No.20 「ファラディーと王立研究所」〜菅野忠先生の在外便り そのニ〜


菅野 忠 記


  諸君はマイケル・ファラディーを御存知だろうか。御存知無い?どの国の人かだって?うーむ。この人物は、ついこの間までイングランド銀行券の二十ポンド紙幣の裏を肖像が飾っていた、英国では大変著名な人なのだが(表は勿論エリザベス女王で裏は作曲家のエドワード・エルガー卿に今は替わった)。では何ゆえファラディーは著名なのか。二十世紀に生きていたら、彼はまず九分九厘ノーベル賞を受けたであろう業績を残した偉大な科学者なのだ。しかし、いくら偉大だからと言っても、科学者が著名になることが、文学や芸術の分野で活躍した人物に較べて、洋の東西を問わず難しいことは否めない。諸君はこの三年間にノーベル賞を受賞した四人の日本人科学者のうち何人を受賞以前に御存知だっただろうか。千円札に肖像が載っている漱石夏目金之助や、次に載ると言う一葉樋口奈津のことなら先刻御承知のことだろうけど。この二人すら知らないと言う諸君は漫画の読み過ぎか文学嫌いか…?

 ファラディーは十九世紀を生き、日本では維新前夜の慶応三年に世を去った。当時は未だ化学と物理学は渾然としており、彼はベンゼンを抽出し塩素を液化すると共に、今日の電磁気学の基礎を彼一流の巧みな実験を通して築き上げた。静電気、発動機、電池、磁気光学効果、磁性、(電磁)場の概念、等々、数多の業績が綺羅星の如く並んでいるが、彼を英国で著名にしたのは何と言っても、彼が教授職を務めていた英国(正しくは大ブリテン)王立研究所で少年達のために開いた、一連のクリスマス講義(Christmas lectures)であろう(蛇足ながら「英国」または「イギリス」の正式国名は御存知「大ブリテンおよび北アイルランド連合王国」であり、公式文書には略して「連合王国」(United Kingdom)と記載する)。このクリスマス講義の講義録『Chemical History of Candles』が『蝋燭の科学』として岩波文庫に収められており、この本を思い出した諸君は合点がいったのではないかと思う。旧二十ポンド紙幣の裏には、王立研究所の今も残る階段教室で行なわれた、ファラディーのクリスマス講義の様子を描いた絵が肖像と併せて載っていた。ファラディーはこの時、ヴィクトリア女王の夫君アルバート公と少年王太子エドワードを前に講義したのである。敬虔なサンデマン直解主義派教徒であったファラディーは俗世の栄誉である叙勲叙爵を拝辞したが、晩年女王の居城ハンプトンコート内に居宅を賜り妻セーラと共に生涯を終えた。

 実はクリスマス講義は研究資金を稼ぐために行なわれた。王立(Royal)という接頭辞は王室から資金が提供されることを意味せず、勅許によって名乗ることを許された名誉なのである。従って三年前に創立二百周年を閲した今日でも、研究資金は英国政府を始めとし種々の外部機関から集めている。クリスマス講義は今日なお毎年続けられ、BBC(最近チャンネル4に代わった)が五日間にわたる全講義を年末に録画放送し百五十万台が視聴するほどの人気を博している。日本の科学番組にこれほどの人気を集めるものが無いのが残念である。ファラディーはこの他に、金曜夜講話(Friday evening discourses)も創始し、これまた今日に到っているのである。今は大分乱れてきたが、かつては聴講する人達の服装が、男性は黒の略式夜会服、女性は夜会服を着用する慣わしであった。科学の講義を聴くことと、ロイヤルオペラハウスで観劇することが、同様の格式にあったことが窺える。実際、金曜夜講話は夜八時きっかりに何の前触れも無く開始され一時間後の九時ぴったりに終了するが、それに先立ってワインを飲み軽い食事を摂りながら音楽を聴く慣わしになっており、現在もその慣習が固く守られている。英国における科学の占める地位の高さには、感心させられまた励まされる。
 さて、これまで長々とファラディーと王立研究所について語って来た理由をここで明かそう。実は今でも王立研究所は、クリスマス講義や金曜夜講話に代表される科学の啓蒙活動と共に、数人の教授とその助手、外部からの委託学生、博士研究員を中心に、自然科学の研究を行なっている。僕は客員研究員として王立研究所に関係し、時々オクスフォードから通っているので、消費情報環境法学科の学生諸君に王立研究所についても御紹介しようと思い立った次第である。
 王立研究所は何処にあるかというと、ロンドン有数の繁華街ピカデリーサーカスからピカデリー通を西に五分ほど歩き、右に王立美術院、左に紅茶で有名な百貨店フォトナム&メイソンを過ぎた辺りで交差する、有名ブランド店が林立するボンド通の一本先に並行して走るアルブマール通二十一番地に、ギリシャ風の円柱に支えられて屹立している。ひょっとしたら以前ロンドンを訪れた諸君はすでに前を通り過ぎたか直ぐ近くに迫っていたかも知れない。背中合わせにボンド通に店を開いているのはブルガリ、シャネル、カルティエではないかと思う。この近くにはフェラガモ、グッチ、ルイ・ヴィトン、エルメス、バーバリー等々が目白押しに並び、ブランド好きな人々の垂涎の的となっている。研究所の隣はかつて注文に応じないものは無いと豪語し信頼を得ていた英国ブランドのアスプレイである。書画骨董の競売で有名なサザビーもこの界隈にある。こんな有名な通の直ぐ裏に科学の殿堂があるなんて諸君は思いもよらないかも知れないが、二百余年前最初に出来たのは王立研究所で、ブランド店などみーんな後からそれも極最近に現れた新参者がほとんどである。歴史が違うのである。

 金曜夜講話やクリスマス講義は切符を買えば誰でも参加できるし(Tシャツ(下着)とジーンズ(作業衣)は御法度)、ファラディーの研究に用いた遺品を展示した博物館が地下にあり、月曜から金曜日の午後に訪れることが可能である。ブランド品漁りも結構だが、その合間に科学の成果を垣間見るのも一興ではないだろうか。なお金曜夜講話はイギリスの大学の学期中(三学期制で一学期八週)だけ行なわれ、クリスマス講義は十二月中旬に開講される。王立研究所は科学の啓蒙を主目的としているので、さらに親しみの持てるような場所にするため、食堂・喫茶室を備えた構造に改築する計画が進行している。一方では、伝統を誇る階段教室(劇場と言っても良い)、図書室、回廊を整備保存し、科学の殿堂に相応しい重みと格式を保持する計画もある。

 英国人は新し物好きであると同時に古いものをとても大事にする。日本人もかつてはそうであったが、ヤンキー文化に毒されたのか将又自ら薄っぺらに成り下がったのか知らないが、伝統に重きを置かない傾向が近年一層強まった様に感じる。固より科学は日々その姿を変えていくのを本旨とするが、時代を超えて変わらない普遍の知識が同時に存在することも事実である。どうか諸君もこのことを忘れず、伝統を大事にして頂きたい。

  さて、この記事は現在滞在中の仏蘭西ストラスブールで書いている。仏独国境に位置する人口二十六万余のこの街には、世界でも最も古い部類に属する大学がある。細菌学で知られるパスツール以来の優れた自然科学の伝統があり、材料物理化学研究所とシャルル・サドロン研究所で物理学と化学の研究が行なわれている。材料物理化学研究所は郊外にありかなり新しい建物に近代的装置が詰まっている。市街地にある後者はかなり古い建物だが、既に郊外へ移転新築の予算が下りる目途がついたそうで、今後一層の発展が期待される。ストラスブール大学は当然医学や生物学の研究にも秀でている。イル川の中洲にある旧市街は中世の名残を色濃く留め、東南の一角を占める大聖堂は高さ百四十二米の尖塔を擁し、六十六米ある尖塔下のテラスに上るとストラスブールの町が一望できる。東側には大学のキャンパスが見える。両研究所は別の場所にあり見えない。旧市街の建物や石畳は押並べて紅柄色の石で出来ている。これはこの辺りの石が赤鉄鉱(三酸化二鉄)成分を多く含むからである。オクスフォードの蜂蜜色の石に比べ、僕にはやや煩い感じがするが、関東(浅木先生のいわ曰く坂東)の赤土に近い色だと言えば御納得頂けるだろう。

 ライン河を渡れば独逸のケール(・アム・ライン)である。ここからさらに一時間ほど(急行なら三十分)汽車に乗るとヨーロッパには珍しい温泉保養地バーデンバーデンがある。休日を利用してここを訪れて見た。実は前から一度行きたかった所なのである。なぜかと言うと、ヨーロッパの温泉がどうなっているか知りたかったことが一つだが、もう一つの理由は「バーデンバーデンの会盟」の跡を辿りたかったのである。たわい無いと言われれば全くそれまでの話だが。「バーデンバーデンの会盟」とは、昭和初期に駐独武官であった当時の帝国陸軍の俊英、東條英機、永田鉄山、橋本欣五郎達がこの地に会し陸軍の将来を共に担うことを盟ったことを謂う。しかし永田は少将軍務局長の時、相沢三郎中佐に局長室で斬殺され、橋本も別途事件を起こして失脚し、会盟は終に成らなかった。この斬殺事件が二二六事件の引鉄となったのである。独り東條のみが大将首相兼陸相と言う極官に登り陸軍を担うことになったのは御存知の通りである。温泉は伝統的なローマ風呂と新形式のカラカラテルメとがあり、いずれも各地から訪れる人達で賑わっていたが、日本人とおぼしき人達はほとんど見かけず、異郷に一人佇む思い一入であった。況して昭和初期のこと、帝国陸軍の俊英連とは言え、現地の人には然したる痕跡も残さなかっただろう。共に異郷にあって強く結ばれ固く盟った約束も、時代の流れを押し戻すことは結局適わなかった。
 睡眠不足で頭が惚けたのか最後は些か脱線してしまったが、ここら辺で眠ることにしよう。

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