No.7 「マーストリヒトのA教授夫妻のこと」〜平川幸彦先生の在外便り そのニ〜
平川幸彦 記
今年10月末に、「多忙の中、こんなことをしている場合ではない」と思いながら、しかし「すでに行くと約束した以上、行かねばならぬ」と覚悟を決めて、オランダのマーストリヒトにA夫妻を訪ねた。今回の訪問は、A夫人の教授就任の記念講演に出席するためだった。
私は、以前、学生としてドイツに滞在した際、教師になりたての若いA夫妻を何度もマーストリヒトに訪ね、楽しい時を過ごした。また今年4月からの在外研究が決まった時、Aさん夫妻に再会できることを楽しみにしていた。そして6月には、マーストリヒトでA夫妻と久しぶりに再会することができた。
なお夫君のAさんは、現在、マーストリヒト大学法学部の教授だが、明治学院大学とも深い関係がある。Aさんは1997年に日本に数ヶ月滞在し、私の自宅を訪ねてくれたし、明治学院大学を訪問して、明治学院大学とマーストリヒト大学の学生交換協定のきっかけを作ってくれた。私は、彼は明治学院大学にとって恩人の一人であると思う。マーストリヒト大学に交換留学に行く学生は、どうかAさんのことを心にとどめてください。他方、A夫人は、ドイツの大学で国際法の博士論文を書いていたところ、Aさんと知り合って結婚し、縁あってマーストリヒト大学の教師となったとのことである。また私がA夫妻と知り合ったのは、夫君のAさんが、私がいた大学のセミナーにオランダから参加したことがきっかけだった。当時から二人は気さくで、誰とでも分け隔てなく接していた。また二人とも、前回書いたFranz
同様、私の拙いドイツ語を辛抱強く聞いてくれた、非常に寛容な方である。
というわけで、私はもう何度もマーストリヒトに行っているが、前述した今年10月末のマーストリヒト訪問ばかりは、少々、緊張することになった。
昨年、A夫妻から、A夫人が来年10月に法学部教授となって1年後の記念講演をするので、来てほしいとの招待状が日本の自宅に届いた時、「あの
―― ちゃんのお祝いなら是非とも行かねばなるまい」と、気軽にOKした。しかし今年6月にマーストリヒトにA夫妻を訪ねた際、10月には、いつもの大混乱の楽しいパーティーは、記念講演とは別に20時から自宅で行うと念を押され、記念講演は大学の特別なホールで、儀式用の正装をし帽子までかぶって前の方に座ること、そして正装用に白いワイシャツを持ってくるように真顔で言われ、急に元気がなくなった。私の頭の中には、オランダ語で行なわれるであろう長時間の儀式で何も理解できず、しかも日本人の私には奇妙な衣装で、ちょこんと前の方に座わり、「何でこんな状況になったんだろう。やっぱりやめときゃよかった
- -」と、ぶつぶつ言っている自分の姿が浮かび、儀式に参加するのがおっくうになった。しかし今さら「いや」とも言えず、まして小心者の私には「お祝いの品を持って来るから、後ろの方に普通の格好で座らせてね。参加者が多いようならパーティーだけでもいいけど-
-」などと言う勇気があるはずもなかった。私は情けなくも「わかったよ。パーティーを楽しみにしているからね(I bin damit einverstanden.
Ich freue mich sehr auf eure tolle Party ! )」と言うのが精一杯だった。
けれども大学の儀式は、実際は実に楽しいものだった。当日、会場は、学長の言葉を借りれば「A夫人の人柄を反映して」、満員で、大学関係者、学生以外に、親戚、友人、そしてA夫妻の近所の人もつめかけていた。最前列には夫のAさん、二人の小さなお子さん、そして学長が陣取って、大学関係者はその後ろに座った。ただ6才になるお嬢ちゃんは、講演中に眠ってしまい、Aさんに何度か起こされていた。
A夫人の講演は、英語で行なわれた。彼女は、自分の研究テーマの発展の方向、講義のあり方、学生との関係を述べ、最後にオランダ語で、夫と二人のお子さんにそれぞれ感謝の言葉を述べた。
A夫人は、ECの移民法を主な講義課目とする教授に就任したので、講演はECとオランダの移民法についてだった。彼女はオランダの移民法が、移民を受け入れる方向で発展していることを、EC法との関係で説明し、今後、移民法のあるべき姿を、研究者や法学部の学生とだけ議論するのでなく、他学部の学生や留学生とともに考えていきたいとして、いくつかの計画を語った。会場は割れんばかりの大拍手で、講演の内容は、夜のラジオのニュースでも報道された(私はA夫妻のパーティーに行くタクシーの中で、ラジオのニュースを聞いた)。
彼女の講演は、誠実で、明るく、無邪気で、そして少々強引な人柄がよく出ていて、心に響くものだった。また彼女が学生から絶大な支持を受けていることは、講演を聴いていてすぐに感じるとることができた。そして特に私にとって面白かったのは、その後の学長の発言だった。学長は、万雷の拍手の中で降壇したA夫人の後で、多分、勇気を出して、「A夫人が非常に有能であり、人柄もよく、講義の人気が高いことは、よくわかる。しかし残念ながら、我が大学にはあまりお金がない」との発言をした。ここで大爆笑とはならなかったので、私には学長の真意はもう一つはかりかねたが、いずれにせよ洋の東西を問わず、大学の学長は、こういう状況では似たような反応をするものだと、一人で妙に納得した(全国の学長先生、ごめんなさい)。ただ当日、学長が、A夫人の講演に大いに満足したことは明らかで、学長はその夜のA夫妻のパーティーにやって来て、終始、上機嫌だった。
記念講演のあと、ホールの前でA夫人に一人ずつお祝いを述べた。お祝いを述べる列は、1時間近くも続いた。前回、私がドイツの学生生活を終えてヨーロッパを去った後、彼女が、大学教師としても、社会人としても、大きく成長したことを物語る感動的な光景だった。彼女のドイツの指導教授夫妻も招待されていて、彼女の成長ぶりに感激の様子だった。大学院生に聞くと、彼女は法学部で、学生が選ぶ教師のナンバーワンになったが、それは決して、学生を甘やかすからではなく、学生の立場に立って考えようとするからだと言っていた。
今回の大学の儀式に関して言えば、当初の私の予想と異なり、私はなかなか気に入った。こんな気楽な儀式なら、たまにはあんな奇妙な格好をするのも悪くはないと思った。しかしこれは、多分、学長が言うように、A夫人の人柄によるところが大きく、一般的に、大学の儀式がこんなにいいものかどうかは、疑ってかかった方がいいかもしれない。最終的な結論は、留保した方がよさそうだ。
そうそうパーティだが、私は普通の背広姿でA夫妻宅を訪ねた。でも出迎えたA夫妻は、トルキスタンの民族衣装を着ていた。私は、うっかりしていて、仮装パーティーであることを忘れてしまっていた。
とにかくパーティーで300人のゲストが仮装している姿は、見ものだった。私はこの光景を、残念ながら、デジタルカメラで撮影しておらず、皆さんにお見せすることはできないが、フラメンコの赤い衣装を着た女子学生もいれば、ロシアの民族衣装を着たAさんの親戚、キプロスの聖職者や日本の火消しの格好をした近所の人、日本の着物をパーティー用に仕立て直した学生もいて、実に華やかだった。また仮装の衣装のまま、ディスコダンスを踊っている姿は、なかなか壮観だった。結局、翌朝3時すぎまで、大フィーバーの一夜だった。
ついでながら、Aさん夫妻は、昔から研究、教育には人一倍、熱心だったが、他方で人生を楽しむことも忘れない人達だった。私は、昔、Aさん夫妻と、夜にマース川の川沿いに車を走らせて、ベルギー領リエージュ(Liege)の歌声酒場に行ったことを覚えている。先日、Aさんに聞いたら、その酒場は今でも営業しているとのことで、懐かしく思い出した。その酒場は、素人がそれらしき服装で次々と舞台に上がり、歌手気分で伴奏付きで歌う、いわばカラオケのベルギー版といったところで、お店はいつも満員、フランス語の歌で盛り上がっていた。さすがのAさん夫妻も圧倒されるようで、我々一行は誰も舞台に上がらなかった。しかしその酒場からマース川沿いにマーストリヒトのAさん宅まで車で帰る途中、みんなで大声で歌った。寒い冬でも車の窓を開けて歌うので、川面からの風が冷たかった。私は、日本のぽかぽかとした春の情景が恋しくて「マース川」ならぬ「隅田川」を歌った。これも恥ずかしながら、我が青春の1ページである。
ではみなさん、どうかよいクリスマスと新年をお迎えください。次回は、もう少し硬い話しをする予定です。

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