明治学院大学図書館沿革
明治学院大学図書館沿革
明治学院の創立の源流は文久三年創立の横浜のヘボン塾とブラウン塾である。また、フ
ルべッキが長崎で教えた英学塾も明治学院創立の源流の一つとなっている。現図書館の前
身は明治十年十一月に築地外国人居留地に開室した東京一致神学校図書室であり、明治十
三年九月開室した築地大学校書籍縦覧所が、明治十六年九月東京一致英和学校図書室とな
り、明治二十三年六月東京一致神学校図書室と東京一致英和学校図書室が合併し、明治学
院神学部校舎兼図書館として現記念館が白金に建てられた。普通学部卒業生島崎藤村の書
いた「桜の実の熟する時」の中に「新しく構内に出来た赤煉瓦の建物」がそれであり、一
部は神学部の教室、一部(二階)は図書館に用いられていた。「歴史科を受け持つ頭の禿
げた亜米利加人の教授が主任のライブラリアン」であったことを藤村は書いている。また
藤村の書いた「吾が生涯の冬」には
「私は毎日図書館に這入つて暮らした。其の時分の明治学院の図書館と云えば、
京都の同志社のそれと並んで、私立学校中では有数のものであった。大抵は外国
の教師から寄贈したもので、先づセキスピア全集、ヂケンズの書簡集、其の他、
いろいろの伝記やら、小説やら、其の時分 としては、兎に角文学書類が数多く
備わって居た」。
また賀川豊彦の「死線を越えて」を読むと、講義にはさっぱり
出ないでこの図書館の書物を片っ端から読破していったことが書かれている。明治三十年
当時の明治学院図書館について、「福音新報」は次のように報じている。
「明治学院所蔵の図書凡て七千余巻あり就中哲学、神学、及び宗教に関する書籍
に富む、恐らくは神学文庫として日本第一の文庫ならん」
蔵書の中心は、関係ミッションから送られたものや、宣教師個人の寄贈書であり、従っ
て洋書が多かった。特に、スコットランド一致長老教会の宣教師やエディンバラの神学生
から寄贈された神学書はかなりの数にのぼったといわれる。
昭和五年になると神学部は東京神学社と合併し、日本神学校となる。このため明治学院
の神学関係の蔵書の多くは日本神学校に移管となり、今日の東京神学大学の蔵書の一部と
なっている。その後、新サンダム館やランディス館を高等商業部や高等学部の図書館とし
て利用した。
明治学院大学図書館となったのは昭和二十四年四月の新制大学発足と同時である。最初
の大学図書館は現記念館の建物を利用して発足した。その後、昭和二十九年十一月開館の
鉄筋コンクリート二階建の旧大学図書館をへて、平成五年十月開館の地下二階地上七階の
現図書館に移り今日に至っている。平成十二年からは下記横浜図書館と共に、閲覧室での
インターネット接続が可能な環境になり、利用者自身のパソコンによる学習環境が整備さ
れた。
昭和六十年には横浜市戸塚に教養課程一・二年生と国際学部生・同大学院生用の横浜校
舎図書館が開館した。半円形の独立した建物であり地上二階・地下二階の閲覧室及び書庫
を持ち、インターネット接続による教育学習環境や視聴覚資料設備を特色としている。
(2000年10月現在)
明治学院大学図書館2006.3.6
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