HOME聖書和訳デジタルアーカイブス 聖書和訳史概説:各教派による独自の和訳

各教派による独自の和訳

バプテストによる聖書和訳

Nathan Brown(1807-1887)の聖書翻訳

バプテスト派のネイサン・ブラウンは新約聖書の翻訳委員社中に加わったが、以下の点で袂を分かつことになった。

  • ・バプテスマの訳を「洗礼」とせず「浸礼(しづめ)」と主張。ルカ伝の翻訳はバプテスマで辛くも出版されたが、この点で公会主義ではなく教派主義に立った
  • ・ギリシア語聖書を基本と決めながらも欽定訳英語聖書を標準としたヘボンたちと異なり、原典主義を主張
  • ・本文はすべて平かなとする主張

こうしてシナイ写本・バチカン写本に基づく、バプテスト聖書として独自の聖書翻訳を行った。(平仮名新約聖書)日本人として川勝鉄弥が協力している。

ネイサン・ブラウン訳聖書の表題は万葉仮名を使用し、本文は平仮名の連続活字を使用するなど、印刷においても特徴を持った聖書である。

1879年刊の『志無也久世無志与(しんやくぜんしょ)』は日本初の新約聖書の全訳である。

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カトリックによる聖書翻訳

『旧新両約聖書伝』小島準治1879年(明治12)初篇1880年(明治13)2篇

小島準治は高知出身のカトリック伝道師である。内容は聖書物語であり、初篇は旧約聖書の、第二編は新約聖書の物語である。

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『聖福音書』上下 高橋五郎1895年(明治28)天主公教会 東京大司教伯多禄瑪利亜出版認可

高橋五郎はJ.C.ヘボンの『和英語林集成』第三版を手伝い、日本最初の近代的国語辞典『和漢雅俗いろは辞典』を編集した人物であり、明治元訳聖書の編纂にもかかわった。
この書はヴルガタ・ラテン語聖書のスタイシュンの口述から翻訳した、カトリックの和訳聖書の初めである。

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『我主イエズスキリストの新約聖書』エ・ラゲ 1910(明治43)公教会

ヴルガタ・ラテン語聖書を底本に、明治元訳聖書や高橋五郎の訳も参考とされた。

植村正久は「打見たるところ文章も雅馴にて口調善く、用語も改りたる所多く、旧の聖書に比して数段の進歩なりと覚ゆ」(植村正久と其の時代第4巻)と述べ、名文といわれる。
加古義一が協力した翻訳である。

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正教会による聖書和訳

『我主イイススハリストスノ新約』1901年(明治34)、1912年(明治45)

日本ハリストス正教会創立者であり、神田駿河台のニコライ堂(東京復活大聖堂)を建設した、ニコライの訳になる新約聖書である。

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日本聖公会による聖書和訳

『日本聖公会祈祷書』1895年(明治28)日本聖公会

1895年に『日本聖公会祈祷書』に聖書の独自訳が取り入れられ、1902年の第7回総会において、使徒書簡・福音書を改訳して祈祷書中に取り入れることを決定し訳出した。

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『るか傳福音書』チェス・チング訳・松山高吉閲 1913年(大正2)警醒社

チェス・チングは聖公会祈祷書中の使徒書簡・福音書改訳を選出した委員の一人である。改訳中に新約聖書の全訳を認め、出版した。

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福音派による聖書翻訳

『新改訳聖書』日本聖書刊行会1970

新約聖書はネストレの校訂本二十四版、旧約聖書はキッテルのビブリア・ヘブライカに基づいて翻訳され、文語訳・口語訳の伝統的固有名詞を継承している。聖書を『誤りなき神のみことば』と告白する福音主義の立場に立つ委員会訳であり、言語的に妥当であるかを尊重する翻訳を行っている。1987年に第二版、2003年に第三版が発行されている。

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