ヘボン・スピリッツ エッセイコンクール

佳作(部門 I)

木村 理恵子 「隣人愛は国境を越えて」

今、世界は大きく揺れています。相次いでテロが起こり、多くのなんの罪もない人の命が奪われています。そんな今だからこそ、私たちが人のためにしなくてはならないことがあると思います。
 私はあるTV番組で見た、イラクへ人間の盾として行っていた木村さんとイラクの少年フセン君の話が印象に残りました。フセン君のサッカーチームではゴムのボールしかなく、いつか本物のサッカーボールを蹴りたいと思っていました。でも、イラクは戦争中で物資に乏しく、とても叶えられそうにありませんでした。いつかフセン君がしたそんな話を木村さんは帰国後も忘れず、街頭募金によりサッカーボールを30個も送ることが出来たのです。フセン君は、きっと忘れているだろうと思っていたのに本当に叶えてくれたと、泣いて喜んでくれたそうです。
 そこで、私はふと思いました。今、日本の自衛隊は人道支援という理由でイラクにいます。しかし、それに怒りを感じている人達の存在をTVで知りました。なぜ、同じ支援活動なのに、一方だけが反発を買うのか。でも、私は何となくその理由が分かるような気がします。それは、木村さんは本当にフセン君のことを思ってしている行動なのに対し、自衛隊派遣はその裏に、日本のアメリカ中心の考え方が見えるからではないでしょうか。迷彩服に、武器に、戦車に、反感を持つのではないでしょうか。本当にイラクの人を思うなら、武器を持っていく必要があるとは思えません。木村さんの行動には愛があり、自衛隊派遣には愛が無い、ということだと思うのです。

愛は世界を救う。こんなことをいうと、くさい、歯が浮く、そんな単純な問題じゃない、などとあきれられてしまうかもしれませんが、これはとても奥の深い言葉だと思うのです。

私は両親がクリスチャンで、毎週日曜日、教会学校に通っています。聖書には愛についての教えがたくさん書かれています。次に挙げるのは聖書の一節です。

「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎていった。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところがあるサマリア人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリニつを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと、費用がかかったら、私が帰りに払います。』」(ルカ・10・30 - 34)

これは、ただ人に親切にしなさいということを説いた話ではありません。サマリア人は当時、差別されていた人種でした。宗教の導き手である祭司もユダヤ教の戒律に厳しいレビ人も見放したのに、よりによって差別されていた人が差別していた人を助けたのです。介抱された人は、それからもサマリア人を差別するでしょうか?

また、聖書にはこうも書かれています。「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(中略)自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。」(マタイ5・43 - 47)」

最初、この言葉の意味を理解したときは何を言っているんだろう、と思いました。嫌いな奴のために祈って何の得になるんだ、と疑問を持ったのを覚えています。偽善的だと考える人も多いのではないか、と思います。でも、私は今はそうは思いません。そのように考えていなかったからこそ、人は戦争を今でも繰り返しているのだと思います。皆が相手のことを想い、相手のことを自分のように考えられることが理想なのです。今すぐには無理でも少しずつ、出来るところから目指せばいいと思います。そうした考えを持って、行動している人は増えてきています。

これは父が北九州の小学校教師から聞いた話です。放課後、普段おとなしい男子生徒が、その教師のもとへ、ヒモに5円玉を200枚以上も通したものを持ってきたそうです。そしてその理由を尋ねると、半年以上も前の授業でアフリカやアジアなどの経済的に貧しい国ではたった5円で1日の食事がまかなえるという話を聞いたことから、その生徒は毎日お手伝いをして5円玉を貯め、ヒモがいっぱいになったから持ってきた、というのです。

また、個人でなくても学校全体でそのような活動に取り組んでいる所もあります。

神奈川県鎌倉市清泉女学院清泉小学校では、児童の提案で20年も前から、古切手・ベルマーク回収、クリスマスチャリティ、毎週金曜を募金の日と決める、などのチャリティ活動を継続しています。また「チャリティ弁当」という食品問題に焦点をあてた一風変わった募金活動を行っています。これは、毎週決まった日には弁当をおにぎりだけにして、おかずの費用分を募金する、というものです。他にも、おやつ代を、バス通学を徒歩にして交通費を、というように「残り物」ではない募金活動が行われています。

自分が使って余ったお金ではない、自分が何かを我慢したお金を募金する。そこに、本当の意味があるのだと思います。自分が我慢することによって、どれだけの人を救えるのか、それを実感できたときの喜びはきっと忘れないでしょう。

愛媛県松野町立松野中学校は、現在の世界70カ国に1億個以上の地雷が埋められたままの状態に対して、地雷廃絶の運動をしています。カンボジアで地雷処理を目的とするNGO「日本地雷処理を支援する会」が2002年から約3,300発の不発弾を処理した、という記事を読んだのが起点でした。そして、学校内の委員会などの地雷除去活動の呼びかけが後押しになり、地雷についての全校集会が開かれ全校生徒の関心を高めました。その後、隣町の城川町が「かまぼこ板の絵」を募集していたことから、地雷廃絶をテーマに、1人1人が平和への想いをつづり159枚の大作を完成させ、見事、賞に輝きました。生徒の1人が「地雷廃絶のために自分ができることなどないと思っていたけど、かまぼこ板の絵で地雷被害の現状を多くの人に知ってもらえた。できることから始めよう、という気持ちになりました。」と話したそうです。

そして、このような救援活動をするときに、「やってあげる」という気持ちではなく、謙虚な姿勢で臨むことが大切だと思います。マザーテレサも「救う」ではなく「貧しい人に仕える」と言っています。

マザーテレサは1910年マケドニア(旧ユーゴスラビア)に生まれ、18歳の時、幸福な家庭を出て、カトリックの修道女になり、その後、富裕階級の通う聖マリア高等学校の校長になりました。そして、37歳の時、その安定した地位を捨て、カルカッタのスラムにいる貧しい人々に仕えに行くのです。その時の所持金わずか5ルピー。日本円にして約17円。彼女は言います。「富の中から分かち合うのではなく、ないものを分かち合うのです。」

彼女はとても、立派なことをしました。でも、彼女はいつも謙虚でした。ノーベル平和賞を受賞したときも、「私は皆さんが考えておられるようなノーベル賞の受賞者には値しません。でも、だれからも見捨てられ、愛に飢え、死に瀕している世界の最も貧しい人々にかわって賞を受けました。」と言いました。

また彼女はこうも言っています。

「私がお願いすること。飽くことなく与え続けてください。しかし、残り物を与えないで下さい。痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくしてください。」

彼女の人生を表しているような、痛烈な重みのある深い言葉だと思います。私は、この言葉はそれほどまでに相手を想うことを言っているのだと思います。親が子供のためならなんでもするように、深い愛を持って接するということだと思います。全員がお互いのことをそんな風に思えたら、正にそれは平和の最終的な形ではないでしょうか。

また、私はドラえもんがとても好きで、漫画を何度も読み返しています。その中に、こんなセリフが出てきます。「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことの出来る人だ。それが人間にとって一番大事なことなんだからね。」(コミックス25巻)ハッとさせられました。他人のために出来ること‥。それは、国境も越えて人の幸せを願うことから始まるのではないでしょうか。

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