ヘボン・スピリッツ エッセイコンクール

最優秀賞

中川 佐保子 「近くて遠い町」

「コトブキ(寿)はね、一緒にいるだけでいいんだよ」
 最初に聞いたときに意味のわからなかったこの言葉を通し、この夏、私なりに「他者への貢献」についてのヒントを得たように思う。

夏祭りのコンサート
寿とは横浜市中区のJR石川町駅西側、ほぼ二百五十m四方の米軍の接収跡地に百軒近くドヤ(簡易宿泊所)が密集している地域の通称だ。
同じ石川町駅を最寄駅とする元町商店街や山下公園などの観光スポット、山手に広がる高級住宅街の華々しいイメージとは裏腹に、寿はホームレスや生活保護を受けている人が住むドヤが立ち並び、遠方からの人はもとより、地元でも寿に足を踏み入れることに抵抗のある人は多い。
私は、母が寿の中にある精神障害者のための地域作業所に勤めていた関係で、小学生の頃から何度か寿に足を踏み入れたことはあった。しかし自分の意思ではなく、母のいわば「オマケ」としてくっついて行っていた私は、寿への抵抗感や嫌なイメージもなかった代わりに、特別興味もなかった。自宅からわずか二十分足らずで行ける場所にある寿だが、母の職場が寿から移ったのをきっかけに、私からどんどん遠くなり、朝の通学電車の中で「寿の臭いおじさんがどうか私の近くに乗って来ませんように」とさえ思うようになっていた。
そんな今年の夏、寿の中にある識字学級と関わりのある友人が、寿で開かれるコンサートに行かないか、と私を誘ってくれた。夏祭りの催しの一つとして毎年行なわれているそのコンサートは、アーティストの曲を聴きに'ソトブキ'(寿の外の人たち)も大勢やって来るという。私はその友人に会えるのが楽しみだったことや、夜の寿はどうなっているんだろうという好奇心もあってコンサートに行くことにした。  当日、会場の職安前に着いてみるとすでにコンサートは始まっていた。盛り上がっているのは、主にアーティストを追っかけて来たソトブキの人たちだった。それでも寿の人々もビール片手にぼーっと曲を聴いていたり話をしていたり、それぞれ思い思いに過ごしていた。ソトブキより少ないけれど寿の人でも曲に盛り上がり、熱心に聴いている人もおり、コトブキとソトブキが交じり合っているその様子を見て、私は外と中に壁がなくて良かったと思った。だが同時に、寿の独特な雰囲気に少し身を硬くしたのも事実だった。
一時間近く経ち、初めより大分雰囲気に慣れてきた頃、突然後ろから両肩に手を乗せられて私はびくっとし、それが知らないおじさんであることが分かるとそのまま固まってしまった。私が何の反応も示さないのに一向にその両手は私の肩から離れない。しまいには、そのおじさんはにこにこしながら、私の隣の友人も巻きこんで肩を組んできた。私はされるがままに背中を力強くさすられたり、腕を力強くつかまれたまま突っ立っていた。
友人がおじさんと一緒に、曲に合わせて身体を左右に揺らし始めたのは覚えているが、私は頭の中が真っ白になっていて自分も揺れていたのか覚えていない。しかし、私の腕をつかむおじさんの手の力強い感覚と少し悲しそうな顔だけははっきりと覚えている。おじさんがいなくなってからは、会場が大いに盛り上がったこともあって、ただただコンサートを楽しみ、興奮しながら家路に着いた。楽しかった、来年も行きたいという思いと同時に、おじさんが寿の人というだけで身構えてしまった自分を情けなく思った。

「さなぎ食堂」
それからしばらくして、母の知り合いで寿と長年関わっている方に夏祭りのコンサートの時の話をする機会があった。するとその方はニッコリして「コトブキはね、ただ一緒にいるだけでいいんだよ」とおっしゃった。コンサートで私もびっくりすることはあったけれど、それをきっかけに、また寿に来てみたいな、寿と関わってみたいなと、僅かながらではあるが魅力を感じるようになっていたが、その時はその方が何を言いたいのかよくわからなかった。
コンサートから半月ほど経った八月の終わり、私は夏休みの最後の日を利用して再び寿を訪れた。何人かの知人から「面白い所だよ」と紹介されていた「さなぎ食堂」という名の食堂でボランティアをするためだ。その食堂はNPO法人「さなぎ達」が運営するもので、市から生活保護受給者に支給されるパン券(*)一枚で、温かい定食三食分を食べられる仕組みになっている。ほかほかのご飯をパン券で三食も食べられることは、寿では画期的なことだそうだ。毎日たくさんの人が食べにくるという。約束の三時に間に合うように寿に入った私は、初めてたった一人で訪れたことに気づき少し緊張してしまった。
食堂に着くと、午後のオープンが三時からだというのにすでにお客さんがちらほら立食式の店内にいる。ドキドキしながら厨房に入ると、その日の私の仕事は、味噌汁をよそう係だった。豚汁定食以外のすべての定食につく味噌汁をよそうのはなかなか忙しく、また三時から六時まで休む暇もないままひたすら立ち続けていたのは、受験の準備で運動不足気味の私にとって想像以上に疲れるものだった。私がいた三時間の間に百人以上がやってきた。
メニュー表を見る目は真剣で、温かい定食の載ったお盆や持ち帰り分が入ったビニール袋を持つ手には力が入り、そして何より食べ終わって食堂を出て行く時の顔は、入ってきた時より少し幸せそうだった。一日に五百食近くがさばけるというその食堂は、寿の胃袋を満たしていた。「食」という人間が生きる上で最も必要とするものを提供するさなぎ食堂は、寿の人達に必要とされている。「必要とされている」ことが食堂の職員の人たちを動かし、より美味しい定食を提供していきたいと思わせているのだろう。
久しぶりに訪れた寿は、さらに私に多くのことを教えてくれた。母の仕事の関係上、寿に住む精神障害者の方としか接する機会がなかった私は、寿に住んでいる人は精神的な病を持った人がほとんどだと勝手に思いこんでいた。しかし、実際はまったくそんなことはなく、保育園もあるし、韓国をはじめとする様々な国籍の人、職をなくした人、字の読めない人、老若男女問わず様々な人が入り交じって生活していることを知った。

「隣人」とは
新約聖書の最も有名なたとえ話の一つに「善きサマリア人」がある。「隣人を自分のように愛しなさい。そうすれば、永遠の命が得られる」というイエスに、ある律法の専門家が「私の隣人とは誰ですか」と尋ねた。するとイエスは次のようなたとえ話を彼に語った。
「ある人が旅の途中で追いはぎに襲われ、半殺しにされた。たまたま同じ道を祭司やレビ人も歩いていたが、その人を見ると道の向こう側を通っていった。ところが旅をしていたサマリア人はその人を見て憐れに思い、近寄って介抱し自分のろばに乗せて宿屋に連れて行った。次の日になると宿屋の主人に銀貨二枚を渡し、この人を介抱することを頼んだ」
イエスは律法学者に「この三人のうち誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と尋ねると、律法学者は「その人を助けた人です」と答えた。イエスは「行ってあなたも同じようにしなさい」と言われた−というのが、このエピソードだ。
「自分にとって隣人は誰か」ということではなくて、「けがをして苦しんでいるその人にとって隣人は誰か」と問いをひっくり返したイエス。相手が求めていることに自分の損得を考えずに応えることの難しさを、善きサマリア人のたとえ話は私達に教えているようだ。
そして、このたとえ話は、私に寿を思い起こさせてもくれる。
この夏私は、コンサート会場でおじさんにちょっと触れられただけで固まってしまった。自分では少し知っていた場所だと思っていたのに、実際は寿を全く理解していないことに気がつかされた。 「一緒にいるだけでいいんだよ」という言葉は、そんな私に「まず行って、自分に何が求められているのか探してみなさい」と教えてくれているような気がする。 他者の助けとなりたい、誰かを助けてあげたいという思いは人間誰しも少なからず抱いていると思う。しかし、ボランティア経験が豊富な先輩や友達の話を聞いても、それを「いいこと」ととらえてしまっては、単なる善意の押し売り、あるいは自分勝手なおごりになってしまうこともあるようだ。そうならないためには、相手に対し何かをする(do)のに先だって、まず一緒にいる(be)こと、そして相手からも、必要とされていることが大切なのではないだろうか。他者への貢献(Do for others)はBe with others なのだろう。
「そこにいる」ことが隣人になるための一歩だと思う。そこから自分に求められている役割を見つけ出し、必要とされる者になっていく。私がボランティアでお世話になった「さなぎ達」の方々も、寿の中で求められている温かいご飯や介護支援、街の緑化などを見つけ出し、街で必要とされるものになっているのだ。 Do の前にまずBe−。このことを体験させてくれた寿に、ますます魅力を感じている。これからも「近くて遠かった隣町」と関わっていきたい。そして人のために何かをすることの意味をはき違えてしまうことがないように気をつけながら、寿に必要とされるものの一部分でも担う人となっていきたい。

* 事務局注:パン券とは、仕事にあぶれた日雇い労働者などに支給される横浜市独自の法外援護のことです。

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