|
No.11 「ユーロ通貨導入の日」〜平川幸彦先生の在外便り その三〜
平川幸彦 記大晦日の夜は、、新年を迎える花火の音で、深夜まで、騒がしかったが、翌日の2002年元旦は静かな1日だった。ラジオは、ユーロの導入について、ごく簡単に触れるだけだった。元旦はドイツでも祝日なので、金融機関もお店もほぼすべて、閉店。ユーロの導入にさしたる影響はなかったようだ。 翌日の1月2日、私は日本の家族に小包みを送るため郵便局に行くことにした。私がこの日に郵便局に行く必要は全くなかった。しかし私は、ユーロ通貨が実質的にECに流通しはじめるこの日に、町を見てみたかったのである。興味津々、野次馬根性があったことは否定しない。 私が住んでいる大学の宿舎から一番近い郵便局は、地下鉄で1駅行ったところにあり、そこには大晦日に行ったスーパーや、銀行がある。この日は寒くて、道路が一部凍っていた。私は地下鉄を使うことにした。 まずは電車のホームに行って、自動販売機で切符を買わなければならない。ところが電車のホームにある自動販売機は、もうドイツマルクは受け付けない。使えるのはユーロ通貨だけである。「そんははずはない!12月31日には、2つある自動販売機のうち、1つはドイツマルク用になっていた。政府は、ユーロ導入後も2ヶ月間はドイツマルクを利用できると何度も言ってきたではないか。公共交通機関の地下鉄でドイツマルクが使えないとは、何たることか!」と憤慨したものの、文字通り「お金のない悲しさ」である。私は同じ情況の人たちと、2km ほど離れた隣り駅まで、ユーロを求めて、寒い中、道路の氷をよけながら、とぼとぼと歩くことになった。 郵便局は、まだ 9 時になったばかりだというのに、大勢の人がつめかけていた。ドイツマルク建ての預金通帳からユーロ通貨を引き出す人が多いようすだった。列に並ぶと、前の方で「私は東ドイツが西ドイツに統合されて、東のオストマルクが西のドイツマルクに変更されるときも経験しましたから、これで2回も通貨の変更を経験することになります。本当、大変ですよ」と言っているのが聞こえた。私も通貨の変更がどんなものなのか、ようやく実感がわいてきた。 40分ほど列に並んで、ようやく私の順番がきた。私は、小包みの郵送料金はドイツマルクの現金で支払うことにした。すると係りのおばさんは、「まずドイツマルクをユーロに両替し、ユーロで支払ってください。ただし両替手数料を払う必要があります(Sie muessen Entgelt zahlen)」と冷たく言った。私が、「両替手数料? そんなはずはない(Entgelt ? Das soll nicht wahr sein.)」と言うと、「いいえ、払う必要があります!(Doch!)」と、また冷たい返事が返ってきた。おばさんは、私の言うことに全く耳を貸さず、さっさと両替の処理をしてしまい、私は5ユーロ(約10マルク、日本円で約 650 円)を、両替手数料として、見事に差し引かれてしまった。 けれども私は間違ってはいなかった。おばさんが処理をしてしまった直後、後ろからやってきた若い女性は、おばさんに「パソコンのそのキーを押すとドイツマルク表示が出てくるから、お客さんが両替料金を支払う必要は全くないですよ」と教えた。おばさんがそれに猛烈に反論し、奥の部屋からは、おばさんに味方する他の職員が出てきて、かなりの混乱状態になった。その光景は、私にとって、非常に興味深かった。 ただ誤りを修正するためには、職員が訂正処理に慣れてないせいもあって、多大の時間がかかり、私の後ろに並んでいる人達を、さらに長く待たせることになる。そこで私は、この場は、これ以上、争わず、5ユーロは歴史的な瞬間を体験させてもらった入場券と考えることにした。「さっきの処理でいいですよ(Das ist Okay)」と私が言うと、おばさんは罰の悪そうな、実にすまなさそうな顔をした。私は同じ郵便局に2日後に行ったが、おばさんの親切なこと。もう昔からのお友達という感じだった。 1月2日夜のラジオのニュースによれば、ユーロ通貨の導入は、予定どおり、大きな混乱もなく順調に進んだとのことだった。私は「よかった、よかった」とアナウンサーと喜びをもとにしながら、「あの自動販売機と、私の5ユーロは、一体、何だったのだろう。」と思った。もっとも後日のラジオのニュースによると、郵便局での両替については、私と同様なケースで、誤りを訂正させるべく頑張った人はいたらしく、郵便局での両替手数料については、否定的に報道されていた。 このようにヨーロッパは、少々の痛みを伴いつつも、確実に統合の度合いを深めている。各国の国民性は、そんなに変化しているわけではないと思う。しかし私は、ヨーロッパで1980年代半ばに感じたような保守性や閉塞感を、少なくとも今のドイツでは感じない。語学教育についても、ドイツ語教育の不足を嘆く人よりも、実質的にECの共通語となりつつある英語について、教育が不十分だと嘆く人の方が多いのではないかと思う。また法学教育についても、EC法が重要性を増しているようである。確かに、ヨーロッパ各国の独自性は、事あるごとに強調されるが、それもEC統合という目標があってのこと。もはやEC統合の深化は押しとどめようがない。人々の考え方、生き方も、変化せざるを得ない。そして変化する人々の姿は、私には、前向きで、肯定的に見える。 日本にも、前向きの変化が、たくさんあってほしいと思う。前向きの変化であれば、小さな痛みには耐えることはできる。5ユーロぐらい、惜しくはない(?) |