人生の師との出会い
今尾 真
新入生のみなさん,ご入学おめでとうございます。わたくしも,10 数年前にみなさんと同様,夢と希望をもって本学に着任致しました。明治学院に対する感想は,まず何よりも,学生を大切にするという校風,そして,学生に対する熱い心を持った優秀な教職員が多数いるということです。これからの4 年間,大いに学問に勤しみ,楽しいキャンパス・ライフを謳歌して下さい。わたくし自身は,みなさんと年齢が離れておりますが,気持ちだけは若いと思っておりますので,先輩として,兄貴として,師として,ともに学問の真理を探究していきたいと思っております。よろしくお願いいたします。
さて,新入生のみなさんが,大学でいかに学ぶべきか,過ごすべきかということについて,これと関連させながら,わたくしが大学に入学して初めて法律学に接した頃の思い出とその後偉大な諸先生方に直接・間接に受けた教えを,特に民法を中心にお話しさせていただきたいと思います。
母校である法政大学での初めての民法入門の授業で,恩師のS 教授は,「民法は,ローマ法以来の古い伝統を背景に,技術的精緻にして,量的に膨大な法体系であり,その習得はきわめて困難である。しかし,法律は技術の学問であり,その技術をひとたび習得してしまえば,それを縦横無尽に駆使して,社会に貢献できる。そのためには,日々の努力が必要である。コツコツと勉強を積み重ねることによって,いつか必ず目の前に道が開ける」と講義されました。わたくしは,この最初の講義に感銘を受け,その後,必死に民法の勉強を始めた記億があります。また,ある時,先生は,こうもいわれました。「人にはそれぞれの力量があるが,その力量を見据えたうえで,努力を怠らなければ,人生に必ず訪れる何度かのチャンスに無意識のうちに近づき,これを自分の方へたぐり寄せることができる。大部分の人は,チャンスが到来していることすら気づかない場合が多い」と。その後,わたくしは,先生の民法の講義と人柄に魅せられて,先生の演習へ進み,さらに多くの学問・人生の教えを受け,今,先生と同じ道を歩んでおります。
もう一つの思い出は,当時,東京大学の教授であったY 教授が法政大学にお
いて,新入生を前に「民法の学び方」と題する講演(この講演は,後に同じ題名で法学志林84 巻3 = 4 号1 頁に掲載されましたので,是非,新入生は読まれることをお勧めします)を行われた時のものです。二つ感銘を受けました。
一つは,X とY の法律紛争を考えるにあたって,自分を裁判官に見立てて,
いずれを勝たせたほうが妥当かを,当事者・社会的背景等の様々なファクターを考慮して結論を得るという実質論を行ってみるべきだ,次いで,実質論で得られた結論を,条文,条文がなければ判例を根拠に正当化するという作業を行ってみるべきだ,と力説されました。以降の学部生時代,わたくしは,まず,自分の頭で法律問題を考えて結論を出し,それが法律的に承認されうるものか否かを検討するという,「実践的方法」(Y 先生はこう呼ばれる)によって,民法を含む諸法の法律問題を考えるようにしてきました。
もう一つは,法律以外の読書の効用でした。先生は,以下の効用をあげられました。第一の効用として,毒消し作用=気分転換,第二に,視野を拡大できることにより,さきに述べた実質論を試みる際に有用であること,第三に,文章表現が,法律のようなギシギシした硬直のものから誰にでも分かるやわらかいものになること,第四に,法律以外の読書をしていて「民法」に出会った時の楽しみ,をあげられます。特に,第四は,実に愉快なものです。少しばかり引用させていただきまず。「バルザック「絶対の探求」一(錬金術にこって家産をつぶしてしまった男,浪費者※現在は民法が改正され,このような行為無能力類型は存在しない),モリエール「ドン・ジョアン」-賃金先取特権),ドーデー『風車小屋だより」(抵当権の客体,不動産の先取特権),シェイクスピア「ベニスの商人」-(心裡留保・虚偽表示・公序良俗違反・第三者弁済・安全配慮義務等々)」といった具合です。勉強に疲れたら,人生に思い悩んだら,あるいは,趣味として,あらゆる分野の本の扉を開いてみたらどうでしょうか。今しか悠々と,漫然と読書をできる機会はありません。
第三の思い出は,わたくしが早稲田大学大学院修士課程・博士課程で指導を受けたK 教授のものです。師匠(早稲田では指導教授のことをそう呼ぶ習わしがある)の初めての講義で,「法律学は,話(弁論術)の学問だ。人を納得させなければ意味がない。そのためには,議論の技術を習得しなければならない」と。そして,こうも力説されました。「人と議論していて,自分の立場の誤りに気付いたり,あるいは,形勢が悪くなってきても,論争しながらそれを逆転すべく必死に考えろ。絶対に相手に論破されるな。一度言ったことは,最後まで死守して相手を負かせ」と。その当時はこの言葉の表面的意味しか捉えずに,これでは法律学は詭弁の学問ではないかと思ったものです。しかし,その後,数年間先生の教えを受けるに至り,わたくしなりに先生の言葉を解釈してみました。それはこうです。法律学に議論の技術は必要不可欠です。しかし,相手を説得するためには,単に,自分の主張だけを貫いて,相手を議論で打ち負かずだけの技術ではダメだ。相手を納得させて,自分の主張を相手にも受け入れさせなければならない。そのためには,安易に自説の主張をするのではなく,自説の存立基盤,論拠を慎重かつ客観的に検証して,理論武装を十分にした上で,いざ議論をすべきだ。そして,そのような主張であれば,決して人には負けない重厚ものになるであろう,ということです。
また,師匠は,「法は歴史の産物であり,法を本質において理解するには歴史的研究もなおざりにできない」ということを強調されました。新入生のみなさんは,これから法律解釈学の門をくぐることになるわけですが,現在の法律問題を解決する際に,数十年,場合によって,百年も前に制定された法律または下された判決によって,これを正当化しなけらばならない場面に多々出会うことになるでしょう。その際に,単に当該紛争を解決するのに適当な条文が存在しているので,これをそのまま適用してしまうといった,短絡的な解釈をするのではなく,その法律または判決の歴史的背景を探り,現在とその当時の社会経済状況は同じか異なるのかという視点も加味しての法律解釈を行うよう,心がけてみてはいかがでしょうか。それには,さきに述べた法律以外の読書が大いに役立つと思います。
このように,大学には,人の一生に影響を与える偉大な人格が存在しております。みなさんも,是非,その偉大な学者に直接・間接に触れて,大いに自己を啓発されてはいかがでしょうか。