明治学院大学図書館の沿革
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「明治学院大学図書館」は大学の開設に伴い1949年 (昭和24) 4月に開設された大学付属図書館である。東京都港区白金台の「白金キャンパス」と、横浜市戸塚区上倉田の「横浜キャンパス」にそれぞれ存在する二つの図書館を一体として、120万点に近い蔵書を提供している。 創設時や旧専門学校時代からの明治学院蔵書を引き継ぎ、幕末期に来日した宣教師たちの所蔵本に始まり、150年の長い歴史の中で形成された英和和英辞書やキリスト教書籍・社会福祉関係蔵書に加え、現代フランス文学・ギリシア語などの人文系の蔵書の広がりにより、学外からも多くの研究者が訪れている。2011年5月日本近代音楽財団日本近代音楽館の資料約50万点を引き継ぎ、図書館付属日本近代音楽館を新たに開設した。 図書館のモットーは「The Truth Shall Make You Free (真理はあなたたちを自由にする) 聖書ヨハネ伝8:3」であり、1950年代に当時の高谷道男図書館長により図書館入口に英語で掲げられた。いまも白金図書館はギリシア語で、横浜図書館ではラテン語でホール正面に掲げられている。 |
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明治学院大学図書館への道
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明治学院普通学部1年生に入学してきた島崎藤村は、この建物を作品『桜の実の熟する時』の中で「…新しく構内に出来た赤煉瓦の建物は、一部は神学部の教室で、一部は学校の図書館に成っていた。まだペンキの香のする階段を上って行って二階の部屋へ出ると、そこに沢山並べた書架がある。一段高いところに書籍の掛りも居る。…書架で囲はれた明るい窓のところには小さな机が置いてある。そこへも捨吉は好きな書籍を借りて行って腰掛けた…」と描写し、「歴史科を受け持つ頭の禿げた亜米利加人の教授が主任のライブラリアン」であるとしている。 |
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また、藤村は『吾が生涯の冬』に、「私は毎日々々学校の図書館に這入つて暮らした。其の時分の明治学院の図書館と云えば、京都の同志社のそれと並んで、私立学校中では有数のものであった。大抵は外国の教師から寄贈したもので、先づセキスピア全集、ヂイケンズの書簡集、其の他、いろいろの伝記やら、小説やら、其の時分としては、兎に角文学書類が数多く備わつて居た」と自分の体験と紹介を述べている。 |
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この時代の図書には、「This Book must not be kept out more than FOUR WEEKS」という紙片が貼付されている。初期の蔵書の中心は、プロテスタントが合同しての学校成立に賛同した関係ミッションや宣教師、篤志家の寄贈書であり、初代総理ヘボンもその蔵書を寄贈している。従って洋書が多く、島崎藤村の接した文学書も英語の原書であり、 明治学院は当時日本有数の洋書の蔵書を誇っていた。 1897年 (明治30) の『福音新報』の記事には「明治学院所蔵の図書凡て七千余巻あり就中哲学、神学、及び宗教に関する書籍に富む、恐らくは神学文庫として日本第一の文庫ならん」とある。特にスコットランド一致長老教会の宣教師やエディンバラの神学生から寄贈された神学書は、数多くにのぼったという。1930年 (昭和5) 明治学院神学部は東京神学社と合併し、「日本神学校 (現在の東京神学大学) 」となったため、神学関係の蔵書を移管した。 |
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有名な社会運動家である賀川豊彦も在学したことがあり、大正時代にベストセラーとなった著書『死線を越えて』の中で、明治学院時代にさまざまな宗教哲学の書籍を熱心に読んでいたことが書かれている。 |
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明治学院図書館は蔵書が増えるに従い、新サンダム館やランディス館など、キャンパス内で移動しながら発展していった。
大学図書館としての発展
半円形の広いエントランスと、丘の上の明るい風景を取り込んだ閲覧室。設計所蔵数35万冊。 |
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- 1997年 (平成9) 6月 図書館ホームページを開設。
- 2001年 (平成13) 3月 山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム(青山学院・学習院・國學院・東洋・法政・明治・明治学院・立教の各大学)がスタートし、閲覧・貸出の相互来館利用を開始。
- 2006年 (平成18) 3月 『和英語林集成』デジタルアーカイブス公開。手稿から全ての版がWebで閲覧可能となった。
- 2011年 (平成23) 5月 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館を開館。










