明学・東北学院大学協働プログラム活動報告

4月25日(月)から4月28日(木)の4日間、東北学院大学の学生・教職員と本学の学生・教職員と合同ボランティア活動を行いました。4日間という短い期間でしたが、すべての活動に東北学院大学ボランティアステーションの学生・教職員の皆様と参加させていただき、また皆様の全面的なご協力のおかげで、直接ボランティアだけでなく、間接ボランティア、そしてボランティアを支えるボランティア・コーディネートの現場にも関わらせていただけたことで、今回の災害を様々な角度から知ることができ、ボランティアについて複眼的にとらえる機会となりました。被災されていらっしゃる最中であるにも関わらず、私たちを温かく迎えてくださった東北学院大学ボランティアステーションの学生・教職員の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。以下は簡単な活動報告ですが、現場で感じた思いなどは、別途ツイッターやブログでご覧ください。

【4月28日(木)】

最終日も2グループ(学生2名ずつ)に分かれ、1)塩竃での避難物資保管倉庫の片づけと、2)東北学院大ボランティアステーションの運営のお手伝いに参加させていただきました。そして夕方から、東北学院大学ボランティアステーションの学生・教職員の皆さん、明治学院大学の学生・教職員総勢20名以上が集まって、最終総括ミーティングを行いました。参加した学生の活動振り返り報告と、今後の両大学の活動内容を検討しました。今後の具体的な活動内容案としては、東京港区にある、明治学院大学白金キャンパスにおいて、今回の活動で和訳した海外からの被災地に向けて子どもたちのメッセージと、河北新報社の写真集の英訳の展示会案や両大学の災害復興に向けた合同シンポジウム等の企画案が出ました。そして、今後も継続的に連携を続けていくことで合意しました。

【4月27日(水)】

この日も、東北学院大学の学生・教職員の皆さんと一緒に、明学いは2グループ(学生2名ずつ)に分かれ、1)津波被害にあった、塩竃にある避難所物資保管倉庫の片づけと、2)多賀城市文化センター(避難所)の子ども遊び場でのボランティア活動に参加しました。夕方は、柘植先生が仙台に到着し、東北学院大ボランティアステーション学生教職員、明学学生教職員で交流する機会がありました。

【4月26日(火)】

明学は2グループ(学生2名ずつ)に分かれ、1)多賀城市文化センター(避難所)の子ども遊び場でのボランティア活動と、2)東北学院大ボランティアステーションの運営のお手伝いと仙台市災害ボランティアセンター訪問、という活動に東北学院大学の学生・教職員の皆さんと参加させていただきました。藤川先生はこの日帰京。

【4月25日(月)】

まず、東北学院大学学長にご挨拶に伺いました。
そして、20名ほどの東北学院大学の学生・教員の皆さんとともに、河北新報社の東北地方太平洋地震写真集の英訳作業とアメリカの子どもたちから届いた被災地の子どもへのお手紙メッセージ和訳作業を行いました。英訳は、英訳版の写真集やアメリカで開催される写真展等で使用、和訳したお手紙は、被災地の子どもたちにお渡しする予定です。午前午後にかけて、全て訳し終えることができました!また、活動を通して、東京と仙台それぞれの3月11日について話し合い、自分の誤った認識や情報に気づかされる貴重な機会となりました。

【4月24日(日)】

学生と藤川先生が、22日より仙台入りしていた李コーディネーターと合流。東北学院大学の其田さんより生活オリエンテーションを受け、翌日に向けたミーティングを行いました。

学生の感想

テレビや新聞などで頻繁に沿岸部での瓦礫撤去や汚泥除去の様子が報道されているのを見て「へぇ…これがボランティアか…」と思う方は多いと思います。今回のボランティアに参加する前の私も「ボランティアって力仕事が多いんだな」と思いつつそれらの報道を見ていました。もちろんこれらも立派な災害ボランティアです。実際は、写真集の英訳や英語メッセージの和訳、多賀城市での子どもボランティア、塩釜倉庫清掃など一口にボランティアと言えど、今回私が参加したものだけでも様々なものがありました。今回のボランティアに参加して分かったことの一つとして、震災における「情報」の重要性というものがあります。様々なボランティアを通してTGU生の皆さんや避難所の皆さんから3月11日の地震当日のお話を聞かせてい ただく機会が多々ありました。自宅が津波で流されてしまったことや流されていく人に助けを求められながらも助けることが出来ずに悔しい思いをしたことなど様々なお話を聞かせていただきましたが、皆さんがほとんど共通しておっしゃっていたのが「正直何が起こったのか分からなかった。いきなりインフラが使えなくなって、情報が全く入ってこなくてとても不安だった」ということでした。いざ震災が起きた時どこに問い合わせれば情報が得られるか、どこで支援物資が手に入るかなどが分からなければ、対処のしようがありません。普段から震災時の対処に関する正しい情報が必要になります。宮城県沿岸部の小学校では、校舎の屋上へ避難した職員や生徒は助かり、校庭に集まって避難した方々は残念ながら助からなかったそ うです。正しい情報を知ること、知らせることによって助かる命があること。どうか多くの方に知ってほしいです。

文責 文学部 作田さん

4日間、毎日異なるボランティアに参加させていただきました。 それぞれ、感じたことなどは多少異なりましたが、共通していたのは、 テレビで見ていた現状とは異なるということです。また、初めは現地の方々が、 東京から来た私たちに対して心を開いてくださるのか、すごく心配でしたが、 とても良い方ばかりで安心しました。しかし、現地の方々と交流をするなかで、 返答に困ってしまうことも多々あり、現地でのボランティアの難しさというものも感じました。 これからは、まずは現地の正しい現状を発信していくとともに、 1回きりで終わりではなく、今後も活動を継続していけるように頑張りたいと思っております。

文責 国際学部 藤又さん

2011年3月11日、14:46、東日本大震災が発生しました。私は4月24日から28日まで、宮城県仙台市にボランティアに行き、東北学院大学の方々と活動しました。明治学院大学の学生は私を含め4人で、他にコーディネーターの先生が計3人でした。 私がボランティアに参加しようと思ったのは、私の叔父が宮城県塩釜市に居住、石巻市に勤務しており、実際に叔父と3日間連絡が全く取れないという経験をしました。それから、随時叔父から現地の様子を聞いたり、テレビなどのメディアを通して、被災のことを知り、私にもなにか小さなことでもできることはないかと葛藤する日々でした。実際に震災の2週間後に宮城に支援に行った知人の話で、避難所で生活をしている人のちょっとした話し相手になるだけで、少しは力になることができると聞き、ボランティアをやりたいと思う気持ちが大きくなりました。しかし一般的なボランティアは、自分で寝床や食料を確保したりと、自分一人ではかえって足手まといになってしまうと思ったため、参加できずにいましたが、今回明学を通してボランティアをすることができたので参加しました。 私たちの活動内容は、①海外の子どもたちからの手紙の和訳、河北新報社が出している雑誌のキャプチャーの英訳、②多賀城市の避難所で子どもたちの遊び相手、③塩釜市の倉庫での復興作業の手伝い、④東北学院大学ボランティアステーションの運営の手伝いでした。①を除く活動は、明学生が2人ずつに分かれ、②は3人、③は約15人、④はボランティアステーション運営スタッフの東北学院の学生と一緒に作業しました。 ボランティアに行く前に明学の白金校舎でサポートガイドが開かれました。ここで、被災した方が受ける悲しみや苦しみの知識やコミュニケーションのとり方などを学んだり、喪失体験ワークや災害傾聴ロールプレイをしました。 24日に現地に到着して、まず感じたことは仙台駅周辺は思ったよりも私たちと同じ生活を送られているようにみえました。バスも電車もお店も何ら東京の私たちと変わらなかったです。それが今回のボランティアで驚いたことの一つです。そして東北学院大学のボランティアステーションの其田さんからお話をいただきました。東北学院大学はもともとボランティアステーションを新しくたてようとしていたところに、今回の3.11が発生し、そこで学生が中心となって、3月29日に立ちあがった団体です。災害の中でのボランティアステーションの運営であり、実際に津波で家が流された方も黙々とボランティアをされているそうです。明治学院大学はボランティアセンターが早くからあるため、様々なことを参考にしたいとおっしゃっていました。其田さんのお話の中で、災害の中で地元の人が被災しながらもボランティアを行うことは、ある意味で気を紛らわすためでもあるが、現地の人は、地元の人がやらないと本当に復興しないと考えているためです。それは継続性の活動が必要だからです。日々ニーズがかわっていくため、同じ人、団体が入ってほしいといいます。また、そのニーズを把握したり、地域の手伝いをするためには情報ボランティアというのが、非常に重要です。5月9日から東北学院大学も授業が再開するようで、それ以降もボランティアの継続性を保ちたいとおっしゃっていました。しかし、私はここで、ボランティアの継続性の必要性について、あまり理解ができていませんでした。 ボランティアはまず、①海外の子どもたちからの手紙の和訳、河北新報社が出している雑誌のキャプチャーの英訳です。明学生4人と東北学院の学生20人と行いました。5つのグループに分かれて作業しました。海外の子どもたちからの手紙は可愛らしいものでしたが、今回の震災に対する関心も伺えました。英訳のほうは難しい表現も多く、苦戦しましたが、東北学院の学生と協力して作業できて、よかったです。でも、ボランティアに来た私が助けてもらったり、気を使っていただいたりして、申し訳なさや情けなさ、虚しさを感じたし、また一緒に活動した学生の中にもやはり津波で家の1階部分が流されてしまったり、被災した方もいて、いろいろな話を聞いて衝撃をうけました。しかし、東京で被害にあわなかった私が、実際どこまでその話を深く聞いていいのかなどコミュニケーションのとり方がわからず、戸惑うことも多々ありました。ボランティアと聞くと、がれきの撤去など外で活動するものだと想像しがちですが、今回和訳と英訳のボランティアをやって、このような間接的なボランティアも実はとても重要で貴重な体験ができたと感じました。 次に②多賀城市の避難所での子どもたちの遊び相手のボランティアです。避難所の一角に子どもたちの遊びスペース、こどもランドがあり、そこで活動しました。子どもたちは午前中、学校に行っていたので、こどもランドの掃除や片づけをしました。午後は子どもたちがこどもランドにやってきましたが、見ず知らずの私たちがいるため、初めはランドセルを置いてすぐにどこかへ行ってしまいました。その時は、何をやっているんだろう、私たちが来ない方が絶対によかったなと思いました。しかしこちらから一生懸命話しかけて遊びに誘うと、子どもたちがお絵描きをしようと言ってくれました。それから、折り紙や風船遊び、外でフリスビーやおにごっこをして遊びました。最後にビーズでブレスレットを作ってくれて、それがすごくうれしかったです。「お姉ちゃん、明日も来てくれる?」と子どもたちに言われて、はじめて、最初の日に其田さんがおっしゃっていた、継続性の意味がわかりました。このボランティアで避難所を初めて訪れました。想像していたよりも、狭く、きれいではないし、多くの方がいました。避難所の小さなスペースで散髪が行われていたり、高齢者を中心に体操をしていたり、避難されている方が肩もみのボランティアをされていたりと初めてみる光景ばかりでした。でもみんなが協力して生活しているんだと強く感じました。またこどもランドの責任者の方が、私と同い年で驚きました。一緒に遊んでいた子どもの中に、ふとした瞬間私に、「おばさんが津波で流されちゃったの」とポロっともらした子がいました。私は驚いて何も言えなかったのですが、その子はそれ以上何も言わずに遊んでいました。そんな言葉が出てくるとは思わなかったし、子どもたちはただ楽しく遊んでいると思ったけど、そうではないんだと感じました。 そして③塩釜市の倉庫での復興作業の手伝いです。米俵を保管している倉庫で、地震により崩された米俵を手作業で積みなおすのと、散乱したお米を片づける作業をしました。1俵25kgの米俵を運び一つ一つ積みなおしますが、量も多いし、重くて倉庫は広いし、気が遠くなるような作業でした。また、崩れて袋が破けてしまった米俵からは、白くてきれいなお米が出てしまい、せっかく農家の方が育ててくださったお米が散乱していました。このボランティアを仕切ってくださった、塩釜倉庫の方も地震の被害にあわれ、3.11のとき津波を高台から見ていて、津波にのまれた人が少しでも高い車の上から「助けてくれ」と何度も叫び助けを求められたが、どうすることもできない、ただごめんなさいと見ていることしかできなくて、翌日遺体を見つけたことや、電気も水もガスもない状態で、1カ月お風呂に入れなくて、支援物資も必要なものが届かず、ドッグフードが届いてそれを食べていたという話を聞きました。倉庫の作業も、3.11の片づけをしたと思ったら、4月7日にも大きな余震があって今までの作業が無駄になり、途方に暮れたとおっしゃっていて、このボランティアを通しても、継続性の大切さを痛感しました。 最後に④東北学院大学ボランティアステーションの運営の手伝いです。東北学院大学のボランティアステーションは登録制で、ボランティアをしたい学生が、登録をしにくるというシステムでした。そこで登録に来た学生に説明をしたりするボランティアステーションの運営スタッフの手伝いをしました。このボランティアステーションがボランティアをするうえで必要な場所になっていて、ここの運営がなくてはならないので、重要な活動だと身をもって経験できたし、スタッフの東北学院の学生と関わる機会がもててよかったです。 今回のボランティアを通して感じたこと、学んだことは、まずテレビでの情報と実際の現地は違うということです。テレビでは津波の被害を大きく報じていて、どこまでもがれきであると思ってしまうようだけれど、実際仙台駅周辺は私たちと変わりのないような生活をしているし、着々と復旧もされていると思いました。けれど、お店のガラスが割れていたり、地割れしていたり、また津波の被害があった所を実際目撃して、車がひっくり返っていたり、コンビニが看板だけしかなかったり、被害の大きさが直にうかがえて衝撃を受けました。問題に思ったところは、支援物資についてです。東北学院大学にも多賀城の避難所にも塩釜倉庫にもたくさんの支援物資がありました。しかし、どれももう使われずに行き場を失っているものでした。人々の温かな気持ちで送られてきた支援物資が置き場所に困る存在になってしまっていて、これらをもっと有効活用したり効率よく回せる方法はないのか、今後の課題になると感じました。そこでも情報ボランティアや継続性の活動が必要になると思います。子どものボランティアでは、せっかく少しずつ仲良くなれた子どもたちと1日でお別れしてしまったり、塩釜倉庫でも莫大な米俵の中、1日ではほんの一部しか片づけられなかったし、和訳のボランティアも私たちが訳した手紙は人々にどのように伝わって、また送ってくださった海外の方に帰るのか、継続していかないとわからないこと、みえないことも多くあると感じました。 今回私が多くの明学生に先駆けて仙台にいき、ボランティアをしたので、これからも継続性をもって関わっていきたいし、東北学院大学のみなさんとのつながりを大切にしたいと思います。今回の地震に関心のない人はいないと思うので、現地に行ってボランティアをしてきた私たちが、見て感じたことを伝えていこうと思います。そして、多くの人がこの震災のことを忘れずに、興味、関心を持ち続けてほしいと思います。

文責 国際学部 山崎さん