vol.10 オープンマインドが未来を救う!

慣れない外国語でのコミュニケーションには苦労がつきものですが、困った時頼りになるのは、やはり周囲の人たちや友人の存在。自分1人で悩んでいては、せっかく留学しても道が開けません。そこで今回ご紹介するのは、オープンマインドに接することでたくさんの友人を得、語学力も身につけた藤田幸那さん。第二外国語レベルのドイツ語を、使えるドイツ語にブラッシュアップさせたその秘密とは…?

藤田幸那

国際学部国際学科3年時に、ドイツの名門ハンブルグ大学へ協定留学。ドイツ語は第二外国語のみでの履修だったものの、留学先で7名の語学パートナーを作り、語学力をめきめきと向上させた彼女。持ち前の朗らかなキャラクターと社交性の高さで、最後はハンブルグの正規学生と留学生のかけ橋的な役割を担う人気者に。帰国後は、ドイツと日本の合弁企業に内定。見事、留学を結果に結びつけた。

演奏旅行のあの土地へ

いろんな国が選べる中で、なぜドイツに留学を?

高校時代の話ですが、オーケストラ部でビオラをやっていたんです。私の通っていた高校はオーケストラ部が強くて、度々全国大会1位になるようなところ。後援会に活動をサポートされ、ヨーロッパで2週間の演奏旅行を経験しました。そこでドイツ、スイス、フランスを訪れたんですが、他の2国がホテルステイだったのに対し、ドイツだけホームステイだったんですね。それで何となく親近感を持ったのと、友達もできたのとで、いつかドイツ語が話せたらいいな…と思っていました。

また、ドイツは環境先進国で、循環型社会形成に対する取り組みが進んでいる点でも興味が持てましたね。英語圏への留学も役立つとは思ったのですが、英語は社会人になってからでも使う機会があるので、そこで覚えられるかなと。

実際に住んでみると、大学のあるハンブルグは港町で交通の便がよく、治安もよく、それほど観光地でもないので、とても暮らしやすい街でした。ヨーロッパやアフリカからの留学生も多く、ハンブルグ市民も留学生に慣れていて、向こうから話しかけてくれるような人もいましたね。

やっぱり私は日本人!

名門ハンブルグの授業、ドイツ語も大変だったのでは?

元々私のドイツ語のレベルは、第二外国語と中級レベルのドイツ語の授業を履修している程度でした。でも、これが協定校交換留学のいいところで、明学の学生はハンブルグ大学の日本学科で学べるんです。なので、日本の新聞をドイツ語に翻訳したり、村上春樹の小説を日本語に訳したり、中には日本人の先生による授業もあって、親しみやすかったですね。

一方それ以外の授業は、ドイツ語のレベルの問題から、最初はついていくのが大変でした。ディスカッションもけっこうあります。例えば、スポーツを軸に文化の融合を考える授業なら、ドイツはチームが優勝するとビールをかけあうとか、インドはサリーを着てサッカーを観戦をする人がいるとか、自国に特徴的なことを言い合うというもの。こういう授業は大変でもあるんですが、改めて日本について考え、語る機会を得られたことで「私って日本人なんだな」というアイデンティティを再確認できたように思います。

また、ドイツ人は真面目で議論好きと言われますが、確かにそうなんですよ。日本では場の空気を読むことが重視されますが、ドイツ人は全部言っちゃう(笑)。まずは考えをぶつけて、相手がどう捉えるかを知りたがり、真っ向から反論されても傷かない。そこは波風を立てないように、曖昧にする日本人とは大きく異なるところでしたね。

会話力を磨く最強の方法

ディスカッションするための語学力、特に会話力はどうやって磨きましたか?

実は、ドイツに来たばかりの頃は、電車の中で話しかけられても、パン屋でオーダーして返答されても、何を言われているのかさっぱりわからなかったんですよ(笑)。それで「これはまずい」と思って、最初の1ヶ月はタイピングで単語を覚える「iVoca(アイボキャ)」というゲームをやったり、単語帳を作ったりしていました。

学校が始まってからは、タンデムパートナーを作りました。タンデムは、お互いの言語を互いに教えあったり学び合ったりするというもので、だいたい1対1で何曜日の何時、というように時間を決めて行います。私は比較的、この時間を多めにとっていて、7人のパートナーとコミュニケーションをとっていました。授業が終わった後に会うことが多くて、1日2人と会話する日もありましたね。

会話は、テーマを決めて話すときもあるし、「先週何してた?」って感じで普通に話すこともあります。もちろん人と人だから相性もあって、タンデムパートナーとして知り合い、仲良くなった子と悩み相談し合うこともありました。これを始めて、だいたい4ヶ月で自分のドイツ語力が日本にいたときより一段上に安定したかな、と思えるようになりました。

アウシュヴィッツでの想い

ドイツでの休暇はどんなふうに過ごしましたか?

いろんなところに旅行に行きました。フィンランド、デンマーク、イギリス、オーストリア、フランス、クロアチア、ドイツ国内…。留学の合間の旅行は、ヨーロッパに住んでいるゆとりがあったからかなのか、小道に入ったり、人の顔つきなんかも眺めてしまったりして、より一層その違いを感じることができたような気がします。

印象に残っているのは、ポーランドにあるアウシュヴィッツの強制収容所です。惨劇の記憶が生々しく刻まれていて、一緒に訪れた友人は泣いていました。確かに酷い。でも、私は涙が出なかったんです。その時は「どうしてだろう」と思ったのですが、しばらくして、自分にとって戦争は遠い過去のもので、今と切り離された記憶になっていたんだ、と気づきました。

日本とドイツは、第二次世界大戦において多大な被害を与えたという共通点がありますが、若い人たちの戦争に対する向き合い方は異なるように思います。ドイツでは、戦争経験者だけでなく、若い人も戦争についての事実認識や考えを語ることができ、「負の遺産」をも後世に積極的に残そうとしている印象を受けたんです。ベルリンの壁が崩壊したのは1989年のこと。それを思うと、彼らは戦いの歴史の延長線上に自分たちが生きていることをより身近に意識していて、戦争は二度とあってはいけないと、よりリアリティをもって感じているのかもしれません。

境目のないコミュニケーションを

語学力以上に、留学で得られたものは何だと思いますか?

これまで日本学科の入っているアジアアフリカ研究所のカフェでは、ドイツ人同士でも学部が違うと、顔を見知っていてもそれほどフレンドリーな感じにはならなかったんですが、私ともう1人の留学生が入ったことで、カフェに集まる学生たちが混ざり合い、コミュニケーションをとるようになったそうなんです。帰国日が近づいてきた頃、ドイツ人の友達から、このカフェに集まる子が「ユキナたちがカフェの雰囲気を変えてくれたよね」と言っていたという話を聞いて、そのことを知りました。

私は誰とでも仲よくしていきたいし、「友達の友達は友達」という、境目のないコミュニケーションをしていきたい方。だからそう言ってもらえて、私の人との関わり方は間違ってなかったんだな、と思ってほっとすると同時に、ほんとうに嬉しくなりました。ハンブルグを発つ日には、駅に大勢の友だちが集まってくれたのも嬉しかった。電車のドアが閉まっても、ホームを走って見送ってくれて。

帰国したのは4年次の8月だったため、就職活動は9月中旬から始めたのですが、幸いにも10月に、日本とドイツに関係のある企業に内定をいただくことができました。最終面接では、自己紹介やちょっとした話をドイツ語で話したのですが、ここでも留学経験が生きましたね。きっとこれからもドイツに行くことがあるでしょうし、いつか仕事でも行けるチャンスがあったらいいですね。