No.19 『資本主義は江戸で生まれた』(鈴木浩三著 日経新聞社―日経ビジネス人文庫、2002年5月)を読んで

佐藤一雄 記

 この本は、新聞の広告欄でたまたま題名が目にとまり、私が千葉からの通勤途上でよく本を買いに行くブックセンターで買い求めて、読んでみた本である。本書のカバーによれば、著者は、東京都水道局目黒営業所の所長として勤務しておられる方である。著者が1995年に日経新聞社から刊行した「江戸の経済システム」と題する書物が、文庫化するに当たって改題され、標記の題名になったようである。

 講義で申し述べているように、日本に"市場経済システム"が導入されたのは、明治維新のときであったといってほぼ間違いではない。しかしながら実は、外国から閉鎖された封建経済社会であるとされる江戸時代においても、かなりの程度にその萌芽があったればこそ、スムーズに新体制に移行することができたことが、この本を読むと実感できる。当時の江戸は世界最大の都市であり、一大消費都市であった。幕府開闢以来の都市計画によって、江戸湾が次第に埋め立てられ整備されていったが、前面はかなりまだ未だ海であり、品川の海など、高台になっている現在の明学の地から眺めれば、さぞ見事な景色が開けていたのであろうと、研究室の窓際で想像してみている。

 経済の基本は、いうまでもなく需要と供給を結ぶモノ等の流れである。江戸と各藩を結ぶ幹線街道はヒトの流れが中心であり、モノの流れは、主には広範に発達した海上交通によって盛んに行われていた。封建領国経済という、いわば米本位制の経済において、大阪は大集散商業都市となり、西日本が銀貨、東日本が金貨を中心とし、これと"銭(ゼニ)"との三つの貨幣による経済が成立していた。堂島の米相場においては、先端的な先物取引さえも行われており、勃興する市場経済は商人を潤した。米本位経済(封建家産経済)を守ろうとする"守旧派"は、寛政の改革・天保の改革などを試みたものの、実態的にみて、市場経済化は相当の域に達していたのである。

 著者は、本書のエピローグにおいて、「過去400年以上に渉る市場経済システムの経験が、日本人のDNAに組み込まれているのも事実」であり、「日本人が作る何らかの組織と、日本人の係わり合い方にも、江戸時代から現代までの連続性がみられる」と喝破している。 昨今の経済社会の閉塞感のただなかにあって、たとえば、今や古典ともいうべき中根千枝「タテ社会の人間関係」(講談社現代新書)において見事に分析されるような、日本社会の基本構造自体が、 "本当の意味での構造改革"の対象となっているのではあるまいか。