新入生諸君へ;大胆に、かつ細心に
川上和久
まずは,私の大学時代の思い出から。私は大学時代,社会心理学科でマスコミ論のゼミに所属していた。アルバイト先の塾の経営者がテレ東の元女子アナで,「あなたなら向いてるかも」とマスコミを薦めてくれたこともあり,ひたすらマスコミに就職する勉強をしていた。
だが,ゼミの指導教授が出された一冊の本が,私のマスコミ願望を吹き飛ばした。その本の題名は,「新聞よ驕るなかれ」。特に朝日新聞の偏向と世論からの乖離を徹底的に批判した本だった(そういう幼児?体験があるので,どちらかというと読売新聞とのお付き合いの方が多い)。学者が,大マスコミを相手に堂々と批判するその大胆さに,その大マスコミ目指してじくじくと勉強していた私は心打たれた。「自分も研究を積み重ねて,マスコミを外側から解剖する側に回ってやろう」,小市民の,大胆さへの密やかな憧憬が,私の勉強を大学院進学のためのそれへといつしかスイッチさせていった。この指導教授は,2010年8月に,とうとう鬼籍に入られた。光陰矢の如し…。
さて,めでたく大学院に進学したものの,大胆なだけでは,大学院でちょっとやそっとマスコミ論の文献を渉猟しても,誰からも相手にされない。大胆な仮説や論説を裏付ける細心さ,緻密さ,そこで初めて生じる説得力が要求されるのだ。
その意味で,最初の指導教授が定年退官された後の指導教授は,実証分析でずっと鍛え上げて来られただけあって,私に欠けていた細心さを徹底的に鍛えてくださった。質問票一つ作るにも,「は」と「が」のどちらがいいかに至るまで議論する緻密さ,統計分析での緻密な検証手法,データの読み取り方。当時はパソコンなどという便利なものはなく,大型計算機でバッチ処理しながら,何回もエラーを修正し,死ぬ思いで調査データを因子分析したり回帰分析したものだ。
一粒の米に八十八回の手間をかけるように,論文の中の表一枚にもこだわる。そんな緻密さが,実証分析の真髄だろう。
さて,政治学科に入学した諸君には,「大胆さ」と「細心さ」の双方の可能性が,必ず潜んでいると思う。政治家の相次ぐスキャンダル,特定のグループとのしがらみ,不透明な政治,学べば学ぶほど,不条理に腹を立てることも多いだろう。
しかし,今までのやり方がどうもおかしい,けしからん。それをやめさせよう,というだけでは,人も政治も動いていかない。どこがどうおかしいのかを知るために,まずは知識を蓄積しなければならないし,情報公開や説明責任の履行をより徹底させて,自分が判断するための基準となる情報を,教員や大学だけでなく,より幅広く,政治や行政に対して積極的に求めることも必要だろう。
政治にサービスを求めるだけでなく,公の問題について,行政の手が回らない部分を補完しようとする目的で,NPO(No Profit Organization)活動も活性化しつつあり,自分が公の問題に関心を持ち,行政がやらないならば自分で,という環境も整いつつあるし,それが政治へのインパクトにもなり得る。
個人が政治から逃げていては,日本はますます呼吸困難になって,負債と産業空洞化で窒息してしまう。若い世代が自分自身の身の回りの「公」に関心を持ち,貪欲に知識を吸収し,緻密に分析し,大胆にその思いを政治にぶつけていくことが,蝕まれた日本という身体の蘇生につながっていくのだ。
「大胆に」,そして「細心に」。充実した4年間を送られんことを祈念する。
ゼミHP http://www.meijigakuin.ac.jp/~kawakami