フランス文学科 研究室保管卒業論文リスト
2012年度
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ルネ・マルグリット-現実を変える絵画-
- マルキド・サドの作品と「人間」
- フランス語と英語の歴史的比較研究
- William Adolphe Bouguereauの絵画と私
- 自己の身体に関する記述-メルロー=ポンティ研究-
- アブサンと芸術
- フランス語とスペイン語における過去時制の比較
- パリのアメリカ人ジャズ・ミュージシャン、バド・パウエルの五年間
2011年度
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フランス語作品の日本語訳における「役割語」の出現の不思議
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小説と映像化について
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19~20世紀のフランス文学に登場する高級娼婦たち
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アゴタ・クリストフ作品にみる“書くこと”の効能と考察
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ジョルジュ・サンド『愛の妖精』の魅力
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絵画を超える青
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エルジェの『タンタンの冒険』から観る冒険の役割
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Les princesses et princes dans les films de Disney
2010年度
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ヌーヴェルバークの出発点とその成功―フランソワ・トリュフォー研究―
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四角
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EL SUR-父の南、娘の南-
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トロイア戦争における神々と英雄たち―イギリスとギリシア神話―
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トリュフォー作品における脚
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「廃墟をのみこむ自然」のむこうにあるもの
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消え去ったパッサージュ
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アール・ヌーヴォーの芸術家たち
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時の支配者「La maître du temps」について
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絵本と空想力
2009年度
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On se pacse?~様々なカップルの形~
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アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ 大地への飛翔
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『椿姫』と娼婦マルグリットの魅惑的な世界
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小説における過去時制について
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娼婦今昔物語
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窓
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モーパッサンの描く女性像
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ドアノーのまなざし
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現代フランスにおけるカップル事情(子供の視点から)
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沈黙するために語ること-バルトからベケットへ-
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ラヴェルの響きを語る~ドビュッシーを通して~
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メタフィクションに関する筒井康隆とジョルジュ・ペレックの比較
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イリヤ・カバコフ『十の人物』について
2008年度
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フランスの移民問題について
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閃光の中の永遠
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L'auteur immigré et l'écriture ― les objets traités par Assia Djebar ―
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共和国における差異 La différence dans la République
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Phénoménologie de la perception ― l'ambigüté d'un corps
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後期フランシス・ベーコンにおけるイメージ
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アルベール・コーエンの作品における憂いと喜び
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マグリットのトロンプ・ルイユ
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コレクション ―La collection―
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Un corp de Rayon
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髪型から見る近代フランス女性たち
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石の話 Une histoire de pierres
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フランシス・ベイコン「イメージ」の恐怖
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Des Essentes/Huysmans par 《À Rebours》 Joris-Karl Huysman
2007年度
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ローラン・プティ ―クラシックバレエへの挑戦―
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ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの描く光と闇について
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ラルティーグの世界
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ドビュッシーの魅力
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フランス 2大アニメーションの比較~『王と鳥』と『ベルヴィル・ランデヴ』~
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アンデルセンと『人魚姫』
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日本の河川名の由来
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La répresentation et la transformation de la couleur rouge dans les films de Nagisa Oshima
2006年度
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オディロン・ルドン -光と闇で世界を描いた画家-
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ジョルジュ・サンドと二月革命
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La Fête
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祖父・井上清一の1934年から1939年までのパリでの6年間の記録
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サン=パピエと現代フランス
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「繭」を探して
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ヨーロッパにおけるベルギーの立場
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レオス・カラックス作品における血と肉体の因縁
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サン・ジェルマン・アン・レー日記
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ちょっとアンテナ
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ケベック人と沖縄人 -そのアイデンティティをめぐる試論-
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L'invention et la science d'Alphose Allais - a la recherche de l'humour -
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エミール・ベルナール
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オルフェ ~ジャン・コクトーの世界~
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滑稽な創造者たち
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セヴィニェ夫人と宮廷
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女性の社会進出における出生率の影響
2005年度
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BD 四角い天狗
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少子化を考える-日本とフランスの現状から
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La Dame à la Licorne -La viergr-
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「今」を生きるフランスの家族~衰退する婚姻制度、変貌する家族、そして未来~
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アルベール・カミュ『転落』におけるイロニーの「転落」
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2005年の暴動から見るフランス共和国とマグレブ系移民第2世
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冬、シャルルヴィルにて
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雨-『失われた時を求めて』コンブレーに降る3つの雨
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妖精たち-メリュジーヌからナジャまで-
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なぞなぞピエロ
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彼女のゆくえ-「雪の女王」論
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廃墟への旅
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リュパンの魅力
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マルグリット・デュラス『インディア・ソング』のラカン的精神分析読解
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サドにおける暗い力-「フロルヴィルとクールヴァル」-
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バレエとは何か?-その魅力について-
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喚起・自然・音楽、ドビュッシー試論
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日本・フランスの美的感覚-人々は何を好むか-
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Une semaine de l'Alchimie
2004年度
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Genèse des personnages stendhaliens “Le cas du Rouge et le Noir”
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光と闇の象徴性-『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』から
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ドーミエとの旅
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Des acceptions et rôles de l'arthographe dans Zagie dans le métro
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太陽の塔~Yの五つめの顔~Tour du soleil-le cinquième visage~
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祭り―祭りはなぜ人を魅了するのか
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「異邦人」の哲学
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エリック・サティ研究~鉛のように鈍重に~
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ミュージックコンクレート「ため息と扉のためのバリエーション」について
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フランス人が模索している幸せ~coupleであり続けるためには~
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トミー・アンゲラーについて
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まなざしについて
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フェルメールとスーラ -永遠の光-
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ふたりのヴェロニカ
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サンドリヨンと世界のシンデレラ
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ジョルジュ・シムノン -人の心を描き続けた男-
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生体廃墟のはなし
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さまよえる視線
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フランスとEU統合問題 -人々と言語-
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黄色い部屋 ―「謎」の母体
2003年度
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快楽の映画
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精霊に出会う
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ルーアン日記
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ボリス・ヴィアンについて
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未来の最初の人間 -超男性-
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オペラ座 -相対して存在するもの-
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踊る身体
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Femme fatale 映画におけるファム・ファタル
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変身、森、楽園 ―ケルト的な旅
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悪と生の意味
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フランスの高齢者と介護給付制度
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Lamia Ziadé
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『未来のイヴ』―機械人間に恋をするとき―
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『時よ、止まれ』―le Temps, arrête―
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人間の持つ執着・依存性とその意義について
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フランスの家族 ―多様化する家族のかたち
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名づけえぬ意識
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人形たちの世界
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アニミスムと『不正操作』
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ミロが残したもの 私が引き継いだこと
2002年度
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19世紀とアルベール・ロビタ
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ネルヴァルにおけるエグゾティスム
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SAMUEL BECKETT ―無との闘争―
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アフリカとフランスの異邦人
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アラベスクの美 La beauté de l'Arabesque
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日本ランボオ史
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変わる ―ボーヴォワールと二人の女―
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ポゼッション ―自由意志への不信感
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色彩のマエストロ Nicolas de Staël
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ちょっとアンテナ
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15世紀フランドル絵画の特徴とベルナルト・ファン・オルレイの『ヨブの祭壇画』
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ポール・ゴーギャン『地上の楽園タヒチ』
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『文字図鑑』 ―欧・中・日 新字比較―
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現実世界で生きる者たち
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鏡と錯誤
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幼年期の幻影たち(Les Fantôme de l'Entance)
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クラシックバレエの身体美
2001年度
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フランス帝国主義とアルベール・カミュ
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『オーベルマン』論
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シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『おだやかな死』と『別れの儀式』における死
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La Révolution de Pasteur ―微生物の謎を追い求めて
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ギュスターヴ・モロー 女・神、そして美術館という空間
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アジェ/ATGET
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空を駆ける瞑想家 -サン=テグジュぺリは、英雄であったか-
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クレール・ドゥニの映画について
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アンリ・マティス -線と色彩の調和への道-
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ロマ -迫害の歴史と人権獲得への歩み-
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アゴタ・クリストフ『悪童日記』について
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都市の遭遇する恐怖について
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クレーヴの奥方
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真実の瞬間
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悪女幻想 〈ゴーティエ『死女の恋』、カゾット『悪魔の恋』研究〉
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ANNA
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芸術家のメッセージ ―死の認識
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幸福論
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ラ・ブリュイエールの女性観と人間観
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カタルーニャの鏡 ―ミロ
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大野一雄体験
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植物の描写と画面構成の独自性 -アルフォンス・ミュシャの魔法-
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アゴタ・クリストフの兄弟達 -彼らの精神世界-
2000年度
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ロブ・グリエの小説における読者の参加の可能性と限界
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越境―ピエネー山脈を越えて
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「ドッビュッシーの曲で絵がかける!?」ヴェルレーヌの詩におけるドッビュッシーとフォーレの比較
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映像と音について
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エリック・サティ―ジムノペディから出会った白い音楽
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絵本についての4つの章
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抜け殻ピエール-『ポーラX』-生き延びるために
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幻想-幻想と芸術作品について-
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1996年5月のつづき 岡崎京子論
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アンリ・ボスコ『マリクロア』論
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モリエール研究-モリエール劇における女性たち-
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拒食症
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印象派芸術の世界へ モネとルノアールが描いた『ラ・グイヌイエール』
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言語の暴力性とエドゥアール・グリッサンの言語思想についての考察
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モーパッサン-その隠された心の内を探し求めて-
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クロード・シモンの作品(たち)について私が読みながら記す二、三の事柄
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ミロの星とともに
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ランボーの作品に見た永遠
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不気味への挑戦
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サンドリヨンの靴、マリー・アントワネットの靴、町娘の靴、靴とファッションにみる18世紀の女性たちの『こころ』
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ドッビュッシーと『灰色の美学』
1999年度
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SPA型複合企業/LVMH/Bernard Arnault の世界
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《鍵》もしくは行動の自由
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パリとミュゼット -ミュゼットの魅力をパリといいうこの多様な都市を通して探る-
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ファルスからカオスへ
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記憶を語る
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ギョーム・ド・ロリスの『薔薇物語』におけるアレゴリー
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ル・コンビュジエとデ・ステイル
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幾何学の小部屋 -少年-
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『ジゼル』をめぐる私的考察―わたしの『ジゼル』論
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音のない世界を訪れて
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フランスの植民地政策-インドシナの統治機構-
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ジャン・フィッリプ・トゥーサンをめぐって
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『居酒屋』-貧困者たちの現代-
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おとぎばなしについて
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ジョルジュ・バタイユ まなざしのかたち
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女について
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フランスの諷刺画-オノレ・ドーミエについて
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対象aと享楽
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マルグリット・デュラス―そして、わたしは書く―
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エクリチューリと『母』―マルグリット・デュラスにおける書くこと母との関係
1998年度
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道化師たちの午後
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人形をとおして見たフランスと日本の美
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フランシス・ベーコンの肉について
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ボードレールと都市―群衆における詩人の生―
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Michelangelo and Mannerism
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ル・クレジオの『オニッチャ』について
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フランソワ・トリュフォー『アントワーヌ・ドワネル』シリーズについて
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クンデラは彼方に
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ジャン・コクトーの現実 -偽りの詩人の真の姿-
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『聖女オディール伝』 Le Légende de Sainte Odile
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ランボーの空間へ
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サド侯爵あるいは想像力の放埓
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『女と男のいる舗道』における女の生き方
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坂口安吾の欲望の形態をジャック・ラカンの精神分析理論を用いて読みとく
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1995年フランス核実験の再開
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クロード・モネ―光と水の画家
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フランスの競馬
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フランスにおける義務教育制度とその改革について
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『火の空間』-「ボヴァリー夫人」
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プレヴェールから思いをめぐらせたこと七つ
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パリの橋 -歴史の目撃者-
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恐るべき子供たち
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エドゥアール・グリッサン『レザルド川』における歴史表象の問題について
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はかなさという瞬間 La fugacité et instant