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『平文氏 語林集成漢字索引』

"INDEX OF CHINESE CHARACTORS IN HEPBURN'S DICTIONARY ARRANGED ACCORDING TO THEIR RADICALS"

邦語書名:『平文氏著 語林集成 漢字索引』
著者:WILLIS NORTON WHITNEY M.D.
Interpreter to the U. S. Legation, Tokyo
出版:丸善商社書店 東京 1888年

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Willis Norton Whitney は医師であり、米国公使館の通訳である。『和英語林集成』(第三版)では「日本人英学者高橋五郎、神戸にいた宣教師O.H.Gulickとともにウイリスが改訂者となっている」*

この索引は漢字の部首順に名詞をならべ、漢字の読みがわからなくとも目的の名詞に行きつき、その語が『和英語林集成』第四版のどこにあるかを示し、意味と発音が理解できるような編集の索引である。

「この漢字索引は大使館での仕事上、宣教師を助けて日本中に福音を広めたいという希望から」**、1889年に日本の国勢要覧ともいえる"A concise dictionary of the principal roads, chief towns and villages of Japan, with population, post offices, etc : Together with Lists of KEN,KUNI and railways"を丸善商社書店からほとんど同時期に刊行したこともあり、日本語を学ぼうとする外国人、特に宣教師にとってはその習得を簡易にする目的を果たしたといえよう。 ウイリスの語学力は、米国公使John A.Binghamから国務長官への文書で「私はすでにホイットニー氏およびその家族と日本で懇意にしている。同氏は通訳として適任であり。通訳に任命されれば、職責をよく、かつ忠実に全うしうると断言する」「日本在住のいかなる外国人に比べ、かれは完全に日本語の知識を身に付けている」と書かれている*。

Willis Norton Whitneyは1875年(明治8)に森有礼の手引きにより商法講習所(一橋大学)教師として招聘された父のWilliam Cogswell Whitneyとともに一家で来日した。 来日するとすぐに眼病者に同情が及び「横浜在住の二人の外人医師(ヘボンとシモンズか?)に就いて医学の研究を初め」たという。1879年東京学医学校(後の東京大学医学部)に初の米国人学生として入学しベルツに学び、1880年ペンシルバニア大学医学部に編入した。米国大使館の通訳として働きながら、眼科・普通科の赤坂病院の院長として医療伝導に従事した。

ウイリスはヘボンが代表を務めたことのある学会"Asiatic Society of Japan(日本アジア協会)"に属し、その学術研究誌"Transactions of the Asiatic Society of Japan" では1885年の12号に"Notes on the History of Medical Progress in Japan"を寄稿し、高木兼寛の成医会文庫(東京慈恵医科大学図書館の基)の設立には、ヘボンとともに参加した。
*渋沢輝次郎『海舟とホイットニー』1981より
**ホイトニー夫人梶夫人共著『ドクトルホイトニーの思い出』1930より

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