No.42 さよならからはじめる手紙〜小宮毅先生の在外便り その二〜

 

小宮毅 記

 マインツ大学では2015年までに三億ユーロ(四百億円程度)が建物の建て直し等に費やされる予定とのこと。おそらく州政府から提供される資金だろうと思われる。
  学生新聞記者が学生らに感想を訊いて周った結果が記事になっているのを見つけた(STUZ, Nr.71, 6)。その中から編集部が選んだ六人の回答が掲載されている。以下紹介する。


・(a) 社会学 24歳 ♀  大学の周りを魅力的にすれば、学生がまた大学に集まるようになると思う。例えば、緑地を作るとか、ジェットコースターとか。大学を楽しい場所にするなら、階段をなくして滑り台に代えるなんていいじゃない。

・(b) スペイン語、マクロ経済学、政治学 26歳 ♀  建物なんかよりも教員を増やして、魅力的なコマを増やすべき。建物はもう十分あるのだし、それを有意義に使うヒトがいなければ建てたって意味がないと思う。

・(c) マスコミ論 27歳 ♂  それだけの資金があれば相当なインフラ整備ができると思う。バスが構内に乗り入れないのだから、この際、地下鉄の駅、ICE(特急列車)の駅、ライン川に出られるヨットハーバー、そしてちょっと急ぐとき用にヘリポートを整備したっていい。

・(d) 化学 27歳 ♀  それだけのお金があるなら、学生食堂に「★★★」シェフを雇って、私たちを甘やかしてくれるってのはどう? 寿司なんかを出して。もちろん、料理は金色の皿に盛って、いい感じの店員さんがサービスする。その後はカクテルバーでビリヤード。

・(e) 経営学 25歳 ♂  新しいのを建てるだけじゃなくて、今までの建物をきれいにすることを考えてもいいと思う。掃除されてないからテストを受けた教室が臭ったし、トイレだってイヤなんだ。変な虫に刺されないかって心配なんだよ。

・(f) 映画学 27歳 ♂  大学には"娯楽"が必要だね。このままじゃ我慢できない。それだけのカネがあるなら、大学の「勉強するぞ」っていう雰囲気を醸し出すためにDJを雇えるじゃないか。余ったら、冷たいもんでも売る場所や仮眠設備を置く。そうすればもう僕は図書館で昼寝しなくても済む。


  記事に載ったこれらの回答は、回答者自身の"ネラッた"回答であろうし((a),(c),(d),(f))、読者を意識した編集部の取捨選択を経ているであろうから、なにもかもを額面どおり受け取るわけにはいかない。それを踏まえたうえでなお、筆者の第一印象は「懐かしい」であった。

  正しすぎる(b)のようなまじめな回答は、いつどんな時代においても妥当するもので、大学の永遠の課題である。その意味で、誤解を恐れずに言えば、彼女の期待は現実に裏切られ続ける。正しく夢見る者はつねに悲しみを越えて行かなければならないということだろう。負けるな、マルティナ(これは(b)の学生の名前だ)。それからマチアス((e))、君のような鋭敏な感受性の持ち主には活躍の場が数多くあるだろう。それがどこなのかは筆者の想像の範囲外であるが、どうか強く生きてもらいたい。


  マインツの大学生は、通常、日本におけるような「学費」を納めていない。*

  学生自身が学費を負担していれば、学生へのさまざまなサービスに対する吟味の視線は厳しくなる。負担が大きいほど、手に入れようとするものが稀少性を伴うほど、コスト意識はさらに尖鋭になる。筆者の感じた「懐かしさ」は、レジャーランドと呼ばれたかつての日本の多くの大学を思い起こした、と言い換えてもいい。

  大学生が大学に求めるものは変わった。人々の大学に対する見方も変わった。「さまざまな意味で余裕を失っている日本の大学」という表現ももはやゆるされないほどの風当たりを感じる。余裕のない社会にありながら大学だけが余裕を持ちたがるのはいかがなものか、という考え方であろう。

  厳しい環境が生物の「進化」を促すように、大学が自己を改革するために社会からの酷薄な視線が投げかけられ続けるだろう。社会からの有形無形の助力にも期待しない方がよいだろう。国家さえ、あらゆる場面でその存在意義の立証責任を課され始めているのだから。


  今の日本に、大学に巨額の投資をしようという人はまれかもしれないが、たとえばそのような心構えの人がいたとして、彼/彼女は一体具体的にどのような投資をしようと考えるだろうか。そして大学自身は、投資主体として、どのような投資をしようと考えるだろうか。

  お金は何かに貌を変えるためにある。モノだけではない。今のこの世の中では、買えないはずのものが手に入れられる場合さえある。しかしその分、お金の使い方は使う人の考え方をあからさまに表わしてしまう。常にではないが、お金の使い方で人の思いの強さや夢の大きさまでもはかれる場合があるということだろう。

  大学への投資、大学による投資どちらにおいても、お金の使い方は、大学が果たすべきもっとも重要な役割がなんであると考えるかという質問に対する、その人なりの回答である。


  マインツの大学生が大学の果たすべきもっとも重要な役割をどう考えているのかと、この記事から推測するつもりはない。ただの冗談で済ませる記事をわざわざ取り上げたのは、ミリアム((d))やニールス((f))の冗談がドイツの学生にはまだ面白いらしいが、筆者にはもうちっとも面白くなくなっていたと気づいたからである。そしてもう一歩進んで、ではどんな冗談なら笑えるのだろうかと考えたからである。その冗談が面白いかどうかは、今の日本の大学関係者の大学観に大きく左右されるに違いない。


  よそ者としてマインツ大学の周辺に二年近くを過ごし、東京に帰る時期が迫った。大学が果たすべきもっとも大切な役割が何かを考えつつ、それを実践するために筆者は東京へ帰る。筆者が明学でどんな風によそ者なのかも確かめなければなるまい。(2005年12月8日稿)


* 2005年8月現在のマインツ大学の情報を総合すると、概要次のような仕組みになっている(2008年に改正予定らしい)。州によって異なる可能性があるので、一般化は避けてほしい。

・入学時、学生一人一人の「勉強時間口座」がもうけられ、専攻にかかわらず全員一律に一定の(「預金」ならぬ)「預"時間"」が振り込まれる。これが学生一人一人の大学生としての「持ち時間」になる。この持ち時間内であれば、学費は一銭も納めなくていい。
・この口座からは、夏学期/冬学期がそれぞれ始まるたびに、一定時間が引き落とされる(定期引き落し)。これはその学期に履修登録する講義の数とは関係がない。在学期間が長いほど引き落とされる時間が大きくなり、持ち時間が減ってゆく。
・ただし、この定期引き落し(Regelabbuchung)によっても、通常履修時間(Regelstudienzeit)の1.75倍の学生生活がおくれる計算になる。つまり、四年間学費を納めずに済むだけの持ち時間は、入学時に口座に振り込まれている。
・この持ち時間が尽きたあとは、学期に一度650ユーロを納めなければならない。
・このほか、特別免除とか、特典時間とか、細々とした定めがある。

(a)〜(f)の学生たちの年齢をみると、在籍6年〜9年に及んでいる。確かめるすべはないが、在籍9年の(c)(d)(f)の回答ぶりからは学費負担の影響が感じられない。

なお、ドイツに一般的と思われる「夏学期/冬学期」という呼称と「春学期/秋学期」という呼称を比べて考えた。後者は一見、学期の始まる時期に着目した名前に見えるが、筆者には「履修登録」を重視してつけられた名前に思える。いつ履修登録するかではなく、いつ単位を取得するかに着目すれば、それぞれ夏であり、冬であろう。単位の取得よりも履修登録に着目して学期の名前をつけてしまう文化とは、「卒業」よりも「入学」を重視する文化に親和的と思え、それなりの筋は通っているのだなと感じた。

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