明治学院での39年
1. はじまり
大学院は茗荷谷にある東京教育大学の物理学科でした.十数人の素粒子論専攻の院生達が大部屋で毎日研究を進めていました.電卓は真空管式のどでかいもので,コンピューターはテープに穴をパンチするものでした.大学院を出てすぐには定職に着けずに,学振や教務補佐でつないでいました.
毎年冬になると,院生達と八方尾根にスキーに行きます.その年もいつものように夜行で八方尾根に行き,リフトの終点から雪の急な斜面をスキー担いで30分位登って宿の国民宿舎に着くと,家に電話するようにとのことでした.電話すると,「明日,面接だからすぐに帰って来なさい.」とのことです.「えーっ?せっかくスキーに来たのに.」と抵抗したのですが,やむなく夜行で帰りました.面接は明治学院で,大西亨邦先生でした.学内を案内していただいたのですが,守衛さんが敬礼をしてくれるので,この先生は偉い先生なんだなあと思いました.案の定,その後大西先生は副学長になられて,戸塚校舎建設にはおおいにご活躍なさいました.
面接が終わって,その夜はまたまた夜行で八方尾根に戻りました.三夜連続で夜行列車に乗ったのはこの時だけです.
2. 授業
明治学院に来ると,今までの理系の学部とはがらりと雰囲気が違います.男がほとんどの物理学科から女子学生も沢山いる明治学院へと移って来ました.授業では大きな教室でマイクを使って話しをすることとなりました.相対性理論と量子力学の話なのですが,いろいろ不思議なこともあるもんだなあということだけでも分かってもらえたらと思っております.授業の最後に出席カードを配って,裏になにかメッセージを書いてもらっています.特に女子学生がいろいろ書いてくれるので,読むのを楽しみにしています♡ そのうちの何枚かは次の授業のはじめに紹介しています.
3. 学園紛争
ところが,就任間も無く学園紛争が勃発しました.当時の流行に明学も巻き込まれてしまったのです.ヘルメットに覆面の暴力集団があばれまわり,マイクの設備は壊されてしまいました.大きな教室で声をはりあげて授業を続けたのですが,無理です.のどをすっかり痛めてしまいました.鼻水も出るようになったのです.渋谷の某名医と噂の耳鼻科に見てもらったところ,アレルギー性鼻炎との診断でお薬をもらって飲んだのですが,飲むと鼻水は止まるのですが,治るような気配はありません.また出てきます.
そうこうしているうちに,脈拍が時々一拍お休みするようになりました.怖くなって団体生命に加入したのですが,不整脈ということで割り増し料金だというのです.弱みがあるので,やむなく払うことにしました.
その後,どうもあの薬があやしいと思うようになり,アレルギー性鼻炎の薬を飲むのを止めました.すると,一拍お休みは無くなりました.かくかくしかじかのわけで,割り増し料金の理由は無くなったのだから,通常料金にしてくれるように生命保険会社に掛け合ったのですが,受け入れてもらえませんでした.かといって途中解約するのは不利なようになっています.やむなく,満期まで割り増し料金を払ってしまいました.
ちなみに,昨年秋の健康診断では完全にnpでした.心電図は標準波形にそっくりの綺麗な波形です.血液検査の各種数値はすべて基準値の範囲内,血圧,尿検査,便検査,X線検査などすべての検査で問題なしでした.
4. 探検部
先輩の斉藤則夫先生(化学)に薦められて,探検部の顧問を引き受けることとなりました.早速,新しい先生の歓迎会を開くから来てくださいとのことで,のこのこ出かけたところ,すっかり飲まされてしまいました(>_<).完全に飲みすぎです.後で聞いたのですが,これが探検部流の歓迎の仕方なんだそうです.その秋には南アルプスの甲斐駒の登山にお付き合いしました.
それから何年かして,5月の連休に新入生歓迎合宿ということで上州武尊に登りました.武尊牧場から登って,途中に雪の壁があります.急な壁なので,上級生がザイルを張って登ります.壁の最も急な所の下から見て左に木が生えています.先にそこまで登って写真撮影の準備をしていました.その時です,不覚にも帽子を落としてしまいました.帽子は上から見て壁の右の木の枝にひっかかりました.すると,敬子さんが太ももにザイルをくるくるっと巻いて,ブランコに振って飛びついて取ってくれました.かっこいぃー・・・ とっさにあんなことが出来るなんて,感激です∖(@_@)⁄
あの敬子さんが冬の寒い日に・・・(涙)
5. 舞踏研究会
探検部の敬子さん達と目黒でカラオケを歌っていると,お隣の部屋から拍手が沸き起こりました.柱で区切られているだけで,壁はありません.ご挨拶に伺いますと,明学の舞踏研究会の皆様でした.すると,後ろの席から女の子がとことこやってきて,「顧問をしていただけませんか?」とのことです.突然ではありましたが,ご機嫌だったものですから,すぐに引き受けました.舞研のことは何年か前に物理学を履修していたさっちゃん(幸子さん)にいろいろ聞いて知っていました.
舞研はいろいろな試合でなかなかの成績を出しています.その中でも,全日本での成績は次のようなものです;
団体2位1996年
団体3位1998年
2位 チャチャチャの部 北小路俊長・萩原有記組 2001年
2位 サンバの部 松尾英司・三橋七海組 2002年
3位 サンバの部 千田洋介・二階堂理絵組 2004年
3位 チャチャチャの部 千田洋介・二階堂理絵組 2005年
1996年の試合は筑波大と優勝を争ったのですが,惜しくも団体2位となりました.
自分もダンスをはじめました.舞研を卒部してプロになった先生に習っております.ダンスをしている方は皆さん姿勢が良いので,自分も多少は良くなるかなとは思いましたが,60歳過ぎていて,もう骨も固まっているでしょうから,あまり期待はしていませんでした.勉強のし過ぎで本格的な猫背でした.
しかしながら,結構直るものです.猫背を解消してナイスバディーになるのも目前です.車の運転をするのに,以前は枕と頭は2-30cm離れていたと思いますが,今では余裕で枕に頭を付けて運転しています.体の動きも軽くなってきているようです.
6. 論文
素粒子論の基礎になっている弱・電磁・強相互作用の統一ゲージ理論の元祖となった論文
C. Itoh et
al., Unified
Gauge Theory of Weak, Electromagnetic and Strong Interactions
を 1973年にPhysics Lettersに投稿しました.
それが,どうしたわけかPhysics Lettersからの返事がなかなか来ません.何ヶ月も待たされたあげくの返事が「急を要する論文ではないので,Nuclear
Physicsにでも載せればいかが?」というようなことでした.何ということだ!?Physics Letters誌上でこの論文よりも急を要する論文を見たことがありません.
それから何ヶ月か後のことです,某ノーベル賞受賞学者他二名によるそっくり論文がこともあろうに同じPhysics Lettersに掲載されたのでした.
C. Itoh et al., Physical
Review D
バリオンは三つのクォークが結合してできていますがuクォークよりもdクォークが少しだけ重く、sクォークはそれよりもだいぶ重い、cクォークはさらに大幅に重い。当然ながら、重いクォークが入っているバリオンは重い。しかしながら、それだけではバリオンの質量は決まりません。引力による位置エネルギーによっても質量は違ってきます。これは、質量がエネルギーのかたまりE=mc2 だということの証拠といえます。したがって、質量が大きなcクォークが入っているバリオンの質量を決める実験には大きなエネルギーが必要であり、難しくなります。実際に、2000年の論文の後にcクォークが入っているバリオンの質量の実験値が修正されました。
なんと、それらのほとんどが私たちの計算値に接近してきたのです。中でもドラマチックなのがΣc+ です。Σc+ ではcduの三つのクォークが結合していますが、Σc++ はcuuの結合状態なので、uクォークよりも重いdクォークが入っているΣc+
のほうがΣc++ よりも重いと考えるのが普通ですし、実際に2000年の論文の当時の実験値もそうでした。しかしながら、私たちの計算ではΣc+
のほうが軽いのです。それが、その後Σc+ の質量の実験値が下がり、Σc++
の質量の実験値が上がり,Σc+ のほうが軽いということになりました。
c,uクォークは正の電荷,dクォークは負の電荷をもっています.Σc++
の中ではcuuのクォークの間で働く電荷による斥力で質量が増えます.しかしながら,Σc+
ではcduのc-d間とd-u間での電荷による力は引力で質量は減るように働きます.電荷による斥力や引力はクォーク間の距離にもよるのですが,私たちの論文では距離もしっかり計算しています.クォークは小さな磁石になっており,磁石による引力・斥力も計算してあります.
もっと重いバリオンの質量もいろいろ計算してありますので,これから実験がどれだけ迫ってくるのかを楽しみにしております.
7. 定年
いよいよ3月で定年です. 記念品として iPod nano とスピーカーのセットをいただきました.スピーカーにiPod nanoをセットしてAbbaの曲を聴きながら書いています.
電車の中ではイヤホンで音楽を聴いて,ヤングの仲間入りをした気分です.
明学の皆様方には沢山の元気をいただいてきました.どうもありがとうございました.お体に気をつけて,これからもご活躍ください.陰ながら応援しております.