No.14 「ニューヨークはこんな町?〜 私の印象・大学の周辺と若者編 〜」〜平川幸彦先生の在外便り その五〜

 

平川幸彦 記

ニューヨーク大学 私が毎日、通っているニューヨーク大学(New York University)のロー・スクールは、グリニッジ・ビレッジというマンハッタンの下町にある。いわゆる「大学のキャンパス」というものはない。大学の建物はこのグリニッジ・ビレッジの町中に散らばっていて、大学の建物から建物へと移動が必要な時は、大学の小さなバスを使って町の中を移動する。従ってこの町では、ニューヨーク大学のかわいいバスをよく見かける。また大学の建物は、例えば、ロー・スクールがワシントン広場のすぐ前にあるように、その多くが広場や大きな通りに面していて、建物には大学の紫の旗がひるがえっている。大学のキャンパスはなくとも、この町全体が大学のキャンパスのようである。

 大学のあるグリニッジ・ビレッジと、その隣りのソーホーという地区は、ライブハウス、クラブ、ディスコ、居酒屋などが多く、エンターテインメントは豊富である。ニューヨーク大学のロー・スクールは、あのジャズの殿堂 Blue Noteのすぐそばにあるし、すぐ近くの大学の建物には、Bottom Line が入っている。またニューヨーク大学では、音楽はもちろん、ダンス、演劇、美術など芸術を学ぶことができる。映画監督のスパイク・リーやオリバー・ストーンもニューヨーク大学の卒業生らしいし、女優のメグ・ライアンもこの大学に在学していたらしい。というわけでグリニッジ・ビレッジやソーホーには、アーティスト系やストリート系の若者がおおぜい集まってくる。この町のレストランや食料品店は比較的安い。しかし確かに家賃は高いから、若い人の多くは、アパートで共同生活をしている。

 この町は昼間は意外と静かである。ワシントン広場は、1960年代後半にはベトナム反戦運動の集会がよく開かれたところで、私なぞは、先日はじめてこの広場を見たとき、あのころジョーンズ・バエズもここで群集を前に反戦歌を歌ったのかと思うと、大いに感激し、胸が熱くなったけれど、実際の今のワシントン広場は、アフガニスタンの戦争の後にもかかわらず、1960年代後半のパッションどころか、緊張感はまるでない。広場の隅でチェスをする人々が歓声をあげていたり、学生が、ベンチでわいわいとお昼を食べていたりして、のどかで、けだるい雰囲気が漂っている。まったく拍子抜けしてしまう。時代も人の心のありようも大きく変わってしまったようである。

 快晴のある日、私が昼時にこの広場のベンチに座ってアンパンを食べていると、近くのベンチに座っていたアジア系らしき女子学生が近づいてきた。" I'm a student of NYU " と言って、ニコッと笑ってカメラを持ち上げた。私は、写真をとってほしいのかと思い、"Oh sure" と言って、カメラの方に手を差し出すと、" No! your picture. Can I take your picture ? " というので、一瞬たじろいだ。そしてたじろいだそのすきに、私はアンパンを食べている姿を、見事パチリと写真にとられてしまった。私は、去っていく女子学生を見ながら、「おじさんがアンパンを食べている写真が、何の役に立つのだろう。写真の勉強に、私の写真を『ワシントン広場の昼食風景』とか、『NYUおじさん特集』とか、『この人は何人(なにじん)クイズ』とかに使うのかな」と思いつつ、あらためて「ここはのどかだな」と思った。

 しかしこの町は夜は活気が出てくる。夕闇とともに人が集まり、雑然とした町に変貌する。居酒屋やディスコの喧騒は、通りにまで響いてくる。また夜遅くなると、危なそうなお兄さんやお姉さんも通りに出てくるから、少々、退廃的な雰囲気もしてくる。どことなく1990年10月の東西ドイツ統一前の西ベルリンの香りがする。西ベルリンは、東西ドイツ統一前、西ドイツ領であるにもかかわらず、東ドイツ領に陸の孤島のように存在したが、夜のグリニッジ・ビレッジやソーホーは、どことなくあの西ベルリンのクーダム通りに似て、あやしげな雰囲気がする。大きく違うのは、グリニッジ・ビレッジやソーホーに若者が圧倒的に多く、閉塞感が感じられない点である。結局、みんな、そんなに暗くはないのである。

 私はこういう町も、アンパンと同じく、元来、大好きである。確かにこの町を夜遅く歩くと、身の危険を感じなくはないし、小脇に抱えたコンピューターを盗られはしないかと心配になる。しかしこの町からは、そのうちひょっとしたら何か想像を越えたrevolutionary なものが生まれてきそうな気がする。

 ところで、この地区では日本の若者も大勢、見かける。特に夜は、半端な数ではない。ある交差点では、横断歩道を渡る時、いつも日本語の話し声がはっきりと聞こえる。東京の繁華街の交差点で、横断歩道を渡っているような気がする。

 この地区で見る日本の若者は、男性も女性も肩に力の入っていて、「ツッパッテ」いる感じである。自由を履き違えて理解している礼儀知らずの若者もいなくはない。

 日本人の若者がニューヨークにやってくる理由は、様々である。学生として、あるいは音楽、バレエ、料理、美容などの技術を磨くため、あるいは何となくニューヨークに憧れてやってくる人も多いようだ。

 私は学生以外の日本の若者が、なぜニューヨークに来て、どんな生活をしているのか興味を持った。そしてグリニッジ・ビレッジやソーホーで配布されているミニコミ誌を見て、彼らの心の中を、ほんの少し垣間見ることができたように思う。彼らは、自由の国アメリカに来たせいか、男女とも饒舌である。

 ズバリ、ニューヨークの若者向けのミニコミ誌で大きなテーマの1つは、「夢の実現と挫折」である。私は「ニューヨークに来てまで、自分を追い詰めるとは、何と生まじめな若者達だろう」と思った。特に男性が挫折感を味わうのことが多いようにも感じられたが、痛々しい思いがした。またアメリカにおける人生の尺度が、「勝ったか負けたか」であると考えている若者が少なくないことにも驚いた。

 人生は「勝ったか負けたか」で評価すべきではない。またアメリカにおける人生の尺度が、「勝ったか負けたか」と考えるのは、いかにも短絡的である。アメリカにおけるキリスト教やヒューマニズムの伝統を、彼等が日常生活の中で感じていないとしたら、不幸というほかない。また彼らの心の奥には、日本社会に根深い学歴偏重や、立身出世主義がある。方向転換することや、やり直すことへの後ろめたさに苦しんでいる。日本の教育や古い価値観が、彼らを追い詰めていると言えるのかもしれない。

 もっとも彼らは、ニューヨークの日本人社会の中で、あるいは言葉のよくわからないままにニューヨークの競争社会に飛び込んだ結果、少々、脱線しているだけかもしれない。「自分探し」の途中で、小さな壁にぶつかっているだけなのかもしれない。彼らの多くは、日本の教育や古い価値観を嫌って、自由の国アメリカに来たはずである。きっとまた自分の居場所を発見するに違いない。私は、毎日、少々あやしげながら、おおらかなグリニッジ・ビレッジやソーホーを見ているせいか、彼らの今後に楽観的である。

 この町は懐が深い。日本の「ツッパッリ」さんだけではなく、各国の「ツッパッリ」さんをそれなりに受け入れてくれる。切磋琢磨と「自分探し」の時間を与えてくれる。そのうち何か革新的なものが出てくる。人々の心を大きくゆさぶるものがでてくる。この町はそう思わせる町である。

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