コラム「キャンパスCLINIC」

自己責任

白金通信2004年06月号

最近「自己責任」という言葉をよく耳にする。イラクにいった民間人3人が捕まり、家族がテレビで悲壮な訴えをしていたあの事件以来である。
しかし実はこの言葉は私達糖尿病を診る医者にとっても良く聞く言葉なのである。
糖尿病の治療上の特徴は治療行動を行う主体は医者ではなく患者にあるという点である。医者が指示を出し、患者がそれを守るかどうかによってその先に合併症が起こってくるかどうかが決定される。
守る、守らないは本人の自由であるから一部に「守らない患者」が出現する。この患者に医者はしばしば私のあまり好きではない「自己責任」という言葉を使う。
判りやすく例えると、ある医者がある患者に食事指示を出した。カロリー制限やアルコール制限である。その患者は結果的にそれを守れなかったとする。それが何年も続いた結果、その患者が失明したとする。さてこの責任は誰にあるのでしょうか?ということである。
この病気の治療上「自己責任」という単語を使ってよいのか、果たして悪いのか。読者の皆さんはどう思われるだろうか?
一体、糖尿病患者さんが医者の指示通りしなくて合併症が進んでもそれは全て患者さんの責任なのだろうか?
しばしば「酒も我慢できないようなら私は診ません」という医者を見る。「それはその患者の自己責任だからだ」という意味だろうと思う。でも、患者さんも酒を止めなきゃいけないことは判っていると思う。それなのに守れないというのは大きな意味でその患者さんの能力ではないのか?守る能力がない患者さんに守る責任を問えるのだろうか?守る能力があっても守らないというのではない。
守る能力がない場合でもその患者に相応しい簡単なレベルの指導を行うのが医者のすべきことではないか?そこまで指導したか?
もちろんある糖尿病患者が失明したときに、もしその患者が守る能力があったのに守らなかった場合その責任の多くは本人にないとはいわないが、ただ「責任が本人にある」というときに本当に医者の側は全力で対処したのか?という疑問はいつも湧いてくる。
話は逸れるが私は最近ずっと生活習慣病における医者と患者の関係はアドバイザーとクライアントの関係であるといってきた。つまり医者と患者の関係は一方向に指示する者とされる者のような上下関係にあるのではなく、対等な関係にあるのだと思う。
そして双方に義務も権利も存在するのだと思う。患者はクライアントとしてアドバイザーとしての医者に糖尿病のコントロールを依頼する。代価として医療費を払う。医者はそれに見合った医療サービスを提供するといものである。
クライアントは関連する情報を渡し、アドバイザーの指示には従おうと努力する。しかし努力しても出来なかったことに対してはアドバイザーが次の指示を出す。そんな関係なのだと思う。
指示を出したが、患者は守らなかった。だからその責任は患者にある、という考え方には一方的に指示を出す側と指示を受ける側の間に上下関係が存在するという考え方が垣間見られる。
一連の政治家の発言からもそんな意識が感じられないだろうか?国と国民の関係とは上下関係だっただろうか?
「酒も止められない患者なんか診ない」といっている糖尿病専門医が短時間に多くの患者を診なければならない場合、自分の守備範囲を狭めるためにこういう言葉を口にすることもあるであろう。しかしそれはそれでお寒い医療の現状を反映しているということであり、決して待合室に聞こえるような大声でいってよい内容ではない。
むしろその言葉を声高に口にする医者には自分の能力や技量の限界線を安々と引いてしまう狭量さを見る思いがする。自分の仕事の限界をいとも簡単に見せてしまうような「自己責任」を頻用する医者も政治家も、言っている本人に悪気はないとは思うが、 気楽な仕事をやっているなぁと思う。

校医 朝比奈 崇介