| No.29 モンペリエだより(2) 〜黒田正明先生の在外便り そのニ〜
黒田正明 記
フランスに生活して特にうれしいことは、私のすきなフランスワイン、チーズ、パン、タルト等を毎日楽しめることだ。日本でワインを買うと、たまには無添加・有機栽培の国産ワインもあるが、ほとんどすべてのワインに酸化防止剤として亜硫酸ナトリウム等が入っている。この添加物は、ワインの味を損ねることはあっても、味を良くするはずはない。フランスやドイツで買うワインには酸化防止剤を含むとはどこにも書いてない。こちらで買うワインにも酸化防止剤は入っているが、表示義務がないので書かれていないのだろうか。それとも、そもそも酸化防止剤は含まれていないのだろうか。もしそうなら、日本で売られているワインには、国産にも輸入ワインにもなぜ酸化防止剤が含まれているのだろう。これらの点が長らく気になっていた。
ある日昼食後のコーヒーの席でワイン通で知られる数学科の教授に聞いてみた。彼の親はカメルーンの貴族の出身であるが、彼自身はボルドー生れのフランス人である。帰国するまでに多額の保険がかけてあるという彼のワインセラーを一度見せてもらおうと思っている。「フランスのワインにそのようなものが入っているはずがない」というのが、彼の答であった。同時に彼は「しかしフランスワインの大市場である、日本を含んだ東南アジアでは、これを加えた方が高く評価されるので、アジア向けの輸出用には特別に添加しているようだ」とつけ加えた。ある人は「ワインはデリケートな飲み物だから、日本まで赤道を通って運んでいたら、船内の振動で痛むかもしれない。それで酸化防止剤を入れているんだろう」と言ったが、すぐに「今どき、まともなワインは全部空輸のはずだ」と反論されていた。この日のコーヒーは、数学教授のワイン講釈が、その後えんえんと1時間も続き、火をつけた僕が皆にうらまれることになってしまった。
以前ある日本人から「法律によって、日本で売る外国産のワインには必ず酸化防止剤を入れなければならないことになっているのだ」と聞いたことがある。もしこれが正しければ、どんな理由で日本では入れなければならないのだろう。一本一万円もするワインにまで酸化防止剤が入っているとすると悲しくなってしまう。ひょっとすると、有名な日本の貿易障壁の1つで国産ワインを保護するためにこんな規制があるのではないかと勘ぐりたくなる。私が日本に戻ってからも“不純物入り”フランスワインを心おきなく飲めるように、消費情報環境法学科の皆様、正しい答を教えて下さい。
ワインは11〜13%のアルコールを含むアルコール飲料である。しかし近い将来、フランスでは、ワインはアルコール飲料ではなく食料品に分類されるようになるかもしれない。実際、日常生活を見れば、フランス人にとってワインは食料品の一部に属しているし、3000年を超えるワイン文化史をながめてみれば、ワインは液体のパンとして(この表現はビールを指すのが普通かもしれないが)食料品に分類される資格は十分にある。しかしワインが食料品に分類されようとしているのは、このような食生活や文化的背景によるものではない。
フランスではここ数年来、ワインの消費量が大幅に下っている。大きな理由として、健康に与えるアルコールの危険性の認識が深まったこと、南米産ワインなどワイン新興国のワインの質が向上して、競争が激しくなったこと。飲酒運転に対する取締りが強化されたことなどが挙げられている。特にレストランでのワインの消費量が大きく落ち込み、飲み物から大きな利益をあげているレストランは大幅な減収を強いられているし、生産者も過剰生産によるワインの値段の下落に困っている。そこで考えだされたのが、「ワインはパン等と同じように食料品である。普通の食料とちがうのは、ワインはそれだけを“食べる”食料品ではなく、何かと一緒に“食べる”食料品であるという点だけである」という議論である。ワインのカテゴリーがアルコール飲料から食料品に変わると、アルコール飲料にかけてあるさまざまな規制がはずれるので、売り上げが増すだろうという魂胆である。政治に大きな影響力を持っていることで有名な、フランスのワインロビースト達が、法律改正を強力に政府に働きかけている。なにか落語のような話であるが、法学部の皆様、もし皆様がフランスの厚生大臣だったら、あるいは産業大臣だったらどうしますか。
ワイン文化はシーザーの頃ローマ人がガリアにもたらしたもので、フランスワインは2000年の歴史をもつ。ドイツワインもローマ人がライン河沿いに進出してギャリソンをつくった時に導入されたらしいが、ほとんどドイツの庶民文化にはならなかった。こう書くと長年住んでいたドイツに申し訳ないような気がするし、今マインツに滞在中の小宮さんをはじめ、法学部に多数おられるドイツ派の先生方からお叱りをうけそうであるが、以下の文章を読んでいただければ、ある程度は納得していただけると思う。
そもそもドイツは日射量が少なすぎて、ライン河流域の一部を除くとぶどう栽培には適していないのだ。そのため今のように大量にワインが生産されるようになったのはそれほど昔のことではない。従って、少し以前の日本と同じようにワインは貴重な飲み物であり、庶民が飲むアルコールは、ビールか、一般にコーンとよばれる雑穀からつくられたシナップス類が中心であった。貴重なワインを食事と一緒にガブガブ飲むなんて考えられなかったのだ。今でもドイツではワインは食後にちびちびと飲むことが多い(そのかわりドイツ人は食事の際にビールを飲む)。前にも書いたようにフランス人にとってワインは“何かと一緒に食べる食料品”であるから、彼らには食事時には飲まないのに、食後にワインだけ飲むドイツ人の習慣が不思議に思われる。フランス人と食事をすれば前菜が何だからどこの白にしようとか、肉は鶏の人と牛の人がいるから別々の赤を注文すべきだ等議論がはじまり、デザートのチーズのために新たに白をあけたりして気がついたら1人あたり1本ぐらい飲んでしまっていることがよくある。
一般にドイツワインは甘い方が好まれて、シュペートレーゼとかベーレンアウスレーゼのように甘みが増すほど値段も評価も高くなるが、これは、ワインを食事と一緒に飲む習慣がなかったことに起因していると思う。甘いワインはとても食事の際に飲めたものではない。
ドイツワインをあまりにこきおろしすぎたので、少し持ちあげておく。現存する世界で一番古い液体状のワインはドイツのSpeyer の博物館にあるものだ。3世紀頃のローマ時代のものだったと思うが、コルクの栓が発明される以前の時代のものなので、オリーブ油の“栓”がしてある。フランスワインとドイツワインの大きな違いは、フランスのワインは各シャトーで複数の種類のぶどうを独自に“ブレンド”して作るのに対し、ドイツワインは一種類のぶどうからつくられる点である。その結果ドイツワインはどれも単純だが、シャープで純粋な強い個性を持っているのに対し、フランスワインには、ブレンド特有のまろやかさ、複雑な味・かおりがある。この点は、ドイツワインもそれなりに優れていると思っている。
フランスワインというと、11月18日(11月の第3木曜日)にボジョレヌボーが解禁になった。この日はたまたま皆でPaule
Valery大学の学生食堂で昼食をとったが、小さなプラスチックコップ一杯のボジョレヌボーが無料でふるまわれた。5リットル入り紙ボックスのボジョレヌボーなので、味をどうこう言うわけにはいかない。第2大学の教職員食堂で食べれば、もう少しましなボジョレヌボーが出たかもしれない。
こう書くと、フランスでもボジョレヌボーで大騒ぎしているように思うかもしれないが、少なくとも南仏ではたいして話題にならない。ボジョレヌボーが、この地方(南仏)ではやりだしたのは10年ほど前からだろうということだった。大学の帰り、ワイン専門店に寄ってみたら、5〜6種類のボジョレヌボーが5〜8ユーロで並んでいたが、その前で足を止める人はほとんどいなかった。
新聞によると、6000万本のボジョレヌボーのうち、半分が輸出される。夜のテレビのニュースの時間にも、ボジョレヌボー解禁のニュースが出たが、そのうちのかなりの時間をさいて、日本におけるボジョレヌボー大もての様子を、解説つきで放映していた。こちらでは、「あんな若いワインのどこがいいんだ」という人も多いが、若いフルーティーなワイン(今年のボジョレヌボーはframboise、groseille、またはcassisのかおりがするそうだ)は日本人の好みなのかもしれない。しかしワイン文化の歴史の浅い日本におけるボジョレヌボーの異様な扱われ方は、それが大量消費をうながすためにつくられた人工的な習慣であるように思えてならない。
では、法学部の皆様の健康を祈って“Sante!”

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