政治学を学ぶ/教えるということ
添谷育志
1 年間のお休み前に,すこし長めの自己紹介。
新入生の皆さん,ご入学おめでとう。
2011 年は日本が古今未曾有の自然災害と人災に見舞われた,わたしたちにとって忘れようとしても忘れられない1年だった。「東日本大震災」とそれに伴う「原発事故」で被災された方々には,心からお見舞い申し上げます。
わたし自身が仙台で学生時代を送り,その後東北大学に勤務した経験をもつ者として,テレビに映し出される惨状には,直視できないほどの衝撃を受けた。これをまともに受け止めていたら精神的に不調をきたすと思い,被災された方々には誠に申し訳ないと思いつつも,自己防衛のためにできるだけ視野から遠ざけるようにしてきた。けれども片時として,この災害が念頭から離れることはなかった。
わたしが1965 年に東北大学法学部に入学した頃は,今回の津波で大きな被害を受けた仙台駅の東部地域にはまだ「戦後」の趣が濃厚に残っていて,わたしのような真面目な学生にとっては近寄り難い場所だった。当時は「X 橋」方面はあたかも魔界のようなものだった。2003 年に東北大学から本学に移る頃には,仙台東部地区は目覚ましい発展を遂げ,仙台空港をはじめ,国道沿いには大型スーパーや自動車販売店が軒を並べる商業地区へと変貌していた。それが今回の津波で一瞬にして瓦礫の山と化したのだ。それとともに仙台で暮らした頃のわたしの記憶もまた,一段と遠のいたように感じられる。
わたしが学生時代を過ごした頃の東北大学川内キャンパスは,進駐軍のカマボコ兵舎が点在し,講義を受講した教室はかつての馬小屋だった。法学部には法律学科しかなく,実定法の講義にはうんざりして,掘っ立て小屋同然の埃っぽい,なぜか床には重油の匂いが浸み込んだ麻袋が敷いてある図書館で,トーマス・マンやらドストエフスキーやらの本を読んだりして1日を過ごしたりすることが多かった。マドレーヌの香りはわたしの記憶のどこにも存在しない。一時は文学部の「ドイツ文学科」に転学科することも考えたが,「文学」を「研究」の対象にするということは,ある種の範疇錯誤(カテゴリー・ミステイク)のように思われたので断念した。
そういうわけでもともと法律の実務家や研究者になったり,公務員試験を受けたりするつもりは毛頭なく,就職して毎日会社に出勤する自分を想像することもできない,ならば春夏秋冬,長期の休みがある大学教員になればよいという,いたって不純な動機から大学院を受験し幸いに合格した。わたしが尊敬して止まない故サー・バーナード・クリックの『政治を擁護して』という本に出会ったのは,大学院に入ってしばらくしてからだった。一読,「こういう政治学もアリか!」と思い,それ以降,英国を中心とした近現代の政治思想,政治理論の研究を行なっている。
政治思想,政治理論の「研究」といっても,わたしの流儀は小林秀雄,福田恒存,吉本隆明,江藤淳,柄谷行人といった「批評」の言語から圧倒的な影響を受けている。英国の書評紙『タイムズ・リテラリー・サプルメント(Times Literary Supplement)』には,人文・社会科学からポピュラーな自然科学に関する本までもが採りあげられる。そういう意味での「文芸」の一ジャンルとして政治思想や政治理論を扱うことを,わたしは目指してきた。そういうわたしにとってのロールモデルになってくれたのがクリックの著作であり,同年代のマイケル・イグナティエフやトニー・ジャットの作品である。死ぬまでにイグナティエフの『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』(風行社)やジャットの『記憶の山荘――私の戦後史』(みすず書房)のような本を書くことが,今のわたしにとっての念願である。
もうひとつわたしの「研究」スタイルに決定的な影響を与えているのは,映画というジャンルである。年間315 本というのが最高記録だが,今日にいたるまでのわたしのベストテンをあげれば,⑴『市民ケーン』⑵『レッベッカ』⑶『フル・モンティ』⑷『ウェールズの山』⑸『おもいでの夏』⑹『アメリカの夜』⑺『ローカル・ヒーロー』⑻『惑星ソラリス』⑼『日の名残り』⑽『ブラス!』ということになる。「わたしのベストテン」はその日の気分によって左右されがちである。あるときには『フェリーニのアマルコルド』が1位になったり,またあるときにはビクトール・エリセの『エル・スール』が絶対1位!と思ったりもする。日本映画が1本も入っていないのは,小津安二郎のフィルムがあればそれで十分だと思うからである。
昨年は1月4日の結婚記念日に連れ合いと岩波ホールで『クレアモント・ホテル』を観て以来,毎月1回は劇場で観るよう努めている。そのなかで,印象に残ったものをあげておく(順不同。☆=20 点/100 点)。
① RED(Retired Extremely Dangerous の略)☆☆〔ヘレン・ミレンが機関銃
をぶっ放すのが爽快!退職後もかくありたい〕。
② 『ツーリスト』☆☆〔『善き人のためのソナタ』の監督の新作なので期待したのだが,意外に凡庸。機関銃で撃たて壊れているはずのボートが無傷で現われたりしていて,ディテールに難あり。ちなみに現在翻訳中のTimothy Garton Ash, Facts are subversive: Political Writings from a Decade Without a Name ,(London: Atlantic Books, 2009)には,『善き人のためのソナタ』に対する優れた批評が収められているので,興味のあるひとは買ってください〕。
③ 『英国王のスピーチ』☆☆☆☆☆〔政治とメディアの関係に関心をもつひとには必見の映画。エリザベス2世の父親ジョージ6世は小さい頃から吃音に苦しんでいたが,父親ジョージ5世の死により国王になった兄のエドワード8世が「王冠をかけた恋」と言われるスキャンダルで王位を捨てるに及んで,図らずも王位に就くことになった。折しもナチス・ドイツが台頭し,英国民は国王からの肉声による励ましの声を聞くことを待望していた…。ジョージ5世の死去時間がクオリティ・ペーパーの発行時間に間に合うように操作されたこと,またエドワード8世が「大衆王」と呼ばれたことなどについては水谷三公『イギリス王室とメディア――エドワード大衆王とその時代』(筑摩書房,1995 年)に詳細に描かれている。選挙権の拡大に伴ういわゆる「大衆デモクラシー」の到来は,固有名をもつ名望家政治家たちによって成り立つ「政界」という狭い世界だけで完結する政治/政事の時代を終焉させた。今や政治的リーダーは匿名の「大衆=マス=量だけが問題にされる塊」に向けて,肉声で語りかけなければならなくなった。アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは,当時最も普及していたマス・メディアだったラジオ放送を通して演説し,直接国民・大衆に訴えかけるスタイルを重視した。ルーズベルトの行なった毎週のラジオ演説は「炉辺談話 (fi reside chats)」と呼ばれ,国民・大衆に対するルーズベルトの見解の発表の場となった。それはルーズベルトの人気を支え,第二次世界大戦中のアメリカ国民・大衆の重要な士気高揚策となった。映画のなかにジョージ6世が,ニュース映画でヒトラーが演説する場面を観て「あいつは演説だけはうまい」と話すくだりがあるように,ヒトラーに対抗するには,彼以上の何かが必要だった。ベートーベンの交響曲第7番第2楽章が流れるなか,ジョージ6世は語り始める…後は映画を観てください〕。
④ 『わたしを離さないで』☆☆☆☆☆〔「わたしのオールタイム・ベストテン」にもランクインしている『日の名残り』の原作者カズオ・イシグロの同名小説の映画化。北海に面したイングランド東部の田舎町に少年・少女が出かける場面が印象的。生まれたときすでに死を運命づけられているのは,あらゆる生命体に共通する不可避の条件だが,「人間」という生命体,ハンナ・アーレントが「ビオス」と呼んだ生命のあり方の独自性は「来歴=物語」をもつことだということを深く納得させてくれる名画である。ただしこの映画を観た後は,ひどく落ち込むことを覚悟すべし。一緒に観た連れ合いは「何でこんなに落ち込むために千円払ったのか,納得できない」と言っていた〕。
⑤ 『アンノウン』☆☆〔元々は『正体不明』という題名で公開される予定だったが,「放射線」を連想させるという理由でこういう題名になったとか。『ヒアアフター』の公開中止といい,この過剰反応は何なんでしょうね。ストーリ自体はロマン・ポランスキー監督,ハリソン・フォード主演の『フランティック』そっくり。ベルリンという都市の複雑な相貌が見ものかも〕。
⑥ 『テンペスト』☆☆☆☆〔ヘレン・ミレンの最高傑作。もちろんシェイクスピア最後の戯曲の映画化であるが,舞台設定は原作とはかなり異なっている。魔女から生まれた邪悪な怪物キャリヴァン役のジャイモン・フンスーの怪演が見物。CG と舞台と映画独自の文法が混然一体となって,観る者の魂を揺さぶる。スクリーンに映し出される映像だけで鳥肌が立つほど感動したのは久しぶりである。やはり映画はメッセージ――呪詛よりも赦しを,「私に抱かれて,世界よ眠れ」――よりも映像だということを納得させられた作品であった〕。
⑦ 『ツリー・オブ・ライフ』☆☆☆☆☆〔これまた寡作で知られるテレンス・マリックが手掛けた久々の傑作。題名が示唆するように私たちのライフは,あたかも一本のツリーのように連綿たる連鎖のなかにあることを描いているのだが,それを表現するためになぜ「ビックバン」から恐竜時代まで描かなければならないのかは,もうひとつ説得力に欠けるように思われる。ブラッド・ピットが演じる1950 年代アメリカの父親とその息子をめぐる確執を描いた,フランスの印象派の絵画のような素晴らしいシーンとCG で描かれた『ナショナル・ジオグラフィック』的な映像との不整合がどうしても気になってしまう。これもまたメッセージとしては「赦し合うこと」の大切さを訴えるものである。それにしてもショーン・ペンは何のために出演したのでしょうね?命の連鎖ということでお奨めの本は,2011 年小林秀雄賞を受賞した高橋秀実『ご先祖様はどちら様』(新潮社)である。『からくり民主主義』(新潮文庫)といい,『やせれば美人』(同)といい,こういう書き手に出会えたことを感謝したい〕。
⑧ 『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』☆☆☆〔わたしは「シーザー」の下僕になりたい〕。
⑨ 『マネーボール』☆☆☆☆〔ハイスクール卒業時に奨学金付のMIT 進学か
MLB 入りかの選択に際して,後者を選択した結果として,「ネット裏の四番打
者=要するに控え選手」と称される到ったビリー・ビーンをブラッド・ピット
が演ずる,ベースボールをとおして人生の選択に際して何が重要かを訴えかけ
る佳作。「オークランド・アスレティックス」のGM としての活躍を見込まれて,「ボストン・レッドソックス」から巨額のオファーを提示されるが,「二度とマネーでは選択しない」と心のなかでつぶやきオファーを断り,人っ子ひとりいないスタジアムの椅子で物思いにふけるブラッド・ピットのクローズアップは映画史に残る名ショット。ビリー・ビーンが採用した「マネーボール理論」は「セイバーメトリクス」とも呼ばれ,テレビドラマ『NUMBERS:天才数学者の事件ファイル』のエピソードにも登場している。本作ではちょっと,というかかなり太目のピーター・ブラウンが同理論の開発者としていい味を出している。『ソーシャル・ネットワーク』と同じ制作陣による本作は,ある意味でソーシャル・メディアにおける技術革新の背後にある人間ドラマという点では共通したものがあるが,前作の後味の悪さに比べて格段に人間味にあふれている〕。
というわけで,結局のところ劇場で観たのは9本に止まってしまった。その理由は,2時間余り劇場の椅子にすわっているのがかなり腰の負担になってきたこともある。そのため見逃した映画も数多い。たとえば『フェアーゲーム』,『ゴーストライター』,『神々と男たち』,『コンテイジョン』,『リアルスティール』,『ブラック・スワン』などなど…。これらはいずれDVD で観たいと思っている。
10 月頃からは,劇場の椅子よりも自宅の寝椅子にころがってテレビドラマを観ることが多くなった。体調不調のためテレビを観ることも苦痛だったときに,回復のきっかけになったのはアメリカのテレビドラマだった。『スーパー・ナチュラル』,『プリズンブレイク』,『NUMBERS』などなど。現在は大体Fox CrimeとAXN ミステリーを毎晩2時間ほど観るのが習慣になっている。たとえば,
月曜日:『 MI-5:英国秘密諜報機関』〔周りの人がみんなスパイに思えて,人間への信頼感が揺らぎます〕。
火曜日:『 女刑事ジュリー・レスコー』〔フランスという国は,つくづく大人の国だと感じさせます〕。
水曜日:『 バーナビー警部』〔イングランドの小さな村で,毎週殺人事件が起きています。そのうちに村民がいなくなってしまうのではないかと,英国で
も心配されているそうです〕。
木曜日:『 NCIS~ネイビー犯罪捜査班』〔これまでのテレビドラマ・シリーズの最高傑作!!マーク・ハーモンが演ずるギブスが滅茶苦茶かっこよく,トニーとマクギーの漫才コンビも息が合っていて,モサドから派遣された連絡将校ジヴァは滅法強くて,科学分析担当のアビーのゴスロリ風なファッションからは想像できない頭脳の明晰さ,検視官ダッキーを演じているのは,『0011 ナポレオン・ソロ』のイリヤ・クリヤキン役のデイヴィッド・マッカラム。これだけのキャラクターがそろえば,面白くないはずはありません。アメリカで9年間放送が続いているのも納得できます。とにかく是非ご覧ください〕。
金曜日:『 BONES』〔ブースが恋人を連れてアフガニスタンから帰還した後,テンペランスが精神的危機を迎えるようだが,ここはスウィーツの心理学
者としての腕の見せどころか?〕。
といった具合である。
その他にもBBC 制作の『刑事ジョン・ルーサー』〔主人公を演じるイドリス・エルバの「実存主義的演技」(?)が見事!本作には『孤高の刑事ジェリー・ジェントリー』でバッカス刑事役をつとめたリー・イングルビーがサイコパスとして登場する。英国テレビ界も使い回しが多いようだ〕;『法医学捜査班:Silent Witness』〔1996 年以来16 年続いているシリーズ。アマンダ・バートン演じるサム・ライアン教授が主人公だった旧シリーズではサムだけの活躍が中心だったが,彼女の退職後,『戦場のピアニスト』にも出演しているエミリア・フォックスが演じるニキ・アレクサンダーに交代してから,チームワークが前面に出てきて,今後の展開が楽しみである〕などなど,今年もテレビから目が離せない。
去年観た映画を書き出してつくづく感じるのは,2011 年という年は世の中に「こころ」とか「きずな」というような意味内容が曖昧な言葉が氾濫していたように思われる。皆さんはこのような言葉に惑わされずに,人間が人間たる理由である「知性」をもって,これからの困難な時代に立ち向かわれんことを念願して止まない。
* * *
ところでわたしは4月から1年間,講義はお休みします。その間に英国を中心にヨーロッパ各国の政治事情や政治学研究の現状について勉強してきます。そういうわけで,皆さんにお会いするのは,2013 年4月以降ということになります。
ではそれまで,さようなら。
最近の仕事:共著:『初めての政治学――ポリティカル・リテラシーを育てる』(風行社,2011 年3月)
論文:「なぜ『自由』が問題なのか」(『法学研究』92 号,2012 年1月)
翻訳:ティモシー・ガートン・アッシュ『フリー・ワールド――なぜ西洋の危
機が世界にとってのチャンスなのか?』(風行社,2011 年5月);マイケル・イグナティエフ『許される悪はあるのか?――テロの時代の政治と倫理』(風行社,2011 年12 月)