ヘボン・スピリッツ エッセイコンクール

優秀賞(部門 II)

Altanzagas,D
"Do for Others"(他者への貢献)
"Don't Do for Others"(自然体の貢献)は一如なり

留学が決まったのは20歳の冬でした。いざ親元を離れ、憧れの国日本へとウランバートル空港を発った時は、喜びより不安で胸がいっぱいでした。その時、私の脳裏をかすめたのは、“日本人は、いつもにこやかで、他人の幸せの為に一所懸命尽力する人たちだ。”というモンゴル人なら誰もが持っている“日本人”のイメージでした。まして、私の保証人は、明治時代から、医者、教授として代々欧米人、アジア人との親交が深い人たちだと聞いてます。心配は無用、安心して日本へ行こう!  早いもので、ホームステイ先の庭に紅白のしだれ梅が咲くのを眺めるのも、今年でもう4回目です。日本での生活は、期待通り、否それ以上に、他者の幸せを願う“Do for Others”精神に溢れる日本人の親切を一身に浴び、“来日して本当によかった!”と思える日々が続いています。私のホストファミリーは6人家族で、保証人の老夫婦、三十代の共働きサラリーマンの娘夫婦、保育園に通う3歳女児と5歳男児、プラス私です。典型的な日本の核家族に較べ、年齢的にも、職業的にも、付き合い範囲も、いろんな意味で幅広く、日常生活に様々なドラマが展開します。家族は私が将来、立派なホテル総支配人になれるように、また観光立国を目指すモンゴル国に大いに貢献できる人材になれるようにと、できる限りの勉強の機会を与えてくれますし、YMCAホテル科の先生、級友、表千家のお茶の先生、日本語の先生、ホテル研修先の人々から受けたご指導、ご親切も計り知れません。

さて、同じモンゴロイド族の私は、日本では“飛鳥・天平時代の観音様のお顔によく似てますね。”と言われ、モンゴル人に見られたことはありません。外見はそうでも、私の国は70年間社会主義国家としての歴史を歩み、民主主義国家になってまだ僅か10年余。日本の4倍の国土に260万人が住む遊牧民族の心と、経済大国日本の農耕民族のそれとでは自ずと大きな違いがあります。家族、親戚同志が強い絆で結ばれている私たちにとって、故郷を離れての生活は、淋しいことも、辛いこともあります。しかし、教育水準も高く、美味しい食べ物、特に新鮮なフルーツ、目移りする程どれも魅力的なケーキ、ファッション、女性の優しい言葉遣い、電気機器の便利さ等など、モンゴルでは到底経験できない生活があり、横浜で勉強できた事は私にとって幸運以上のものがありました。

二年余で日本語検定1級に合格、また今年の五月には横浜の一流ホテルから正社員としての採用通知があり、夢が叶うと同時に、皆様のご期待にも応えることができて、ホッとしています。来春からはいよいよ私が、“Do for Others”の舞台に立ち、主役でも端役でも演じる番だと思うと胸がわくわくします。ホテル・パーソンとしての仕事は他の職業にもまして、他者への奉仕精神が要求されます。言葉、年齢、職業、国籍、宗教、文化の違いを超え、元気な人にも、病気・障害を持つ人にも分け隔てなく、常ににこやかに応対、接遇するためには、余程、高い志、献身的な愛情、厳しい職業意識と頑強な体力を維持してなくてはなりません。

最近ふと気付いたことがあります。勉強や、ホテル実習などで頑張っている時、私を支えてくれている何か異質のもう一つの存在です。目標に向かって全力投球で努力することを徳目とする日本人の中にあって、努力する姿勢がまるでゼロのような人物の存在です。春風のような暖かい空気を漂わせてはいても、特に何をしてくれる訳でもないのに、私はその人が大好きなのです。春風の主とは、私にとっては“お父さん”、家では“じじちゃん”と呼ばれている73歳の保証人その人です。退職後の今は千坪もある広い敷地で文字通り晴耕雨読の生活を満喫しているのですが、家族からは始終文句を言われています。なぜなら、三河犬、カメ、スッポンや、文化庁の和鶏に指定されている薩摩鶏、比内鶏、チャボなどのにわとりを放し飼いにし、ご近所から苦情が来るからです。しかし、そんなトラブルもどこ吹く風。幾世代にもわたり主として棲みついている青大将も含め、彼らを人間のように、“同類、仲間”と思っている節があります。また、じじちゃんは天体、地球の歴史、植物、動物について博識で、世界のどこへ行っても、旺盛な知的好奇心と、どんな料理も食べられる舌で、大いに旅行を楽しむというスーパーマンでもあります。

先だっての日曜日のことです。ギャーという鶏の悲鳴に、駆けつけると、蛇にぐるぐるに締めつけられたチャボのメスが、息絶え絶えになっていました。じじちゃんは、2m程もある青大将の首をギュッと手掴みにし、解き放すや、救命隊員のように、いきなり鶏の嘴を自分の口にくわえ、“ハー ハッ”と息を吹き込んだのです。しかし人工呼吸も空しく、チャボの首はコトンとうな垂れてしまいました。“ああダメか!可哀そうに…”とチャボを抱きながら、無念そうに振り向き、ばばちゃんに“弔ってやれよ。”と言い残し、蛇をつかんだまま、その場を立去りました。目の前で起きた出来事に、孫たちは勿論私たちも呆気にとられ、声を出す事も手助けする事も出来ませんでした。じじちゃんのその時の真剣な対応が幼児の心に及ぼした感動がいかに大きかったかは翌朝ハッキリ出ました。じじちゃんの姿が目に入るや、5歳の孫は はじかれたように立ち上がり、“お早うございます!”と元気よく、しかも頭を深々と下げて挨拶したのです。普段は座ったままボソボソと、“オハヨウゴジャイマチュ…”と呟くだけ。その朝の孫の目には、必死にチャボを助けようとしたじじちゃんへの尊敬と、大きな蛇を捕まえた強い男への憧れの気持ちがありありと見て取れました。

或る満月の晩じじちゃんのヨットを少し移動しなければならなくて、重いロープを何本も持って手伝いに行きました。若い娘(ヤングレディ)の私がいるというのに、目の前で、パンツ一枚になるや、フック棒片手にいきなり冷たい海に飛び込んだのです。ヨットにたどり着いて、なにやら重い荷を降ろし、合図したので、みんなで力を合わせロープを引っ張りました。海水から上がってきたじじちゃんを見て、孫が“ブッチュマンだ!”と叫びました。その通り!満月の海辺に長い棒を持ち裸で立っている姿は、いつかビデオで見た“ニカワさん”にソックリです!姿といい振る舞いといい、将に原始人のような自由人“ブッシュマン*”そのものでした。

* エスキモーが差別用語として禁じられ、イヌイットに取って代わったように、“ブッシュマン”も“コイサンマン”が正しいのかもしれませんが、ここでは、アフリカの自由人のイメージで憧れの気持ちと親しみをもって幼児が使っているとおり、あえて、“ブッシュマン”と書きます。

この個性的な“日本人ブッシュマン”、実は J.C.Hepburn とは因縁(かかわり)があるのです。明治のお雇い外人、Dr Stuart Eldridge に教えを受け外科医になったじじちゃんの祖父はヘボンが1880年代に時々診療に出向いていたYokohama General Hospital(後のBluff Hospital、山手病院)で一緒に治療に当たっていたことがあるそうです。“ブッシュマン”のお父さんに当たる人が1892年横浜で生まれた時、なんと離日を控えたヘボンさんが名付け親になったのだそうです。「恩愛豊かな医者」になるようにと、“柾、まさ”と、英国人医師の Edward Jennerから“那、な”の音一字を取って「柾那」と命名したのだと、じじちゃんが話してくれました。長じて、六角柾那は全寮制だった明治学院を卒業したものの、医者の道には進まず、19歳でチリ公使の伯父を頼り、銅山のあるチリに渡りました。1920年に帰国した後はスペイン語、仏語、英語を使って、通訳、翻訳の仕事をし、明治学院同窓会には90歳の生涯を全うする迄、最年長者として出席したということです。時折、家では“ヘボンさん”が話題にのぼり、私もなんとなく知っていました。日経新聞を見て、聞き覚えのある“ヘボンさん”と“ヘボン・スピリッツ”のヘボンが同一人物であることを知り、びっくりしました。これが動機で、“Do for Others”精神について、深く考えさせられたのです。

“他者への貢献”というと、立派な奉仕活動だけを考えがちですが、“日本人ブッシュマン”のように、飄々として、自分勝手な事しかしてないように見える人にも、もう一つの“自然体の貢献”があるように思えます。その自然で純心な行為は、周囲に巨(おお)きな安らぎと感動を与えてくれます。“ゆったり”とは程遠いペースの日本での生活で、“Don't Do for Others”ともいえるわが道を行く“ブッシュマン”の存在があるからこそ、安心して暮らせたのだと、気付いたのです。地球環境問題がグローバル・イッシュウになっている今日、“Don't Do for Others”は茶道で教わった“吾唯知足。我唯足るを知るのみ”と同義語と解釈できるのではないでしょうか。“ブッシュマン”の生き方は一見“Do for Others”精神欠落人間のようですが、人類だけでなく、生命ある一切衆生をいとおしむ心は、モンゴル仏教の私にもよく伝わってきます。モンゴル国は、大規模農業も、自動車産業も無い低開発途上国です。しかし、宇宙的観点からすると、人間の欲望で地球をむやみに開発し尽くさないことが、反って世界に“貢献”しているとも言えるのではないでしょうか。そう考えた瞬間、何かがひらめいたのです。そう!「“Do for Others”と “Don't Do for Others”は一如なり」なのだと。“ブッシュマン”が私にその事を無言のうちに教えてくれたのです。

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