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印税で建った校舎ヘボン館

(1)東京随一の木造建築物「ヘボン館」

ヘボン館

1887年(明治20)12月26日芝白金の明治学院キャンパスに、当時東京随一といわれた木造の大建築物「ヘボン館」が建った。建築はわが国初の法人建設企業「有限責任日本土木会社(現大成建設)」である。
この建物は木造の三階建で学生の寄宿舎であり、各室は寝室と書斎に分けられ一室に3~4台の寝台が作りつけにされていた。地下はコンクート造りで雨天体操場と柔道場に使われ、島崎藤村もここに寄宿した。
この建物が「ヘボン館」と名づけられた理由は、初代総理ヘボンが『和英語林集成』第三版の版権を丸善に譲り、そのお金を基金にして建築された事による。

(2)辞書の印税で校舎が建つ

『明治学院沿革略』の1887年7月9日の項には「理事会に於て、新築の寄宿舎をヘボン館と名づくべく決議する。是れ其経費の大部分は同博士の寄付に依るが故なり。」とある。
徳川幕府により初版の版権は認められたが、明治政府になり外国人の版権は条約改正の担保となり、未だ認められず。ヘボンは版権を横浜時代から薬種商として付き合いのあった丸善に譲った。

1886年(明治19)10月29日の毎日新聞は「ヘボン氏の義捐:丸善より発売したる同氏著述の『語林集成』は一万八千部ほども予約ありしとのことなるが、外人が現行法の下に版権を有するあたわざるにより、同氏は丸善の請いに任せ、五、六千円とかにて稿本を売り渡し、その金円は残らず米国の伝道会社へ寄付したりという。」と書いている。

同じくWilliam Elliot Griffisは"Hepburn of Japan and His Wife and Helpmates. A life Story of Toil for Christ"1913 の中で同じような事を書いている。
On May 7,1886, He finished the revision of his third edition and obtained government copyright, through Z.P.Maruya&Co. The profits from this edition were large, since so many thousands of Japanese were eagerly studying English, and missionaries in Japan were now as numerous as a regiment of soldiers. So the Doctor was able to assist liberally the Shiroh church and the Meiji Gaku-in,or college,in Tokyo.
としてある。

『明治学院五十年史』は「和英語林集成の版権を丸善商社に托して一萬円を獲た時もその全額を明治学院寄宿舎の建築に寄贈した。」とし、その金額は2000ドル(1万円)が通説とされている。

(3)ヘボン館炎上とヘボンの死

ヘボン館はその建築後24年を経た1911年(明治44)9月21日早朝、原因不明の火災で炎上・焼失した。落胆する明治学院関係者のところに、同じ朝ヘボンが永眠したとの外務省宛の電報が届いたことが知らされた。当時この不思議な符合をめぐって、「ヘボン館」の名はひときわ有名になった。

炎上するヘボン館

*東京朝日新聞明治44年9月24日記事より
ヘボン博士は夙に本邦に渡来し我国教育界に貢献する所尠からず明治初年の頃本邦に於て和英辞書を著し当時語学の幼稚なりし我国の英学研究者に多大の便宜を與ふると共に博士はこの著述に依りて得たる利益の全部を挙げて都下明治学院に寄付し記念の一寄宿舎を設置したり名づけて之をヘボン館と云ふ天なる哉同館の慮らずも火を失して有為に帰したる廿一日早暁を以って博士は実にイースト、オレンジの庵に永眠せるは亦奇なりといふべし

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