな格差を感じてしまう。ちなみに中国で日本にもある企業製品の値段をみると日本と比較して同じまたはそれ以上であった。また、地下鉄が北京では一律2元であることやタクシーが6元であり、日本と比べると驚くべき安さであった。交通網が発達しているのにも関わらず、この安さは人の流れを生み、経済的にも景気になっていく要因にも思われる。
北京と上海、この2つは中国でも主要都市とされているが、北京は、はっきりした格差を感じる町であり、上海は上流階級になろうとしている中国の勢いを感じる町であった。私は中国の内情を詳しくは知らないので、間違っているかもしれないが率直にそう感じた。だから2つの都市はまったく違っていた。
具体的に北京から特徴を挙げてみる。私が滞在していた北京朝?区北辰東路では大通りに隙間なく企業やホテルの高層ビルが並んでいた。さらには天安門広場もその周辺も人で賑わい、海外企業の店や割高の店も多くあった。しかし、地下通路に入ると貧しそうな佇まいの子供の連れ家族やお年寄りの人、はたまた子供一人でフリマのような形式で商売を行っていた。さらには後海では表は常に音楽ライブを行っている音楽バーで賑わっているが、裏は倒れている人の前に集金の箱が置いてある光景も目にした。
対照的に上海は上海万博に向けて、大幅に整備された部分が多きいと思われるがビルは都市全体360度見回しても広がっており、中心街のどこを歩いても、海外の企業や物価の高い店が立ち並び、どうみてもどこも上流階級しか生活していない雰囲気が漂っていた。これは中国の未来を感じさせる。しかし悪い言い方をすると、北京と比較してしまったので上海は格差を必死で隠そうとしているようにも見えた。
次は明治大学と合同で行った工場見学について訪問した工場順に書いていく。まず初めに訪問のしたのが松下電工である。1993年に設立された北京松下電工では、照明器具や配線器具、血圧計などのヘルシーライフ商品、コンセント等を生産しており日本人は、パナソニックから7名、三井物産から1名、計八名在している。日本人一人当たりの給料は中国人十人分の給料である。正社員は711人、派遣社員は542人と正社員のほうが多いが生産の主要部は単純作業の労働なので派遣社員で動かしている。中国人派遣社員中心で動いている。近年では、多品種少量生産が多く、少し本来の製品とは違うデザイン、機能に需要がある。品質維持のためにコストが減らない。生産方法は予め生産数を決めて生産する需要予測生産から切り替わり在庫がなくなったら生産する方法に切り替えた。ここからは人事に関して触れる。私が工場見学した際に一番目に付いたのが従業員の若さである。10代前半の人たちもいたように思える。従業員の平均年齢は26歳だがとにかく若かった。従業員の中には屋内と屋外の区別がつかず、屋内で唾を吐いたりすることもあるという。教育基準がバラバラであることに対して松下が行っていることは生産ラインの班長のレベルを上げていることだ。班長会を作り、勉強をしているのだと言う。従業員の割合を日本人から中国人に増やす移行があり、そのなかで半年に一回日本に中国人労働者を研修させるプログラムがある。ただし話を聞く限りでは、中国以外で活躍できると言うわけではないようである。
次に訪問したのが青島の日立ハイセンス工場であった。海に面したその工場が設立されたのは2003年とまだ新しく日本人従業員はいなかった。製品は工場用、高級住宅用の空調機が主である。専門職であるので派遣社員は存在せず、二十日間の研修の後に入社し、オブジェクションは先生と呼ばれる人に二ヶ月でやり方を教えてもらい半年で身につけ、それから正式契約し業務を行う形式である。給料はキャリアに関係なく、技術力によって決まるいわゆる成果主義である。
この工場見学では、新入社員の方と入社6年目の方にインタビューしたのでそのことについて書いてみる。まず新入社員の溜博さんは山東省出身であり、工業専門学校の短大を出る前に一発採用で日立ハイセンスに入社している。溜さんが採用された日(今回の場合は一日当たりの採用)の競争倍率は34名応募の中の14人採用と低倍率だった。入社前に行う研修では会社の文化、情報について学ぶのだと言う。会社に寮があり6人一部屋で住んでいる。実家暮らしの人は少ない。溜さんの学校ではインターンシップを利用してそのまま入社する制度もあり30パーセントの就職が決まっているが正規採用は少数だと言う。溜さんは消費者を豊かにし、自分に誇りが持てるようになりたいと言っていた。
次にインタビューしたのが入社6年目、班長の徐さんであり、青島出身の24歳であった。会社では勤労で休む時間が取れないが充実していると言っていた。企業文化という会社の中の環境によりまじめになり、コミュニケーション能力がついたと言っていた。企業文化とは具体的には教育、訓練、独立能力育成を行っていることだと言っていた。昔と今の新入社員の意識は違っていると言っていた。昔は未熟だから管理職に従い実行力があったのに対して、今はいわれたことをやらず会社に対して要求してくるそうだ。対処法として、面接をして事情があるか聞いて、あれば解決する方法を協力して探し、なければ定期的の面接を繰り返し、意識を改善していくのだと言う。
ここで感じたことはいくら発展している中国であれ、現場で働いている従業員の方々は日本と変わらない境遇と心境で頑張っていることだ。中国でも自分と身近な人と話すことは親近感が沸いた。余談だが日立の社員食堂には誕生日にしかそこに入って食べられない部屋があった。こういうところにも企業の努力が感じられる。
最後に訪れたのが上海の昭和電工だった。設立されたのが2000年であり、製品はBMC、VE、EMという成形材料を生産している。従業員数が180名、日本人従業員8名であった。従業員は上海の実家から通っている人しかいないという、いわゆる地域密着型企業であった。無論専門職なので採用は正規のみである。毎日フル稼働をしており、従業員は8時間労働の交代制であり、労働の時間帯は一週間のローテーションで行っている。ここで印象に残ったのは従業員の待遇がいいことだ。夏は高温手当がつき、夜は夜勤手当がつく。また3年契約を二度すれば三度目は終身雇用に移る。しかし、厳格なところもあり、一ヶ月3回遅刻すると半月分の給料が減る。有毒なものを扱うという過酷な労働だから待遇がいいのかもしれないが、健康を害する人はいないといっていた。人事に関して定期雇用は行っておらず人手不足の場合まず各部署から人を要請する。定期雇用は行っていないので新規採用を行っておらず中途採用のみである。雇用形式は直接雇用であり、採用は適正能力と真実性があるかで判断している。日本の企業であり、言葉と文化の壁があるからその架け橋となる日本語を話すのがうまい中国人を採用することで成功している部分もあるといって言った。
今あげた三社の工場を見学したのだが三社とも日本人のいる割合と従業員の雇用の組み合わせが違っているから企業の雰囲気も違っていた。三社のタイプをまとめてみる。

  上層部 労働形態
松下電工 日本人 派遣中心
日立ハイセンス 中国人 正規社員
昭和電工 日本人 正規社員

第2部 中国文化
中国文化を書くにあたって、私はやはり日本人なので日本と比較してしまい、中国の目に付いた場所ばかり挙げてしまうが、それを中国文化として納得していると了承して下さい。まず到着して感じたのが、空港スタッフに表情がないことだ。表情がないことに関してはほとんどの場所で当てはまる。しかし、ユニクロ、マクドナルド、大型デパートの受付など海外から出店している店は親切に対応してくれるので、こんなところからも中国は世界に対抗するための文化を海外から吸収していると感じた。日本の時間は分刻みで表示されるが中国では秒刻みだったので中国の社会のルールは日本より時間に正確だと考えられる。あと、私が驚いたのは交通機関や観光施設で検閲がほとんど全てにあったことだ。セキュリティー重視なのだろうがそこまでやるのは疑問に思う。ちなみに地下鉄では、電車の扉で乗り降りを待たずに通行し、エスカレーターは基本右に立つが人数が多くなると区別がなくなった。最後に、中国の子供たちは勢いがあると感じた。私がエスカレーターで立っているときや待っているとき、突っ込んできた。また上海万博では触ってはいけないと表示されていた置物に乗っていた。
このように私は日本と比べてしまったのだが、文化の違いを肌で感じた体験は興味深かった。チャイニーズシャワーを九日間浴びたことで自分の中の世界観はずいぶん変わったように思う。
4人いう少人数でも計画し実行してくださった宋先生に感謝を申しあげます。ありがとうございました。