仕事の周辺

どこまでが「音楽」?

「発車メロディ」の現在が問いかけるもの

渡辺 裕

 「音楽学」の研究者だったはずなのだが、このところ、バナナの叩き売りの口上やら、チンドンやら、「音楽」の概念の境界線上にあるようなものばかり研究している。今もまた、駅の発車メロディのことを調べているのだが、調べれば調べるほど微妙な感じがつきまとってくる。あれを「音楽作品」とみなすべきなのか、どうなのか…。
 発車メロディがJR東日本の新宿駅と渋谷駅に最初に設置されたのは一九八九年と、実は意外に新しい。それ以前は、けたたましい金属製のベルが長いこと使われており、その後、電子音に置き換わったのだが、これまた不評で、それに代わり「環境にやさしい」という触れ込みで登場したのが、この発車メロディだった。新聞を調べてみると、当時、駅の音環境の悪さについて議論が盛り上がっていた様子がよくわかる。朝日新聞では本多勝一が一九八七年一一月一三日付けの「騒音に鈍感すぎないか」と題されたコラムで日本の駅のアナウンスのうるささを話題にしたところ、大きな反響があり、それを受けて「何とかならない?拡声機公害」という特集が組まれている。八八年八月にはJR東日本の千葉駅で発車ベルが全面的に廃止され、議論を呼んだ。新宿、渋谷の両駅を皮切りに、発車メロディの導入があっという間に進んだのはそういう背景ゆえのことだった。
 それゆえ、この新宿駅のものは音の環境に細心の注意をはらって作られていた。今あらためて聞くと、ハープやピアノの音を基調に、小鳥のさえずり、川のせせらぎ、それに鹿の鳴き声までさりげなく配した、何とも凝った作りである。番線ごとに周到にデザインされ、複数が一緒に鳴っても調和するような配慮までなされていた(この初期のものはすでに取り替えられており、今は聞くことができない)。
 その凝ったつくりの一方で、これら初期の発車メロディからは、「音楽」や「音楽作品」として聴かれることを拒否し、表現主体としての「作者」を可能な限り消し去ろうとする強い方向性が感じられる。営団(現東京メトロ)南北線のように、吉村弘(一九四〇~二〇〇三)という著名な「作曲家」がデザインしたケースもあったが、そこでも「音楽」やその背後にある「作者」の影はほとんど感じられない(この南北線のものも今年になって新しいものに置き換えられてしまった)。吉村のように「環境音楽」や「サウンドスケープ」の流れに関わった作曲家の大半は、現代作家として「反芸術」的なコンテクストで活動してきた経緯があり、既成の「音楽」や「音楽作品」へのアレルギーが大きかったのである。
それから二〇年以上がたち、発車メロディの様相は大きく変わった。最近顕著なのは、その土地ならではの「ご当地メロディ」への動きである。私がよく使うJR東日本の八王子駅でも、二〇〇五年から新たに童謡《夕焼け小焼け》のメロディが使われている。八王子出身の作詞者・中村雨紅に因んだものだが、こういうときに想定されるのはまずもって、その地に因んだ既成の「音楽」であり、そこからあえて距離を置くことで環境の中に溶け込もうとしていた初期の発車メロディからは想像できなかったような「音楽志向」的なあり方になっている。
 一方、二〇〇七年には、ミュージシャン向谷実がトータルデザインした京阪電車の発車メロディが話題になった。各駅のものをつなぐと一曲の楽曲になるというもので、CDも発売されており、そこにはフルバンド編成の「アレンジバージョン」などもおさめられている。向谷は、著書やネット動画などで、その制作意図を詳細に語っており、「作者」は自らを消し去るどころか、この「作品」の表現主体としてむしろ前面に出ている。「作品性」や「作者性」全開の状況を象徴しているのが著作権問題である。発車メロディの愛好家には、ウェブサイトなどで蘊蓄を傾けている人も少なくない。実際、これらのサイトでは、どこの駅の何番線の発車メロディは何年何月何日に変更されたもので制作者は誰それである等々、驚くほど精緻な情報が提供されている。自らが駅で録音してきた音を公開している人も多く、変更されてもはや流れていないものも大抵は聞ける。発車メロディが「文化」として今日のような広がりをもつようになったというのも、愛好家たちが無償で運営してきたこれらのウェブサイトの拠点としての機能に負うところが多いように思う。
 ところが何年か前から、日本音楽著作権協会(JASRAC)が多くのサイトに音源の公開中止を求める事態が生じた。その中には一〇年以上にわたって音源の公開を続けてきた「老舗」サイトも含まれており、閉鎖を余儀なくされるものも出てきた。創作性のある「著作物」であるから、たとえ自分で録音したものであれ、無許可で掲載するのは著作権法違反にあたるというわけであり、現在では、日本音楽著作権協会に管理委託されているものは公開を自粛するのが通例となった。この「文化」をここまで押し上げるのに貢献してきたサイトへの「恩を仇でかえす」振る舞いにもみえなくないが、それはさておき、「作者」が日本音楽著作権協会に管理委託したということは、その「作品性」の宣言と言ってもよく、それが著作権問題に波及するのも当然ではある。二〇年以上の歳月を経て、発車メロディを取り巻く文化環境がかくも変わってしまったことにあらためて驚かされるのである。
 良し悪しの問題ではない。それが「文化」である以上、こうした変化は当然起こりうるものだし、むしろ「音楽」の定義や「作品」の概念までもが、時代状況の中で問い直されるところにこそ「文化」のおもしろさがあるとも言えるから、発車メロディの「作品化」という現象自体、考察する価値のある現象に相違ない。しかし、ここではたと考えるのである。たとえば、「音楽」に限定して基本的な資料を収集する使命をもっている日本近代音楽館の活動にとって、発車メロディは守備範囲にはいるものなのだろうか。「作者性」があり「作品化」されたものだけが対象なのだとすれば、最近の発車メロディだけが「音楽」なのか。では、「作曲家」の吉村弘が「作者性」や「作品性」を消そうとして作ったものはどうなのか。考えれば考えるほどわからなくなるのである。
(わたなべ・ひろし館収書委員
東京大学教授)