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キリスト教禁令下での聖書和訳の試み(開国後)

聖書和訳の困難は、江戸幕府にも勝る明治政府の宗教弾圧だけではなかった。

聖書はすべての民衆が分かる言葉で語られることが必要とされる。しかし幕末や明治初期は日本に共通語は成立せず、地方、身分、職業、男性と女性、書き言葉と話し言葉などそれぞれに言葉は異なり、日本語辞典も文法書もなく、書写も筆を使い書体や表記方法もばらばらであった。宣教師たちは西洋言語学の力で日本語の解析から始めるとともに、「神」や「愛」といった概念をどう日本語で伝えるのかという極めて困難な問題に直面した。

1871年(明治4)ジョナサン・ゴーブル『摩太(マタイ)福音書』横浜

ゴーブルはペリー艦隊の水兵として最初に来日し、その後牧師となって日本に派遣された。このマタイ伝は国内最初の聖書出版物である。口語体で漢訳聖書の影響の少ない文体である。

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ヘボンとブラウンの最初の和訳四福音書

1872年(明治5)『新約聖書馬可(マルコ)伝』『新約聖書約翰(ヨハネ)伝』/1873年(明治6)『新約聖書馬太(マタイ)伝』/1875年(明治8)『新約聖書路加(ルカ)伝』

漢訳聖書と欽定訳英語聖書から訳し、米国人歯科医G.エリオットの献金200ドルを基金として、書を奥野昌綱、版は横浜住吉町稲葉治兵衛で刻成したが、明治政府の強い禁制により、国内では印刷できず上海で1000部を印刷し、治外法権を利用して国内に搬入した。

「ルカ伝」は、版木刻成と印刷との時間が開いたと思われ、版面構成からみて翻訳委員社中ではなく二人の訳と考えられる。

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1875年(明治8)カロザース『略解新約聖書馬太(マタイ)伝・馬可(マルコ)伝』

第一巻が12月、第二巻が翌1876年に刊行された。嘉魯日耳士(カラゾルス)発行であるが、実質翻訳編集は加藤九郎であり、日本人信徒が行った初の聖書翻訳である。

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