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ヘボンの見た日本研究書

明治学院大学図書館にはヘボンが残した日本研究書があり、その一つはフランス人宣教師シャルルヴォアが著した『日本誌』である。 "Japon, ou, L'on trouvera tout ce qu'on a pu apprendre de la nature & des productions du pays, du caractère & des coûtumes des habitans, du gouvernement & du commerce, des révolutions arrivées dans l'empire & dans la religion & l'examen de tous les auteurs, qui ont écrit sur le même sujet : avec les fastes chronologiques de la découverte du nouveau monde : enrichie de figures en taille-douce " Charlevoix, Pierre-François-Xavier, Paris : Chez Julien-Michel Gandouin 1736"

この1736年版の一部は散逸してしまい、現存するものは9巻本中の2巻・7巻・8巻である。1880年(明治13)にヘボンから本学前身校の一つである東京一致神学校へと貸与されたと表紙に記載されている。

日本誌3冊・二巻目の中表紙・七巻目の中表紙・八巻目の中表紙
>> 言語文化研究所・図書館協力企画「シャルルボア『日本誌』デジタルアーカイブ」

二つ目は1819年パリで刊行の『日本の儀式―結婚と葬儀』 "Cérémonies usitées au Japon, pour les mariages, les funérailles, et les principales fêtes de l'année : suivies d'anecdotes sur la dynastie régnante des souverains de cet empire" M.Titsuingh,1819である。

日本の儀式の中表紙

ヘボンがニューヨークから日本に向かったのは1859年であり、これらの本はすでに入手して事前に読んでいた可能性がきわめて高い。ニューヨークで成功した病院を経営していたヘボンがそれを全て捨てて、はるか東方の地である日本へと向かう原動力となった力は何であったのだろうか。
ヘボンはミッションに命令されて来たのではなく、宣教医としてボランタリーに日本に向かう。従来この行為は「キリスト教の布教のため」の一言で片付けられてきたが、よく考えれば考えるほど、「なぜ極東の日本を選んだのか」「日本人をどんな人たちとして想像し期待していたのか」「日本のどの階層に布教したかったのか」などを考えると布教のためだけでは、いま一つ回答となりえないように思う。
ヘボンの『和英語林集成』編纂の姿勢からは日本人を野蛮人と見ていないことがわかる。侍や公卿の公用語だけの辞書を作らず、庶民各層の言葉を取り入れている辞書編集の姿勢には、日本を独自の文化と歴史を持つ国として見ており、また日本人の庶民までをしっかりとした生き方を持つ人間として見ているように感じられる。 また、ヘボンの態度はイエスズ会の宣教師がとった宣教方法とは大きく異なる。出会う日本人全てに真摯に接している。どうしてこの様な態度がとれるのだろうか。 ヘボンのこの姿勢は、来日以前に持っていた日本人観があるのではないかと推測する。
その回答の足がかりになりそうな本がこの2つの本である。もしかしたら、江戸初期に切支丹弾圧の中で真摯に生きた長崎や天草などの日本人たちの姿と、しっかりした独自の文化を持つ日本人の姿が彼を日本に引き寄せたのかもしれない。

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