HOME聖書和訳デジタルアーカイブス 聖書和訳史概説:キリスト教禁令下での聖書和訳の試み(海外)

キリスト教禁令下での聖書和訳の試み(海外)

<開国前の和訳への挑戦>

日本での布教をめざし、東南アジアを拠点に日本に対する研究はすすめられていた。

英国人宣教師メドハーストは日本人と出会うこともなかったが長崎を通じて入手した中津藩主奥平昌高の『蘭語訳撰』を研究して編纂し、1830年『英和・和英語彙』を作っている。

1837年頃 ギュツラフ『約翰(ヨハネ)福音之傳』堅夏書院 シンガポール

難破し漂流していた尾張小野浦の船員から日本語を学びヨハネ伝を翻訳。言葉を「カシコイモノ」、神を「ゴクラク」と訳している。

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1855年 ベッテルハイム『路加(ルカ)傳福音書』『約翰(ヨハネ)傳福音書』『聖差言行傳』『保羅寄羅馬人(ローマ)書』香港

迫害されながらの琉球伝道を通じての琉球語による訳であり、へボンやブラウンが彼らの日本語教師に見せても残念ながら文意の理解が不可能であった。

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横浜開港後最初の宣教師として来日したヘボンは、メドハーストの『英和・和英語彙』を始め上記二冊も持参しており、日本に向かう船中ですでに日本語を研究していた。

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