| No.48 フランス出張報告
黒田正明 記今年のヨーロッパは、ワールドサッカーのトーナメントが開かれていた7月が異常に暑かったので、2年前のcanicule の再来かと恐れられたが、8月は中旬にかけて一旦気温が下がり、快適な夏であった。 この夏フランスに滞在して、ワインのラベルに現れた二つの変化に気がついた。ラベルに「亜硫酸塩含有」(Contient des Sulfites)と書いてあるワインを見かけるようになったことと、eleve en futs de chene と書いてあるものも見受けるようになったことである。オークの樽の香りのするワインが好まれるようになったそうで、そのため、オークの木屑を入れて安いワインを高級そうに見せる手口もはやっているそうだ。そもそも、オークの木屑をいれるような人工的な細工はフランスでは禁止されていたのであるが、大げさに言うと、EU対アメリカのワイン貿易戦争の停戦条約の結果、アメリカはアメリカ産のワインにChianti とか、Chablis といったヨーロッパのワイン産地の名前を使うことを中止することの見返りに、木屑をいれて人工的にオークの香りをつけたアメリカワインをヨーロッパに輸出できるようになったのである。(蛯原さんのリレーエッセイ、No.45(2006.5.30)とNo.47(2006.10.23)を参照してください。)その結果、悲しいことに消費量の減少に悩んでいるフランスのワイン生産者もこぞって、この方法をとりいれているとのことである。まさに悪貨は良貨を駆逐するのである。私もためしに「オークの樽で熟成」というワインを2本ほど飲んでみたが、(もちろん、ラベルどおりオークの樽でまともに作ったのか,木屑を入れて作ったのかは知る由もないが、)オークの香りが強すぎて、ワイン本来の香りが死んでしまっているようで、また、どのワインも似たような香りで個性が感じられず、がっかりした。 「亜硫酸塩含有」の表示は今年から法律で輸出用ワイン対する表示義務が決まったそうで、そのうち国内で売られるワインにも表示が義務付けられるというはなしだった。たまたま、Pezenas で ワイナリーを経営している人のところに行く機会があったので「亜硫酸塩は以前から入れていたか」と聞いてみたら、何をいまさら聞くんだと言うような顔つきで、伝統的に100年も前からやっているという答えが返ってきた。そこでは もっぱらvin de pays を作って、大部分はドイツとか日本に輸出しているそうで、20年ほど前ドイツでフランスワインを安く売り始めて大成功したワイン量販店Jacques Depot のマークのついたダンボールが山積みになっていた。これで、酸化防止剤のミステリーが解けた。食品添加物に無頓着なフランス人が無知だっただけで、ドイツの友達が言うように、酸化防止剤はずっと以前からはいっていたのだ。 ところで、日本の食品添加物解説書には、よく、「ワインを飲むと頭痛がするのはこの酸化防止剤の亜硫酸塩のせいだ」と書いてあるが、私にはそうは思えない。安すぎないワイン(店頭で5ユーロ以上)なら、1回に1本飲んで少し酔っ払っても頭痛などしないが、安ワインは半本飲んでも後で頭痛のすることがある。100年も使ってきた酸化防止剤が頭痛の原因とは思えない。多分に、ワインに含まれる不純物のせいではないかと思う。聞くところによると、ボルドーで栽培されている葡萄の収穫量から推定される量の倍近くのワインがボルドーワインとして売られているそうで、スペインやイタリア、最近は南米から安いワインの原液を買ってきて、ボルドーワインとして売っているとのはなしもあるから、安いワインにはどんな不純物が混ざっているかわからない。 Pezenas のワイン畑では、クレーン車のような形をした車が、一列に整然と並んだ葡萄の木の列をまたいで、木を左右にゆすぶってぶどうの実を房から取りはずしながらゆっくり進んでいく光景をみた。1−2分で100メートルほどのブドウ畑のぶどうがこの車の背後のタンクに詰め込まれる。この巨大な車は折り返してくるとこちらで待っていた小型トラクターに摘み取ったぶどうを吐き出していた(写真を参照してください)。人手を使って取るのはコストもかかるし、収穫したい日に取りきれなかったりするので、このほうがいいのだといっていた。ボルドーなどの有名なワイン産地ではちゃんと人手を使って収穫しているようだが、知名度の低いここLanguedoc- Roussillon のワインは、値段で勝負しなければならないので、このようになるのだろう。ワインは文化だといっていた国でこのような光景をみるのは幻滅である。
Montpellier における私の共同研究者の一人はフランス国籍のレバノン人である。レバノンは、今はほとんどなくなってしまったが、国旗にその面影を残しているレバノン杉で有名である。レバノン人はその地がフェニキアと呼ばれていた大昔から商売にたけていたので、世界中に移り住んでいる。彼の家族も、親はベイルートにいるが、兄と妹はフランス、おじはカナダに住んでいるそうだ。私がフランスに行く直前に、イスラエル軍のレバノン侵攻が始まり、アラブ人の多いフランスの反応が気になるところであったが、アメリカとは一線を画する姿勢を示していた。その友達がインターネットに出ているCactus48(www.cactus48.com)の記事を読むとよいというので、読んでみた。本文は、アメリカ在住のユダヤ人のグループが書いた40ページ以上もある長い記事である。イスラエル建国のいきさつと、今日の中東紛争の原因の分析がテーマである。そのほかにイスラエル在住のイスラエル人グループによる"Truth against truth" という20ページほどの記事もある。これには最後の部分に紛争の解決に必要な10の必要条件が書かれている。読みながら、丸山さんの論叢の論文「20世紀初頭のシオニスト運動と東アジア」を思い出した。もっとも、本文 の中ではウガンダ案にはふれてない。周りを敵に囲まれていないアメリカのユダヤ人はより客観的に事態をみることが出来るだろう。しかし、住んでいたアラブ人を何らかの形で排除して建国した国の国民はそれほど客観的にはなれないだろう。cactus48 の記事は、パレスチナ問題に関心のある人にお勧めの記事である。 そうこうするうちにローマ法王の「イスラム教には好戦的な要素がある」という発言が飛び出し、イスラムの国々から激しい抗議がおこった。その時はたまたまドイツにいたのであえてドイツ人の友達数人に法王(現法王ベネディクト16世はドイツ人)の発言に対する彼らの考えを聞いてみたら、イスラエルのレバノン侵攻はやむをえない、また、法王の発言の真意は別なところにあって、あのような誤解を受けるような発言は不注意だと法王とかばう答えが多かった。私には、ドイツ人にはいまだにホロコーストの亡霊がまとわりついていて、あらゆる機会にイスラエルよりの発言をすることで、"moral obligation " を果たそうとしているようにみえた。私の共同研究者のレバノン人は、彼と研究室を共有しているドイツ人と、昼食時に盛んにイスラエルのレバノン侵攻が正当といえるかどうかを議論していた。ドイツ人がイスラエルはヒズボラからの攻撃を守る権利があると言うのに対し、レバノン人は、なぜヒズボラが攻撃するようになったのか、なせヒズボラがレバノン南部の国民に支持され、レバノン政府がヒズボラをコントロールできないのかといった、歴史を踏まえた議論を展開していた。このドイツ人は、イスラエル建国で追い出されたアラブ人を、第2次大戦後何世代にもわたって住んでいた東方領地を追われて現ドイツに逃げ帰った、または逃げ帰らざるを得なかった、シュレジエン地方(現ポーランド西部)のドイツ人と同列におこうとしていたが、少々無理である。ともかく、今回のイスラエルのレバノン侵攻は、ハマスに比して無名だったヒズボラを一躍世界的に有名な存在にしたことは事実であろう。ところで、友達のレバノン人はクリスチャンである。 そのうちに、日本では話題にすら上がらなかったと思うが、ナセルによるスエズ運河国有化宣言と、それに伴うスエズ動乱の50周年の記念特集が新聞、テレビに出るようになった。なぜアメリカが武力行使に反対したか、英仏とイスラエルがどのような密約を結んでいたか、そして、英仏の敗北がその後のヨーロッパの政治地図を決定的に変えることになったいきさつ(たとえば、それ以降イギリスの外交政策がアメリカ追従型になったこと、フランスが独自の核兵器を持つことになったこと、アメリカに対抗するためにはECの創設が不可欠であることをドゴールが認識することになったとか、中近東およびアフリカに対するソ連の影響力が増大したこと)などが詳しく報告されていた。 50年後には、2006年のイスラエルのレバノン侵攻を振り返って、アメリカとイスラエルの間にどんな密約があったかとか、これを引き金にその後の中東の勢力マップがどのように変わったかといった歴史的判断がくだされるであろう。 日本にいると、隣国のミサイル実験や核実験ばかりが気になるが、ヨーロッパにくると、突然、パレスチナ問題や、バルカン問題が気になってしまう。レバノンはもとより、イスラエルにも、トルコにも、アルジェリアにも、モロッコにもクロアチアやセルビアにも友達がいるからだ。かれらは、今日の不安定で予測につかない世界を自国でどう見ているのだろう。
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