No.4 『田沼意次の時代』を読んで

(大石慎三郎、岩波現代文庫、1000円)

菅野忠 記


 数多い歴史上の人物の中で、非常な悪人とされている者がいる。我国の三悪人に誰を挙げるかは大いに議論の分れるところであろうが、賄賂政治によって幕閣を牛耳ったとされる田沼主殿頭意次がその一人に数えられることが多いのではないだろうか。だが彼は本当に悪人だったのだろうか。いわれなき予断と偏見に基づいて従来彼は悪人と貶められてきたのではないのか。
 
 予断と偏見は往々にして判断を誤らせる。検事として人を告発し判事として人を裁く職に在る者は、もちろん正しい判断を求められているのだから、予断と偏見を懐く事は厳に戒めむべきであることは言うをまたない。弁護士もまた公正な判断を要することは同じである。虚偽に拠って被告の罪状を軽減しようと企てるのは正しい態度とは言えまい。いや独り法曹界のみならず、社会一般において予断と偏見がいかに多くの悲劇を生み出してきたかに思いを馳せるだけで十分である。

 江戸史学の泰斗、大石慎三郎先生によって著された標記の本(実は新刊ではなく今回岩波現代文庫に収められ買い求めやすくなった)は、田沼意次の人となりとその業績が後世の人達の予断と偏見によって著しくゆがめられ、終には極悪非道の人物として人々の意識になずむことになった経緯を、穏やかな筆致でしかし綿密に描き出している点において、法学を学ぶ諸君に推奨したい本である。従来の言説を覆す際にその論者が採る態度には、激しく挑戦的に否定するものと、穏やかにしかし説得的に否定するものの二つがあるが、自然科学を業とする評者は後者が望ましいと感じる。法学は科学の対象になりにくい意志を持つ人を扱う点において科学そのものではないが、科学に重なる綿密な実証的態度が望まれるのではないか。往々にして声高に叫ぶ者の意見が重んじられることの多いのが人の世の常ではあるが、科学の世界では声高に叫ぶ者の意見には大方眉に唾するものである。 

 さて内容は読んでいただくに尽きるが、田沼の政治は経済学の原理に適った頗る妥当なものであったことを、標記の本は教える。経済学の原理は、だが諸大名や政商の利益に時に反する。利益に反した場合、権力を握るものは、妥当な政策であってもそれを許さない。田沼の政策はその実を十分結ばないまま、その後政変に近い形で政権を掌握した(八代将軍吉宗の孫で政争に敗れ田舎大名に甘んじ、従兄弟の将軍家治の御側御用人田沼に含むものがあった)松平定信を首座とする幕閣によって、その人格を含めて否定されてしまったのである。  

 評者は感じる。その先祖さえ定かではない微禄卑賎の身から五万七千石の大名にまで成り上がった田沼意次の子孫が、その後幾度か改易されたとは言え、一万石の大名としての格式を明治維新まで保ち続けたのは、田沼が決して巷間言われるような賄賂政治に現を抜かし蛇蝎の如く嫌われる奸邪の佞人では無かったことの一つの証左ではないだろうか。当時少なくなっていたとは言え、政事不正等により改易領地没収の憂き目に遭った大名や旗本は、田沼の封地遠江相良の前領主本多忠央を含め、依然後を断たなかったのだから。誇るべき血筋や門地に恵まれない田沼氏は、権力を失った途端に野に放逐されて然るべきだったにも拘らず大名として残り、その子孫は旧地相良に封ぜられ二人までも若年寄の要職にさえ就いているのである。田沼の悪評は、彼を逐った立場の人達の書き残した予断と偏見に満ちた文書を拠り所に、いわば検事調書のみで、実は近年になって醸し出されたと言うのが標記の本の教えるところである。 

 同様のことは田沼に先立ってやはり巷間賄賂政治家として指弾される柳沢吉保にも感じる。柳沢氏も、名門甲斐武田源氏の一族ではあるが、微禄の陪臣から大名にまで成り上がり、親藩大名に準ずる甲斐府中から並の領地である大和郡山へ致仕後転封になったとは言え、十五万余石の新参譜代として破格の禄高はそのまま安堵されやはり明治維新まで続いたのだから。  

 一体に権力者に付いて成り上がった者の業績は低めに評価すると言う態度が日本人の心の奥底に沈んでいるような気がしてならない。長いものには巻かれろ、強いものには従えと言う、日本人の性癖の一端がここにも現れている様に思える。このような予断と偏見に満ちた世界から一時(いっとき)逃れるためにも標記の本を読んでみてはいかがだろうか。